病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十二歳㉕

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 迷ったけれど、私は逡巡の末、口を開いた。

「でも、あの、アデリーネ様のことは……?」

 おそるおそる、勇気を振り絞ってその名を口にする。するとフラムアークは私の覚悟とは裏腹の、きょとんとした面持ちになった。

「えっ? アデリーネ?」

 そのあまりの落差に、私の方がビックリしてしまった。

 えっ!? な、何なの? その気が抜けるような反応は!?

 一拍置いて状況を理解したらしいフラムアークは、少し慌てた様子で私にその理由を説明した。

 それを聞いた私は、もう本当に心の底から脱力した。

 アデリーネ様には別に想い人がいて、二人の関係が互いの利害の一致から生まれたカムフラージュだったと分かったからだ。

 ―――いや、そうじゃないかと思ったこともあったわよ? あったけどね?

 アデリーネ様はカムフラージュかもしれない、そんな希望的観測が胸をかすめながらも、フラムアークの気持ちが定かでない私には自信がなかったし、皇帝という道を選ぶ彼には彼女のように名実共にふさわしい相手が必要だという皇侯貴族の実情も分かっていたから、確証は持てなかったし、ずっと不安だった。

 それに何より、アデリーネ様自身が内実共に素晴らしい女性だったから―――フラムアークが年の近い彼女に心から惹かれ、正妻に望むことも充分に有り得ると思って、希望的観測は持つべきじゃないという、諦めに近い気持ちもあった。

 だって、傍から見て二人はとてもお似合いだったし、実際いい雰囲気に見えて、いつしか私はそんな二人の姿を目にすることが辛くなっていたから。

 アデリーネ様が非の打ち所のない方だった分、二人の仲は現実味を増して見えたし、それに二人とも演技とは思えないほど自然体で、仲睦まじく見えた。

「スレンツェは知っていたよ。オレが打ち明けたわけじゃなくて、早々に見破られたんだけど」
「えっ、じゃあ私だけが知らなかったんですか!?」
「いや、スレンツェ以外は誰も知らないよ。というかスレンツェ以外にはバレなかった。オレの申し出を受けてくれたアデリーネに対する責任もあるし、本物らしく見せる必要があったから、周りを信じ込ませる為にも身近なユーファ達にはあえて言わなかった」
「……そうだったんですね」

 ベッドの上にへたり込みそうな勢いの私の顔を覗き込んで、フラムアークは悪戯っぽく笑った。

「オレ的にはアデリーネとそういう仲を演じることで、ユーファが少しでも妬いてくれたら嬉しいなっていう下心もあったんだけど……実感としては沸かなかったんだけど、もしかしたらこっそり妬いてくれていたりした?」

 私は真っ赤になった顔をフラムアークに向けた。

 心から安堵した半面、してやられて悔しいやら恥ずかしいやら、アデリーネ様に申し訳ないやらで、複雑な気持ちでいっぱいになる。

 う~~~、いい年をして、まんまと妬いてしまいましたよ!

 だって、二人とも演技が上手すぎるんだもの!!

 私の入り込む隙間なんてないくらい二人だけの世界に入って、至近距離で見つめ合って、楽しそうに笑い合って、人目も憚らずイチャイチャして!

 今となってはそれも策略だったと分かるけれど、全てが取り越し苦労だと分かった今、ドッと気が抜けて、何だか泣きたくなってきた。

「妬きましたよ……あんなふうに見せつけられて、妬かないわけないじゃないですか。でも、お相手として申し分ない方と一緒にいる貴方に私が口を挟む権利も何もないですし、むしろ祝福して見守らなければならない立場なわけで、大人として、臣下として、表に出さないように、自然に振る舞うように、そう気を回すしかないじゃないですか」
「えっ、本当に妬いてくれてたの? 全然分からなかった」

 頬を紅潮させて身を乗り出してくる彼に、私はうっすら涙ぐみながら少しすねた口調で言った。

「分からないように、頑張っていたんです」
「ユーファ、隠すの上手すぎ……オレは全然妬いてもらえてないと思って密かにずっと寂しかったし、ショックを受けていたのに」
「それこそ全然分かりませんでした。そんな素振り、全く見せなかったじゃないですか」
「はは。お互い様だね。オレも大人になったっていう証拠かな?」
「……きっとそうなんでしょうね。大人になると色々なものが枷になって、ありのままを見せることは難しくなりますから」
「そうだね。でも、こうして見れて良かったよ。赤くなってすねたり涙ぐんだりする等身大のユーファを」

 フラムアークの大きな手が、私の頬に触れた。私はその手に手を重ねて、肌に感じる彼の体温に想いが通じた現実を噛みしめながら、すり、と頬を寄せた。

 ……夢みたい。こんな瞬間が来るなんて……。

 そんな私を見たフラムアークは感慨深そうに言った。

「ありのままの君が見れて、嬉しい」
「……私もです」

 至近距離で互いの目が合って、心臓が期待と緊張の入り混じった音を立てる。

 フラムアークの整った顔がゆっくり近づいてきて、それに応えるように目を閉じかけた瞬間、まさかの確認が入った。

「キスして、いい?」

 そのままの流れでキスされるものと思っていた私は、寸止めされてしまったような状況に赤くなりながら、ぎこちなく頷いた。

「えっ……は、はい」

 改まって確認を取られるの、スゴく恥ずかしい……!

 図らずもこれからキスをするのだということを必要以上に意識させられてしまった私は、心の中で身悶えた。

 至近距離で見つめ合う時間が増えて、頬に触れるフラムアークの無骨な手の感触とか、熱を帯びた彼の視線とか、目を閉じるタイミングとか、もろもろ意識してしまう……!

