病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十二歳㉖

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 フラムアークはそれからも忙しい合間を縫って、度々私の元に足を運んでくれた。

 会える時間は短かったけど、私はその貴重な時間を無駄にしないよう、話さなければならないことや話したいことをまとめておいて、目いっぱいその時間をフル活用した。

 その中の話さなければならないことのひとつに、彼から預かっていた大切なナイフの件があった。

 あのナイフのおかげで私は生還することが出来たけれど、代わりにナイフは根元から折れてしまって、気が付いた時には手元からなくなってしまっていた。

 転落死を免れる為にナイフを活用したことは救出後に行われた聞き取り調査でフラムアークのところへも報告がいっているはずだったけど、私はそれを自分の口から彼に伝えられていなかったから、どうしても直接謝罪しておきたかった。

 だってあれは、フラムアークの生誕を祝して造られた、この世に二つとない特別なナイフなんだもの。

 破損した上に紛失してしまっただなんて、あまりにも申し訳ない。

 彼が何度目かに私の元を訪れた際、そのことを遅まきながら伝えて詫びると、フラムアークは気にしていないというように首を振って、崖下で発見されたというナイフの刀身と、エナさんから受け取ったという折れた柄を見せてくれた。

 高級な布地に大切そうにくるまれていたそれを目にした瞬間、変わり果てたその姿に罪悪感を覚えながらも、ナイフがフラムアークの手に無事に戻っていたことに、私は心の底から安堵した。

 無残な姿にはなってしまったけれど、大切なナイフが彼の手に戻っていて、本当に良かった……!

「ごめん。ちゃんとユーファに伝えていなかったね」

 大きく胸を撫で下ろす私にフラムアークはそう謝罪したけれど、多忙を極める彼の身を思えば仕方のないことだった。会える時間は常に限られているわけだし、その中で話すべき優先事項がいくつもあって、私自身、彼にこの件を申し出るのが遅ればせながらのこのタイミングになってしまったくらいだもの。

「気休めのつもりだったけど、多少強引にでも君にこのナイフを預けておいて良かった。聖なる加護でも、偶然でも、何でもいい。このナイフのおかげで君が助かったことが大事なんだ。オレにとっては名実共に聖なるナイフだ」
「ナイフの加護は本当にあったんだと思います。それに私を案ずる貴方の想いが重なって、この奇跡を起こしてくれたのだと―――そう思っています」

 そう言うとフラムアークの目元が和らいで、優しい笑みが返ってきた。

「一番は何より、君が生きることを諦めずに必死に抗ってくれたおかげだよ。諦めないで頑張ってくれて、ありがとう」

 そんなふうに言われると胸に込み上げてくるものがあって、泣きそうになってしまう。

 あの絶望的な状況で私が諦めずに頑張れたのは、他でもない貴方のおかげなのよ。

「……正直に言うと、あの時一瞬、諦めかけたんです。でも、悲しむ貴方とスレンツェの姿が脳裏に浮かんで―――絶対に死ぬわけにはいかないと思いました。何より貴方にもう一度会いたくて、必死で足掻いたんです」

 フラムアークにもう一度会いたい、ううん、もう一度会わなければ―――その強い想いが生への執念に繋がった。

 私の言葉を神妙な面持ちで聞いていたフラムアークは、おもむろに私の顔を覗き込むと、こう窺った。

「……代わりの物を贈ったら、今度は受け取って身に着けてくれる?」

 彼のインペリアルトパーズの瞳には私の身の安全を心から憂い願う思いと、これまでとは関係も変わった今、今度こそ私に贈り物を受け取ってほしいという気持ちが見て取れた。そして私への配慮を滲ませる控え目な問いかけから、以前私にこのナイフを贈ろうとして丁寧に固辞されてしまった経緯を踏まえ、今度こそはと意気込む気持ちと、攻めきれず二の足を踏む思いが彼の中でせめぎ合っている様子が伝わってきた。

 フラムアークの気持ちは分かるしとても嬉しいのだけれど、身の丈に余るものをもらっても困ってしまう。

「ナイフに代わるお守りの品を、ということですか? でしたら、あまり高価なものでなければ……」

 彼の気持ちを察しながら控え目にそれを伝えると、私に釘を刺されてしまったフラムアークは苦笑した。

「本音を言えば、オレの瞳と同じ色の石を使った宝飾品を君に贈りたいところなんだけど」

 あっ、それ絶対ダメなヤツですね。色んな意味で。

 それに、それはお守りというよりは、害虫除けの意味合いが強いものになるのでは?

