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本編
二十二歳㉑
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スレンツェが私の元を訪れたのは、それから半日ほど経ってからのことだった。
「どうだ? 体調の方は……」
忙しい合間を縫って会いに来てくれたに違いない彼に、私はベッドの上で半身を起こして笑顔を見せた。
「ありがとう、大丈夫よ。エレオラとファルマが手厚く看てくれているから」
スレンツェの顔を見るのはずいぶんと久し振りな気がする。私が行方不明になっている間、彼もひどく私のことを案じてくれていたのだと、私はエレオラから聞いていた。
そんな彼に、私は伝えなければならないことがあった。
それを思うと、ひどく心苦しい。その心苦しさを一旦胸にしまい込んで、私はまず彼に感謝の気持ちを伝えた。
「ありがとう、助けに来てくれて。あなた達のおかげで、こうしてどうにか生還することが出来たわ」
「無事で何よりだ。出来ればオレ自身がお前を助け出したかったんだが……まあ贅沢は言ってられないな。フラムアークが間に合って良かった」
「本当に感謝しかないわ。私、途中でカルロらしき騎馬の人にも助けられているの。彼の顔を見たことがないから、本当にそうかは分からないんだけれど……」
「ああ、それならカルロだ。フランコ達と対峙した時に兎耳族の女性を逃がしたと言っていた。後でそれがユーファだったと知って、手を尽くせず申し訳なかったと詫びていたよ」
あれはやっぱり、カルロだったんだ。
「そんな……あの時は他にどうしようもなかったと思うもの。充分感謝しているわ。出来たら直接お礼を言いたいから、スレンツェ、良かったら後で取り次いでくれない?」
「それは構わないが……」
「ありがとう。ところで、フランコ達はその後どうなったの?」
「カルロが捕えて、今は独立遊軍の監視下にある。奴の供述とカルロ達が持っていた情報、それに独立遊軍の情報を併せて精査した結果、連中の本拠地を割り出すことが出来た。独立遊軍の指揮下、該当領地の協力を得て近日中に掃討作戦が行われる予定だ。これで人身売買組織は壊滅するだろう」
良かった……! これで身勝手な欲望と暴利をむさぼる者の為に、何の落ち度もない人達が理不尽な目に遭うこともなくなるのね。
ホッと胸を撫で下ろしていると、私の頭上にスレンツェの手が下りてきて、雪色の髪を緩やかにかき混ぜた。
「お前が無事で……本当に良かった。この目で確認するまでは、生きた心地がしなかった」
スレンツェ……。
「あの場所から転落したと聞いた時は、正直、最悪の事態が脳裏をよぎった。その後ファルマと共にさらわれたらしいと分かった時には、お前が生きていたと知って安堵する半面、沸き起こる怒りと焦燥でどうにかなりそうだった。お前もオレ達に同行させるべきだったと、どれだけ後悔したか分からない」
「あなたのせいじゃないわ。……まさかあんな形でレムリアに裏切られるなんて、私自身思ってもみなかったもの。想像もしていなかった……」
あの瞬間を思い返す度、言いようのない切なさと苦しさに苛まれる。自然とうつむきがちになる私にスレンツェは腕を伸ばし、労わるように優しく抱きしめてくれた。
抱きしめる、というよりは腕の中にふんわり収めているといった具合の抱擁―――私の傷に障らないよう、触れるか触れないかといった加減で優しく包み込んでくれている。
私を心から気遣う気配が感じられるその行為に、まるで心を抱きしめられているみたいだ、と思った。
スレンツェの温もりと包まれる彼の香りに傷付いた心が癒されていくようで、じわりと目の奥が熱くなる。
ああ、やっぱり私はスレンツェのことが好きなんだなぁ―――難しい理屈を抜きに、そう実感した。
人として、男性として、友人として、共にフラムアークに仕え彼を支える者として、幾多もの困難をくぐり抜け苦楽を共にしてきた―――スレンツェは私にとってかけがえのない盟友であり、特別で何物にも代えがたい存在なのだ。
