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影王の専属人は、森のひと
02
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それは昼食を終え皆で昼下がりのお茶を楽しんでいた頃合いだった。シルフィール様の居室に静かなノックの音が響き渡り、ドアの向こうから涼やかな声が届いた。
「私だ」
―――陛下。
いつものように妹君の部屋を訪れた兄王を迎え入れる為、たまたま一番入口近くにいたわたしが居室のドアを開けた。
かしこまりながら視線を上げ、長身の相手の顔を目にした瞬間―――。
「―――……」
その時感じた違和感を、何と表現すればよかったんだろう。
瞳に映ったのは、いつもと何ら変わりのない陛下の姿だった。
シルフィール様のお付きとなってから毎日のように目にしている、鼻筋がすっと通った気品のある顔立ち―――柔らかそうな白金色の髪に、良く晴れ渡った空色の瞳、健康的で鍛えられた印象の赤銅色の肌。
白を基調に金の絹糸で刺繍が施された上等な仕立てのカッチリとした衣服に身を包み、腰には意匠の凝らされたきらびやかな剣を差している。足元は深みのある茶色のブーツ。肩から赤色の瀟洒なマントを羽織ったその人からは、いつもと同じ高貴な香りが漂っていた。
間違いなく、見た目はいつもどおりの陛下……なんだけど。
―――でも、何か……。
「リーフィア、何をしているのです。無礼ですよ、早く陛下をお通しして」
無言で主君の顔を注視するといったわたしのあるまじき不敬行為に、室内にいた護衛長から叱責の声が飛んだ。
「あ―――申し訳、ございません」
わたしは慌てて自らの非礼を詫び、陛下を室内へ招き入れる為、ドアの影に控えた。
陛下はちら、とわたしに目をくれただけで、特に叱責の言葉などはかけなかった。
「ふふ、リーフィアったらお兄様のお顔に見とれていたの? その気持ち、分かるわ。お兄様、素敵ですものね」
「え―――あ、はい……」
居心地の悪い場を無邪気な声で和らげて(?)くれたシルフィール様に何と答えたらよいものか掴めず、微妙な表情で言葉を濁すに留めたわたしを、遠くから護衛長がすごい顔でにらみつけている。
うわ、まいったなぁ。後でキツいお説教を食らいそうだ。
内心で額を押さえながら、わたしは今ほどのことなどなかったかのようにシルフィール様と会話を交わす陛下の様子をそれとなく窺った。そして、自分の直感がやはり間違っていなかったことを確信し、その事実に息を飲む。
―――やっぱり、違う。
初めこそ気のせいかと思ったけれど、そうじゃない。
背恰好も声の質も非常によく似てはいるけれど、注意深く観察してみれば、わずかだけど声のトーンが違う。顔も双子のそれのように大変よく似てはいるけれど、矯めつ眇めつして見れば陛下とは微妙に異なる。それに上手く言えないけど、「彼」自身から滲み出る、その人が持つ独自の色のようなもの―――魂の本質、とでも表現すればいいのだろうか? 陛下の色彩を纏ったその奥から漏れ出る気質のようなものが、陛下のそれとは明らかに違うのだ。
―――この人は、別人だ。陛下じゃない。
その結論にたどり着いた時、わたしは独り戦慄のようなものを覚えた。
これは―――誰?
立ち居振る舞いも、その身に纏う雰囲気さえも、彼はまるでクリストハルト陛下そのものだった。何もかもが本当にそっくりで、周りの人間は誰も―――妹のシルフィール様でさえ、それには気が付いていない様子だった。
分かるのは、わたしがクォルフだから―――? これは、人間には分からない感覚なのだろうか。
問題が問題なだけに、おいそれとその事実を口にするわけにはいかなかった。誰に確認したらよいものなのかも分からず、わたしはとりあえずそれを自分の胸にしまいながら「彼」の動向を注視することしか出来なかった。
それが、始まり。
そして、それからも「彼」は度々シルフィール様の前に現れた。
最初こそ驚いたし警戒したけれど、その事象が重なるうちに、わたしにも何となく「彼」が存在する理由が見えてきた。
クリストハルト陛下がクリストハルト陛下でなくなる時は、決まって来客との接見がある時だった―――国内外を問わず、いかにも偉そうな称号のつく来客がある時だけ。
「彼」はおそらく、クリストハルト陛下の影武者なのに違いない―――それがわたしのたどり着いた推論だった。
難しいことはよく分からないけれど、国王が変わってまだ混乱が尾を引くこの国には今の陛下と敵対する勢力が残っていて、命を狙われる危険が付きまとっているのだ―――多分。
「彼」は、クリストハルト陛下の身代わりなのだ。
かといってそれが推論の域を出るものではなかったので、わたしは「彼」が現れる度、警戒感を持ってその一挙手一投足を見張った。
途中からは彼の方もそんなわたしの様子に気が付いて、まるで開き直ったかのように、悪ふざけみたいな挑発行動を取ってくるようになった。
会話をしながらさり気なくシルフィール様の肩に手を置いてみせたり、あろうことか華奢な腰を引き寄せてみせたり、あまつさえ絹糸のような髪に指を絡めて口づけて、わたしにだけ分かるように口元に小さく笑みを刻んでみせたりする。
―――こっ、のセクハラ男……! 本物の陛下は妹君にそんな真似、したことがないのに!
