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アストレア編
商業国家アストレア
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アストレア―――聡明と名高い王フォードの治める商業国家。
肥沃な大地と温暖な気候に恵まれ、その豊かな物資と発達した産業によって、世界経済の中心を担う。
各地から訪れる旅人や商人で、その王都は常に活気に満ち溢れ、人々の熱気によって夜の帳が下りることはない。
「ホントすごいのよー、何でもあるの。欲しい物ぜーんぶそろっちやう。物がありすぎて、目移りしちゃうのが難点かしらね」
「あそこはいつも景気がいいからな、ボロい仕事がバンバン入ってくる」
「下水道や区画の整備が見事だ。街の景観も美しい」
あたし以外の三人は全員アストレアを訪れたことがあるらしく、ルザーからアストレアの王都にたどり着くまでの長い道のりの間、あたしはずうっとそんな話を聞きながら来た。
あたしの名前は、オーロラ。
西暦1862年―――マエラという南の国の、とある港町で踊り子として働いていたあたしは、ある日突然、何の因果かローズダウン国の神官達の呪文によって、新暦546年のこの時代に召喚され、今は元の世界へ戻る為、唯一の希望である“大賢者シヴァ”を復活させるべく、三人の仲間と共に旅をしている。
簡単に、その仲間を紹介するね。
大振りの剣を背負い、つや消しされた銀色の鎧を身に着けている青年が、アキレウス。
野性的な翠緑玉色の瞳に、月光を紡いだような不思議な色―――アマス色の髪。肩からは粗い目の緑の外套を羽織っている。
有名な魔物ハンターである彼は、あたしに巻き込まれてしまったような形でこの旅に加わっていたんだけど、先日、伝説の地図に所有者として認められた。大賢者シヴァの居場所を示す、意思を持つその地図は、彼の手の中にある時だけ、紫色の光を灯す。
彼は、あたしがこの世界へ来て最初に出会った人物でもある。
蒼色の全身鎧に身を包み、オフホワイトの皮製の外套を纏っている青年は、パトロクロス。彼はローズダウン国の王子で、外套を留める金のボタンには、ローズダウン王家の紋章である、四枚の翼を持つ双頭の鷹が刻印されている。腰の剣帯には愛用の長剣が収められ、ルザーで急遽用立てた盾を装備している。前の盾は、エシェムという魔物との戦闘で使い物にならなくなってしまったからね。
切れ長の、淡い青の瞳。長めのサラサラの褐色の髪を後ろでひとつにまとめている。
薄紫色の長衣に身を包み、淡いピンクの半透明のストールを羽織っている少女は、ガーネット。“波動の杖”と呼ばれる魔法の杖を装備し、腕には状態異常を防ぐ効果のある綺麗な銀細工の腕輪をはめている。
顎の辺りでそろえられた漆黒の髪に、勝気に輝く茶色の瞳。
白魔導士である彼女は、パトロクロスのことが大好き。女性が苦手なパトロクロスは、そんな彼女に少々(?)手を焼かされている。
あと、一応自分のことも述べておくね。
あたしは薄い水色の短衣に、黒い厚手のレギンスをはき、なめし革で作られた白い外套と、おそろいの白のブーツという姿。腰に特殊な銀を用いて造られたという短剣を差し、腕には神の加護が得られるという魔除けのブレスレットをはめている。
腰の辺りまである長い黄金の髪に、藍玉色の瞳。
三年前以前の記憶を失っているあたしは、いつか本当の自分を探すべく、お金を貯めて旅に出たいと思っていた。そんな折、唐突にこの世界へと召喚されてしまったのだ。
どうにかして元の世界へ戻りたいんだけど、時空を超える魔法は非常に難しいらしく、世界でそれを唯一叶えられそうなのが、大賢者と謳われるシヴァ。
何とあたしと同じ西暦の生まれであるという彼は、自己を封印することによって、千年もの時を生き続け、現在、深い眠りの中で目覚めの時を待っているのだという。
彼の記した“予言の書”により、“聖女”を召喚すべく行われた儀式で呼び出されたのが、何故かあたし。
“聖女”が求められたのは、今この地を脅かしつつある“邪悪な気配”に危機感を抱いた各国の上層部がシヴァの“予言の書”に白羽の矢を立てた為―――そしてあたしに、『大賢者復活』の任命が下ったのだ。
勝手に異世界へ召喚された挙句、貧乏くじを引いたような格好になってしまったあたしだったけど、シヴァに会わないことには、元の世界へ戻れない。
『目的の一致』と言ったらおかしいかもしれないけど、あたしはその任命を請け負うことにした。
そして、様々な出来事の中で仲間達と出会い、長旅の末、今、ようやくアストレアの王都にたどり着いたんだけど―――。
「うわぁ……」
目の前に広がる光景を見て、それまでのみんなの話が決して大げさなものではなかったことを実感し、あたしは感嘆の声をもらした。
すっ、ごい、大きい!
街も……建物も!
それに……広い!
ゆったりと整備された街道を、たくさんの人や物が忙しそうに行き交っている。
すごい人……ルザーも人が多いと思ったけど、ここはその比じゃない。
「驚いた?」
ガーネットの言葉に、あたしは頷いた。
「うん、思った以上に大きくって……それに何だか、華やかなんだね」
街並みもそうだけど、暮らしている人達も洗練されているというか。歩いている女の人とか見ていると、みんなオシャレな感じなんだよね。
思わず、長旅でくたびれ果てた自分の格好と見比べてしまった。
ここ2~3日、お風呂も入ってないし……あちこち汚れていて、ちょっと恥ずかしい。
「うー、早くシャワー浴びたいわねー」
同じことを思ったのか、ガーネットがそう呟いた。
「よし、まずは宿屋に直行だ。チェックイン後は明日の夜まで自由行動にしよう。たまには休息も取らないとな」
パトロクロスのその発言に、あたし達は色めき立った。
「きゃー、本当!? きゃー!」
嬉しいっ、とガーネットが飛び跳ねる。
「よーし、久々にゆっくり寝るか!」
大きく伸びをするアキレウス。
わぁっ、何しよう!?
溜まっていた疲れもどこへやら、あたしはわくわくと頭を巡らせた。
自由行動なんて、初めて!
ルザーではそれどころじゃなかったし、ローズダウンの王都ではずっと王宮の中にいたし。
とりあえず、今日は宿でゆっくりして……明日は一日、街を見て周ろうかな?
考えてみたら、こっちの世界へ来てからというもの、街をゆっくり見学したことってないんだよね。こんなふうに自分の時間を持てることすら、初めてかも。
貴重だよね、充実した時間を過ごしたいな。
まずはシャワーを浴びて……長旅の汚れを落としてスッキリしてから、明日の計画をじっくり練ろう。
―――と、思ってたのに。
……何で?
爽やかな日差しが射しこむ部屋の中で、あたしはまったりとベッドから身体を起こした。
隣のベッドに、ガーネットの姿は既にない。窓から空を見上げると、真上に届こうとする太陽の姿が目に入った。
えーっと……。
昨日シャワーを浴びてからの記憶がない。どうやら、ベッドに転がりこんで考える暇もなく爆睡してしまったらしかった。
あぁーっ、もう……。
額を押さえつつ、あたしはのろのろとベッドから下り立った。
あたしの貴重な休日が……いくらなんでも寝過ぎだわ。
ノックの音が響いたのは、その時だった。
「はぁい?」
誰だろう?
ドアを開けると、身支度を整えたアキレウスがそこに立っていた。
「あ、アキレウス。おはよ」
「あ、あぁ……。……お前、そのカッコ―――」
目のやり場に困ったような、アキレウスの態度。
ん?
目線を下げて自分の姿を確認した瞬間、あたしは恥ずかしさのあまり顔から火を吹きそうになった。
「きゃあぁぁぁっ!!」
悲鳴を上げながら、バターン! と勢いよくドアを閉める。
薄い生地の夜着を着ていただけだったんだ、忘れていたッ!
「ごっ、ごめんっ、ちょ……ちょっと待ってて!」
ドア越しに叫びながら、あたふたと上着を羽織る。
あ、あたしったらッ!!
下着つけてないし(パンツははいているけど)、顔は洗っていないし、髪はボサボサだしッ!!
恥ずかしさで、一気に脳が覚醒した。
有り得ないッ、女として終わってるよ~!!