 彼の目に、今私はどんなふうに映っているんだろう?

 顔、赤くなりすぎていない? 変な汗かいていない? 余裕のなさが漏れてしまってない!?

 まるで年端もいかない少女のように、ドキドキ、ドキドキ、動悸が治まらない。

 耳の奥で反響する自分の心臓の音を聞きながら、私は近付いてくるフラムアークの端整な面差しや意外に長い睫毛なんかを見ていた。そして彼の顔が鼻先に触れるくらいの距離まできた時、堪えきれずに目をつぶった。

 まるで壊れものに触れるように、そっと重なる温かな唇の感触―――その感覚にきゅうっと胸をしならせていると、唇を触れ合わせたまま、彼がしみじみと囁いた。

「……夢みたいだ」

 うっすら目を開けると綺麗なインペリアルトパーズの瞳がこちらを見つめていて、声を返そうとした私の唇を塞ぐように、また彼の唇が合わさった。

 先程より深くしっとりと重なって、彼がキスを繰り返す度、小さく湿った音が室内に立つ。

 私を助ける為に、何の事前準備もなくこちらへやって来ている状況だから、フラムアークからはいつもの控え目な香水の香りはしなかった。彼本来の肌の匂いに包まれながら優しいキスを繰り返されていると、言葉に出来ない幸福感が込み上げてきて、私はくたりと兎耳を伏せながらその幸せに感じ入った。

 さっきまであんなに緊張して恥ずかしかったのが嘘みたいに、ずっとこうしていたい気持ちになっていると、フラムアークがゆっくりと唇を離して、もう少しこのままでいたかった私は、名残惜しい思いに囚われながら目の前の彼を見つめた。

 するとそんな私を見たフラムアークは何かをこらえるような顔になって、懊悩おうのうする若い感性をぶちまけたのだ。

「あーもう、何その顔……! 可愛すぎなんだけど……! 早く思い切りぎゅっとして思う存分キスしたいから、ユーファ、早く良くなって!」

 いっそ清々しいほどのその言いように私は首まで赤くなった。

「はっ、はい。あの、ぎゅっとされるのはあれですけど、その……キスは別に、問題ないのでは?」

 むしろ、私ももう少ししてほしい気分なんだけど……。

 頬を染めて遠回しに自分の気持ちを伝えると、フラムアークは難しい顔になった。

「いや、ユーファの傷に障るといけないし―――」
「……あの、いったいどんなキスをするつもりなんですか?」

 思わず突っ込むと、彼はどこか悪戯っぽい、艶っぽい表情になって、さらりとこう言ってのけたのだ。

「うーん、言うなれば本能にまかせたキス?」
「!」

 全身を朱に染める私を見やったフラムアークは苦笑した。

「片想いが長かったせいもあって、オレさ、今スゴく浮足立っている自覚があるんだ。自分を制御するのは得意な方だと思うんだけど、君が好きすぎて、今は自分を律する自信がないっていうか―――せっかく両想いになれたんだからユーファにずっと触れていたいし、際限なくキスしていたいって気持ちが強過ぎて、歯止めが利かなくなりそうで怖いんだ」

 そう自己分析しながら私の瞳を覗き込んだ彼のインペリアルトパーズの瞳には、私への愛しさが溢れている。

「伝わるかな? それくらい、君のことが好きなんだ」

 言いながら、フラムアークはそっと私のおでこに口づけた。彼の唇はそのまま両の瞼にも下りてきて、優しい口づけを落としていく。

 彼の言葉の端々から、その所作から、私のことをどれだけ大切に愛しんでくれているのか、その思いが伝わってきて、私の胸に熱い衝動をもたらした。

 ―――フラムアーク、私も貴方のことがとても大好きで、言葉に出来ないくらい大切なの。私の気持ち、ちゃんと貴方に伝わっている?

 そろそろ職務に戻らなければならない頃合いなのだろう、腰を浮かせてそのまま離れていこうとする彼の頬に私は手を伸ばして少々強引に引き寄せると、自分から彼に口づけた。

 驚いて小さく身体を揺らすフラムアークに自分の熱情を伝えようと、彼の唇に自分の唇を押し当てて、精一杯のつたないキスをする。

 ―――大好き。貴方のことが、大好きなの。

 そうやって衝動的に自分の気持ちを伝えた後、フラムアークの顔が直視出来ない私は、下目がちに視線を彷徨わせながら口を開いた。

「……伝わりましたか? 私もスゴく、貴方のことが好きなんです」

 言いながら、どうしようもなく顔が熱くなってくる。

 ああ、ものすごく大胆なことをしてしまった!

 でも、どうしても自分の気持ちも同じであることを彼に伝えておきたかった。

「だから……なるべく早く、身体を治すように努力しますから」

 たどたどしく言いながらチラッと視線を上げると、感無量のフラムアークにふんわりと抱き込まれた。

「ああもう、本当に君は……! くそ、離れがたい……!」

 私に頬ずりをして別れを惜しむ彼は、私の兎耳に唇を寄せて熱っぽく告げた。

「愛しているよ―――愛している」

 ちゅ、と小さくリップ音を立てて兎耳にキスを落としたフラムアークが部屋を出て行った後、真っ赤になった私はくったりと兎耳を伏せて、そのままポフンとベッドの上に横たわりながら、冷めやらぬ余韻に一人、顔を覆って身悶えたのだった。
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