病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十二歳㉔

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 フラムアークが時間を調整して私に会いに来てくれたのは、翌日の午後のことだった。

「私はしばらく休憩してくるから、どうぞごゆっくり」

 ファルマが気を利かせて席を外した後、二人きりになった室内で、ベッドに座した私に視線をやったフラムアークは心持ち頬を染めながら、ばつが悪そうに頭を下げた。

「昨日はごめん。ユーファが目を覚ましたって聞いて、あんまり気が急き過ぎて、考えなしにドアを開けちゃって……しかもその後時間の都合がつかなくて、お詫びのひと言も言いに来れなくて」
「そんな……いいんです。確かに昨日のあれにはビックリしましたけれど、そんなふうに駆け付けて下さったことは嬉しかったですし、こうして今日、お会いすることが出来ましたから」

 ひどく忙しいに違いない中、私の為にこうして彼が会いに来てくれたことが何よりも嬉しかった。

「今日もお忙しいんですよね? お時間は大丈夫なんですか?」
「うん、まあ。そう長居はしていられないけど、スレンツェが色々肩代わりしてくれたから」

 スレンツェが……。

 昨日の今日でまだ複雑な胸中でいるに違いない彼の思いやりに、私は心の中で感謝した。

 きっとまだ色々と整理がついていない部分もあるだろうに―――ありがとう……。

 ベッドの上で姿勢を正した私は、これまで言いそびれていたお礼をフラムアークに言った。

「あの、昨日はお伝えする間もなかったので―――改めて……ありがとうございました。あの時フラムアーク様が来て下さらなかったら、私は今頃……」
「考えたくもない」

 フラムアークはかぶりを振って私の言葉を遮った。

「礼を言うのはオレの方だよ。生きていてくれて……ありがとう。それに尽きる。君が無事でいてくれて、本当に良かった」
「フラムアーク様……」
「ファルマやエレオラから順調に回復してきていると報告は受けているけれど、体調はどう? どこか辛いところがあったりはしない?」
「大丈夫です、二人の手厚い看護を受けていますから。フラムアーク様こそ、無理はしていませんか? 激務続きでお疲れでは……」

 私にそう気遣われたフラムアークは苦笑した。

「まったく君は、こんな時まで……」
「これはもう、長年のクセというか性分ですので」

 だって、私は貴方の宮廷薬師だもの。

「ふふ、そうだね……」

 フラムアークは頷いて、口元をほころばせた。

「正直まあまあしんどいし、無理していないと言えば嘘になるけど、今は無理してでもやるべき時だから―――これが終わったらしっかり休むって約束するから、だから、今は見守っててくれる? やるべきことが全部終わったら、ユーファが作ってくれた薬湯を飲んで泥のように眠るよ。だからそれまでユーファもしっかり身体を治しておいてね。大丈夫だよ、ユーファのおかげでオレ、だいぶ強くなったんだから」

 優しい眼差しでそう告げる彼の声には確かな力強さがあって、私は素直にそれを受け止めることが出来た。

 知っているわ―――私が想像していた以上に、肉体的にも精神的にも、貴方はとてもたくましくなった。

 一人の男性として、とても眩しく成長した―――。

「……分かりました。約束ですよ」
「うん」

 柔らかく笑んだフラムアークは少し間を置いて表情を改めると、こう断りを入れて切り出してきた。

「……。誤解がないよう、ちゃんと言っておきたいんだけど―――……」

 知らず、コクリと喉が上下した。

 橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳が真っ直ぐに私のサファイアブルーの瞳を照射して、真剣な彼の表情と改まった雰囲気に、心臓が緊張の音を奏でる。

「あの時君にキスしたのは、その場の空気に流されたからでも、親愛の情からでもない。君のことが一人の女性として好きだから、その気持ちを抑えきれなくなったから、君にキスをしたんだ」

 ハッキリとそう告げられた瞬間、想像以上の喜びが胸に溢れて、瞳の奥が熱くなって、私は形容しがたい歓喜に身体を打ち震わせた。

 フラムアーク……!