半泣きになりつつ、大急ぎで顔を拭いて髪を整えると、あたしは真っ赤な顔でドアを開けた。
「ご……ごめんね、とんでもないカッコで……」
「いや……」
アキレウスの顔も、心なしか赤いみたい。
ぎしっ、としたちょっと気まずい空気の中、ややしてから彼は口を開いた。
「暇だったら、一緒に街でも見て周ろうかと思ってさ」
えっ?
「街? 見たいっ!」
勢い込んで言うと、アキレウスはちょっと笑った。
「じゃ、決まり。外で待ってるから、支度して出てきなよ」
「うん!」
思いがけぬアキレウスからの誘いを受けて、あたしは急いで支度を始めた。
良かった、街を見て周ろうにも、一人じゃちょっと心細いなって思っていたんだよね。アキレウスが一緒だったら楽しいし、安心だ。
「あ。そうだ」
声に出して呟き、あたしは自分の荷物の中から、大切にしまっておいた薄い茶色のワンピースを取り出した。
これこれ。ローズダウンでお裁縫セットを借りて、自分で裾を直したんだ。
アキレウスに買ってもらった、薄い茶色の、半袖のワンピース。これを着ていこう。
ちょっと短めになっちゃったけど、外套を羽織っていればさほど気にならないし。
アキレウス、気が付くかな?
何て言うかな……。
身支度を整えて部屋を出たあたしは、ちょっとドキドキしながら、表で待つアキレウスの元へと向かった。
「お待たせ」
声をかけると、あたしを振り返ったアキレウスは翠緑玉色の瞳をまんまるに見開いた。
「……あれ?」
どうやら気が付いたみたい。
「その服……」
「えへへ、気が付いた?」
「やっぱり? 前にオレが買ったヤツだろ?」
「うん、裾だけね、直したの。どう?」
あたしは外套を広げ、アキレウスにワンピースを見せた。
「どう……って。驚いた。てっきりあの時、処分したモンだと思ってたし……」
このワンピースは、出会った頃、魔物の血で汚れた服を着ていたあたしを見かねて、アキレウスが用意してくれたものだった。下ろしたての翌日、ルザーで偽王子達と戦闘になり、深い傷を負った彼の傷口を縛るため、あたしはその裾を裂いて、彼の手当てをした。そういう品だった。
「まいったな、ちょっと感動した」
アキレウスは照れくさそうな笑顔を浮かべ、あたしを促した。
「行こう。とりあえず、どっか入って昼飯食おうぜ」
「うん」
良かった、気が付いてくれて。
何となく幸せな気分に浸りながら、あたし達は連れ立って、アストレアの王都を歩き始めた。
宿のある裏通りを抜け、メインストリートに入ると、急激に人が増えて、あたし達は人波を縫うようにして進まなければならなくなった。
うわ、すっごい人!
様々な人種の、様々な人達が、入り乱れるようにして動いている。
ヤバいヤバい、迷子にならないようにしっかりアキレウスについていかないと……。
「相変わらずのスゴい人出だ、はぐれかねないな」
アキレウスはそう溜め息をつくと、あたしを振り返り、手を差し伸べた。
「え……」
「手」
「あ、うん……」
おず、と手を差し出すと、大きな温かい手がそっと握りしめてくれた。
うわ……何か、照れちゃうな。
手を繋いだまま、あたし達は歩き出した。
大っきい……アキレウスの、手。
柔らかい女の子の手の感触とは違う、骨ばった、力強い、男の人の手。
黙っていると何だか緊張してしまいそうだったので、あたしはアキレウスに話しかけた。
「ねぇ、ガーネット見なかった?」
「昼前にオレ達の部屋に来て、パトロクロスを拉致していった」
その時の光景を思い浮かべ、あたしはぷっと吹き出した。
「じゃあ、二人も一緒にいるんだね」
「そ。あいつら騒々しいから、近くにいればどんな人込みの中でも分かると思うよ」
「あはは、そうだね」
「それよりオーロラ、何食いたい?」
「うーん、そうだなー……」
通りにはたくさんのお店が面していて、食堂らしきところもたくさんあった。でもあたしの目を引いたのは、通りの両脇に立ち並ぶ屋台。
もの珍しいのと、そこから漂ってくるおいしそうな匂いに引かれてきょろきょろしていると、お腹がぐぅーっと鳴ってしまった。
ぎゃっ。
赤面するあたしを、チラッとアキレウスが見た。
「も……もしかして、聞こえちゃった……?」
「バッチリ」
あーもぉっ、何で今日はこんなカッコ悪いトコばかりっ!
「よーし決めたっ、食堂はやめて屋台にしよう! 好きなモン買って、公園かどっかで適当に食おうぜ!」
あ、それいいっ!
「賛成!」
一瞬の恥もどこへやら、アキレウスの素敵な提案に、あたしは目を輝かせた。
お小遣いはパトロクロスから五百Gもらっているから、好きなの買っちゃおう!
うーん、迷う! どれにしようかな!?
「あのトゲドゲの実はドリアーノの実っていって、割とスッキリした甘さの果実だ。あれはミカラグアっていう牛の仲間の串焼き、それからあれは……」
ふんふん、とアキレウスの解説を元に吟味すること数分―――……あたしの両手には、大量の食べ物が抱えられていた。
「オーロラ、それ、買いすぎじゃね?」
だって、珍しくてつい買っちゃったんだもん。どんなものか、ちょっと食べてみたいじゃない?
「アキレウスも食べてよ。一緒に太ろっ」
笑顔でそう見上げると、小憎らしい返事が返ってきた。
「わりー。オレ、太らない体質なんだよな」
くぅっ!
「絶対あげないっ!」
ぷーっと頬をふくらませると、彼は笑いながらあたしの肩を叩いた。
「冗談、冗談。ありがたくちょうだい致します」
もぉー。冗談とは思えない体型をしている辺りが腹立たしい。
お昼を食べる場所に選んだ公園は、メインストリートから少し離れたところにあった。
人の姿は多いけど、とても広くて、さっきまで人込みの中にいた状態から考えると、まるで天国のような開放感。
綺麗に整備された園内は一面に緑の芝生が植えられていて、人々が思い思いに寝転んだりおしゃべりしたりして過ごしていた。中央には大きな噴水があって、ところどころに設置された花壇には、色とりどりの季節の花が咲き誇っている。
あたし達は、公園の隅の木陰の一角を陣取った。
「何かすごく清々しいねー、すっごい気持ちいい」
「だな。こうしていると、ちょっとしたピクニック気分? 日々の戦いを忘れるよなー」
「だねー」
ほのぼのした気分で、あたし達は買ってきた食べ物を広げると、早速それをいただくことにした。
「いただきますっ」
手始めにミカラグアの串焼きにパクつくと、柔らかいお肉の食感と、香ばしいタレの風味が口いっぱいに広がって、あたしは思わず目を細めた。
「おっいしーい!」
「本当に美味そうに食うなぁ」
たくさんのお肉や野菜を豪快に挟んだパンを食べながら、アキレウスが言う。
「だって本当に美味しいもん。こうやって食べてるから余計に美味しいのかもしれないけど」
「それはあるな」
「それに、こんなふうに街を歩いたの初めてだし。何か、すごく楽しいんだ」
緩やかな風が、あたし達の間を優しく吹き抜けていく。
「そういえばそうか。ここに来るまでに立ち寄った町や村でも、食料とか水を補給するだけだったもんな」
「うん、だからね、こうしているのすごく楽しい。何だろう……この時代の文化に初めて触れている気がするっていうか……うーん、旅行気分に近いのかもしれないけど」
公園から、遠目にアストレア城が見える。
「明日は、あそこに行くんだね……」
「あぁ……」
あたしはいつかのパトロクロスの話を思い出していた。
彼のお父さんのラウド王も言っていたことだけど、“邪悪なチカラ”の気配に危機感を抱いた五カ国間では秘密裏に会議が催され、国境の垣根を越えた、第一線の学者達によるプロジェクトチームが発足しているんだそうだ。
ローズダウンで行われた“聖女の召喚”もそのプロジェクトの一環として各国に通達されていて、あたし達が訪れた際には、情報の提供や資金面での援助、更に様々な優遇措置を取ってくれることになっているらしい。
そう考えると、各国の偉い人達の間では、あたし達って有名人なんだよね。
「お城か……緊張するなぁ」
思わずそうもらすと、それにアキレウスが相槌を打った。
「独特の雰囲気があるトコだからな」
「アキレウスも緊張ってするの?」
「何だよ、それ。オレみたいなタイプが実は繊細だったりするモンなんだぞ」
「そういう人は、そんなコト言わないと思うけど……」