言うなれば、とても大切な人。それが私にとってのスレンツェなんだ。
そんな彼に対して私が抱いている感情は、限りなく恋愛感情に近いものなのだと思う。けれど、彼が幸せになれるのであれば、その相手が自分でなくても構わない―――そう、素直に思うことが出来た。きっと一抹の寂しさは覚えるだろうけれど、一歩引いた位置から見守って、心からの祝福を贈ることが出来ると、そう感じた。
強く気高く、優しい人。長く孤独な時間を過ごしてきたスレンツェには、誰よりも幸せになってもらいたい。心の底からそう願う。
そこがフラムアークに対する感情とは違った。フラムアークに対してはそんなふうに割り切ることが出来なかったからだ。
報われなくても、分不相応でも、一生彼の傍にいたい。
例えどれほど苦しくても彼の一番近くにいて、その行く末を見届けたい。他の誰にもその場所を譲りたくない。
それが、フラムアークに対する私の気持ち―――。
「……スレンツェ。聞いてほしい話があるの」
意を決して切り出した私の雰囲気に、彼は何か察するものがあったようだった。
「……。まだ本調子ではないだろうに……今、話さないといけないことか?」
ゆっくりと腕を解いてそう確認を取る彼に、私は唇を引き結んで頷いた。
自分の中で答えが出た以上、いつまでもあやふやな状態のまま、彼を縛りつけておくわけにはいかない。
どれほど心苦しくてもキチンとけじめをつけて、彼との関係を新たな未来に向かって進めていかなければ―――。
「……私、フラムアーク様のことが好き」
静かな部屋に絞り出すような自分の声が響くと、重苦しい沈黙が横たわった。
私は怯みそうになる心を奮い立たせて、スレンツェの黒い双眸を真っ直ぐに見つめて伝えた。
「やっと分かったの。自分の気持ち。気付くのが遅くて……答えるまでに時間がかかってしまって、ごめんなさい」
「…………」
スレンツェは無言で私を見つめている。私は下目がちに、とつとつと自分の気持ちを話し始めた。
「始めは……幼い頃から病弱を理由に不遇され続けてきたあの人が、見ていて気の毒で仕方がなかった。小さな手を伸ばして必死に愛情を求めているのに、それを得られないあの人が、可哀想で仕方がなかった。だから、私に出来ることであればどうにか力になってやりたいと思った―――そんな憐憫にも似た心情、それがあの人に対する気持ちの始まりだったの」
家族が誰も訪れてくれない北向きの角部屋で、熱に冒された小さな身体を震わせながら、母親の温もりを求めて、フラムアークはいつも一人泣いていた―――。
「そこにいつから思慕の念が入り混じっていったのか、正直自分でもよく分からない……身分的にも年齢的にも、種族としても隔たりのあるあの人に対してこんな気持ちになるだなんて、自分でも想像だにしていなかったの」
フラムアークの成長を傍らで見守るうち、少しずつ少しずつ自分の内に降り積もっていったもの。それが流れゆく年月の中でゆっくりと形を変えて、いつしか愛しい想いへと転じ、芽吹いていった―――。
「素直で優しくて、寂しがりで甘えたがりで、でも、胸の奥には柔軟で強い芯を持っている子だったわよね。置かれた環境を呪ってそこにとどまるのではなく、進んで自らが変わっていこうとする姿勢にはハッとさせられたし、努力を重ねて少しずつ自分の世界を切り拓いて周囲を変えていく姿には、胸が躍った。周りが次第にあの人を認めていくことが誇らしい半面、不意に沸いたご令嬢達には辟易したし、アデリーネ様の登場には衝撃を受けたわ……」
フラムアークがアデリーネ様に用いた「可愛い」という言葉。大人げなく嫉妬をする自分に愕然として、自己嫌悪に陥った。
「今にして思うと、あの時既に私はあの人を異性として意識し始めていたんだと思う。当時はそういう方向に考えないようにしていたけれど……」
あの時は子離れ出来ていないダメな育ての親、と自分の感情を決めつけようとしていた。
その方が納得出来たし、それ以外の感情は持つこと事態が許されないものと、無意識下で思考を抑え込んでいた。
そういう深層心理も働いて、スレンツェをより男性として意識する方向へと繋がっていったのかもしれない。