そのやりようにわたしはぎりぎりと歯噛みしたけれど、相手が「陛下」という立場である以上、わたしの方から下手な口出しをすることは出来ず、護衛長に見咎められないよう気を付けながら、せいぜい瞳に険を宿してにらみつけるのが精一杯だった。
シルフィール様に危害を加えている、とまでは言えないし、そもそも相手が兄王だと思い込んでいるシルフィール様はそんなことこれっぽっちも気に留めていないし―――かといって、手をこまねいてこんな事態を見守るしかないというのは何とも歯がゆい。
悩んだあげく、それとなく護衛長に「時々陛下の様子がおかしいように見受けられるのですが」と相談をしてみたところ、聞く耳持たないといった風情で頭ごなしに怒られてしまった。
「陛下に対して不敬ですよ! 麗しい兄妹愛を貶めるような発言は控えなさい! 人間とあなたのような亜人では感性が違うのよ! まったく、物珍しさでシルフィール様に気に入られているからといって―――」
亜人風情が何を言っている、思い上がりも甚だしい、調子こいているんじゃない、引っ込んでいろ、といった趣旨の発言を少し綺麗な言葉でくるまれて烈火の如く延々と浴びせられ、わたしはぐっと拳を握りしめながら引き下がるしかなかった。
くそ……悔しいけれど、今の城内にわたしの言葉をまともに聞いてくれる人間はシルフィール様の他にいないのが現状だった。そのシルフィール様があの男の正体に気付いていない以上、どうすればいいのか……。時折入れ替わっているということは少なくとも陛下自身はあの男を認知していて、必要があってそうしているのだろうし……。
わたしは何も出来ず、あんな男の悪ふざけを傍観するしかないのか―――いや、でもせめて、これ以上悪ふざけがひどくならないようにしっかりと見張って、あまりに度が過ぎるようであればシルフィール様の護衛としてきっちり制止しなければ。
そんな義憤を胸に抱きつつ業務に励むわたしを嘲笑うかのように、ある日男は大胆不敵に接触してきたのだ。
それは中庭で花を愛でるシルフィール様に付き添っていた時のことだった。
「―――今のところはつつがなく職務を全うしているようだな。どうだ、城内の洗礼は」
突如現れた「彼」にそう声をかけられて、まさかこんなふうに堂々と声をかけられるとは思っていなかったわたしは大いに驚いた。
完全に不意を突かれ、ぎこちなく表情を取り繕いながらそれに応じる。
「は……想像していた以上に、厳しいです」
くそ……何でそんなことをあんたに答えなきゃいけないの!
彼は形だけかしこまるわたしにふと笑むと、シルフィール様にこう申し出た。
「シルフィール、少し彼女を借してもらえるか? 話しておきたいことがあるんだ」
それを聞いたわたしは内心でぎょっとした。
は、何!? この男がわたしに話したいこと!? 嫌な予感しかしないんだけど!
シルフィール様は密かに表情を強張らせるわたしと偽物の兄王とを見比べた後、天使のような可愛らしいお顔でにっこりと承諾を返した。
「ええ、構いませんわ。でもお兄様、リーフィアはまだ王宮へ来て日が浅いですから、何事もお手柔らかにお願いしますね」
シルフィール様、そんな微妙な優しさはいいですから、断って下さい! その人、本当はあなたのお兄様じゃないんです!!