言いながら、あたしは彼の精悍な顔を見つめた。
「……ねぇ」
「ん?」
「聞いていいかな。アキレウスって、元々どこの人なの?」
「オレ? 出身はドヴァーフだよ」
「ドヴァーフ? あの魔法王国って言われている?」
何だか意外な気がして、あたしは目を丸くした。
勝手なイメージで、ウィルハッタとかを想像していたんだよね。ドヴァーフは頭になかったなぁ……。
「意外だった?」
「うん。何か、ドヴァーフって魔導士ばっかりのイメージがあって」
「はは。ドヴァーフにだって、騎士団はあるよ。魔法のイメージが強くて、影は薄いかもしんないけど」
アキレウスはそう言って、ちょっと笑った。
「父親が騎士で、母親は白魔導士だった。二人とも死んで、もういないけど……オレに魔力があるとしたら、母方から受け継いだんだな」
アキレウス……。
「ごめん、あたし……」
「いいって、謝るなよ。この時代では珍しくないことなんだ……同じような境遇のヤツは、いっぱいいる」
ルザーでガーネットの白魔法によって、一命を取りとめた時のアキレウスの表情が思い出された。
(そうか……オレは、白魔法で助かったのか……。白魔法で……)
あの時……きっと、お母さんのことを思い出していたんだ。だから、あんな……。
ちゃんと聞いたことはないけど、ガーネットの両親もいないみたいだし、ここへ来るまでの道中でも、たくさんの働く子供達を見かけた。それはあたしの時代でも見られた光景だけど、ここはまた環境がまるで違う。この時代の『生きる』ことへの厳しさが窺えた。
「……もしかして、『光の園』っていうところでアキレウスは育ったの?」
「あぁ。……孤児院の運営は決して楽じゃないからな、この職業に就いてからは、稼ぎの一部を送るようにしているんだ」
ラウド王の御前での、アキレウスの言葉が甦る。
(……シヴァの封印を解くことで……理不尽な理由により、愛する者を失う人々は減ると、王はお考えですか)
そっか……だから……。
「……そういう子をこれ以上増やさない為にも、あたし達、頑張らないとね!」
「……あぁ、そうだな」
「よーし、絶対にシヴァの封印を解いてみせるっ!」
拳を握りしめて息巻くあたしを頼もしげ(?)に見つめ、アキレウスはゆっくりと立ち上がった。
「その意気、その意気。でも、今日は休息だ……休める時に休んでおかないとな。……つーか、あの量をよく食べたな」
話しながらいつの間にやら胃の中に消えていった食べ物の痕跡を眺め、あたしは少し赤くなった。
アキレウスもちょっとだけ食べたけど、結局ほとんど一人で食べ切っちゃった。
「せ、成長期なんだよ、あたし」
「へぇ? ちなみにどの辺?」
イタズラ小僧の表情になったアキレウスが、あたしの胸の辺りにチラッと視線を走らせる。
「ちょ、ちょっと! どこ見てんのっ!」
真っ赤になって思わず腕で胸の辺りを隠すと、彼は楽しそうに声を立てて笑った。
「ほら、行こうぜ。街を案内するよ」
「……うん」
アキレウスに連れられて、あたしは色々な場所を見て周った。
楽しかった。すごく、楽しかったの。
それ以上に、嬉しかった。
ほんの少しだけアキレウスのことを知れて、すごく嬉しかったんだ。
もっと、知りたいな。
アキレウスのこと、もっと知りたい。
そう思った。
楽しい時間って、ホントあっという間。
薄暗くなった通りを歩きながら、あたし達は今日巡った場所について話をしていた。
「どこが一番印象に残った?」
「うーん、どこも印象深かったけど、一番は“ルザンの碑”かな。何か……色々感じるものがあった」
“ルザンの碑”というのは、アストレアの観光スポットのひとつ。
その昔、強大な魔力を誇った魔導士ルザンが、人民の大量虐殺の罪に問われ、火刑に処せられたという場所だ。
炎の呪文を得意とし、“紅の魔女”の異名をとったルザン。最期は自らが得意とした炎によって焼かれ、その生涯を閉じたという、皮肉な結末に至る―――現在その場所には石碑が建てられ、たくさんの観光客が訪れていたけれど、過去に実際に起こった出来事なのだと思うと、何となく肌寒い感じがした。
「ねぇー、どこかでご飯食べていこうよー!」
聞き慣れた声が耳に飛び込んできたのは、その時。
ん?
顔を見合わせたあたし達が、声のした方を見やると―――何やら、人だかりが出来ている。
ま、まさか……!?
覗いてみると、やっぱり見慣れた二人の姿がそこにあった。
「ねぇー、パトロクロスぅ~!」
「ゆ、許してくれ、ガーネット。もう、これ以上は、私の身が持たな……」
「そんなコト言わないで~! せっかく二人きりになれた夜なのにー!」
ぎゅうーっとガーネットに抱きつかれ、たまらずパトロクロスが悲鳴を上げる。
「はっ、はなっ、離せガーネットーッ!」
ぎゃあ~っ、と上がる悲鳴に混じって、野次馬達のひそひそ話が聞こえてきた。
「これから別れるカップルみたいよ。最後の晩餐をどうするかでもめているみたい」
「男の方が別れ話を切り出しているみたいね」
「もったいないよなー、あんな可愛い娘。あの男がいなくなったら、オレ達で声かけてみようぜ」
……皆さん、誤解なんですけど。
「何やってんだ、あいつら」
アキレウスが大きな溜め息をついた。
「ったくこんなトコで恥ずかしい……止めに行くぞ、オーロラ」
「あっ、待ってよー!」
「―――パトロクロス、ガーネット!」
突然のアキレウスの登場に、きょとんとした面持ちで二人が振り返った。
「アッ、アキレウス!」
彼の姿を見て、パトロクロスの表情がぱあぁ、と明るくなった。
「アキレウス~!」
猛ダッシュで、がしいっとアキレウスにしがみつく。
「おわっ!」
「アキレウス、助けてくれ! 私は、私は~!」
「泣くな!」
「もぉ~、アキレウス、いいトコだったのに~」
邪魔しないでよね、と仏頂面のガーネット。
「あのなぁ……」
アキレウスは口元をひくつかせつつ、額を押さえた。
「この状況で、いい雰囲気もクソもねーだろーがッ!」
その様子を見た野次馬達がひそひそと囁く。
「うっそヤダー、ホモよホモッ!」
「あの男の子達、あんなにキレーな顔してるのにーっ!」
「ホモを交えた三角関係かよ、珍しいな」
「えー、あたし、あんなキレーなホモだったら許しちゃうー」
あのー、皆さん、とても想像豊かな大誤解なんですが……。
「あーもう、ほらっ、これ以上妙な誤解されんうちに行こうぜ! パトロクロス、怖かったのは分かるがしがみつくな!」
「怖かったのは分かるがって、どーいう意味よ、アキレウス」
「いや、それは……」
あーもうっ、これ以上ここにいたら、ますますややこしくなるっ!
「ガーネット、とりあえず後にしよっ。ほらみんな、こっちこっちっ!」
思わず声を上げて手招きすると、野次馬達の視線が一斉にあたしに突き刺さった。
う゛っ。
「お、女よ女! もう一人女がいたわよーっ!」
「すげぇ! ホモを交えた四角関係か!」
「可愛いぜッ! ホモにはもったいねぇーっ!」
ちっ、違~うっ!!
「あら、オーロラも来ていたの?」
笑顔で駆け寄ってきたガーネットの手を取り、あたしはダッシュでその場から逃げ出した。パトロクロスを引きずるようにして、アキレウスもその後に続く。
「実はホモの上にレズもありなのか!?」
「何て奥の深い関係なんだ!!」
野次馬達の声が、夜の街に響き渡る。
だから、違うんだって~!!
人気のない路地裏まで走って、あたしはようやく息をついた。
あ~、走ったぁー!
「何なのよもぅ、オーロラ~」
はぁはぁと、ガーネットが息をつく。
「何なのよじゃないよ、もうっ」
「ホントだぜ。ったくお前ら、あんなトコで大声で……恥ずかしいだろッ」
追いついたアキレウスがそう言うと、ガーネットはぷーっと頬をふくらませた。
「だって~」
「な……何にせよ助かった……礼を言う、アキレウス、オーロラ」
壁にもたれかかるようにして、へなへなとパトロクロスが座り込んだ。
「何よ、パトロクロスまで~」
言って、ガーネットはきらっと目を輝かせた。
「あら? アキレウスとオーロラがここにいるっていうコトは、二人はもしかして一緒にいたってこと?」
「? そうだけど?」
「なぁんだ、二人もデートしてたのね。そっかそっか」
「!!?」
ちっ、違~うっ!!