「けれど一方であの人に対して不意に胸が騒ぐことが増えていって、それに理由をつけていくことがだんだんと難しくなっていったの」
その度に戸惑ったし、もやもやして苦しかった。
「年齢を重ねていくにつれて頼もしくたくましくなっていく背中が、眩しくて―――その反面、めいっぱい背伸びしたり無理したりしている年相応の姿も知って―――私やあなたの前でだけ見せる素顔、その私達にすら秘めている顔―――色々なあの人を知っていくうちに、いつの間にか臣下としての一線を越えて好きになっている自分を自覚せざるを得なかった―――」
気が付いた時には自分でも驚いたし混乱した。
「そんな感情を抱いていい相手じゃないって、こんな感情を抱くことはあの人の信頼を裏切ることに繋がるんじゃないかって、戸惑いながら、気のせいじゃないかって何度も自問自答を繰り返したし、あなたからも猶予をもらった。
けれど、一度気付いてしまったあの人への想いはどうしても消えなかった―――」
そして「あの時」、この結論にたどり着いた。
「分不相応でも、添い遂げることは叶わなくても、それでも、私はあの人の一番傍にいたい。この立ち位置を誰にも譲りたくない。そう思っている自分に気が付いたの」
そう言い切った私に、スレンツェは静かな声で尋ねた。
「……。それは臣下としてではなく女として、か?」
それに私は苦笑気味に答えた。
「臣下としても、女としてもよ」
それを聞いたスレンツェは大きく息をついて、ゆっくりと肩の力を抜いた。
「……欲張りだな」
「そうね……自分でもビックリするくらい強欲だと思う」
「出来れば、オレに対してもそのくらい強欲になってほしかったのが本音だが」
素直に寂しさを滲ませる落胆混じりの彼の物言いに、私は真剣な面持ちで答えた。
「その点についてなんだけど―――私は、あなたに対しても負けず劣らず強欲だと思うの」
「……?」
私の真意を掴みかねている様子のスレンツェに、私は自分の率直な気持ちを伝えた。
「スレンツェ―――私はあなたとは今まで通り、ううん、出来れば今まで以上に絆を深めていきたいと思っているの。男と女としてではなく、言うなれば盟友として―――あなたの気持ちを断っておきながら勝手極まりない申し出だとは思うけれど、私はあなたとはそういう関係でありたい。あなたの存在は私にとってやっぱり特別で、かけがえのない大切なものなの。上手く言えないけれど、男女の域を超えてなくてはならない存在というか―――他に変えられない存在というか―――だから、あなたにもそう思ってもらえたら嬉しいんだけど……」
我が儘を言っている自覚はある。けれどこれが偽りのない私の本心だった。
「ユーファ……」
「―――ダメ……? やっぱり……勝手すぎるかしら……?」
スレンツェの顔色を窺うと、彼はしばし口をつぐんだ後、その精悍な口元に微苦笑を浮かべた。
「……まいったな。オレは今、かなり落ち込んでいるはずなんだが―――何というか、落ち込み切れなくて、中途半端で複雑な気分を味わっている。生殺しというヤツかな」
溜め息混じりに首を振られて、私は思わず彼に謝った。
「ご、ごめんなさい」
「謝らなくていい。元々お前の気持ちを知っていながら答えを先延ばしにさせていたのはオレなんだ。それに―――あの時言ったろう? どういう結果になろうが、お前が気に病む必要はないと」
「それは……そうだけど……」
「フラムアークに負けたのは正直癪だが」
スレンツェはそう言い置いて私を見やった。
「お前にそういう存在だと感じてもらえているのは、率直に嬉しい。オレの気持ちはまだお前に向いているから、今すぐにそれを切り替えるのは難しいが―――徐々にそうなっていけたなら、とは思う」
「スレンツェ……」
「徐々にだぞ。急には無理だ。とりあえず、しばらくは傷心に浸らせてくれ」
「それは……ええ。ありがとう……ごめんなさい」
「だから、謝らなくていい。オレの為を思うのならこれまで通り普通に接してくれ。しばらくは落ち込んでいるだろうが、表には出さないようにするから気にするな」
