DESTINY!!

藤原 秋

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ドヴァーフ編

月下の涙

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 柔らかく降り注ぐ淡い月の光を受けて、魔法王国ドヴァーフの王都は静かに夜の深まりを見せていく。

 その夜道を歩きながら、アルコールの影響でまだほんのりと頬を染めたままのガーネットが夜空に浮かぶ月を見やりながらつぶやいた。

「あの二人、今頃どうしているかしらねー?」
「さぁ……」

 そう返すパトロクロスの頬も、彼女と同じようにほんのりと赤い。

「……オーロラは、アキレウスのことが好きなんだな」

 傍らを歩く長身の青年を見上げ、ガーネットはいたずらっぽく笑った。

「あら? 気付いちゃった?」
「気付くさ。うすうす感じてはいたが、先程の様子で確信した」

 そう語るパトロクロスの言葉に頷きながら、ガーネットは軽く小首を傾げてみせた。

「アキレウスはどうなのかしらねー?」
「さぁ……あいつはちょっと、読めないな。ここのところ不安定になっているし……」
「あたしくらい、分かりやすければいいのにね」

 そう言って腕を絡ませてきたガーネットの手を、パトロクロスは慌てて払いのけた。

「コ、コラ! 全くお前は!」
「何よー、ケチ」
「ケチとは何だ、ケチとはっ!」

 言いながら、ここ数日間くっついてくることのなかったガーネットの久々にいつも通りの行動に、どこかで安堵めいたものを覚えている自分を感じて、パトロクロスは若干の戸惑いを禁じえなかった。

「……ホラ、もう行くぞ」

 それを押し隠して、表面上は平静を装いながら再び歩を進めようとしたその時、パトロクロスは異変に気が付いて背後のガーネットを振り返った。

「ガーネット?」

 彼女はうつむいて地面に視線を落としたまま、何故かその場から動こうとはしなかった。

「どうしたんだ?」

 問いかけたパトロクロスの声に反応して、ガーネットが顔を上げる。いつもは勝気に輝いている茶色ブラウンの瞳が、何故かひどく怯えたように月光を映して揺れていた。その頬は強張り、唇は一文字に結ばれていて、それでも真っ直ぐにパトロクロスに向けられた眼差しには、ある種の決意のようなものが湛えられていた。

 そのいつにない真剣な表情に、パトロクロスは胸騒ぎのようなものを覚えて息を飲んだ。

「ガーネット?」
「……パトロクロスは」

 呼びかけるパトロクロスの声にガーネットの声が重なった。

「パトロクロスは……どうなの……?」

 いつものガーネットからは想像もつかない硬い声に、彼女の緊張感が伝わってくる。

 ドクン、と自分の心臓が波打つのをパトロクロスは感じた。

 こんなガーネットは、初めてだった。

「何がだ……?」

 知らず、乾いた声が唇からもれた。

 戸惑いを隠せないパトロクロスの瞳を真っ直ぐに見据えて、ガーネットが問いかけてくる。

「あたしはずっと、パトロクロスのことが好きだって、あなたに気持ちを伝え続けている……あなたは、どうなの……?」

 突然真剣な気持ちを突きつけられて、パトロクロスは動揺した。

 まさかこんなふうに、このタイミングで、ガーネットが自分の気持ちを確認してくるとは思わなかった。

 同時に、何故か今まで通りの関係がずっと続いていくものだと思い込んでいた自分自身に気が付いて、パトロクロスは愕然とした。

 とっさに言葉の返せないパトロクロスに、ガーネットがためらいがちに問い重ねてくる。

「少しは……好きだって思ってくれている? それとも、何とも思っていない? それどころか……迷惑だって、思っている?」

 何と答えれば、いいのだろう?

 パトロクロスは困惑した。

 そんなふうには考えたことがない、だろうか?

 ガーネットに対して、自分は恋愛感情を抱いてはいない。だが、何とも思っていない、というのとはまた違うような気がする。仲間としての彼女には好意を抱いているし、まとわりつかれるのは困ったものだとは思うが、迷惑、とまで感じたことはない。

 彼女の気持ちをさんざん聞かされていながらこんな回答では、不誠実だろうか? 真剣に問いかけている彼女に対して、失礼に値するだろうか?

 パトロクロスは混乱した。

 そもそも、どうして急にこんなことをガーネットは言い出したのだろう?

「フリードに……何か、言われたのか」

 数瞬の沈黙の後、ようやく開いたパトロクロスの口から出たその言葉は、事態の悪化に拍車をかけた。

「どうして、そう思うの?」

 問い返すガーネットの声が翳りを帯びる。

「それは……」
「ルイメンで……フリードと二人で話をしたっていうの、本当だったのね……」

 呟くガーネットの表情が、ゆっくりと絶望の色に覆われていく。ぎゅっと瞳を閉じて堪えるように拳を握りしめた後、ガーネットは傷付いた眼差しをパトロクロスに向け、絞り出すような声を放った。

「彼があたしに好意を持っていて……告白するつもりだって、知っていたの!?」
「それは……予想は、していた」

 ルイメンでフリードと話した内容からそれを予測していたことは事実だったので、パトロクロスは頷いた。

 ガーネットは、自分がそれを知っていながらフリードの元へ行くことを止めなかったことを怒っているのだろうか……?