「なっ、何言ってんのガーネット、これは、アキレウスが気を遣ってくれて……!」
真っ赤になってそう言うと、ガーネットはふっと微笑を浮かべた。
「そうなの?」
「そっ、そうよっ!」
「アキレウス、やるじゃな~い!」
意味ありげな表情を浮かべ、うりうりと肘でアキレウスを突っつく。
「何だよ」
きゃあ~っ!!
「もっ、もうー、ガーネットぉー!」
後ろから抱きついて止めると、ガーネットは楽しそうに笑いながら、あたしの頭をよしよしとなでた。
「もうーっ、ムキになっちゃって可愛いんだから、オーロラはーっ」
「あっ、あたしで遊ばないでよっ」
「どーでもいいけど腹減った。せっかく四人そろったから、どこかで夕飯食っていこうぜ」
アキレウスの提案に、憔悴気味のパトロクロスが頷いた。
「あぁ……そうするか」
それを聞いたガーネットが、再び頬をふくらませる。
「パトロクロスったら、あたしと二人きりだと嫌がるクセにーっ」
「お前と二人きりだと、襲われそうで怖いんだッ」
「何よー、人をケダモノみたいにッ」
その時、急に角を曲がってきた小柄な人影がパトロクロスの背中にぶつかってしまった。
「あっ……!」
「失礼っ! 大丈夫か!?」
よろめく人影に、とっさにパトロクロスが手を伸ばす。
頭から深くかぶっていていたフード付きの黒い外套がずれて、大きな青玉色の瞳と、鳶色の長い髪がこぼれ落ちた。
信じられないものを見たように、呆然とパトロクロスが目を見開く。
相手も同じように、目を見開いてパトロクロスを見つめていた。桜色の小さな唇が、ゆっくりと動く。
「……パトロクロス……様?」
「……マーナ姫!? 貴女が何故、このようなところに!?」
「―――パトロクロス様っ!」
涙ぐみながら、マーナ姫と呼ばれた少女がパトロクロスの胸にすがりつく。
「な゛っ……!」
反射的に駆け寄ろうとしたガーネットの肩を、アキレウスが押しとどめた。
「待て、ガーネット。話を聞くのはこの場をどうにかしてからだ」
「え……!?」
気が付くと、あたし達は囲まれていた。
細い路地を塞ぐようにして、前後に三人ずつ。屋根の上に―――四人。黒装束の男達が、いつの間にかあたし達を取り囲んでいた。
いつの間に……!?
「姫、こちらに……!」
パトロクロスがマーナ姫を背後にかばう。
「貴様ら……何者だ!?」
パトロクロスの誰何の声に、屋根の上に佇むリーダーらしき男が口を開いた。
「答える名はない。……その方を、こちらへ……」
「断る!」
ピシャリとパトロクロスが言い放った刹那、男達の纏う空気が変わった。そして次の瞬間、黒い影は一斉に襲いかかってきたのだ!
きゃあっ!
「アキレウス、オーロラとガーネットを頼む!」
「オーケー」
「―――自分の身くらい、自分で守れるわよっ!」
頷くアキレウスの傍らでそうひとりごちて、ガーネットが杖で応戦する!
ごきぃっ、と鈍い音を立てて、小太刀を構えた黒装束の顎が跳ね上がった。
その鮮やかな杖術の腕前に、ひゅうっ、とアキレウスが口笛を吹く。
うわっ、ガーネットってけっこう強いんだ!
なんて感心している場合じゃなかった。
あたしだって……!
とは思ったものの、凄まじい風切り音に思わず身震いしてしまう。
剣で応戦するなんて、とても無理! でも、この広さじゃ炎は使えないし……!
炎を呼び出せるようにはなったものの、それを意のままに操るということが、あたしはまだ上手く出来ないでいた。
小さく、狭く、細くといった加減が、とても難しい。
結局、アキレウスとガーネットに守られるような形で、気が付けば、路地には黒装束の男達が折り重なるようにして転がっていた。
「ぎりぎりまで気配を悟らせなかった割に、あっけなかったな……」
息も乱さずに、アキレウスが剣を収める。
「ふん、大したコトないヤツらだったわね」
腰に手を当て、ガーネットが悪態をつく。
「リーダー格の男だけ取り逃がしたか……」
屋根の上をにらんでそう呟いたパトロクロスは、背後のマーナ姫を振り返った。
「お怪我はありませんか?」
「は……はい……大丈夫、です……」
「この者達に、心当たりは?」
「……いいえ」
そうかぶりを振る彼女の表情は蒼白で、全身が小刻みに震えていた。
「……パトロクロス」
黒装束の男達を調べていたアキレウスが声をかけた。
「どうした?」
「―――見ろ」
「……これは!」
パトロクロスの淡い青の瞳が険しい光を帯びた。
……な、何?
彼らの背後からそれを覗き込んだあたしは、あやうく悲鳴を上げそうになった。
なっ……何なの、これ!?
黒装束の中身は、もはや人間とは呼べなかった。
身体中の水分を失い、カラカラにひからびた肉塊にヒビが入り、今まさに、目の前で砂となって崩れ落ちていく。
嘘……。
あたしは知らず、口元を手で押さえていた。
「な……何なの? 何で、こんな……」
「現時点では何とも言えんが……まるで、身体中の養分を全て吸い取られたかのような……」
「傀儡……の類じゃなさそうね」
「骨まで風化していきやがる……初めて見たぜ、こんなの」
それからさほど経たないうちに、男達の肉体は全て砂と化してしまった。
あまりの光景に、グラリとマーナ姫がよろめく。
「姫……!」
そんな彼女を優しく支え、パトロクロスは穏やかな声でこう囁いた。
「とりあえず、落ち着いて話のできるところまで行きましょう。貴女のような方がこのような時刻、このような場所にお一人でいる理由もお聞きしたい……話してくれますね?」
細い肩を震わせながら、こくり、とマーナ姫が頷く。
「よし、いったん宿まで戻ろう。一度状況を整理して、その後、これからの行動について考えよう」
パトロクロスの提案に、全員が頷いた。
「……それにしてもパトロクロス、あたしに抱きつかれるとぎゃーぎゃー言うクセに、何で姫様は平気なのよ?」
ガーネットのその突っ込みに、あたしとアキレウスは一瞬目が点になった。
「……そういえば」
「言われてみれば……」
でも、そんなの全然気が付かなかった。
「おっ、お前は……こんな時に、何を……!」
真っ赤な顔で、パトロクロスが額を押さえる。
「あたしにとっては大事なコトだもんっ」
「そんなことを気にしていられる状況ではなかっただろうがっ!」
「何よ、普段は煩悩のせいでダメだっていうの!?」
「ぼっ……」
かあぁぁぁっ、とパトロクロスの顔が(更に)紅潮する。
「なっ、何てことを言うんだお前はッ! 臨機応変と言え!」
「何よそれー!?」
あたしとアキレウスは顔を見合わせ、溜め息をついた。
はぁぁ……また始まった。
「あ……あの?」
事態をよく飲みこめず、マーナ姫が困惑の表情を浮かべる。
「あ、気にしないで下さい。いつものことなので」
「はぁ……」
「先に宿に戻ってよーぜ。付き合ってられん」
「そうだね。行きましょう、えーと……マーナ姫」
「え、えぇ。でも……」
「いいからいいから」
夜の王都に、パトロクロスとガーネットの声が響く。
普通に考えて、今あたし達、とんでもない事態に遭遇しちゃったんだと思うんだけど……二人とも、あんな調子だし。
マーナ姫を挟んで一緒に歩くアキレウスもいたって普通だし。
あんまり普通に話しかけるもんだから、マーナ姫の方が不思議そうな顔をしている。
こんな雰囲気に慣れちゃって、あたしも少し楽観的に物事を考えるようになってきた。
何だかまたひと波乱起きそうな気配だけど、みんなで力を合わせれば、きっと―――。
「きっと、何とかなる」
ぽつりと呟いたあたしの声が聞こえたらしく、アキレウスがそれに頷いた。
「あぁ、きっと何とかなるって」
「……うん!」
不穏な影をあたし達に落とし、アストレアの夜の闇は深まっていく。だけどきっと、何かが起きても何とかなるに違いない。
きっと―――……。