「気にするなというのは無理だけど……分かったわ、そうさせてもらう。ありがとう」
スレンツェなりの気遣いに感謝すると、彼は凛々しい目元を和らげてこう言ってくれた。
「想うのに覚悟がいる相手だ。あいつが目指すところやあいつを取り巻いている環境を考えると、お前の想いが形となって実を結ぶまでには時間がかかるかもしれないが、そうと決めたなら辛抱強く想い続けてやってくれ。オレがフラれ損にならないようにな」
スレンツェ……。
「うん……ありがとう、頑張るわ」
私はフラムアークを想い続ける自信も覚悟もあるけれど、やがて彼が皇帝としてこの国に立つことを想像した時、その隣に自分が並び立つことは現実問題としてひどく難しいという認識があった。スレンツェもそれを分かった上でエールを贈ってくれている。
そもそも私はまだ、フラムアークの気持ちを彼の口からハッキリとは聞いていないのよね―――。
彼も多分、私のことを想ってくれているはずだとは思うけれど、アデリーネ様のこともあるし、正直なところ不安要素も問題も山積みだ。
でも、とりあえず今は純粋に、この胸にある彼への気持ちを見つめておこう―――そう思った。
「スレンツェ、改めてこれからも宜しく頼むわ」
「ああ。養生して、早く元気になれ」
スレンツェが突き出してきた拳に、私も自身の拳を軽く合わせた。
ありがとうスレンツェ、私の思いに応えてくれて。
ありがとう、こんな私を好きになってくれて。
ありがとう、私の気持ちが整うまで待っていてくれて。
こんな応え方しか出来なくて、ごめんなさい。
これからはあなたの盟友として恥ずかしくないよう、精進するわ―――。
「どうだ? 体調の方は……」
忙しい合間を縫って会いに来てくれたに違いない彼に、私はベッドの上で半身を起こして笑顔を見せた。
「ありがとう、大丈夫よ。エレオラとファルマが手厚く看てくれているから」
スレンツェの顔を見るのはずいぶんと久し振りな気がする。私が行方不明になっている間、彼もひどく私のことを案じてくれていたのだと、私はエレオラから聞いていた。
そんな彼に、私は伝えなければならないことがあった。
それを思うと、ひどく心苦しい。その心苦しさを一旦胸にしまい込んで、私はまず彼に感謝の気持ちを伝えた。
「ありがとう、助けに来てくれて。あなた達のおかげで、こうしてどうにか生還することが出来たわ」
「無事で何よりだ。出来ればオレ自身がお前を助け出したかったんだが……まあ贅沢は言ってられないな。フラムアークが間に合って良かった」
「本当に感謝しかないわ。私、途中でカルロらしき騎馬の人にも助けられているの。彼の顔を見たことがないから、本当にそうかは分からないんだけれど……」
「ああ、それならカルロだ。フランコ達と対峙した時に兎耳族の女性を逃がしたと言っていた。後でそれがユーファだったと知って、手を尽くせず申し訳なかったと詫びていたよ」
あれはやっぱり、カルロだったんだ。
「そんな……あの時は他にどうしようもなかったと思うもの。充分感謝しているわ。出来たら直接お礼を言いたいから、スレンツェ、良かったら後で取り次いでくれない?」
「それは構わないが……」
「ありがとう。ところで、フランコ達はその後どうなったの?」
「カルロが捕えて、今は独立遊軍の監視下にある。奴の供述とカルロ達が持っていた情報、それに独立遊軍の情報を併せて精査した結果、連中の本拠地を割り出すことが出来た。独立遊軍の指揮下、該当領地の協力を得て近日中に掃討作戦が行われる予定だ。これで人身売買組織は壊滅するだろう」
良かった……! これで身勝手な欲望と暴利をむさぼる者の為に、何の落ち度もない人達が理不尽な目に遭うこともなくなるのね。
ホッと胸を撫で下ろしていると、私の頭上にスレンツェの手が下りてきて、雪色の髪を緩やかにかき混ぜた。
「お前が無事で……本当に良かった。この目で確認するまでは、生きた心地がしなかった」
スレンツェ……。
「あの場所から転落したと聞いた時は、正直、最悪の事態が脳裏をよぎった。その後ファルマと共にさらわれたらしいと分かった時には、お前が生きていたと知って安堵する半面、沸き起こる怒りと焦燥でどうにかなりそうだった。お前もオレ達に同行させるべきだったと、どれだけ後悔したか分からない」
