DESTINY!!

藤原 秋

文字の大きさ
上 下
2 / 91
旅立ち編

砂漠の月

しおりを挟む
 どこかで風が吹いていた。

 サラサラと、砂の流れるような音がする。

「う……」

 寒さで、あたしは目を覚ました。

 さむ……。何でこんなに寒いの……。

 ぼんやりとした視界に、砂が映った。

 大量の。

「―――え!?」

 驚いて起き上がると、身体中に鈍い痛みが走った。

「った……何なの、これ」

 痛みに顔をしかめながら、あたしは目の前の光景を見て―――言葉を失ってしまった。

「――――――……」

 辺りを見渡す。

 草木一本、生えていない。

 あるものは、砂。

 砂と、闇。それだけ。

 何とあたしは、夜の砂漠の真ん中に、たった一人、ぽつんと座りこんでいたのだ。

「―――え、と……」

 頭の中がメチャクチャになっていた。

 何で? あたしは、海辺の町にいたはずなのに。

 何で、こんな……果てしなく広がる砂漠の中に、一人で。

 アォー……ン。

 遠くから、狼の遠吠えみたいなのが聞こえた。

「ええっと……ええっとぉ」

 涙が溢れそうになってきた。

 落ち着いて……落ち着いて。まずは、考えなきゃ。

 どうして自分が、ここにいるのか。

 ガタガタ震えながら、あたしは自分を抱きしめた。するとジャラッ、という音がして、腕に冷たいものが触れた。

 見ると、それは幾重にもなった金属製のネックレスだった。

「あ……」

 意識を失う前の記憶が、怒涛のように流れこんできた。

 そう……だ。あたし、踊っていて……で、あの闇に吸いこまれ、て……。

 アォーン。

 また、あの遠吠えが聞こえた。さっきより、ずっと近くに聞こえる。

 ……じゃ……。

 震える自分の身体を抱きながら、あたしは辺りを見回した。

 じゃ、ここは……?

 涙が溢れてくる。

 ここは、どこ……?

「マ、マスター……」

 心細くて、どうしようもなくて……絶対に返事は返ってこないと分かっていたけれど、あたしは呼ばずにはいられなかった。

「マスター、ムエラ、みんなぁ、どこ……?」

 アォー……ン。

「いやぁっ!」

 ドクッ、ドクッ、ドクッ……。

 自分の心臓の音が、痛いくらいに耳に響く。

「マ、マスター! ムエラ! 返事してよぉっ!!」

 いくら叫んでも、あたしの声は、砂漠の闇に吸いこまれていく。

 そして、怖いくらいの静寂……。

「ひっ……く、うっ……」

 こらえきれず泣き出しそうになったその瞬間、

「-- -- -- -- 」

 背後から聞こえた低い響きと共に何かに突然肩を触れられ、あたしは反射的に「それ」を叩いてしまった。

 パーン!

 肉を打つ小気味良い音と共に、“ウッ”とくぐもった声が聞こえた。

 ―――やだっ、何!? 怖い!!

 あたしは反射的に逃げ出そうとしたけれど、砂に足をとられて転び、そこをしっかとその何者かに押さえられてしまった。

「きゃあきゃあきゃあきゃあッ!!」

 あたしは必死に手足をバタつかせたけれど、身体を押さえつけるその力は強くて、あたしはまるでひっくり返されたカメのよう。

「やだっ、やだっ、やだったらやぁッ!!」
「-- -- -- -- --!」

 得体の知れないその何かは大きな声で何事か言いながら、あたしの顔を自分の方に無理矢理向かせた。

「やだった……!」

 叫びかけたあたしは、その顔を初めて見て、コクン、と言葉を飲みこんだ。

 人間、だ……。

 それは、若い人間の男の人だった。

 暗くて良く分からないけど、多分あたしと同い年くらい……。

 相手が人間と分かってあたしはホッとしかけたけど、だからと言って、まだ安心だとは限らない。

 とりあえずは、この押さえこまれた状態を何とかしないと……!

 再びあたしが暴れようとすると、意外なことに、その青年は自分の方から手を離した。

 「-- -- -- --」

 そして警戒するあたしに何事か語りかけながら、両手を上げて遠ざかり、横に首を振る。

 自分は怪しい者じゃない、って言っているの……?