 それを婉曲的えんきょくてきな言葉に変換してやんわりダメ出しをすると、フラムアークはあからさまな渋面になってこうぼやいた。

「色々な意味で無理っていうのは分かってるよ……。はぁ、本当にままならないなぁ。好きな相手に贈りたいものを贈ることも出来ないなんて、自分の立場が歯がゆくてならない」
「それは将来の楽しみにとっておきましょう? もちろん私もその時を楽しみにしていますし、今はそのお気持ちだけで充分嬉しいので」

 それは偽りのない本心だった。

 本当に、もう充分すぎるくらい嬉しかったから。

 私を護りたいと願う貴方の気持ちも、自分の印を与えたいと、そうやって独占欲を見せてくれるところも。

 私に素直な気持ちを吐露してくれる貴方の手前、なるべく平静であろうとはしているけれど、幸せ過ぎてふわふわしてしまいそうになるくらい、充分に浮かれているのよ。

 そんな感情が漏れてしまっていたのだろうか。私を見つめるフラムアークの瞳が愛おしさを帯びた。

「ユーファ。―――キスしていい?」

 そう問われて、私は思わず頬を染めた。

 互いの気持ちを改めて確かめ合った後の最初のキスがそうだったせいか、彼は毎回、こうして確認を取ってから私にキスしてくる。

 けど、そうやって確認を取られると、こっちは余計に意識して緊張するし毎回変に身構えてしまうから、私は承諾の意を返しつつ、次回からそれをやめてもらうようお願いした。

「あの、フラムアーク様。そこは確認しなくても大丈夫なので……その場の雰囲気というか、流れで来ていただけると嬉しいです。確認されると、その、恥ずかしいというかいたたまれないというか、何だか逆に落ち着かなくなってしまうので……」

 って、お願いしている時点で充分恥ずかしいんだけど!

 赤くなりながら伏し目がちに訴えると、フラムアークは何故か感動した様子で口元を押さえた。

「……っ! 何だか今、ユーファと本当に両想いになったんだって実感がスゴく湧いた……!」

 ええっ!? 今!?

 驚く私に、彼は口元を覆っていた手を離しながら、きまり悪げにその理由を説明した。

「その……何ていうか、あんまり片想いが長かったから、オレは未だに夢見心地で、毎朝目覚める度に、もしかしたら夢だったんじゃないかって思っちゃったりするんだよね。幸せなんだけどどこかおぼつかなくて、それもあって毎回君の意思を確認してから……って思っちゃって」

 そうか……フラムアークのあの確認は、長い片想いの遍歴でもあったのね。

 本当に、ずっと長く私のことを想ってくれていたんだ……。

 フラムアークの言葉から改めてそれを実感していると、手を伸ばして私の雪色の髪に触れた彼がひどく感慨深げに呟いた。

「これは本当に現実で、夢じゃないんだよね……こうやって指で君の髪を梳いても怒られないし、ハグとは違う抱擁をしても逃げずに受け入れてもらえる……想いが通じ合うって、すごいことだね。あの頃のオレには想像もつかなかった……」

 ゆったりと私の髪を指で梳くフラムアークの整った顔が近付いてきて、私のおでこに彼の額がこつんと合わさった。

「ずっと想い続けていた君が、今では意思を確認せずにキスしていいと言ってくれる。これまで見たことのなかった、女性としての表情も見せてくれる。それが夢じゃないなんて、幸福過ぎてどうにかなりそうだ―――」

 私の髪を緩やかに梳き続ける彼の指先が優しい刺激を頭皮にももたらして、私を夢心地にさせていく。彼のもう一方の手は私の手に重なって、指と指を絡めるように繋ぎ合わせた。

「……キスしていいか確認されるの、そんなに恥ずかしいの?」
「恥、ずかしいですよ……。意識し過ぎて、ぎこちなくなっちゃいますし……」
「オレはいつも、そういうユーファも可愛いなって思いながら見ているんだけど」
「えっ?」
「ドキドキしてくれているのがこっちにも伝わってきて、オレと同じ気持ちでいてくれてるんだなって分かって……」

 髪を梳いていた長い無骨な指が不意に頬を滑り落ちて唇へとたどり着き、予想もしなかった触れ方に思わず小さく肩を揺らすと、そんな私に瞳を細めたフラムアークは、どこか蠱惑的こわくてきな表情になった。

 初めて見るその表情にドッ、と心臓が騒ぎ立て、彼から目が離せないでいると、改めてゆっくりと指先でなぞるように唇の輪郭をたどられて、そこに走った甘い刺激に、私の口からは意図しない吐息が漏れてしまっていた。

「あっ……」

 フラムアークが驚いたように目を瞠るのが分かって、これ以上ないくらい赤くなった私は、反射的に顔ごと彼から視線を逸らすと、茹りそうな羞恥をごまかすように文句を言った。

「ダッ、ダメですよ、急に、あんな触り方……! ビックリするじゃないですか」
「……。うん。ごめん。……。くすぐったかった?」
「く、くすぐったかったですよ。変な声出ちゃったじゃないですか」
「……可愛い声だったけど」

 ぼそっと漏れたフラムアークの呟きに、恥ずかし過ぎて、ぎこちなく動きが止まる。へにゃりと兎耳をしおれさせながら、背けたままの真っ赤な顔をうつむけてしまった私を見やり、彼は自戒するようにこう続けた。

「うん、でも、君のケガが癒えるまでは控える」

 私はそれが聞こえないフリをしたけれど、フラムアークももう大人だもの、どういう声だったのかはやっぱり分かっちゃってるわよね……あ~~~この場から消えてなくなりたい……!