「子どもの頃からずっと君のことが好きだった。ずっと一人の女性として見てきたけれど、君がオレのことをそういう対象として見ていないことは知っていたから、どうにか君に男として見てもらえる自分になろうと努力してきたんだ。まずは丈夫になって、なるべく心配かけないようになろうというところから始めて、そこから勉強も武芸も遮二無二頑張った。早く君に釣り合うような大人になりたくて、その想いがオレを突き動かしていたんだ。格好悪いけどなりふり構っていられなくて、これでも必死だった。そのせいで空回りして、君を本気で怒らせちゃったりもしたけれど……」

 フラムアークはそう言ってほろ苦く笑んだ。

 それは―――皇帝から兎耳族の庇護が解かれて、あなたが私を自分の元から遠ざけようとした時のことね。

 フラムアークなりに私を守ろうと頑張って、背伸びして、でもやり方を間違えてしまった。私は私でそんな彼の思いやりに気付きながらも大人げなく怒ってしまって、互いに本音をぶつけ合った。

 今にして思うと、あれがきっかけで私は自分の気持ちにも彼の気持ちにも気が付けたようなものだし、あれは、私達には必要なぶつかり合いだった。

「ユーファも―――そういう意味で、オレのことが好き?」

 伏し目がちにしていた視線を上げて、フラムアークは私の表情を窺った。

「オレを一人の男として……見てくれているの? 君も異性としてのオレのことが好きだって、そう解釈して……いいのかな?」

 どこか自信なさげな彼の問いかけは、長い間片想いを患ってきた片鱗なのだろう。

 さっき、私のことを子どもの頃からずっと好きだったって言ってくれていた。

 子どもの頃のフラムアークを私は当然異性としては見ていなかったから、それが当然の時間を長く過ごしてきた彼にとっては、今のこの状況がにわかには信じ難く、先日のキスをもってしても実感が湧かなくて、自分の感覚を信じ切れずにこうして確かめてきているんだろう。

 何だか、不思議。

 身分もあって、端整な容姿をしていて、能力・人格ともに備わった彼が、私みたいな年上の、一介の兎耳族の薬師の気持ちを気にしているだなんて―――私も彼も恋する気持ちは一緒で、不安に思う気持ちもおんなじなんだなぁっていうことが何だか不思議で、すごく愛おしい。

 愛おしくて、くすぐったくって、ふわふわする。

「……そうですよ。私も一人の男性として、貴方のことが好きなんです」

 面映おもはゆい気持ちでフラムアークの目を見ながらそう伝えると、不安そうだった彼の顔に喜びと驚きが広がった。

「……初めは貴方に対する気持ちを気のせいだと思い込もうとして、見て見ぬふりをしていました。こんな気持ちを抱いてしまうのは、幼い頃から私に全幅の信頼を寄せてくれている貴方に対して不誠実で、その信頼を裏切ることに繋がってしまうんじゃないかって―――。それに、私の想いは貴方に敵対する者達にとって格好の攻撃材料にしかならないと分かっていましたから……本当は一生、貴方に伝えるつもりはありませんでした」

 思い悩んだ日々をそう吐露しながら、私は口元に力ない笑みを刷いた。

「でも、ダメですね……貴方と同じで、あの時、溢れてしまいました。貴方よりずっとずっと長く生きているのに……自分の気持ちを抑えきれなかった」

 感情の爆発。

 制御の利かない情動。

 自分の中にあんなに激しい気持ちが眠っていたなんて、知らなかった。

 フラムアークのこと以外、何も考えられなくなった。

「ユーファ……」

 フラムアークの声でハッと我に返った私は、慌てて言い募った。

「―――あの、でも、分かっていますから。みすみす攻撃材料になるつもりはありませんし、私は貴方の重荷にはなりたくないですから、貴方と想いが通じ合っていたと分かっただけで、その、充分幸せなので―――。だから、これからも変わらず、貴方の一番近くで貴方のお手伝いをさせていただけたら、それで充分なんです。出来ればずっと―――」

