影王の専属人は、森のひと

藤原 秋

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影王の専属人は、森のひと

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 わたしが家族と共に暮らすクォルフの村はグスタール王国の王都西方に位置するクリードの森の中にあった。

 クリードの森の中心には霊樹れいじゅと呼ばれる樹齢の計り知れない大木があり、古くからこの地域に住まう者達にパワースポットとして崇められている。だが、深い森には様々な生き物が住まい、そこへ向かう為にはそれなりの準備と覚悟が必要でもあった。

 半年ほど前、いつものように狩場へ赴いて獲物を品定めしていたわたしは、偶然悲鳴を聞いて駆け付けた先で、大型の獣に襲われていた身なりの良い少女を助けた。

 驚いたことにその少女は現グスタール王国の国王クリストハルトの実妹シルフィール姫で、数人の侍従を伴い霊樹へと向かう途中だったのだという。

 助けた成り行きで霊樹まで付き添ったわたしに、シルフィール様はとても感謝してくれた。そしてぜひお礼をしたいと半ば押し切られるような形で招かれた王城で、事態は思わぬ方向へと転がった。

 わたしはシルフィール様を助けた功と、何故かわたしをひどく気に入ったらしい彼女の口添えもあって、王妹の護衛役という身に余る大役を国王直々に打診されたのだ。

 その際国王クリストハルトは身分もない亜人のわたしを実妹の護衛役として取り立てようとする理由をこう説明した。

「我が国は先の混乱に伴い、優秀な人材が不足している。そういった事情をかんがみ、私は身分や人種の垣根なく、優秀と思える人材は積極的に登用していく方針だ。その意を名実共に示す為に、其方そなたの存在は丁度良い」

 実はグスタール王国は数年前までひどく荒れていた。

 その原因は自堕落だった前国王の職務放棄―――国の要たる存在が酒と女に溺れた挙句、政務を臣下へ丸投げにした結果、中枢が腐敗して内政が滞り、どうにも立ち行かなくなったのだ―――そのしわ寄せは国民生活に帰結し、国に多大な悪影響を及ぼした。

 物資が不足して物価は高騰し、治安が乱れて街では暴力行為が横行した。昼間でも外を出歩くのが危険な状態になり、人々は外出を控えることを余儀なくされ、結果、生産性が維持されず市場は回らなくなり、国力が衰退していくという悪循環―――それに終止符を打ったのが、国王の甥に当たり、王都から遠く離れた小都市を統治していた当時のクリストハルト殿下だった。

 殿下は集めた有志を率いて腐敗した前国王政権を打倒し、新たなグスタールの王となったのだ。

 彼がグスタールの国王となってからは国は一応の落ち着きを取り戻し、今、少しずつ復興の道をたどっている。

 当時は腐敗政権の影響で森の物資を根こそぎ持ち去ろうとするような連中が後を絶たず、街に住まう人間達ほどではないにしろ、わたし達の住む村も少なからぬ悪影響を受けて困っていたから、前の王よりはマシな人物がとりあえずでも王の座に就いてくれたことはありがたかった。

 まさかその人を目の前にする日が来るなんて、夢にも思っていなかったけど―――……。

 国王クリストハルトは二十代半ばの見目麗しい青年だった。

 日に透けて輝く白金色の髪に、良く晴れ渡った空色の瞳。鼻筋がすっと通った気品の漂う顔立ちをしていて、体格は線が細い感じではなく、どちらかといえば武人のように鍛えられた印象で、背が高く赤銅色の肌をしていた。

 若き国王は良く通る静かな声でわたしに向かってこうも述べた。

「私の方針は先程伝えたとおりだが、城内の者が全てそれに賛同しているわけではない。むしろどちらかといえばそれに対して拒否反応を示す者の方が多いだろう。現在、城内に従事している亜人はいない。もしこれを引き受ければ其方がその第一号となる。耐え忍ぶことも多い環境になるだろうが、それに臨む覚悟はあるか? 大切な妹を預ける以上、生半なまなかな気持ちで臨まれては困るのだ。我が意を示す広告塔の役割を果たし、つその身を賭して妹を護る覚悟があるのであれば、其方をシルフィールの護衛役として取り立てよう」

 その言葉に臆する気持ちがなかったわけではないけれど、わたしは目の前の国王に対して厳しい中にも誠実な印象を抱いた。それに、提示された待遇がひどく魅力的だったことも背中を後押しした。