 いつでも逃げられるよう、体勢を立て直しながら青年を見ると、彼はまた何か話しかけてきた。

「-- -- -- --」

 不思議なイントネーション。初めて耳にする響き。

 だけど、あたしには彼の言いたいことが分かった。

 オレハ、アンタノ敵ジャナイ。

 彼は、こう言っているんだ。

 あたしが黙ったままでいると、もう一度、彼は言った。

「オレは、あんたの敵じゃない。怖がらなくていい。大丈夫だ」

 今度はハッキリと、彼の言葉が分かった。

 ―――何で!? この人の言っている言葉が分かる!

 驚きに目を見開くあたしに、彼はちょっと笑いかけた。

「怖がらなくていい。大丈夫だよ」

 そう言って、ゆっくりと近づいてくる。

 あたしが思わず後退あとずさると、彼は困ったように立ち止まった。

「え……っと、言葉分からないか……? 何もしないよ」

 再び両手を上げて、ひらひらと振ってみせたその両眼が、瞬間、スッと細まった。

 ―――何?

 ビクンとするあたしに、シッと唇に指を当てて合図を送ると、背後の闇に向き直る。

 何なの……?

 動きの止まったあたし達の間を、風だけが吹き抜けていく。

 そのまま一秒、二秒……。

 青年が背後から、ゆっくりと何かを引き抜いた。

 それと同時に、それまで厚い雲に覆われていた満月が、冴え冴えと地上を映し出した。

 青年が引き抜いたモノが、月の光を浴びて、冷たく輝く。

 それは、つるぎ

 余計な装飾の施されていない、実戦用の、年季の入った鋼の長剣。

 でも、そんなことに驚いている余裕は、今のあたしにはなかった。

 満月の光は、あたし達を取り巻く、異形の生物達をも映し出していたのだから!

 闇の中で輝く、凶暴な赤い光。それは、彼らの眼光だ。

 狼のような体躯。けれど、狼ではない。

 長毛に覆われたその顔には、小さな目が横に三つ、並んでいる。

 何なの、これ……。

 背筋が冷たくなるのをあたしは覚えた。

 地球上には存在しないはずの生物。それが、今、目の前にいる。

 ぐるりとあたし達を取り囲むようにして、五、六、……もっといる。

 唇をめくり上げ、不揃いの鋭い歯を剥き出し、よだれをしたたらせて……あたし達をにらみつけている。

 身体が激しく音を立てて震え始めた。

 何なの、これ!

「デザートウルフか……」

 青年がそうつぶやく声が聞こえた。

 デザートウルフと呼ばれた怪物達の中で、ひときわ大きな一頭が咆哮した。それは、さっき聞こえたあの遠吠えにそっくりだった。

 それを合図にするようにして、デザートウルフ達は一斉に襲いかかってきたのだ!

「きゃあッ!」
「動くなっ!」

 悲鳴を上げるあたしにそれだけ言って、青年は怪物の群れの中に飛び込んでいった。

「こっちだ来いっ!」

 デザートウルフ達の注意を引きつけるようにして、長剣を一閃させる!

「ギャウッ!」

 真っ赤な血を首から噴き出し、一頭が絶息する。

 血生臭い匂いが辺りに立ちこめると、怪物達はあたしの存在など忘れたかのように、青年に向かって猛り狂ったように攻撃を始めた。

「そうだ、来いっ!」

 青年が挑戦的な笑みを浮べて剣を振るう!

「ギャウッ!」

 一頭、また一頭―――悲鳴を上げて、怪物達が絶息していく。

 血しぶきが、辺りに舞う。

 ―――あぁ……。

 青ざめ、震えながら、あたしは目の前の光景を見つめた。

 月明りに照らされて、血の雨の中で戦う青年の姿が、怖いくらいハッキリと見える。

 まるで月光を紡いだかのような、不思議な色の髪。

 光り輝く、野性的な翠緑玉色エメラルドグリーンの瞳………。

 ビシャ、と頬に生温かいものがかかった。

 ―――これは、悪夢だ……。

 知らないうちに、身体が逃げを打っていた。

「―――バカ、動くなッ!」

 青年の声と同時に、左足のふくらはぎの辺りに激痛が走った。

 痛ッ……!