肥沃な大地と温暖な気候に恵まれ、その豊かな物資と発達した産業によって、世界経済の中心を担う。
各地から訪れる旅人や商人で、その王都は常に活気に満ち溢れ、人々の熱気によって夜の帳が下りることはない。
「ホントすごいのよー、何でもあるの。欲しい物ぜーんぶそろっちやう。物がありすぎて、目移りしちゃうのが難点かしらね」
「あそこはいつも景気がいいからな、ボロい仕事がバンバン入ってくる」
「下水道や区画の整備が見事だ。街の景観も美しい」
あたし以外の三人は全員アストレアを訪れたことがあるらしく、ルザーからアストレアの王都にたどり着くまでの長い道のりの間、あたしはずうっとそんな話を聞きながら来た。
あたしの名前は、オーロラ。
西暦1862年―――マエラという南の国の、とある港町で踊り子として働いていたあたしは、ある日突然、何の因果かローズダウン国の神官達の呪文によって、新暦546年のこの時代に召喚され、今は元の世界へ戻る為、唯一の希望である“大賢者シヴァ”を復活させるべく、三人の仲間と共に旅をしている。
簡単に、その仲間を紹介するね。
大振りの剣を背負い、つや消しされた銀色の鎧を身に着けている青年が、アキレウス。
野性的な翠緑玉色の瞳に、月光を紡いだような不思議な色―――アマス色の髪。肩からは粗い目の緑の外套を羽織っている。
有名な魔物ハンターである彼は、あたしに巻き込まれてしまったような形でこの旅に加わっていたんだけど、先日、伝説の地図に所有者として認められた。大賢者シヴァの居場所を示す、意思を持つその地図は、彼の手の中にある時だけ、紫色の光を灯す。
彼は、あたしがこの世界へ来て最初に出会った人物でもある。
蒼色の全身鎧に身を包み、オフホワイトの皮製の外套を纏っている青年は、パトロクロス。彼はローズダウン国の王子で、外套を留める金のボタンには、ローズダウン王家の紋章である、四枚の翼を持つ双頭の鷹が刻印されている。腰の剣帯には愛用の長剣が収められ、ルザーで急遽用立てた盾を装備している。前の盾は、エシェムという魔物との戦闘で使い物にならなくなってしまったからね。
切れ長の、淡い青の瞳。長めのサラサラの褐色の髪を後ろでひとつにまとめている。
薄紫色の長衣に身を包み、淡いピンクの半透明のストールを羽織っている少女は、ガーネット。“波動の杖”と呼ばれる魔法の杖を装備し、腕には状態異常を防ぐ効果のある綺麗な銀細工の腕輪をはめている。
顎の辺りでそろえられた漆黒の髪に、勝気に輝く茶色の瞳。
白魔導士である彼女は、パトロクロスのことが大好き。女性が苦手なパトロクロスは、そんな彼女に少々(?)手を焼かされている。
あと、一応自分のことも述べておくね。
あたしは薄い水色の短衣に、黒い厚手のレギンスをはき、なめし革で作られた白い外套と、おそろいの白のブーツという姿。腰に特殊な銀を用いて造られたという短剣を差し、腕には神の加護が得られるという魔除けのブレスレットをはめている。
腰の辺りまである長い黄金の髪に、藍玉色の瞳。
三年前以前の記憶を失っているあたしは、いつか本当の自分を探すべく、お金を貯めて旅に出たいと思っていた。そんな折、唐突にこの世界へと召喚されてしまったのだ。
どうにかして元の世界へ戻りたいんだけど、時空を超える魔法は非常に難しいらしく、世界でそれを唯一叶えられそうなのが、大賢者と謳われるシヴァ。
何とあたしと同じ西暦の生まれであるという彼は、自己を封印することによって、千年もの時を生き続け、現在、深い眠りの中で目覚めの時を待っているのだという。
彼の記した“予言の書”により、“聖女”を召喚すべく行われた儀式で呼び出されたのが、何故かあたし。
“聖女”が求められたのは、今この地を脅かしつつある“邪悪な気配”に危機感を抱いた各国の上層部がシヴァの“予言の書”に白羽の矢を立てた為―――そしてあたしに、『大賢者復活』の任命が下ったのだ。
勝手に異世界へ召喚された挙句、貧乏くじを引いたような格好になってしまったあたしだったけど、シヴァに会わないことには、元の世界へ戻れない。
『目的の一致』と言ったらおかしいかもしれないけど、あたしはその任命を請け負うことにした。
そして、様々な出来事の中で仲間達と出会い、長旅の末、今、ようやくアストレアの王都にたどり着いたんだけど―――。
「うわぁ……」
目の前に広がる光景を見て、それまでのみんなの話が決して大げさなものではなかったことを実感し、あたしは感嘆の声をもらした。
すっ、ごい、大きい!
街も……建物も!
それに……広い!
ゆったりと整備された街道を、たくさんの人や物が忙しそうに行き交っている。
すごい人……ルザーも人が多いと思ったけど、ここはその比じゃない。
「驚いた?」
ガーネットの言葉に、あたしは頷いた。
「うん、思った以上に大きくって……それに何だか、華やかなんだね」
街並みもそうだけど、暮らしている人達も洗練されているというか。歩いている女の人とか見ていると、みんなオシャレな感じなんだよね。
思わず、長旅でくたびれ果てた自分の格好と見比べてしまった。
ここ2~3日、お風呂も入ってないし……あちこち汚れていて、ちょっと恥ずかしい。
「うー、早くシャワー浴びたいわねー」
同じことを思ったのか、ガーネットがそう呟いた。
「よし、まずは宿屋に直行だ。チェックイン後は明日の夜まで自由行動にしよう。たまには休息も取らないとな」
パトロクロスのその発言に、あたし達は色めき立った。
「きゃー、本当!? きゃー!」
嬉しいっ、とガーネットが飛び跳ねる。
「よーし、久々にゆっくり寝るか!」
大きく伸びをするアキレウス。
わぁっ、何しよう!?
溜まっていた疲れもどこへやら、あたしはわくわくと頭を巡らせた。
自由行動なんて、初めて!
ルザーではそれどころじゃなかったし、ローズダウンの王都ではずっと王宮の中にいたし。
とりあえず、今日は宿でゆっくりして……明日は一日、街を見て周ろうかな?
考えてみたら、こっちの世界へ来てからというもの、街をゆっくり見学したことってないんだよね。こんなふうに自分の時間を持てることすら、初めてかも。
貴重だよね、充実した時間を過ごしたいな。
まずはシャワーを浴びて……長旅の汚れを落としてスッキリしてから、明日の計画をじっくり練ろう。
―――と、思ってたのに。
……何で?
爽やかな日差しが射しこむ部屋の中で、あたしはまったりとベッドから身体を起こした。
隣のベッドに、ガーネットの姿は既にない。窓から空を見上げると、真上に届こうとする太陽の姿が目に入った。
えーっと……。
昨日シャワーを浴びてからの記憶がない。どうやら、ベッドに転がりこんで考える暇もなく爆睡してしまったらしかった。
あぁーっ、もう……。
額を押さえつつ、あたしはのろのろとベッドから下り立った。
あたしの貴重な休日が……いくらなんでも寝過ぎだわ。
ノックの音が響いたのは、その時だった。
「はぁい?」
誰だろう?
ドアを開けると、身支度を整えたアキレウスがそこに立っていた。
「あ、アキレウス。おはよ」
「あ、あぁ……。……お前、そのカッコ―――」
目のやり場に困ったような、アキレウスの態度。
ん?
目線を下げて自分の姿を確認した瞬間、あたしは恥ずかしさのあまり顔から火を吹きそうになった。
「きゃあぁぁぁっ!!」
悲鳴を上げながら、バターン! と勢いよくドアを閉める。
薄い生地の夜着を着ていただけだったんだ、忘れていたッ!
「ごっ、ごめんっ、ちょ……ちょっと待ってて!」
ドア越しに叫びながら、あたふたと上着を羽織る。
あ、あたしったらッ!!
下着つけてないし(パンツははいているけど)、顔は洗っていないし、髪はボサボサだしッ!!
恥ずかしさで、一気に脳が覚醒した。
有り得ないッ、女として終わってるよ~!!