 するとフラムアークは何故か不機嫌な面持ちになって、形の良い頬を膨らませた。

「……全っ然分かってない」
「えっ?」
「オレの話も聞かずに勝手に身を引こうとしないでよ。もちろん君の身を危険に晒すつもりはないから、オレと君がそういう関係だってことは当面隠すけど……」

 言いながらフラムアークは額を押さえて、盛大な溜め息をついた。

「あ~~~もう、本当はちゃんと君を守れる立場になってから告白したかったし、これもその時言うつもりだったのに……グリファスのせいで順番ぐちゃぐちゃだ」
「? ? フラムアーク様?」

 戸惑う私の前で自身の金髪をがしがしと乱したフラムアークは、少しふてくされたような面持ちになって私に視線を戻すと、頬を染めてこう言った。

「またしかるべき時に改めて言うけれど……オレはいずれ、君を妻にするから」

 その言葉に私は呼吸を止め、大きく目を見開いて、その意味を反芻はんすうした。

 つま……。 それって……。

 妻にするって……私と結婚する、っていうこと……!?

「フ―――フラムアーク様、あの、お気持ちはとっても嬉しいんですけど、それは」
「うん。現状では難しいというか無理なことだっていうのは分かっているよ、オレも。だからこそオレは皇帝になりたいと思ったんだ」

 えっ―――?

 思わぬ告白に再び大きく目を瞠る私に彼は頬を緩めて、自身の秘密を語った。

「オレが今ここにいる最初のきっかけは、それ。オレはね、子どもの頃からユーファをオレのお嫁さんにしたいと思っていたんだ。でも、子ども心にもそれは無理だっていうのが分かったから―――だからこの国の最高権力者になって、誰も文句を言えない状況にして望みを叶えるしかないと思ったんだ。それがオレが皇帝を目指そうと思った最初のきっかけ。実に子どもらしい理由だろう?」

 フラムアークは可笑おかしそうにそう言ってはにかんだ。

 彼が皇帝になると私達の前で宣言したあの夜、そこを志すきっかけとなったふたつの願いの話を聞いた。彼には子どもの頃からどうしても叶えたい願いがふたつあって、その願いはおそらく皇帝にならなければ叶わないものだと、子ども心にも思えたからだと。

 その時はその願いが何なのか、どんなに尋ねても頑なに教えてくれなくて―――……そのひとつが、これ?

 私をお嫁さんにしたかったから?

 そんなにも昔から、そんなにも本気で、私の気持ちによっては叶うかどうかも分からない願いを胸に、貴方はこの厳しい道を志したの?

 そんなにも、私のことを―――……?

「ユーファは覚えてないかもしれないけど、昔約束したんだよ。ユーファをオレのお姫様にしてあげるって。あの頃はまだお嫁さんって言葉を知らなくて、絵本の中で王子様と結ばれるのがいつもお姫様だったから、お姫様がお嫁さんを意味する言葉なんだと思ってた」

 言われてみれば、おぼろげながらそんなことがあったような気がする。

 病弱でベッドから脱け出せない幼いフラムアークに、私はよく絵本を読んであげていた。宮廷にあった絵本は内容に多少の違いはあれど、王子様とお姫様が登場して、困難を乗り越えた二人が最後は結ばれて幸せに暮らすような話が多かったように思う。

「オレは将来君と結婚して、君を妻にする。堂々と宣言出来るように態勢を整えるまでは、君の安全の為にも伏せておかなければならないし、それまで時間がかかるかもしれないけど―――でもオレはそういう心積もりでいるから、君にもそういう心構えでいてもらえると嬉しい」

 ―――本当に?

 それは、私にとって夢のような、とても喜ばしいことだ。フラムアークの気持ちがそう固まっているならば、それはとても嬉しいことなのだけれど、心の隅に小骨のように刺さっていることがあって、手放しには喜べない―――……。
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