 ドウッ、と倒れこんだところに、ザシュッ、という音がして、純白の衣装が真紅に染まった。大きく裂けた怪物の腹部から飛び散った臓器が、目の前にぶちまけられる。

 ひ……。

「大丈夫かッ!?」

 息を切らせて顔を覗きこむ青年の言葉なんて、耳に入らなかった。

「いやあぁぁぁッ!!」

 目を見開いて、あたしは絶叫していた。

 血臭。バケモノの死体、死体、死体。

 ―――いったい何がどうなっているの!?

「ふっ……ぐ……」

 気持ち悪くなってきて、あたしはこらえきれずに嘔吐した。

 や……だ。やだ……。

 涙がとめどなく溢れてきて、頬を伝う。

 誰、か……。

 虚ろな目に、闇と血と……砂だけが映る。

 誰か、助けて―――――――!!







「オーロラ……起きて、朝だよ」

 目を開けると、そこには見慣れた顔があった。

 ムエラ……。

「どうしたんだい? ずいぶんとうなされていたよ」

 うん……あのね、変な夢を見ていたの。

 闇と砂が広がっていて……すごく寒いの。どこまでも続いている……とても怖かった……。

 あたしは、女神の衣装を着ているの。

 赤い目をした怪物が出てきてね、真っ赤な、血……。

 そこまで言って、あたしは目を見開いた。

 あたしはいつもの夜着ではなく、女神の衣装を着ていた。小さな赤いシミが、お腹の辺りにポツンとついている。

 その赤いシミが、みるみる広がっていく。純白の衣装を真紅に染めていく。

 いやっ! ムエ……!

 顔を上げたその先に、もうムエラの姿はなかった。遥か彼方に、小さく、小さく……どんどん見えなくなっていく。

 いやっ、ムエラ待って! 行かないで!!

 彼女と一緒に、それまであたしの側にあった暖かいものは全て遠ざかってしまった。

 代わりに、冷たい風があたしの頬を殴りつける。暖かい毛布の代わりに、ざらざらとした砂の感触。

 そして、深い闇―――。

 逃げたいのに足が動かない。

 凍えそうなほどに寒いのに、怖いのに、自分の身体を抱くことしか出来ない。

 闇の中に、赤い光が灯る。

 荒い呼吸音。威嚇。

 ドクッ、ドクッ、ドクッ。

 心臓の音。痛いくらい、耳に響く。

 い、や……。

 恐怖。

 いや……。

 大きな口が、がっぱりと開く。

 いや……やめっ……。

 したたり落ちるよだれ。鋭く光る、大きな牙。
 ドクッ、ドクッ、ドッ……ドッ、ドッ、ドッ。

 跳ね上がる鼓動。溢れ出る、涙。
 ドッ、ドッ、ドッ……ドッドッドッドッ。

 冷たく輝く、月の光――――――。


 怖い怖い怖い怖イ怖イ怖イコワいコワいコワいこわイこわイこわイコワイコワイコワイこわい助ケテ助ケテ助ケテ助けて助けて助けてタスけてタスけてタスけて怖イ怖イコワイ怖いコワイ怖い助けてタス


―――氷のような蒼い―――

ドクンッ

―――舞い散る、白い……―――

イタイッ……

―――頭……割れ……―――

ズキンッ


痛い痛い痛い痛イ痛イ痛イやめてヤメてヤメてヤメて止めて止めて止めて止メテ止メテ止メテやめてやめてやめてヤメてヤメてイタイイタイ痛いイタイ痛イいたいいたいいたい痛いヤメて止めてやめて止め


