病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十二歳③

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 厚みを増した灰色の雲の隙間から覗く日が傾き始めた頃、クランの父親の案内でくだんの廃屋へとたどり着いたスレンツェとエレオラは、物陰から遠目にその様子を窺っていた。

 草木に囲まれて苔生こけむし、風景と同化してしまいそうな古ぼけた廃屋に今のところ人の出入りはなく、窓からも人影は視認出来ない。しばらく周辺の様子を探った後、二人は人気がないのを確かめてから建物内へと足を踏み入れた。

 傾いたドアが軋んだ音を立てながら開いた先、雲に遮られた弱い西日が差し込んだ室内にはやはり人の姿はなく、不自然なくらいガランとして、物ひとつ見当たらない。長い間放置され張り巡らされた蜘蛛の巣と腐食して傷んだ床や壁だけが目に付き、不気味な静寂を漂わせていた。

「こ、これは……? どうなってるんだ? もぬけの殻じゃないか。確かにここに野盗達が住みついたと聞いていたのに」

 困惑の声を上げるクランの父親を尻目に室内を見て回ったスレンツェとエレオラは視線を交わし合った。

「……スレンツェ様、これは」
「ああ。どうやら逃げられたな。最近まで間違いなく人はいたようだが」

 天井には埃が積もり、建物自体の傷みと張り巡らされた蜘蛛の巣の装飾も相まって、一見するとしばらく人の出入りがないように映るが、床には不自然に埃が積もっておらず、埃だらけの窓枠とは裏腹に窓の表面には拭いた形跡があり、室内から外の様子を窺っていた痕跡があった。

 野盗かどうかは分からないが、これらの状況は直近までこの廃屋にいた何者かが意図的に無人であったかのように装い、この空間から消え失せたことを物語っていた。

「どうあっても足跡は残したくなかったようだな。立つ鳥跡を濁さず、と言うが、こんなに不自然な痕跡を残してまで」
「このタイミングで訪れた私達にはその不自然さが分かりますが、役人や駐屯所の兵が確認に来るまで日数がかかれば、それも曖昧になってしまうかもしれませんね」
「それも狙いだろうな。こちらはその工作のおかげでどの程度の人数がここにいたのかも分からないし、伸び放題の雑草に覆われた建物周辺の足跡をのんびり数えている暇もなさそうだ。まもなく日は暮れ、雨が降れば外の足跡は消える……あたかもこの廃屋はずっと無人のままで野盗などいなかったと、そう主張するかのような撤収の仕方……手際が良過ぎるしタイミング的に嫌な予感しかしないな。一度クランの家まで戻って皆と合流しよう」
「はい」

 厳しい表情で頷いたエレオラはスレンツェにある疑念を投げかけた。

「私達が遭遇した男達は、もしや始めから―――」
「可能性はある。第四皇子一行と知った上で、オレ達が通るタイミングを見計らって犯行に及んだのかもしれない。フラムアークの性格上、見過ごすことなど出来はしないからな。ましてや帝国内で問題になっている案件と関連を匂わせるような内容であれば、あいつが次にどう動くかは予測しやすい」
の者に連なる者の仕業でしょうか?」

 エレオラの指す「彼の者」とは無論第三皇子フェルナンドのことである。

「そうでないことを願いたいが―――とりあえず、現状はまんまと分断させられた格好だ」
「ではクラン達は―――」

 声を潜めるエレオラをスレンツェは視線で制した。

「表情や言動に不自然な点は見られなかったが、現時点では何とも言えない。もう少し情報が集まるまで注意を怠らないように警戒してくれ」
「承知しました」

 廃屋を検分し終え、入口で待っていたクランの父親と共に急いで皆の待つ家へ取って返したスレンツェ達は、そこで思わぬ光景を目撃することとなる。

 そこで彼らを待ち受けていたのは、テーブルを囲むようにして倒れている待機組の面々と家主の母娘の姿だったのだ。

「……!」

 テーブルに突っ伏している者、椅子に寄りかかるようにしている者、床に転がっている者―――テーブルの上には茶菓子と茶器が散乱してカップの中身がこぼれており、振る舞われたお茶に何かが混入されていたと推察される状況だった。

「―――ク、クラン! マチルダ! いったい何が……!?」

 青ざめたクランの父親が娘と妻に駆け寄り、スレンツェとエレオラも急いで倒れている仲間達の様子を確かめる。

「……皆、眠っているだけのようです。どうやら飲み物の中に睡眠剤が入っていたようですね」

 ひと通り皆の様子を見て回ったエレオラは、とりあえず毒物ではなかったことに安堵の息をもらしたが、それを聞いたクランの父親は色を失くした。

「わ、私の妻と娘は、人様に薬を盛るような人間ではありません……!」
「ええ、分かっています。大丈夫ですよ。薬を入れた張本人なら、それを飲んだりはしませんものね」

 実際は偽装の為に飲むこともあり得るだろうが、エレオラはそんな素振りを一切見せず、動揺する父親を安心させるように大きく頷いてみせた。何よりこの時、彼女にはそれ以上に気掛かりなことがあったのだ。

 そして、それはスレンツェも同様だった。

「エレオラ。この場をお前に任せてもいいだろうか」

 そう問われ、瞬時に彼の意図を察した彼女は、迷わず胸に手を当ててその役を引き受けた。

「お任せ下さい。どうぞこちらのことはお気になさらず、お気を付けて」
「すまない、宜しく頼む。……お前も充分に気を付けろ」
「はい」

 言わずとも通ずる聡明なエレオラにスレンツェは感謝とわずかな憂慮の入り混じった眼差しを向けて、きびすを返した。

 わけが分からない様子のクランの父親にそれとなくフォローの言葉をかけながら、エレオラはスレンツェが自分を信頼してこの場を任せてくれたことを誇りに思い、足早に遠ざかっていく彼の背中を見送った。

 いつかは彼がこちらの身を案じずとも、安心して背中を預けられる存在になりたい。その為にも今はクラン達の動向に注意しつつ、この場を守り切り、彼が目の前のことだけに集中出来るように努める。

 スレンツェの信頼に応えられるよう全力を尽くす―――それがエレオラの役目であり、存在する意義であり、彼女自身の望むところでもあるのだ―――。
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