「あなたのせいじゃないわ。……まさかあんな形でレムリアに裏切られるなんて、私自身思ってもみなかったもの。想像もしていなかった……」
あの瞬間を思い返す度、言いようのない切なさと苦しさに苛まれる。自然とうつむきがちになる私にスレンツェは腕を伸ばし、労わるように優しく抱きしめてくれた。
抱きしめる、というよりは腕の中にふんわり収めているといった具合の抱擁―――私の傷に障らないよう、触れるか触れないかといった加減で優しく包み込んでくれている。
私を心から気遣う気配が感じられるその行為に、まるで心を抱きしめられているみたいだ、と思った。
スレンツェの温もりと包まれる彼の香りに傷付いた心が癒されていくようで、じわりと目の奥が熱くなる。
ああ、やっぱり私はスレンツェのことが好きなんだなぁ―――難しい理屈を抜きに、そう実感した。
人として、男性として、友人として、共にフラムアークに仕え彼を支える者として、幾多もの困難をくぐり抜け苦楽を共にしてきた―――スレンツェは私にとってかけがえのない盟友であり、特別で何物にも代えがたい存在なのだ。
言うなれば、とても大切な人。それが私にとってのスレンツェなんだ。
そんな彼に対して私が抱いている感情は、限りなく恋愛感情に近いものなのだと思う。けれど、彼が幸せになれるのであれば、その相手が自分でなくても構わない―――そう、素直に思うことが出来た。きっと一抹の寂しさは覚えるだろうけれど、一歩引いた位置から見守って、心からの祝福を贈ることが出来ると、そう感じた。
強く気高く、優しい人。長く孤独な時間を過ごしてきたスレンツェには、誰よりも幸せになってもらいたい。心の底からそう願う。
そこがフラムアークに対する感情とは違った。フラムアークに対してはそんなふうに割り切ることが出来なかったからだ。
報われなくても、分不相応でも、一生彼の傍にいたい。
例えどれほど苦しくても彼の一番近くにいて、その行く末を見届けたい。他の誰にもその場所を譲りたくない。
それが、フラムアークに対する私の気持ち―――。
「……スレンツェ。聞いてほしい話があるの」
意を決して切り出した私の雰囲気に、彼は何か察するものがあったようだった。
「……。まだ本調子ではないだろうに……今、話さないといけないことか?」
ゆっくりと腕を解いてそう確認を取る彼に、私は唇を引き結んで頷いた。
自分の中で答えが出た以上、いつまでもあやふやな状態のまま、彼を縛りつけておくわけにはいかない。
どれほど心苦しくてもキチンとけじめをつけて、彼との関係を新たな未来に向かって進めていかなければ―――。
「……私、フラムアーク様のことが好き」
静かな部屋に絞り出すような自分の声が響くと、重苦しい沈黙が横たわった。
私は怯みそうになる心を奮い立たせて、スレンツェの黒い双眸を真っ直ぐに見つめて伝えた。
「やっと分かったの。自分の気持ち。気付くのが遅くて……答えるまでに時間がかかってしまって、ごめんなさい」
「…………」
スレンツェは無言で私を見つめている。私は下目がちに、とつとつと自分の気持ちを話し始めた。
「始めは……幼い頃から病弱を理由に不遇され続けてきたあの人が、見ていて気の毒で仕方がなかった。小さな手を伸ばして必死に愛情を求めているのに、それを得られないあの人が、可哀想で仕方がなかった。だから、私に出来ることであればどうにか力になってやりたいと思った―――そんな憐憫にも似た心情、それがあの人に対する気持ちの始まりだったの」
家族が誰も訪れてくれない北向きの角部屋で、熱に冒された小さな身体を震わせながら、母親の温もりを求めて、フラムアークはいつも一人泣いていた―――。
「そこにいつから思慕の念が入り混じっていったのか、正直自分でもよく分からない……身分的にも年齢的にも、種族としても隔たりのあるあの人に対してこんな気持ちになるだなんて、自分でも想像だにしていなかったの」