―――ミシッ……―――

「いッ……」





「いやああぁ―――ッ!!」

 叫びながら、あたしは飛び起きた。

「―――ッ……」

 心臓がすごい速さで脈打っている。

 荒い息をつき、ガタガタ震えながら、あたしは自分を抱きしめた。

「―――ゆ……め……」
「大丈夫か?」
「!?」

 横合いから突然入った声に、あたしはビクッとして向き直った。

「あっ……」

 そこには、あの砂漠で出会った青年がいた。

 焚き火を挟んで、反対側から静かにあたしを見つめている。

 身体を硬くしたあたしを見て、彼はちょっと笑いかけた。

「ずいぶんうなされていたみたいだから」

 その笑顔に少しホッとするのを覚えつつも、同時に、血の気が失せていくのをあたしは感じた。

 この人がいる、ってことは―――。

 恐る恐る、目線を下げていく。

 赤褐色の、変わり果てた衣装が目に映った。

 夢じゃない、ってこと―――。

「―――おい!?」

 ぐらりと傾きかけたあたしに驚いて、青年が腰を浮かしかける。

「来ないで!!」

 それを見て、あたしは悲鳴に近い声を放った。

「来ないでぇッ!!」
「―――……と」

 呆然とした顔で、青年が動きを止める。

「……何だ、言葉分かるん―――」
「何なのよ、あれっ!?」

 その言葉を遮って、あたしは叫んだ。

「な、何であんなバケモノが……だ、大体ここはどこなの!? あたし、さっきまで海辺の町にいたのよ!? 何で、こんなっ……砂ばっかなのよぉッ!?」

 ぼろぼろ、ぼろぼろ涙が溢れてくる。

「あなたのカッコも変だしっ……ぶ、武器なんか持ってるし……! 顔色ひとつ変えないで、あんなバケモノ、当たり前みたいに殺すしっ……! 何なのよもぉっ! どうしてあたし、こんな所にいるの――――――ッ!?」

 困った顔をした青年に向かって、わめくだけわめきたてた後、あたしは一気に泣き崩れた。

 もう本当にわけが分からなかった。

 何で自分がこんな目に合っているのか。どうしてそれが、夢じゃないのか。これから、自分がどうなってしまうのか―――。

 色々な不安の中でぐちゃぐちゃになりながら、あたしは「泣く」という行為に全てをぶつけた。そうでもしないと、どうにかなってしまいそうだった。

 あたしがわんわん泣いている間、青年はじっと黙ってその様子を見つめていた。

 どのくらいの時が経ったんだろう―――。

「ひっ……く、うっ……」

 目が真っ赤に腫れてそろそろ泣き疲れてきた頃、あたしはようやく周りのことが見えるようになってきた。

「……っく……」

 ずっ、と鼻をすすりながら、涙を拭う。

 岩……だ……。

 砂漠の真ん中にいるものだと思っていたのに、あたしは周りが岩で囲まれた、洞窟のような所にいた。身体には、外套がいとうのようなものが掛けられている。

「……」

 パチッ。

 焚き木がぜた。

「……落ち着いた?」

 青年が静かな声で話しかけてきた。

 こくり、とあたしは頷いた。

 パキ、と焚き木を二つに折って火の中に入れながら、青年が呟く。

「砂漠の夜は、冷えるからな……」

 何だか急に恥ずかしくなってきた。

 洞窟の外には、果てしなく続く砂漠が見える。

 この人は、見ず知らずのあたしを助けてくれた上、こんな所まで運んできてくれたのだ。

 それなのに、あたし……。

 大泣きした上、完全に八つ当たりしてしまった。

 ―――すっごい、最ッ低!

 こんな状況だったとはいえ、何てコトしてしまったんだろう……顔から火が出そう!

 一人で赤くなりながら、あたしはぐっと拳を握りしめた。

 謝らないと……。

「……あの」

 恥ずかしかったけど、あたしは顔を上げて彼の顔を見た。

 月光を紡いだかのような、不思議な色の髪。綺麗な、けれど意志の強さを感じさせる翠緑玉色エメラルドグリーンの瞳。どこか野性的な雰囲気を持った、精悍せいかんな顔立ちの青年。

 ―――だけど。やっぱ、カッコが変ッ……。

 どこか異国のおとぎ話にでも出てきそうな服に、頑丈そうなブーツ。上半身に鈍色にびいろの金属製の鎧を身に着け、年季の入った鋼の長剣を肩にもたれかけさせている。

 違和感がないくらいにそれが似合っているから、余計に変な感じがしてしまうんだよね。

 それはとりあえず胸にしまっておくことにして、あたしはぺこりと頭を下げた。

「あの……ごめんなさい。あたし、取り乱しちゃって……本当はまず、お礼を言わなくちゃいけなかったのに」
「気にしなくていいよ。それより腹減ってない?」
「え? えぇ……」

 言われてみれば、すごくお腹が減っている気がする。あたしは思わず頷いた。

 青年は近くにあった皮袋の中からごそごそと、何かの葉っぱにくるまれたお肉を取り出した。乾燥させてあるらしいそれを軽く火であぶってから、水筒と一緒に渡してくれる。

「こうすると結構いけるんだ」
「あ……ありがとう」
「ま、携帯食だから、たかが知れているけどね」

 葉っぱが香草か何かなのかな。けっこういい匂い。

 あたしはそれをありがたくいただくことにした。

「美味しい……」

 塩味がちょっと効いていて、噛めば噛むほど味が出てくる。

「これ、何のお肉?」
「クリックル」

 へ?

