病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十二歳①

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「近頃、帝国内で女性や子どもがかどわかされる事件が相次いでいるらしい」

 こんな物騒な話が持ち上がったのは、フラムアークが二十二歳の夏の盛りのことだった。

「どうも新手の人身売買のルートが出来ているみたいなんだ。当初は地方の寒村とか、比較的人口の少ない貧しい地域で発生していたのが、最近では都市部でも確認されるなど被害が増えてきているらしくてね。帝都内でも一部の治安の悪い地域でそれと疑われる事例が起きているらしい」

 フラムアークの執務室でスレンツェやエレオラと共に彼からそれを聞いた私は、女性は主に性的搾取、子どもは労働力とする目的で狙われているのだろう、とする帝国上層部の見解に眉をひそめた。

 胸の悪くなる話だわ……人が人を、己の欲望を満たす為の道具とするなんて。

「念の為、ユーファとエレオラも気を付けるようにしてね。特にユーファは気を付けて。亜人の女性は元々人間の女性より高値で取引される傾向にあるって言うし、一昨年皇帝の庇護が解かれたばかりの兎耳族はその希少性も相まって、そういう界隈かいわいで変に価値が上がってしまっているらしいから。さすがに宮廷の方までは奴らの手も及ばないと思うけど、街へ出る時は念の為スレンツェを伴うか、もしくはエレオラと、彼女の他に護衛の者を伴うようにしてほしい。絶対に一人では出掛けないでね。言ってもらえればオレの方で信用出来る人員を手配するから」

 フラムアークの言葉に私は硬い表情で頷いた。

「はい」

 この時期、宮廷内でも年々増加傾向にあるフラムアークの支持層にはある変化が起きていた。

 大きな転機となったのは昨年の皇帝暗殺未遂事件だ。反帝国派の首謀者ブルーノの扇動による領民の大規模蜂起をほとんど犠牲者を出さずに鎮圧し、皇帝暗殺を未然に防いだその功績が認められると、宮廷におけるフラムアークの支持層は急激に拡大した。

 それまでは宮廷従事者にとどまっていた支持層に、中央の貴族達が加わり始めたのだ。権威を重んじる風潮の強い中央の貴族達はこれまでフラムアークを敬遠し距離を置いてきたのだけれど、ここへ来てその傾向が一変した。

 新たにフラムアークの支持に転じたのは、主に皇太子や第二皇子を支持していた層で、第三皇子フェルナンドが次期皇帝候補の筆頭と目される中、彼らに見切りをつけた者達だった。

 この頃には皇太子と第二皇子に重要な職務が任されることはなくなっており、この二人の即位はないとの見方が中央に広がっていて、その権威に明らかな陰りが生じていたのだ。

 その現状に怒り心頭の皇太子は荒れていて、皇太子宮の内状はかなり悲惨なことになっているという噂だった。

 フラムアーク自身はそういった環境の変化に冷静で、あくまで淡々と状況を見据えながら、これまで通り直接関わって信頼関係を築いた人々との繋がりを大切にしていた。

 その中には過去、数々の任務に護衛として一緒に携わってくれた人達もいたから、きっとその中の誰かを私達の護衛としてあてがうことを考えてくれているんだろう。

「かどわかされた被害者達の所在は掴めていないのですか?」

 エレオラの質問にフラムアークは少し難しい表情になった。

「うん……被害者達は多分、一度帝国内のどこかへ集められてからまとめて国外へ移送されていると考えられているんだけど、今のところそういった形跡は掴めていないようなんだ。国の方でもここへ来てようやく本腰を入れて調査に乗り出すといったところで、初動の遅れは否めないな。早いところ対策して、これ以上被害が拡大する前に何とかしないと……」