 だが、自分と彼女はそういう関係ではないし、聡明な彼女がそんな理由で怒るとは思えない。

 ガーネットの、この乱れようはなんだ?

 こんなにも感情を露わにした彼女を、パトロクロスは初めて見た。彼女はいつも感情をストレートにぶつけてはきたけれど、それはいつもほがらかなオブラートにくるまれていて、決して重苦しいものではなかったのに。

「知っていて……止めてくれなかったの!?」

 悲痛な声で、ガーネットが叫ぶ。

「これはフリードとお前の問題だろう。私が口を出すことでは―――」
「あたしは、パトロクロスのことが好きだって言っているのに!?」
「それとこれとは、また別の問題だろう」

 冷静にたしなめようとするパトロクロスに、ガーネットは感情をむき出しにして訴えた。

「じゃあ、あたしがフリードにどんな返事をしても良かったの!? このパーティーから抜けようが、何しようが、いっこうに構わないってこと!? 代わりはいくらでも、いるっていうことなの!?」
「何を言っているんだ……!?」

 パトロクロスはますます混乱した。

 ガーネットの言っていることは支離滅裂で、わけが分からない。

「少し落ち着け……!」

 そう言って肩に置いたパトロクロスの手を、ガーネットは力いっぱい払いのけた。

「触らないで!」
「なっ……」
「答えてよ! あたしは必要なの!? 必要じゃないの!?」

 感情的なガーネットの言動に、パトロクロスはついカッとなってしまった。

「あぁ、必要ない! これでいいのか!」

 ハッ、とした時には遅かった。

 目の前の少女は水を打ったように静まり返り、虚ろな表情を彼に向けていた。

 大きな茶色ブラウンの瞳に大粒の涙が浮かび、月光を浴びて、悲しい輝きを放っていた。

「分かった……」

 呟いて瞼を閉じたガーネットの頬をひと雫の涙がこぼれ落ちるのを、パトロクロスは見た。

 取り返しのつかない後悔の念がよぎる。背を翻した彼女の腕を取ろうと伸ばしかけた掌は、空を切った。

 駆け出したガーネットの背中を追おうとして追いきれず、パトロクロスはやりきれない想いを握りしめた。

「何なんだ、いったい……!?」

 酔いは、完全に醒めてしまった。

 額に手を当て、唸りながらひとつ嘆息したパトロクロスは、この原因となっているに違いない美麗な青年の顔を思い浮かべた。

 ただ告白をされただけで、ガーネットがあんなふうになるとは、どうしても思えない。

 その原因を探ることが、先決だと思った。







 宿の客室係にフロントまで呼び出されたフリードは、そこにパトロクロスの姿を見い出して、何とも言えない笑顔になった。

「こんばんは、パト様。こんな時間に呼び出しがかかるなんて、そうじゃないかと思ったよ」

 それとは対照的に、パトロクロスの表情はひどく険しい。

「こんなぶしつけな時間に申し訳ないな。分かっているなら話が早い、少し顔を貸してもらえないか」
「いいよ、ボクも話したいと思っていたところだったし」

 剣呑な光をその瞳の奥に隠して、形だけにっこりと、フリードは微笑んだ。

「それにしても、よく宿が分かったね? ガーネットに聞いたの?」
「“ブルーセカンズ”の付近の宿屋を手近なところから当たった。運良く二件目でヒットしたよ」

 ということは、ガーネットには直接聞くことが出来ないような事態が二人の間に持ち上がったということだ。

 唇の端を持ち上げて、フリードは慇懃無礼いんぎんぶれいにパトロクロスに返した。

「それはそれは、ご苦労様」

 宿屋の裏手に出た彼らは、険悪な雰囲気をはらんだまま向き合った。

「いい男がいい男に呼び出されて、こんな時間に暗闇で立ち話なんて、誰かに見られたら変な誤解されちゃいそうだね~」

 ケラケラとくだらない話をする薄茶色の髪の青年に、パトロクロスは苛立ちを露わにしながら、単刀直入に尋ねた。

「ガーネットに何を言ったんだ?」
「何をって?」
「とぼけるな。彼女の様子がおかしい……いったい何を言った?」
「ふぅーん……気になるんだ?」
「仲間だぞ、当然だろう」
「仲間……ね」

 フリードは皮肉めいた視線をパトロクロスに投げかけると、口元に薄い笑みを刻んだ。

「ルイメンで宣言した通りのことを、行動に移したまでだよ」
「だから、具体的に、どういうことを?」

 じりっとしながら問いかけるパトロクロスに、フリードはさらりと告げた。

「結婚してほしい、って言ったんだよ」
「な、に?」

 そう呟いたきり絶句するパトロクロスを見て、フリードは可笑おかしそうに笑った。

求婚プロポーズしたんだよ。言ったでしょ? 全力で彼女を奪い取りに動く、って」

 パトロクロスは愕然として、目の前の美麗な青年を見つめた。

 想定外だった。

 告白をするだろうとは思っていたが、それがまさか求婚だったとは!