 当たり前のようにそう答えた彼の言葉に、あたしは目が点になった。

 クリックル……?

 頭の中に、思い当たる動物のイメージが浮かんでこない。

「あの……クリックルって?」
「え? 知らない?」

 彼が驚いたように目を見開いたので、あたしはちょっと恥ずかしくなった。

 そんなにポピュラーな動物なの? でも、知らないものは仕方ないもんね。

「うん……」
「へー……クリックルを知らないのか。珍しいなぁ……クリックルってのは、二本足で走る、でっかい空を飛ばない鳥で……くちばしが鋭くとがっている頑丈そうなのなんだけど。背中から首筋にかけて、緩やかに毛が逆立っているのが特徴かな。丈夫で力のある鳥だから、軍隊や荷物運びなんかにも使われているよ」

 へー……前に図鑑で見た、ダチョウとかいう鳥の仲間なのかな。

「この辺は砂漠だろ。馬なんか使えないから、代わりにクリックルに乗って渡る人も多いよ」
「この砂漠は広いの? ここは、小さな洞窟みたいだけど……もう砂漠の入口の辺りなの?」
「この砂漠は周囲を岩山に囲まれているんだ。砂漠を抜けるには、もう半日くらい歩かないとダメかな」
「は、半日……」

 頭がくらくらしてきた。

 どうしよう……また、あの変なバケモノが出て来ないとも限らないし。第一、どう歩いていったら砂漠を抜けられるのか見当もつかない。無事に、たどりつけるだろうか?

 あたしの不安を察したように、青年が話しかけてきた。

「大丈夫。オレが案内してやるよ」
「で、でも。迷惑じゃない?」
「ここで会ったのも何かの縁だろ。気にしなくていいよ。ちょうど仕事が済んで帰るトコだったし、急ぐ旅じゃないからさ。砂漠の一番近くの町まで送ってくよ」
「あ……ありがとう」

 あたしは感動して彼を見つめた。

 何ていい人なんだろう。

「あの……あたしオーロラっていうの。あなたは?」
「オレはアキレウス。ヨロシクな、オーロラ」

 あたしは笑顔で差し出された彼の手をちょっと微笑んで握った。

「こちらこそ、アキレウス」

 お互いの自己紹介が終わった後、アキレウスが遠慮がちに口を開いた。

「でも、オーロラ……何で、あんな所に武器も持たずに一人でいたんだ? 危ないじゃないか」
「あたしだって、好きでいたわけじゃないよ」

 あたしは自分の身の上に突然起こった不幸を、かいつまんで彼に説明した。説明するにつれ、彼の顔がだんだん心配そうになっていくのが分かった。

「言っとくけど、あたしは正常よ。おかしくないからね。本当だよ!?」
「南の国の海辺の町から、砂漠の真ん中まで瞬間移動か……何ていう国から来たんだ?」
「マエラよ」
「マエラ……???」

 ?マークをいっぱいつけたアキレウスの顔に、あたしはとても不安になった。

「マエラよ。マ・エ・ラ! 知っているでしょ? ね、ここは何ていう国なの?」
「……ローズダウン」

 今度はあたしが目を丸くする番だった。

 ロ……ローズダウン??? そんな国、あったっけ……?

 酒場にあった地球儀を、必死で思い出してみる。

 あれを初めて見た時、地球は丸かったんだなって、その中にこれだけの国があるんだって、驚いたっけ。

 ローズダウン、ローズダウン……あったっけ? そんな国。珍しくて、よく見ていたもん。大抵の国の名前は覚えているはず。

 ローズダウン……ローズ……ないよ、そんな国。

 そんな国、ないよ!

 心臓が一回、鼓動を飛ばした。

 いるはずのない生物。存在しない、国。耳慣れない言葉に、風変わりな服装。

「……今の、年号は……ここは、今、何年なの!?」
「え」
「今のこよみを、ここが何年なのかを教えて!」

 アキレウスが絶句しているのが分かった。

「……新暦しんれき546年だよ」
「新……、暦……?」

 呆然として、呟く。

 何、それ!? 西暦1856年じゃないの、今!?

 嘘―――――――!!