「だから、顔を上げてこっちを見て? ユーファ」
「無理です……!」

 いったいどうやってこの火照り顔を晒せと!? 顔全体が熱すぎて、どうやっても表情が定まらない。

「どうして?」

 どうして、って……! もう、分かっているクセに!

 どこか笑みを含んだ声で小首を傾げる、ちょっと意地悪なフラムアークにますます顔が熱くなるのを覚えながら、私はかぶりを振りつつ言葉を絞り出した。

「ひどい顔に、なっているので……!」
「そう? オレ的には、絶対可愛い顔になってると思うんだけど」

 とんでもないことをのたまいながらこちらを覗き込もうとするフラムアークの気配を感じ、逃れるように顔を隠そうとすれば、彼に片手を恋人繋ぎされたままで距離を取ることが出来ない私は、自然とその胸板に額を押し付けるような格好になった。

「だから顔を上げてほしいな。オレしか見ることの出来ない、ユーファの特別な顔を見せてほしい」

 特別も何も! どうしようもないくらい真っ赤っ赤になった、見せるに堪えない顔なんですが!?

 頑なにフラムアークの胸に額を押し付け続ける私の頭を、繋いでいる方とは別の彼の指が優しくゆったりと往復する。

 そろえて伏せられた兎耳を頭を撫でるついでの要領で甘やかすように撫でられて、心地好さと恥ずかしさでうだりそうになっていると、追い打ちをかけるようにそこに今度は口づけが落とされて、彼の唇が甘く柔く私の兎耳をたどり始めた。

 くすぐったいような感覚に身体が小さく跳ね、甘やかな拷問にも似たその状況にたまりかねた私は思わず、火照り切った顔を勢いよく上げてしまった。

「フ、フラムアーク様っ……!」

 潤んだ瞳で少しにらむように目の前の彼を見やれば、そんな私をこの上なく愛しそうに見つめるインペリアルトパーズの瞳とぶつかって、思わず息を詰める。

 すると、「ああ、やっぱり」と甘やかな声が耳をかすめて、覚えのある体温が私の唇に一瞬だけ重なると、すぐに離れた後、私の心を震わせるあの言葉が、またしても彼の口から解き放たれた。

「可愛い」

 微かに目を見開いた先にフラムアークの極上の笑顔が花開いて、そのまばゆさに私は再び頬を紅潮させながら、残った理性をかき集めるようにして、その言葉と自らを照らし合わせ、面映いようないたたまれないような、何とも言えない気持ちになった。

「やめて下さい、もう可愛いって年じゃありませんから」
「前にも言ったけど、ユーファはいくつになっても可愛いよ。いくつになっても、年を重ねて容姿が変わっても、オレにとっては永遠に可愛い」

 本気でそう思っている顔でふわりと笑まれて、私はもうそこから何も言えなくなってしまう。

 自分の発する「可愛い」という言葉の威力を、この男性ひとは分かっていのかしら……。

 私にとってそれはもう、自分をただの一人の女へと変えてしまう、魔力を持った言葉にも等しくて。

 こちらを甘く見据える橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳に囚われて、繋いだ手から伝わってくる彼の熱に冒されて、心臓がうるさいくらい左胸を叩いて、至近距離で交わる視線の境界が曖昧になって―――再び重なった唇から伝わってくる彼の熱情に、身も心も蕩けさせられていく気がする。

 キスの合間に盲目的に「可愛い」と繰り返して、惜しげもなく「好きだよ」「愛している」と囁かれて、現状で最大限甘やかされて、年齢も立場も身分も種族もない、ユーファというただ一人の女になって、フラムアークという一人の男の腕に抱かれている自分を感じる。

 視線が交わる度、唇が触れ合う度、身体がじわりと熱を帯びて、ほとんど無意識のうちに自分から深いキスを求めてしまいそうになり、慌てて自制しなければならないくらい彼に傾倒してしまっている自分の有り様に驚いた。

 こんな私は、知らない。

 フラムアークと触れ合うようになってからというもの、どうしようもなく理性と感情がバラバラになっている自分を意識せずにはいられなかった。

 さっきはあんなふうに彼に文句をつけておきながら、その傍から、彼の気遣いを無に帰すような行動に出かけてしまうなんて……はしたないにも程がある。

 今はまだ様々な問題が山積していて気を抜くわけにはいかないし、これからより慎重に行動していかなければならないことも、諸々自重すべきことも重々分かっているのに、触れたい欲求、触れられたい欲求が日に日に増して、それを抑え込むのが想像以上に難しかった。

 まさか自分が、こんなふうにフラムアークを求める日がくるなんて―――思いのほか彼に深く絡め取られている自分を意識しながら、私は束の間の幸福で甘やかなひと時に身をゆだねた。
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