半泣きになりつつ、大急ぎで顔を拭いて髪を整えると、あたしは真っ赤な顔でドアを開けた。
「ご……ごめんね、とんでもないカッコで……」
「いや……」
アキレウスの顔も、心なしか赤いみたい。
ぎしっ、としたちょっと気まずい空気の中、ややしてから彼は口を開いた。
「暇だったら、一緒に街でも見て周ろうかと思ってさ」
えっ?
「街? 見たいっ!」
勢い込んで言うと、アキレウスはちょっと笑った。
「じゃ、決まり。外で待ってるから、支度して出てきなよ」
「うん!」
思いがけぬアキレウスからの誘いを受けて、あたしは急いで支度を始めた。
良かった、街を見て周ろうにも、一人じゃちょっと心細いなって思っていたんだよね。アキレウスが一緒だったら楽しいし、安心だ。
「あ。そうだ」
声に出して呟き、あたしは自分の荷物の中から、大切にしまっておいた薄い茶色のワンピースを取り出した。
これこれ。ローズダウンでお裁縫セットを借りて、自分で裾を直したんだ。
アキレウスに買ってもらった、薄い茶色の、半袖のワンピース。これを着ていこう。
ちょっと短めになっちゃったけど、外套を羽織っていればさほど気にならないし。
アキレウス、気が付くかな?
何て言うかな……。
身支度を整えて部屋を出たあたしは、ちょっとドキドキしながら、表で待つアキレウスの元へと向かった。
「お待たせ」
声をかけると、あたしを振り返ったアキレウスは翠緑玉色の瞳をまんまるに見開いた。
「……あれ?」
どうやら気が付いたみたい。
「その服……」
「えへへ、気が付いた?」
「やっぱり? 前にオレが買ったヤツだろ?」
「うん、裾だけね、直したの。どう?」
あたしは外套を広げ、アキレウスにワンピースを見せた。
「どう……って。驚いた。てっきりあの時、処分したモンだと思ってたし……」
このワンピースは、出会った頃、魔物の血で汚れた服を着ていたあたしを見かねて、アキレウスが用意してくれたものだった。下ろしたての翌日、ルザーで偽王子達と戦闘になり、深い傷を負った彼の傷口を縛るため、あたしはその裾を裂いて、彼の手当てをした。そういう品だった。
「まいったな、ちょっと感動した」
アキレウスは照れくさそうな笑顔を浮かべ、あたしを促した。
「行こう。とりあえず、どっか入って昼飯食おうぜ」
「うん」
良かった、気が付いてくれて。
何となく幸せな気分に浸りながら、あたし達は連れ立って、アストレアの王都を歩き始めた。
宿のある裏通りを抜け、メインストリートに入ると、急激に人が増えて、あたし達は人波を縫うようにして進まなければならなくなった。
うわ、すっごい人!
様々な人種の、様々な人達が、入り乱れるようにして動いている。
ヤバいヤバい、迷子にならないようにしっかりアキレウスについていかないと……。
「相変わらずのスゴい人出だ、はぐれかねないな」
アキレウスはそう溜め息をつくと、あたしを振り返り、手を差し伸べた。
「え……」
「手」
「あ、うん……」
おず、と手を差し出すと、大きな温かい手がそっと握りしめてくれた。
うわ……何か、照れちゃうな。
手を繋いだまま、あたし達は歩き出した。
大っきい……アキレウスの、手。
柔らかい女の子の手の感触とは違う、骨ばった、力強い、男の人の手。
黙っていると何だか緊張してしまいそうだったので、あたしはアキレウスに話しかけた。
「ねぇ、ガーネット見なかった?」
「昼前にオレ達の部屋に来て、パトロクロスを拉致していった」
その時の光景を思い浮かべ、あたしはぷっと吹き出した。
「じゃあ、二人も一緒にいるんだね」
「そ。あいつら騒々しいから、近くにいればどんな人込みの中でも分かると思うよ」
「あはは、そうだね」
「それよりオーロラ、何食いたい?」
「うーん、そうだなー……」
通りにはたくさんのお店が面していて、食堂らしきところもたくさんあった。でもあたしの目を引いたのは、通りの両脇に立ち並ぶ屋台。
もの珍しいのと、そこから漂ってくるおいしそうな匂いに引かれてきょろきょろしていると、お腹がぐぅーっと鳴ってしまった。
ぎゃっ。
赤面するあたしを、チラッとアキレウスが見た。
「も……もしかして、聞こえちゃった……?」
「バッチリ」
あーもぉっ、何で今日はこんなカッコ悪いトコばかりっ!
「よーし決めたっ、食堂はやめて屋台にしよう! 好きなモン買って、公園かどっかで適当に食おうぜ!」
あ、それいいっ!
「賛成!」
一瞬の恥もどこへやら、アキレウスの素敵な提案に、あたしは目を輝かせた。
お小遣いはパトロクロスから五百Gもらっているから、好きなの買っちゃおう!
うーん、迷う! どれにしようかな!?
「あのトゲドゲの実はドリアーノの実っていって、割とスッキリした甘さの果実だ。あれはミカラグアっていう牛の仲間の串焼き、それからあれは……」
ふんふん、とアキレウスの解説を元に吟味すること数分―――……あたしの両手には、大量の食べ物が抱えられていた。
「オーロラ、それ、買いすぎじゃね?」
だって、珍しくてつい買っちゃったんだもん。どんなものか、ちょっと食べてみたいじゃない?
「アキレウスも食べてよ。一緒に太ろっ」
笑顔でそう見上げると、小憎らしい返事が返ってきた。
「わりー。オレ、太らない体質なんだよな」
くぅっ!
「絶対あげないっ!」
ぷーっと頬をふくらませると、彼は笑いながらあたしの肩を叩いた。
「冗談、冗談。ありがたくちょうだい致します」
もぉー。冗談とは思えない体型をしている辺りが腹立たしい。
お昼を食べる場所に選んだ公園は、メインストリートから少し離れたところにあった。
人の姿は多いけど、とても広くて、さっきまで人込みの中にいた状態から考えると、まるで天国のような開放感。
綺麗に整備された園内は一面に緑の芝生が植えられていて、人々が思い思いに寝転んだりおしゃべりしたりして過ごしていた。中央には大きな噴水があって、ところどころに設置された花壇には、色とりどりの季節の花が咲き誇っている。
あたし達は、公園の隅の木陰の一角を陣取った。
「何かすごく清々しいねー、すっごい気持ちいい」
「だな。こうしていると、ちょっとしたピクニック気分? 日々の戦いを忘れるよなー」
「だねー」
ほのぼのした気分で、あたし達は買ってきた食べ物を広げると、早速それをいただくことにした。
「いただきますっ」
手始めにミカラグアの串焼きにパクつくと、柔らかいお肉の食感と、香ばしいタレの風味が口いっぱいに広がって、あたしは思わず目を細めた。
「おっいしーい!」
「本当に美味そうに食うなぁ」
たくさんのお肉や野菜を豪快に挟んだパンを食べながら、アキレウスが言う。
「だって本当に美味しいもん。こうやって食べてるから余計に美味しいのかもしれないけど」
「それはあるな」
「それに、こんなふうに街を歩いたの初めてだし。何か、すごく楽しいんだ」
緩やかな風が、あたし達の間を優しく吹き抜けていく。
「そういえばそうか。ここに来るまでに立ち寄った町や村でも、食料とか水を補給するだけだったもんな」
「うん、だからね、こうしているのすごく楽しい。何だろう……この時代の文化に初めて触れている気がするっていうか……うーん、旅行気分に近いのかもしれないけど」
公園から、遠目にアストレア城が見える。
「明日は、あそこに行くんだね……」
「あぁ……」
あたしはいつかのパトロクロスの話を思い出していた。
彼のお父さんのラウド王も言っていたことだけど、“邪悪なチカラ”の気配に危機感を抱いた五カ国間では秘密裏に会議が催され、国境の垣根を越えた、第一線の学者達によるプロジェクトチームが発足しているんだそうだ。
ローズダウンで行われた“聖女の召喚”もそのプロジェクトの一環として各国に通達されていて、あたし達が訪れた際には、情報の提供や資金面での援助、更に様々な優遇措置を取ってくれることになっているらしい。
そう考えると、各国の偉い人達の間では、あたし達って有名人なんだよね。
「お城か……緊張するなぁ」
思わずそうもらすと、それにアキレウスが相槌を打った。
「独特の雰囲気があるトコだからな」
「アキレウスも緊張ってするの?」
「何だよ、それ。オレみたいなタイプが実は繊細だったりするモンなんだぞ」
「そういう人は、そんなコト言わないと思うけど……」