 気がおかしくなりそうだった。

「ここ……地球、だよね……?」

 震える声で、言葉を紡ぐ。

「あ、あぁ……」

 地球にいるのは、間違いない。

 ただ、過去か未来か……分からないけど、違う時代にあたしは来てしまったんだ。

 目の前が真っ暗になった。

「オーロラ……」

 呆けたようになってしまったあたしに、アキレウスが心配そうな声をかけてきた。

「大丈夫、か……?」
「……あのバケモノは何なの?」
「……え。あぁ、デザートウルフのことか?」
「デザートウルフ……」
「十頭前後の集団で行動する、砂漠の代表的な魔物モンスターだよ。世界中の砂漠、どこにでもいる」
「あんなバケモノが、当たり前みたいにそこら中にいるっていうの!?」

 突然声を荒げたあたしを、彼は不審そうな目で見やった。

「オーロラの国にだって魔物はいただろ? 魔物のいない国、なんて楽園みたいなトコどこに行ったってないよ」

 その目には、嘘をついている様子はなかった。

「それが当たり前だっていうの? ここは……」
「……何言っているんだ?」

 アキレウスの顔が真剣になった。表情から笑みが消えた。

 あたしの様子がただならぬことに気付いたのだ。

「あたしのいた国には、猛獣はいても魔物はいなかった! あんなバケモノッ……当たり前みたいに剣で殺す人もいなかった!!」
「おい……落ち着けよ」

 あたしは頬を紅潮させ、立ち上がって叫んだ。

「西暦1856年のマエラでは、そんなの当たり前じゃなかった!!」
「おいッ……」
「『新暦』なんて知らない! 魔物も……知らない!!」
「落ち着けって!」

 言うなり、アキレウスはわめきたてるあたしを無理矢理抱きすくめた。

「落ち着け……」

 そう言って、ぽんぽんとあたしの背を優しく叩く。

 その時になって、あたしはまたもや自分が大泣きしていることに気が付いた。

「ひっ……く、うっ……」
「よしよし。大丈夫だから、な……?」

 あーこいつ……。

 耳元に優しいアキレウスの声を聞きながら、あたしはゆっくりと瞳を閉じた。

 あたしのこと、完っ璧に頭の弱い女の子だと思ってる……。

「大丈夫だ。側にいるから……」

 ――――――……。



 後のアキレウス曰く。
 あたしの第一印象は、『泣き出すと手に負えない女の子』だったとか。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

嘘つきと言われた聖女は自国に戻る

七辻ゆゆ
ファンタジー
必要とされなくなってしまったなら、仕方がありません。 民のために選ぶ道はもう、一つしかなかったのです。

聖女の姉が行方不明になりました

蓮沼ナノ
ファンタジー
8年前、姉が聖女の力に目覚め無理矢理王宮に連れて行かれた。取り残された家族は泣きながらも姉の幸せを願っていたが、8年後、王宮から姉が行方不明になったと聞かされる。妹のバリーは姉を探しに王都へと向かうが、王宮では元平民の姉は虐げられていたようで…聖女になった姉と田舎に残された家族の話し。

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

愛されない皇妃~最強の母になります!~

椿蛍
ファンタジー
愛されない皇妃『ユリアナ』 やがて、皇帝に愛される寵妃『クリスティナ』にすべてを奪われる運命にある。 夫も子どもも――そして、皇妃の地位。 最後は嫉妬に狂いクリスティナを殺そうとした罪によって処刑されてしまう。 けれど、そこからが問題だ。 皇帝一家は人々を虐げ、『悪逆皇帝一家』と呼ばれるようになる。 そして、最後は大魔女に悪い皇帝一家が討伐されて終わるのだけど…… 皇帝一家を倒した大魔女。 大魔女の私が、皇妃になるなんて、どういうこと!? ※表紙は作成者様からお借りしてます。 ※他サイト様に掲載しております。

元聖女だった少女は我が道を往く

春の小径
ファンタジー
突然入ってきた王子や取り巻きたちに聖室を荒らされた。 彼らは先代聖女様の棺を蹴り倒し、聖石まで蹴り倒した。 「聖女は必要がない」と言われた新たな聖女になるはずだったわたし。 その言葉は取り返しのつかない事態を招く。 でも、もうわたしには関係ない。 だって神に見捨てられたこの世界に聖女は二度と現れない。 わたしが聖女となることもない。 ─── それは誓約だったから ☆これは聖女物ではありません ☆他社でも公開はじめました

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

処理中です...