―――とは叫びたくても叫べない、か弱き立場が恨めしい。
「ああ、分かっている」
当然のようにそう返した空色の瞳が恐ろしいことに全く笑っていなくて、わたしは心の中で盛大に青ざめながら、赤色のマントを翻す背中についていくしかない自分の立場を心の底から呪ったのだった。
「私だ」
―――陛下。
いつものように妹君の部屋を訪れた兄王を迎え入れる為、たまたま一番入口近くにいたわたしが居室のドアを開けた。
かしこまりながら視線を上げ、長身の相手の顔を目にした瞬間―――。
「―――……」
その時感じた違和感を、何と表現すればよかったんだろう。
瞳に映ったのは、いつもと何ら変わりのない陛下の姿だった。
シルフィール様のお付きとなってから毎日のように目にしている、鼻筋がすっと通った気品のある顔立ち―――柔らかそうな白金色の髪に、良く晴れ渡った空色の瞳、健康的で鍛えられた印象の赤銅色の肌。
白を基調に金の絹糸で刺繍が施された上等な仕立てのカッチリとした衣服に身を包み、腰には意匠の凝らされたきらびやかな剣を差している。足元は深みのある茶色のブーツ。肩から赤色の瀟洒なマントを羽織ったその人からは、いつもと同じ高貴な香りが漂っていた。
間違いなく、見た目はいつもどおりの陛下……なんだけど。
―――でも、何か……。
「リーフィア、何をしているのです。無礼ですよ、早く陛下をお通しして」
無言で主君の顔を注視するといったわたしのあるまじき不敬行為に、室内にいた護衛長から叱責の声が飛んだ。
「あ―――申し訳、ございません」
わたしは慌てて自らの非礼を詫び、陛下を室内へ招き入れる為、ドアの影に控えた。
陛下はちら、とわたしに目をくれただけで、特に叱責の言葉などはかけなかった。
「ふふ、リーフィアったらお兄様のお顔に見とれていたの? その気持ち、分かるわ。お兄様、素敵ですものね」
「え―――あ、はい……」
居心地の悪い場を無邪気な声で和らげて(?)くれたシルフィール様に何と答えたらよいものか掴めず、微妙な表情で言葉を濁すに留めたわたしを、遠くから護衛長がすごい顔でにらみつけている。
うわ、まいったなぁ。後でキツいお説教を食らいそうだ。
内心で額を押さえながら、わたしは今ほどのことなどなかったかのようにシルフィール様と会話を交わす陛下の様子をそれとなく窺った。そして、自分の直感がやはり間違っていなかったことを確信し、その事実に息を飲む。
―――やっぱり、違う。
初めこそ気のせいかと思ったけれど、そうじゃない。
背恰好も声の質も非常によく似てはいるけれど、注意深く観察してみれば、わずかだけど声のトーンが違う。顔も双子のそれのように大変よく似てはいるけれど、矯めつ眇めつして見れば陛下とは微妙に異なる。それに上手く言えないけど、「彼」自身から滲み出る、その人が持つ独自の色のようなもの―――魂の本質、とでも表現すればいいのだろうか? 陛下の色彩を纏ったその奥から漏れ出る気質のようなものが、陛下のそれとは明らかに違うのだ。
―――この人は、別人だ。陛下じゃない。
その結論にたどり着いた時、わたしは独り戦慄のようなものを覚えた。
これは―――誰?
立ち居振る舞いも、その身に纏う雰囲気さえも、彼はまるでクリストハルト陛下そのものだった。何もかもが本当にそっくりで、周りの人間は誰も―――妹のシルフィール様でさえ、それには気が付いていない様子だった。
分かるのは、わたしがクォルフだから―――? これは、人間には分からない感覚なのだろうか。
問題が問題なだけに、おいそれとその事実を口にするわけにはいかなかった。誰に確認したらよいものなのかも分からず、わたしはとりあえずそれを自分の胸にしまいながら「彼」の動向を注視することしか出来なかった。
それが、始まり。
そして、それからも「彼」は度々シルフィール様の前に現れた。
最初こそ驚いたし警戒したけれど、その事象が重なるうちに、わたしにも何となく「彼」が存在する理由が見えてきた。
クリストハルト陛下がクリストハルト陛下でなくなる時は、決まって来客との接見がある時だった―――国内外を問わず、いかにも偉そうな称号のつく来客がある時だけ。
「彼」はおそらく、クリストハルト陛下の影武者なのに違いない―――それがわたしのたどり着いた推論だった。
難しいことはよく分からないけれど、国王が変わってまだ混乱が尾を引くこの国には今の陛下と敵対する勢力が残っていて、命を狙われる危険が付きまとっているのだ―――多分。
「彼」は、クリストハルト陛下の身代わりなのだ。
かといってそれが推論の域を出るものではなかったので、わたしは「彼」が現れる度、警戒感を持ってその一挙手一投足を見張った。
途中からは彼の方もそんなわたしの様子に気が付いて、まるで開き直ったかのように、悪ふざけみたいな挑発行動を取ってくるようになった。
会話をしながらさり気なくシルフィール様の肩に手を置いてみせたり、あろうことか華奢な腰を引き寄せてみせたり、あまつさえ絹糸のような髪に指を絡めて口づけて、わたしにだけ分かるように口元に小さく笑みを刻んでみせたりする。
―――こっ、のセクハラ男……! 本物の陛下は妹君にそんな真似、したことがないのに!
