影王の専属人は、森のひと

藤原 秋

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影王の専属人は、森のひと

プロローグ

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 いったい、何がどうしてこんなことになってしまったんだろう……?

 その座り心地の良さから身の丈に合わない高級品だと分かってしまう大きなベッドの端に腰掛けたわたしは、眉間に深いしわを刻み、盛大に表情を曇らせていた。

 とある理由から、わたしは今、非常に奇妙な状況に置かれている。置かれている状況も奇妙だけれど、身を置いているこの場所がまた、かなり特殊で奇妙な環境だと言えた。

 今わたしがいるのは、とある人物の居室だ。

 そこそこ広い造りの室内は無機質な壁で覆われ、通常部屋にあるべきはずの窓というものがない。窓どころか、この部屋には普通の概念の出入口というものが存在していなかった。

 そんな奇妙な場所であるにも関わらず、この部屋にしつらえられた家具は全てが洗練された一流の品で、そのそぐわなさは見る者にちぐはぐとした印象を与える。

 わたしの名前はリーフィア。

 猫型の獣耳を持つ狩猟民族、クォルフだ。年齢は20歳。

 背の中程まである亜麻色のクセのない髪に、琥珀色の瞳。こめかみの上辺りからは萌黄色の柔らかな毛に覆われた三角の獣耳が生えている。わたし達クォルフは居住する場所とその身に纏う色彩から、通称「森のひと」と呼ばれていた。

 世界に住まう人類の中で圧倒的な数を誇る人間達は、自分達と違う部分を持ったわたし達のような存在をまとめて「亜人」と呼び、自分達と区別している。

 その亜人のわたしを今現在鬱々とした気分にさせている元凶は、この奇妙な部屋の持ち主である人間の青年だった。何故なら―――先日不本意な「約束」を交わした「彼」はクォルフの特徴でもあるこの獣耳がいたくお気に入りで、わたしは今、彼に自分の耳を弄ばれているのを我慢しているという、とてつもない忍耐を強いられる状況に陥っているのだ。

「あー、もっふもふ~……癒されるわー……この感触、最高だね」

 背後からうっとりと響いた低い声音と、耳に触れる無骨で厚みのある大きな手の感触に、殺意にも似た感情がふつふつと込み上げてくる。

「さっさと終わってくれない? ストレスでどうにかなりそうなんだけど」

 不快感も露わな声で無遠慮にわたしの耳をいじくり倒す背後の男をにらみ上げると、相手はそれを気にも留めず、実にけろりとした顔で微笑みかけた。

「あーホント、ひっでー顔になってる。美人が台無しだな? こんなに優しく触ってるのに何でだろうなー?」

 白い歯を見せ、はは、とお気楽な声を立てる相手は、白金色の髪に空色の瞳をして、造作だけは無駄に気品のある整った顔立ちをしていた。健康的な赤銅色の肌が、こぼれた歯の白さを際立たせて見せる。

 彼はわたしのストレスが臨界点に向かっていくことなどまるでおかまいなしで、まだやめる気はないと言わんばかりに、やわやわとわたしの耳を揉み込んでは飽くことなく撫で倒した。

「これ、『約束』だから。オレの権利」
「……乱暴に扱ったら、連射で射抜く」

 鼻歌でも歌い出しそうな相手の口調に腹を立て、剣呑な物言いをするわたしの様子にも、この男はまるで頓着しない。

「おー、こわ。あんたの弓の腕前は知ってるけど、そもそもオレ、紳士だし? 基本、女の子を乱暴に扱うなんてことしねーから」

 基本って何だ、基本って。そうじゃない時もあるっていうことじゃない。

「うら若き乙女の耳をこんなふうに弄んでおいて、どの面下げて紳士なんて言えるわけ」
「この面下げて?」
「……」

 この、よくもしゃあしゃあと。

 会話を続ける気が失せたわたしは、むっつりと黙り込んで室内に視線を走らせた。

 ここはこの男の居室だ。

 秘密裏に造られた明り取りの窓さえない空間は、通気口が完備されて空調も制御されているから息苦しさはないけれど、外界から隔絶されたその造りには閉塞感を覚える。

 その部屋の片隅に置かれた天蓋付きの広いベッドの端に座って、背面からデカい男に耳を触られているこの状況……ホント、いったい何なんだろう。

 どうしてわたしがこんなセクハラまがいの「約束」をせざるを得ない事態に陥ってしまったのか―――話は、少し前に遡る―――。
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