言いながら、あたしは彼の精悍な顔を見つめた。
「……ねぇ」
「ん?」
「聞いていいかな。アキレウスって、元々どこの人なの?」
「オレ? 出身はドヴァーフだよ」
「ドヴァーフ? あの魔法王国って言われている?」
何だか意外な気がして、あたしは目を丸くした。
勝手なイメージで、ウィルハッタとかを想像していたんだよね。ドヴァーフは頭になかったなぁ……。
「意外だった?」
「うん。何か、ドヴァーフって魔導士ばっかりのイメージがあって」
「はは。ドヴァーフにだって、騎士団はあるよ。魔法のイメージが強くて、影は薄いかもしんないけど」
アキレウスはそう言って、ちょっと笑った。
「父親が騎士で、母親は白魔導士だった。二人とも死んで、もういないけど……オレに魔力があるとしたら、母方から受け継いだんだな」
アキレウス……。
「ごめん、あたし……」
「いいって、謝るなよ。この時代では珍しくないことなんだ……同じような境遇のヤツは、いっぱいいる」
ルザーでガーネットの白魔法によって、一命を取りとめた時のアキレウスの表情が思い出された。
(そうか……オレは、白魔法で助かったのか……。白魔法で……)
あの時……きっと、お母さんのことを思い出していたんだ。だから、あんな……。
ちゃんと聞いたことはないけど、ガーネットの両親もいないみたいだし、ここへ来るまでの道中でも、たくさんの働く子供達を見かけた。それはあたしの時代でも見られた光景だけど、ここはまた環境がまるで違う。この時代の『生きる』ことへの厳しさが窺えた。
「……もしかして、『光の園』っていうところでアキレウスは育ったの?」
「あぁ。……孤児院の運営は決して楽じゃないからな、この職業に就いてからは、稼ぎの一部を送るようにしているんだ」
ラウド王の御前での、アキレウスの言葉が甦る。
(……シヴァの封印を解くことで……理不尽な理由により、愛する者を失う人々は減ると、王はお考えですか)
そっか……だから……。
「……そういう子をこれ以上増やさない為にも、あたし達、頑張らないとね!」
「……あぁ、そうだな」
「よーし、絶対にシヴァの封印を解いてみせるっ!」
拳を握りしめて息巻くあたしを頼もしげ(?)に見つめ、アキレウスはゆっくりと立ち上がった。
「その意気、その意気。でも、今日は休息だ……休める時に休んでおかないとな。……つーか、あの量をよく食べたな」
話しながらいつの間にやら胃の中に消えていった食べ物の痕跡を眺め、あたしは少し赤くなった。
アキレウスもちょっとだけ食べたけど、結局ほとんど一人で食べ切っちゃった。
「せ、成長期なんだよ、あたし」
「へぇ? ちなみにどの辺?」
イタズラ小僧の表情になったアキレウスが、あたしの胸の辺りにチラッと視線を走らせる。
「ちょ、ちょっと! どこ見てんのっ!」
真っ赤になって思わず腕で胸の辺りを隠すと、彼は楽しそうに声を立てて笑った。
「ほら、行こうぜ。街を案内するよ」
「……うん」
アキレウスに連れられて、あたしは色々な場所を見て周った。
楽しかった。すごく、楽しかったの。
それ以上に、嬉しかった。
ほんの少しだけアキレウスのことを知れて、すごく嬉しかったんだ。
もっと、知りたいな。
アキレウスのこと、もっと知りたい。
そう思った。
楽しい時間って、ホントあっという間。
薄暗くなった通りを歩きながら、あたし達は今日巡った場所について話をしていた。
「どこが一番印象に残った?」
「うーん、どこも印象深かったけど、一番は“ルザンの碑”かな。何か……色々感じるものがあった」
“ルザンの碑”というのは、アストレアの観光スポットのひとつ。
その昔、強大な魔力を誇った魔導士ルザンが、人民の大量虐殺の罪に問われ、火刑に処せられたという場所だ。
炎の呪文を得意とし、“紅の魔女”の異名をとったルザン。最期は自らが得意とした炎によって焼かれ、その生涯を閉じたという、皮肉な結末に至る―――現在その場所には石碑が建てられ、たくさんの観光客が訪れていたけれど、過去に実際に起こった出来事なのだと思うと、何となく肌寒い感じがした。
「ねぇー、どこかでご飯食べていこうよー!」
聞き慣れた声が耳に飛び込んできたのは、その時。
ん?
顔を見合わせたあたし達が、声のした方を見やると―――何やら、人だかりが出来ている。
ま、まさか……!?
覗いてみると、やっぱり見慣れた二人の姿がそこにあった。
「ねぇー、パトロクロスぅ~!」
「ゆ、許してくれ、ガーネット。もう、これ以上は、私の身が持たな……」
「そんなコト言わないで~! せっかく二人きりになれた夜なのにー!」
ぎゅうーっとガーネットに抱きつかれ、たまらずパトロクロスが悲鳴を上げる。
「はっ、はなっ、離せガーネットーッ!」
ぎゃあ~っ、と上がる悲鳴に混じって、野次馬達のひそひそ話が聞こえてきた。
「これから別れるカップルみたいよ。最後の晩餐をどうするかでもめているみたい」
「男の方が別れ話を切り出しているみたいね」
「もったいないよなー、あんな可愛い娘。あの男がいなくなったら、オレ達で声かけてみようぜ」
……皆さん、誤解なんですけど。
「何やってんだ、あいつら」
アキレウスが大きな溜め息をついた。
「ったくこんなトコで恥ずかしい……止めに行くぞ、オーロラ」
「あっ、待ってよー!」
「―――パトロクロス、ガーネット!」
突然のアキレウスの登場に、きょとんとした面持ちで二人が振り返った。
「アッ、アキレウス!」
彼の姿を見て、パトロクロスの表情がぱあぁ、と明るくなった。
「アキレウス~!」
猛ダッシュで、がしいっとアキレウスにしがみつく。
「おわっ!」
「アキレウス、助けてくれ! 私は、私は~!」
「泣くな!」
「もぉ~、アキレウス、いいトコだったのに~」
邪魔しないでよね、と仏頂面のガーネット。
「あのなぁ……」
アキレウスは口元をひくつかせつつ、額を押さえた。
「この状況で、いい雰囲気もクソもねーだろーがッ!」
その様子を見た野次馬達がひそひそと囁く。
「うっそヤダー、ホモよホモッ!」
「あの男の子達、あんなにキレーな顔してるのにーっ!」
「ホモを交えた三角関係かよ、珍しいな」
「えー、あたし、あんなキレーなホモだったら許しちゃうー」
あのー、皆さん、とても想像豊かな大誤解なんですが……。
「あーもう、ほらっ、これ以上妙な誤解されんうちに行こうぜ! パトロクロス、怖かったのは分かるがしがみつくな!」
「怖かったのは分かるがって、どーいう意味よ、アキレウス」
「いや、それは……」
あーもうっ、これ以上ここにいたら、ますますややこしくなるっ!
「ガーネット、とりあえず後にしよっ。ほらみんな、こっちこっちっ!」
思わず声を上げて手招きすると、野次馬達の視線が一斉にあたしに突き刺さった。
う゛っ。
「お、女よ女! もう一人女がいたわよーっ!」
「すげぇ! ホモを交えた四角関係か!」
「可愛いぜッ! ホモにはもったいねぇーっ!」
ちっ、違~うっ!!
「あら、オーロラも来ていたの?」
笑顔で駆け寄ってきたガーネットの手を取り、あたしはダッシュでその場から逃げ出した。パトロクロスを引きずるようにして、アキレウスもその後に続く。
「実はホモの上にレズもありなのか!?」
「何て奥の深い関係なんだ!!」
野次馬達の声が、夜の街に響き渡る。
だから、違うんだって~!!
人気のない路地裏まで走って、あたしはようやく息をついた。
あ~、走ったぁー!
「何なのよもぅ、オーロラ~」
はぁはぁと、ガーネットが息をつく。
「何なのよじゃないよ、もうっ」
「ホントだぜ。ったくお前ら、あんなトコで大声で……恥ずかしいだろッ」
追いついたアキレウスがそう言うと、ガーネットはぷーっと頬をふくらませた。
「だって~」
「な……何にせよ助かった……礼を言う、アキレウス、オーロラ」
壁にもたれかかるようにして、へなへなとパトロクロスが座り込んだ。
「何よ、パトロクロスまで~」
言って、ガーネットはきらっと目を輝かせた。
「あら? アキレウスとオーロラがここにいるっていうコトは、二人はもしかして一緒にいたってこと?」
「? そうだけど?」
「なぁんだ、二人もデートしてたのね。そっかそっか」
「!!?」
ちっ、違~うっ!!