フラムアークの成長を傍らで見守るうち、少しずつ少しずつ自分の内に降り積もっていったもの。それが流れゆく年月の中でゆっくりと形を変えて、いつしか愛しい想いへと転じ、芽吹いていった―――。
「素直で優しくて、寂しがりで甘えたがりで、でも、胸の奥には柔軟で強い芯を持っている子だったわよね。置かれた環境を呪ってそこにとどまるのではなく、進んで自らが変わっていこうとする姿勢にはハッとさせられたし、努力を重ねて少しずつ自分の世界を切り拓いて周囲を変えていく姿には、胸が躍った。周りが次第にあの人を認めていくことが誇らしい半面、不意に沸いたご令嬢達には辟易したし、アデリーネ様の登場には衝撃を受けたわ……」
フラムアークがアデリーネ様に用いた「可愛い」という言葉。大人げなく嫉妬をする自分に愕然として、自己嫌悪に陥った。
「今にして思うと、あの時既に私はあの人を異性として意識し始めていたんだと思う。当時はそういう方向に考えないようにしていたけれど……」
あの時は子離れ出来ていないダメな育ての親、と自分の感情を決めつけようとしていた。
その方が納得出来たし、それ以外の感情は持つこと事態が許されないものと、無意識下で思考を抑え込んでいた。
そういう深層心理も働いて、スレンツェをより男性として意識する方向へと繋がっていったのかもしれない。
「けれど一方であの人に対して不意に胸が騒ぐことが増えていって、それに理由をつけていくことがだんだんと難しくなっていったの」
その度に戸惑ったし、もやもやして苦しかった。
「年齢を重ねていくにつれて頼もしくたくましくなっていく背中が、眩しくて―――その反面、めいっぱい背伸びしたり無理したりしている年相応の姿も知って―――私やあなたの前でだけ見せる素顔、その私達にすら秘めている顔―――色々なあの人を知っていくうちに、いつの間にか臣下としての一線を越えて好きになっている自分を自覚せざるを得なかった―――」
気が付いた時には自分でも驚いたし混乱した。
「そんな感情を抱いていい相手じゃないって、こんな感情を抱くことはあの人の信頼を裏切ることに繋がるんじゃないかって、戸惑いながら、気のせいじゃないかって何度も自問自答を繰り返したし、あなたからも猶予をもらった。
けれど、一度気付いてしまったあの人への想いはどうしても消えなかった―――」
そして「あの時」、この結論にたどり着いた。
「分不相応でも、添い遂げることは叶わなくても、それでも、私はあの人の一番傍にいたい。この立ち位置を誰にも譲りたくない。そう思っている自分に気が付いたの」
そう言い切った私に、スレンツェは静かな声で尋ねた。
「……。それは臣下としてではなく女として、か?」
それに私は苦笑気味に答えた。
「臣下としても、女としてもよ」
それを聞いたスレンツェは大きく息をついて、ゆっくりと肩の力を抜いた。
「……欲張りだな」
「そうね……自分でもビックリするくらい強欲だと思う」
「出来れば、オレに対してもそのくらい強欲になってほしかったのが本音だが」
素直に寂しさを滲ませる落胆混じりの彼の物言いに、私は真剣な面持ちで答えた。
「その点についてなんだけど―――私は、あなたに対しても負けず劣らず強欲だと思うの」
「……?」
私の真意を掴みかねている様子のスレンツェに、私は自分の率直な気持ちを伝えた。
「スレンツェ―――私はあなたとは今まで通り、ううん、出来れば今まで以上に絆を深めていきたいと思っているの。男と女としてではなく、言うなれば盟友として―――あなたの気持ちを断っておきながら勝手極まりない申し出だとは思うけれど、私はあなたとはそういう関係でありたい。あなたの存在は私にとってやっぱり特別で、かけがえのない大切なものなの。上手く言えないけれど、男女の域を超えてなくてはならない存在というか―――他に変えられない存在というか―――だから、あなたにもそう思ってもらえたら嬉しいんだけど……」
我が儘を言っている自覚はある。けれどこれが偽りのない私の本心だった。
「ユーファ……」
「―――ダメ……? やっぱり……勝手すぎるかしら……?」
