病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十二歳⑥

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 二~三日で宮廷に戻る予定だったフラムアーク達は、出立して三日目の夜になっても戻ってこなかった。

 今夜は多分もう戻らないわね……帰着は明日以降になるのかしら……。

 調剤室の窓から一人、深まる夏の夜空を見上げた私はそっと息をもらした。

 これまでも予定が急に長引いたり変更になったりすることはあったし、さほど心配することはないと思いつつも、出発前にフラムアークから彼のナイフを預かっていたこともあって、何とはなしに胸が騒いだ。

 一人でいることがどうにも落ち着かない私の足は、自然と保護宮のレムリアの元へと向かっていた。

「ユーファ!」

 遅い時間にもかかわらず明るく出迎えてくれた彼女の笑顔にホッとしながら、フラムアーク達の帰還が遅れていることを伝えて、帰りを待つ者同士、状況も分からずにただ待つ身としては心配だし寂しいよね、という話で大いに盛り上がる。

「今日はこっちに泊まっていくの?」
「うん、そうしようと思って」
「ふふっ。久し振りだねぇ」

 レムリアと話すことで不安がやわらぐのを覚えながら、寝間着に着替えた私は薬師の白衣ローヴをベッドの近くの壁に掛け、枕元にフラムアークのナイフを置いて、久々に自分のベッドへと潜り込んだ。

 布の仕切りの向こうにいるレムリアと「おやすみ」と声をかけ合って、傍らのナイフに一度視線をやってから瞼を閉じる。

 明日の夜にはみんな帰ってきてるかしら?

 早く会って安心したいな―――無事な顔を見て、ああやっぱり杞憂だったわねってホッとしながら、お帰りなさいって言いたい―――……。

 そんなことを思いながら眠りについたせいか、その夜はフラムアークが夢に出てきたような気がする。

 ドアを強く叩く音でその眠りから覚めたのは、まだ夜も明けきらない時間帯だった。

 ―――何……!? こんな時間に……?

 寝ぼけ眼で飛び起きた私同様、仕切りの向こうでレムリアも目覚めた気配がする。手早く着替えて懐にナイフを忍ばせ玄関へと向かうと、寝間着に薄掛けを羽織ったレムリアがひと足先にドアを開けて、訪れた兵士に応対しているところだった。

「……ユーファは、あちらですけど」

 そう言って私を振り返ったレムリアの表情が心なし強張っている。それはきっと私も同じだった。

 だって―――こんな時間にこんなふうに兵士が訪ねてくるなんて、嫌な予感しかしない。

「第四皇子フラムアーク様付きの宮廷薬師ユーファ殿であられますか?」

 確認の口上を取る兵士に、私は緊張を覚えながら頷いた。

「さようですが。何かございましたか?」
「第十三地区駐屯所より火急の報せが届いております。お伝えする為、玄関先に入らせていただいても?」
「はい―――どうぞ」

 ゴクリと息を飲み、中へ招き入れた兵士から伝えられたのは、想像だにしていなかった内容だった。

 バルトロがフラムアークの暗殺を企てて駐屯所帰りの彼を襲撃し、それを阻止しようとした護衛の兵士によって誅殺ちゅうさつされた―――。

 にわかには信じ難い、あまりにも衝撃的すぎる内容に、上手く頭が働かなくなった。

 ―――だって、そんなことが、ある……?

 バルトロが、フラムアークを……?

 それで―――護衛の兵士に、誅殺された……? 死んだ、っていうこと……?

 あのバルトロが……!?

「幸いフラムアーク様はご無事ですが、以上の理由により、宮廷へのご帰還が遅れます。その間ユーファ殿におかれましては―――」
「ウソ……」

 それまで沈黙していたレムリアの口から茫然とした呟きが漏れたのは、その時だった。それはすぐに悲痛な叫びへと置き換わり、続く兵士の言葉を遮った。

「ウソ……ウソよ、ウソウソッ!!」

 レムリア……!

「ウソよ、そんな―――バルトロが、バルトロがそんなことっ……! フラムアーク様を暗殺だなんて、彼がそんなことするワケっ……! ウソよ、彼は絶対にそんなことしないっ! 彼が……バルトロが殺されたなんて、そんなことっ、あたしを置いて死んじゃったなんて―――ウソよ、そんなのあたし、絶対に信じないッ!!」

 顔を真っ赤にしたレムリアは全身をわななかせ、振り絞るような声で絶叫すると、大粒の涙をこぼしながら、兵士の報告に抗うように両の拳を力いっぱい握りしめた。

 レムリア―――……!

 かける言葉の見つからない私を見やった彼女は可愛らしい顔をくしゃくしゃにしながら、頑なに拒絶の言葉を繰り返した。

「そんなのあたし、絶対に信じないッ! 信じないからッ!!」

 泣きながらドアを開け、外へ飛び出していくレムリアに、私は慌てて手を伸ばした。

「レムリア! 待って!!」

 朝と夜が入り混じり始める空の下、傷付いたレムリアの小さな背中はみるみる遠ざかっていく。私は空を切った手を握りしめ、彼女を追って外へ駆け出た。

 まだ途中の報告も残した兵士のことも気になったけれど、今はレムリアが最優先だった。

 あんな状態で、とても放っておけない。

 張り裂けそうな胸の痛みを覚えながら、私は彼女の背を追って必死に駆けた。

 あんな報告を受けて、平静でいられるわけがないんだ。私だって大いに動揺しているし、混乱している。

 レムリアが受けた衝撃はその比じゃなかったはずだ。

 収拾しきれない激情の渦に飲み込まれて、悲嘆から発作的に自分自身を傷付けてしまうような行動に出てしまわないか、それが心配だった。

「レムリア……! レムリア、待って!」

 次第に明るさを帯びていく空の下、いくつもの建物の隙間を縫うようにして、通ったことがないような小径こみちを駆け抜けて、ようやく彼女に追いついたのは、私がこれまで来たことのない古い区画の断崖に面した小さな空き地だった。

 左右を古い塔に挟まれ廃材置き場のようになっているその空き地の先端には、今は使われていない小さな花壇があって、その先は深い崖になっている。

 転落防止用の柵が巡らせてあるものの、放置されて久しい年月を感じさせるそれは、杭が所々腐食して抜け落ちており、既にその役目を果たしていなかった。

 花壇の手前で足を止めたレムリアは私に背を向けうつむいたまま、時折大きなしゃくりを上げて、こちらを振り返ろうとはしなかった。

「レムリア……」

 私は乱れた呼吸を整えながら、精一杯穏やかな声で彼女に呼びかけた。

「私、ここにいるから……あなたの傍にずっといるから、あなたを一人にしたりしないから。あなたが落ち着くまでずっとここで待っているから、だから、少し落ち着いたら一緒に戻ろう?」
「…………」

 レムリアからの返事はない。私は辺りを見渡しながら彼女に声をかけ続けた。

「宮廷内にこんな場所があるなんて知らなかったな。長い間ここにいるけれど、こんなふうに足を踏み入れたことのない場所、きっと他にもあるんでしょうね」
「…………」
「……何だかちょっと秘密の場所っぽいかも。古い区画だから日中でも人気ひとけがなさそうだし、ここを知っている人自体、もしかしたらあまりいないのかもしれないわね」
「……。ここ……」

 背を向けたままのレムリアから初めてかすれた声が漏れた。

「ん?」

 兎耳をピンと立てた私は、彼女の声を聞きもらすまいと聴覚を研ぎ澄ました。

「ここで……バルトロとよく会っていたの……」
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