「ボクは出来れば、ガーネットにこれ以上危険な旅を続けてもらいたくないんだ。だから言ったよ。ローズダウンの王様とゼン様の縁がきっかけで、たまたまガーネットに白羽の矢が立っただけで、力のある白魔導士であれば、パト様としては誰でも良かったんじゃない? って。今日君がボクのトコに来ることを知っていて、彼は止めなかったんでしょ? ―――つまり……君とボクが結婚してパーティーから脱けることになっても、特に問題はない―――彼はそう判断したことにならない? ……そんなふうに、言ったんだ」
「なん……!」

 パトロクロスは思わず、フリードの胸倉を掴み上げた。

「私はそんなことを言った覚えは、ないぞ!」
「分かってるよ。あくまでも想像の上での話、でしょ? それをどう捉えるかは彼女次第……彼女に対する貴方の態度次第、だよ」
「貴っ様……!」

 これで、先程のガーネットの態度の理由が、言っていた言葉の意味がようやく分かった。

『答えてよ! あたしは必要なの!? 必要じゃないの!?』

 彼女は自分の真意をただそうと、必死だったのだ。

 それなのに自分は―――……。

「ボクは嘘は言ってないよ。パト様、貴方の見通しが甘かっただけさ」
「……! お前は……彼女をあんなふうに傷付けて平気なのか!」

 するとフリードは冷ややかな目をしてパトロクロスを見やった。

「心外だな。フザけたこと、言わないでくれる? 平気なワケないじゃん。だけど、将来的に深い傷を負うよりも今のうちに浅い傷で済んだ方が、絶対にガーネットの為だよ。今はツラいだろうし苦しいだろうけど、ボクはそう信じているし、傷付いた彼女を全力で受け止める。……それともパト様、貴方はガーネットのことを受け止められるの?」

 そう切り返されて、パトロクロスは言葉に詰まった。

「……っ。だが……私達のパーティーに、ガーネットは必要だ……!」
「ふぅん……パト様って、ホントに表情豊かなんだね。ガーネットの言ってた通りだ……初めて、見たよ」
「……!」

 掴んでいたフリードの胸倉を突くようにして押し離し、パトロクロスは憤然とその場を後にした。


「―――まさか、御大自らお出まし……とはねぇ……」


 恋敵の消えていった夜の闇を見つめ、フリードは一人薄く笑った。

「素直にホントのコト言い過ぎちゃったかなぁ……黙ってイジワルしとくべきだったかな?」

 闇は、彼の呟きに何ら答えを返さない。

「さすが……ボクのガーネット」

 淡い光を投げかける月を仰いで、フリードは瞳を閉じた。







 彼が王城からその姿を見せた時、呼吸が止まるかと思った。

 絶対的な信頼を寄せる占い師からそれを告げられた時も、自分はそれを信じてはいなかったのだ。

 有り得ない、と。

 彼女ほどの占い師でもやはり百%ということはないのだ、と―――そう、思ったのだ。

 それでも一応言われた場所に赴いたのは、自分を納得させる為と、もはやその占い師の言葉を無視出来ないほどに、彼女の占術に傾倒していたためだ。

 そして―――彼の姿が王城から現れた時、深い絶望にも似たくらい感情の中で、自分は悟ったのだった。

 彼は、確実に変わり始めている―――自分の元から、飛び立とうとしている。そして、自分の信奉する占い師の占術が外れることは、ない―――。

 その、意味するところは。

 このままでは、愛する彼を永久に失ってしまう―――耐え難い、自分の中では有り得なかった、現実。

 全てはあの“黄金きん色の災い”―――あの女のせい、だ。

 愛する彼の為にも、あの女を何とかしなければ……あの女は、彼の未来を大きく狂わせるのだから。


 彼を救えるのは、自分の愛だけなのだ。


 自分の愛だけが彼を救えるのだと、あの占い師は言っていた。

 だから―――祈る。

 目の前の、黒いたまに。

 災いを飲み込む力を持つという、闇の水晶クリスタルに―――。

 消えろ、消えろ、消えろ。

 いなくなってしまえばいい。

 自分と彼との愛をおびやかすなんて、許さない。

 苦しんで苦しんで……死んでしまえばいい。

 妄信は狂信となり、祈りの言葉は呪詛へと変わり、愛するひとを失うかもしれないという恐怖心はいつしか一人の少女への猛り狂う憎悪となって、彼女の中に吹き荒れた。

 その想いを、彼女はぶつける―――黒い珠に。


 そして、それは彼女の想いに応えたのだ。


 闇の水晶球が淡い光を放った時、彼女は喜びに胸が打ち震えるのを感じた。

 それは、予兆―――願いの成就の時を告げる、希望の光。

 まるで子供のように無邪気に心躍らせて、彼女は魔法の珠を手に取った。

「アキレウス……これでずっと、一緒にいられる」

 彼女―――ラァムは、信じて疑っていなかった。

 愛しい青年―――アキレウスと、これで永遠に結ばれるのだ、と―――。 
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