スレンツェの顔色を窺うと、彼はしばし口をつぐんだ後、その精悍な口元に微苦笑を浮かべた。
「……まいったな。オレは今、かなり落ち込んでいるはずなんだが―――何というか、落ち込み切れなくて、中途半端で複雑な気分を味わっている。生殺しというヤツかな」
溜め息混じりに首を振られて、私は思わず彼に謝った。
「ご、ごめんなさい」
「謝らなくていい。元々お前の気持ちを知っていながら答えを先延ばしにさせていたのはオレなんだ。それに―――あの時言ったろう? どういう結果になろうが、お前が気に病む必要はないと」
「それは……そうだけど……」
「フラムアークに負けたのは正直癪だが」
スレンツェはそう言い置いて私を見やった。
「お前にそういう存在だと感じてもらえているのは、率直に嬉しい。オレの気持ちはまだお前に向いているから、今すぐにそれを切り替えるのは難しいが―――徐々にそうなっていけたなら、とは思う」
「スレンツェ……」
「徐々にだぞ。急には無理だ。とりあえず、しばらくは傷心に浸らせてくれ」
「それは……ええ。ありがとう……ごめんなさい」
「だから、謝らなくていい。オレの為を思うのならこれまで通り普通に接してくれ。しばらくは落ち込んでいるだろうが、表には出さないようにするから気にするな」
「気にするなというのは無理だけど……分かったわ、そうさせてもらう。ありがとう」
スレンツェなりの気遣いに感謝すると、彼は凛々しい目元を和らげてこう言ってくれた。
「想うのに覚悟がいる相手だ。あいつが目指すところやあいつを取り巻いている環境を考えると、お前の想いが形となって実を結ぶまでには時間がかかるかもしれないが、そうと決めたなら辛抱強く想い続けてやってくれ。オレがフラれ損にならないようにな」
スレンツェ……。
「うん……ありがとう、頑張るわ」
私はフラムアークを想い続ける自信も覚悟もあるけれど、やがて彼が皇帝としてこの国に立つことを想像した時、その隣に自分が並び立つことは現実問題としてひどく難しいという認識があった。スレンツェもそれを分かった上でエールを贈ってくれている。
そもそも私はまだ、フラムアークの気持ちを彼の口からハッキリとは聞いていないのよね―――。
彼も多分、私のことを想ってくれているはずだとは思うけれど、アデリーネ様のこともあるし、正直なところ不安要素も問題も山積みだ。
でも、とりあえず今は純粋に、この胸にある彼への気持ちを見つめておこう―――そう思った。
「スレンツェ、改めてこれからも宜しく頼むわ」
「ああ。養生して、早く元気になれ」
スレンツェが突き出してきた拳に、私も自身の拳を軽く合わせた。
ありがとうスレンツェ、私の思いに応えてくれて。
ありがとう、こんな私を好きになってくれて。
ありがとう、私の気持ちが整うまで待っていてくれて。
こんな応え方しか出来なくて、ごめんなさい。
これからはあなたの盟友として恥ずかしくないよう、精進するわ―――。
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夫には妻が二人いると言われている。
戸籍上の妻と仕事上の妻。
私は彼の姓を名乗り共に暮らす戸籍上の妻だけど、夫の側には常に仕事上の妻と呼ばれる女性副官がいた。
見合い結婚の私とは違い、副官である彼女は付き合いも長く多忙な夫と多くの時間を共有している。その胸に特別な恋情を抱いて。
一方私は新婚であるにも関わらず多忙な夫を支えながら節々で感じる女性副官のマウントと戦っていた。
だけどある時ふと思ってしまったのだ。
妻と揶揄される有能な女性が側にいるのなら、私が妻でなくてもいいのではないかと。
完全ご都合主義、ノーリアリティなお話です。
誤字脱字が罠のように点在します(断言)が、決して嫌がらせではございません(泣)
モヤモヤ案件ものですが、作者は元サヤ(大きな概念で)ハピエン作家です。
アンチ元サヤの方はそっ閉じをオススメいたします。
あとは自己責任でどうぞ♡
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