そのやりようにわたしはぎりぎりと歯噛みしたけれど、相手が「陛下」という立場である以上、わたしの方から下手な口出しをすることは出来ず、護衛長に見咎められないよう気を付けながら、せいぜい瞳に険を宿してにらみつけるのが精一杯だった。
シルフィール様に危害を加えている、とまでは言えないし、そもそも相手が兄王だと思い込んでいるシルフィール様はそんなことこれっぽっちも気に留めていないし―――かといって、手をこまねいてこんな事態を見守るしかないというのは何とも歯がゆい。
悩んだあげく、それとなく護衛長に「時々陛下の様子がおかしいように見受けられるのですが」と相談をしてみたところ、聞く耳持たないといった風情で頭ごなしに怒られてしまった。
「陛下に対して不敬ですよ! 麗しい兄妹愛を貶めるような発言は控えなさい! 人間とあなたのような亜人では感性が違うのよ! まったく、物珍しさでシルフィール様に気に入られているからといって―――」
亜人風情が何を言っている、思い上がりも甚だしい、調子こいているんじゃない、引っ込んでいろ、といった趣旨の発言を少し綺麗な言葉でくるまれて烈火の如く延々と浴びせられ、わたしはぐっと拳を握りしめながら引き下がるしかなかった。
くそ……悔しいけれど、今の城内にわたしの言葉をまともに聞いてくれる人間はシルフィール様の他にいないのが現状だった。そのシルフィール様があの男の正体に気付いていない以上、どうすればいいのか……。時折入れ替わっているということは少なくとも陛下自身はあの男を認知していて、必要があってそうしているのだろうし……。
わたしは何も出来ず、あんな男の悪ふざけを傍観するしかないのか―――いや、でもせめて、これ以上悪ふざけがひどくならないようにしっかりと見張って、あまりに度が過ぎるようであればシルフィール様の護衛としてきっちり制止しなければ。
そんな義憤を胸に抱きつつ業務に励むわたしを嘲笑うかのように、ある日男は大胆不敵に接触してきたのだ。
それは中庭で花を愛でるシルフィール様に付き添っていた時のことだった。
「―――今のところはつつがなく職務を全うしているようだな。どうだ、城内の洗礼は」
突如現れた「彼」にそう声をかけられて、まさかこんなふうに堂々と声をかけられるとは思っていなかったわたしは大いに驚いた。
完全に不意を突かれ、ぎこちなく表情を取り繕いながらそれに応じる。
「は……想像していた以上に、厳しいです」
くそ……何でそんなことをあんたに答えなきゃいけないの!
彼は形だけかしこまるわたしにふと笑むと、シルフィール様にこう申し出た。
「シルフィール、少し彼女を借してもらえるか? 話しておきたいことがあるんだ」
それを聞いたわたしは内心でぎょっとした。
は、何!? この男がわたしに話したいこと!? 嫌な予感しかしないんだけど!
シルフィール様は密かに表情を強張らせるわたしと偽物の兄王とを見比べた後、天使のような可愛らしいお顔でにっこりと承諾を返した。
「ええ、構いませんわ。でもお兄様、リーフィアはまだ王宮へ来て日が浅いですから、何事もお手柔らかにお願いしますね」
シルフィール様、そんな微妙な優しさはいいですから、断って下さい! その人、本当はあなたのお兄様じゃないんです!!
―――とは叫びたくても叫べない、か弱き立場が恨めしい。
「ああ、分かっている」
当然のようにそう返した空色の瞳が恐ろしいことに全く笑っていなくて、わたしは心の中で盛大に青ざめながら、赤色のマントを翻す背中についていくしかない自分の立場を心の底から呪ったのだった。
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