「なっ、何言ってんのガーネット、これは、アキレウスが気を遣ってくれて……!」
真っ赤になってそう言うと、ガーネットはふっと微笑を浮かべた。
「そうなの?」
「そっ、そうよっ!」
「アキレウス、やるじゃな~い!」
意味ありげな表情を浮かべ、うりうりと肘でアキレウスを突っつく。
「何だよ」
きゃあ~っ!!
「もっ、もうー、ガーネットぉー!」
後ろから抱きついて止めると、ガーネットは楽しそうに笑いながら、あたしの頭をよしよしとなでた。
「もうーっ、ムキになっちゃって可愛いんだから、オーロラはーっ」
「あっ、あたしで遊ばないでよっ」
「どーでもいいけど腹減った。せっかく四人そろったから、どこかで夕飯食っていこうぜ」
アキレウスの提案に、憔悴気味のパトロクロスが頷いた。
「あぁ……そうするか」
それを聞いたガーネットが、再び頬をふくらませる。
「パトロクロスったら、あたしと二人きりだと嫌がるクセにーっ」
「お前と二人きりだと、襲われそうで怖いんだッ」
「何よー、人をケダモノみたいにッ」
その時、急に角を曲がってきた小柄な人影がパトロクロスの背中にぶつかってしまった。
「あっ……!」
「失礼っ! 大丈夫か!?」
よろめく人影に、とっさにパトロクロスが手を伸ばす。
頭から深くかぶっていていたフード付きの黒い外套がずれて、大きな青玉色の瞳と、鳶色の長い髪がこぼれ落ちた。
信じられないものを見たように、呆然とパトロクロスが目を見開く。
相手も同じように、目を見開いてパトロクロスを見つめていた。桜色の小さな唇が、ゆっくりと動く。
「……パトロクロス……様?」
「……マーナ姫!? 貴女が何故、このようなところに!?」
「―――パトロクロス様っ!」
涙ぐみながら、マーナ姫と呼ばれた少女がパトロクロスの胸にすがりつく。
「な゛っ……!」
反射的に駆け寄ろうとしたガーネットの肩を、アキレウスが押しとどめた。
「待て、ガーネット。話を聞くのはこの場をどうにかしてからだ」
「え……!?」
気が付くと、あたし達は囲まれていた。
細い路地を塞ぐようにして、前後に三人ずつ。屋根の上に―――四人。黒装束の男達が、いつの間にかあたし達を取り囲んでいた。
いつの間に……!?
「姫、こちらに……!」
パトロクロスがマーナ姫を背後にかばう。
「貴様ら……何者だ!?」
パトロクロスの誰何の声に、屋根の上に佇むリーダーらしき男が口を開いた。
「答える名はない。……その方を、こちらへ……」
「断る!」
ピシャリとパトロクロスが言い放った刹那、男達の纏う空気が変わった。そして次の瞬間、黒い影は一斉に襲いかかってきたのだ!
きゃあっ!
「アキレウス、オーロラとガーネットを頼む!」
「オーケー」
「―――自分の身くらい、自分で守れるわよっ!」
頷くアキレウスの傍らでそうひとりごちて、ガーネットが杖で応戦する!
ごきぃっ、と鈍い音を立てて、小太刀を構えた黒装束の顎が跳ね上がった。
その鮮やかな杖術の腕前に、ひゅうっ、とアキレウスが口笛を吹く。
うわっ、ガーネットってけっこう強いんだ!
なんて感心している場合じゃなかった。
あたしだって……!
とは思ったものの、凄まじい風切り音に思わず身震いしてしまう。
剣で応戦するなんて、とても無理! でも、この広さじゃ炎は使えないし……!
炎を呼び出せるようにはなったものの、それを意のままに操るということが、あたしはまだ上手く出来ないでいた。
小さく、狭く、細くといった加減が、とても難しい。
結局、アキレウスとガーネットに守られるような形で、気が付けば、路地には黒装束の男達が折り重なるようにして転がっていた。
「ぎりぎりまで気配を悟らせなかった割に、あっけなかったな……」
息も乱さずに、アキレウスが剣を収める。
「ふん、大したコトないヤツらだったわね」
腰に手を当て、ガーネットが悪態をつく。
「リーダー格の男だけ取り逃がしたか……」
屋根の上をにらんでそう呟いたパトロクロスは、背後のマーナ姫を振り返った。
「お怪我はありませんか?」
「は……はい……大丈夫、です……」
「この者達に、心当たりは?」
「……いいえ」
そうかぶりを振る彼女の表情は蒼白で、全身が小刻みに震えていた。
「……パトロクロス」
黒装束の男達を調べていたアキレウスが声をかけた。
「どうした?」
「―――見ろ」
「……これは!」
パトロクロスの淡い青の瞳が険しい光を帯びた。
……な、何?
彼らの背後からそれを覗き込んだあたしは、あやうく悲鳴を上げそうになった。
なっ……何なの、これ!?
黒装束の中身は、もはや人間とは呼べなかった。
身体中の水分を失い、カラカラにひからびた肉塊にヒビが入り、今まさに、目の前で砂となって崩れ落ちていく。
嘘……。
あたしは知らず、口元を手で押さえていた。
「な……何なの? 何で、こんな……」
「現時点では何とも言えんが……まるで、身体中の養分を全て吸い取られたかのような……」
「傀儡……の類じゃなさそうね」
「骨まで風化していきやがる……初めて見たぜ、こんなの」
それからさほど経たないうちに、男達の肉体は全て砂と化してしまった。
あまりの光景に、グラリとマーナ姫がよろめく。
「姫……!」
そんな彼女を優しく支え、パトロクロスは穏やかな声でこう囁いた。
「とりあえず、落ち着いて話のできるところまで行きましょう。貴女のような方がこのような時刻、このような場所にお一人でいる理由もお聞きしたい……話してくれますね?」
細い肩を震わせながら、こくり、とマーナ姫が頷く。
「よし、いったん宿まで戻ろう。一度状況を整理して、その後、これからの行動について考えよう」
パトロクロスの提案に、全員が頷いた。
「……それにしてもパトロクロス、あたしに抱きつかれるとぎゃーぎゃー言うクセに、何で姫様は平気なのよ?」
ガーネットのその突っ込みに、あたしとアキレウスは一瞬目が点になった。
「……そういえば」
「言われてみれば……」
でも、そんなの全然気が付かなかった。
「おっ、お前は……こんな時に、何を……!」
真っ赤な顔で、パトロクロスが額を押さえる。
「あたしにとっては大事なコトだもんっ」
「そんなことを気にしていられる状況ではなかっただろうがっ!」
「何よ、普段は煩悩のせいでダメだっていうの!?」
「ぼっ……」
かあぁぁぁっ、とパトロクロスの顔が(更に)紅潮する。
「なっ、何てことを言うんだお前はッ! 臨機応変と言え!」
「何よそれー!?」
あたしとアキレウスは顔を見合わせ、溜め息をついた。
はぁぁ……また始まった。
「あ……あの?」
事態をよく飲みこめず、マーナ姫が困惑の表情を浮かべる。
「あ、気にしないで下さい。いつものことなので」
「はぁ……」
「先に宿に戻ってよーぜ。付き合ってられん」
「そうだね。行きましょう、えーと……マーナ姫」
「え、えぇ。でも……」
「いいからいいから」
夜の王都に、パトロクロスとガーネットの声が響く。
普通に考えて、今あたし達、とんでもない事態に遭遇しちゃったんだと思うんだけど……二人とも、あんな調子だし。
マーナ姫を挟んで一緒に歩くアキレウスもいたって普通だし。
あんまり普通に話しかけるもんだから、マーナ姫の方が不思議そうな顔をしている。
こんな雰囲気に慣れちゃって、あたしも少し楽観的に物事を考えるようになってきた。
何だかまたひと波乱起きそうな気配だけど、みんなで力を合わせれば、きっと―――。
「きっと、何とかなる」
ぽつりと呟いたあたしの声が聞こえたらしく、アキレウスがそれに頷いた。
「あぁ、きっと何とかなるって」
「……うん!」
不穏な影をあたし達に落とし、アストレアの夜の闇は深まっていく。だけどきっと、何かが起きても何とかなるに違いない。
きっと―――……。
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