 個室ではないが居室を与えてもらえる上、寝食を保障され、しかも給金がもらえる。村で普通に生活しているのでは到底得ることの出来ない金額を、毎月。

 わたしには弟妹が四人いて、下の二人はまだ幼い。先の政権混乱の余波もあって家族の暮らしは楽ではなく、身を粉にしている両親の為にも力になりたかった。

 狩猟を生業なりわいとするわたしは弓の腕には覚えがあるし、護身術も身についている。それがここで活かせるのであれば―――。

 突然降って湧いた事態に戸惑いはしたものの、そんな理由もあり、わたしは王妹の護衛役を謹んで引き受けることにしたのだ。

 それが、全ての始まりだった―――。






 わたしの主となったシルフィール様は天然無垢を体現したような人だった。

 現在18歳の彼女は兄王と同じ色彩を持つ美しい容姿をしていて、誰にでも分け隔てなく気さくに接するその人柄から城内での人気は高かった。

 ただ、彼女はその純粋さから疑うことや警戒することへの意識が希薄で、わたしからするとその行動はあまりにも無防備な時があり、護衛をする側としてはヒヤヒヤさせられることもしばしばだった。

 自分が高貴な身の上で、ともすると狙われる立場にあるということをこの人は自覚していないのだ―――何かあるごとに口を酸っぱくして提言しても、その度に彼女は可愛らしい口を尖らせて「それはちゃんと分かっている」と仰るのだが、あれは絶対に分かっていない。

 分かっている人は下働きの格好をして庭の手入れをしたり、そのせいで下女と間違われて出入りの業者に口説かれたり、あまつさえ城外での逢瀬の約束など交わしたりはしない(しかも逢瀬の意味合いを間違って捉えている)。

 先日は珍しい鳥を見かけた途端、止める間もなく子供のように駆け出して木の根につまずき、危うく顔面から地面に激突するところだった―――すんでのところでわたしが間に合い、大事には至らなかったのだけど。

「お兄様が王になられてここへ来る前は、小さなお屋敷に住んでいて片手で余る数の使用人しかいなかったのよ。花壇の手入れも全部自分でしていたし―――」

 そう語る彼女と今は国を背負う立場となった兄にどういった事情がありどんな経緯いきさつがあって今日に至ったのか、従者になりたてのわたしは知らないし推し量る術もなかったけれど、クリストハルト陛下はそんなシルフィール様を非常に気にかけているらしく、忙しい政務の合間を縫うようにして一日に一度は妹の様子を見に居室へ顔を出していた。

 見目は似ているけれど性格は全く違う兄妹ね―――陛下は怜悧で手厳しく隙などない印象だけど、シルフィール様は天真爛漫でふわふわとしていて―――……。

 穏やかに語らい合う兄妹の様子を少し離れた場所から見守りながら、わたしは漠然とそんなことを考えた。

 それとも、陛下がこんなふうに全てからシルフィール様を守ってきたから、この方はこんなにも純粋培養的に育ったんだろうか……?

 日課として定着したその光景を日々目の当たりにしながら、わたしは不慣れな王宮での仕事に従事し、様々なことを少しずつ覚え身に着けながら、わたしなりにその環境へ適応していった。

 ただ、城内に突然入り込んだ亜人一号に向けられる王城の人々の視線はとても友好的とは言い難いもので、中にはあからさまに敵意を向けてくる人や偏見を持って接してくる人もいて、いわれのない悪意に晒されることもしばしばあり、一日の仕事を終え、与えられた居室へ戻ってくる頃にはわたしは心身共に疲れ切ってしまっていることが多かった。

 そんなわたしと部屋を共にするのはわたしと同じくシルフィール様の護衛役を務める二人の女性だった。チームを組む護衛のメンバーとしてはもう一人護衛長がいるけれど、彼女は別に個室を与えられている。

 同室の彼女達はわたしより少し年上といった年齢だったけど、今のところわたしと仲良くする気はないらしく、挨拶や業務に関する話はしても、雑談や世間話といったものは一切振ってもらえていなかった。今日もわたしが部屋に戻ってきた途端、今まで弾んでいた会話がピタリと止んでしまい、内心で溜め息を吐きたくなる。

 地味にダメージを受けるけれど、まあ意地悪されないだけマシなのかな……。うん、そうね。考えるだけ疲れるし、深く突き詰めないことにしよう。

 陛下の言っていたとおり、甘くはないわね。正直きついけど、まあそれを覚悟してここへ来たんだから、やれるところまでは頑張ろう……。

 日を追うごとに精神的にきつくなる部分もあったけれど、わたしはそんな環境とも戦いながら、辛抱強く王宮での日々を過ごしていた。

 そんなある日、唐突に「その瞬間」は訪れたのだ―――。
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