 そう憂うフラムアークは心配そうな顔になって私を見た。

「やっぱり今度の外出にはユーファも連れて行こうかな? こんな話をしていたら何だか気掛かりになってきた」

 近々所用で二~三日宮廷を留守にする予定の彼は、そう言って傍らのスレンツェに意見を求めた。

「その気持ちは分からないでもないが、十人程度で外を移動する集団に付き添わせるよりは、警備の厳しい宮廷からわざわざ連れ出さない方が危険リスク回避に繋がると思うぞ」
「うーん……普通に考えたらそうだよね……」

 宮廷薬師の私は皇帝の庇護が解かれてから、フラムアークの長期の任務や遠方の任務には同行するようになっていたけれど、そうでない場合は必要な薬を用意して持たせるだけで、基本的には今まで通り留守を預かるようにしていた。

 すっかり丈夫になったフラムアークは健康維持の為に朝晩の薬湯を飲む習慣は続けていたけれど、もう日常的に投薬を必要としていなかったし、何かと忙しい彼宛の言付けが来ることも多くて、窓口代わりの留守番がいた方が色々と都合が良かったからだ。

「もし気掛かりなようでしたら、私が宮廷に残りましょうか」

 エレオラが気を利かせてそう申し出たけれど、フラムアークは首を振った。

「いや、今回は先方に君の顔と名前を覚えてもらう目的もあるからね。……スレンツェの言う通り、ユーファには宮廷ここで留守番をしてもらうのが多分一番安全だな。何と言っても帝国内で一番出入りの厳しい、厳重な警備体制が敷かれている場所だからね……冷静に考えて、人さらい風情が足を踏み入れることは不可能だ」

 自らに言い聞かせるようにそう結論づけた彼は、自分達に同行するエレオラをこう気遣った。

「エレオラのことはオレとスレンツェで責任もって守るからね」
「まあ。贅沢な護衛ですね、身に余る光栄です」

 茶目っ気たっぷりに返す彼女につられて、私も少し頬を緩めた。

「私は大丈夫ですから、しっかりエレオラを守ってあげて下さいね」
「任せて。何もないとは思うけど、ユーファも一応用心しておいてね」

 フラムアークったら、心配性ね。

 私はそう思いながらも彼が心配してくれたことを嬉しく感じていたんだけど、私が思っていた以上に彼はそれを気掛かりに感じていたらしく、その夜、就寝前の薬湯をフラムアークの部屋へ運んでいった私は、彼からあるものを手渡されて、サファイアブルーの双眸を瞬かせることになった。

「これは……?」

 手にずしりとした重みを伝えてくるのは、格調高いカバーに収まったひと振りのナイフのようだ。

「君にお守り代わりに持っていてほしいんだ。前にユーファから香袋をもらったでしょ? その代わりというわけじゃないけど、今度はオレから君にこれを渡しておきたいと思って」
「ですが……これは」

 私はためらいながら、意匠の凝らされた持ち手を引いてカバーからナイフを取り出してみた。研ぎ澄まされた刃に『フラムアーク』の名が刻印されているのが見て取れる。

「皇子は皆、出生時にその生誕を祝したナイフを贈られる慣習があるんだ。何日も神に祈りを捧げて作られた聖なるナイフらしい。ありがたいことにオレにも一応贈られていてね。その加護が悪しき者から君を守ってくれるよう、これはオレからの祈りを込めて」
「そんな……いけません、こんな大切なもの」

 私は驚いて辞退した。

「とても受け取れませんよ、ご自身で大切になさって下さい。私を案じて貴方に何かあったのでは、それこそ目も当てられませんから」

 すると彼は首から掛けた私手製の香袋を懐から取り出して、それをにっこりと示してみせたのだ。

「オレにはもうこれがあるから」
「それとこれとでは比べ物になりませんよ!」

 こんな立派なものと比べられること自体畏れ多くて、憚られるわ!

 恐縮する私に、フラムアークは至極当然のようにこう言った。

「いや、オレ的には同等だよ。だから君にこれを持っていてほしいんだ」
「いえ、あのようないわれのあるもの、とても受け取るわけには」

 困惑する私とは裏腹に、フラムアークはどうあってもこれを受け取ってほしいみたいだった。

「勝手かもしれないけど、そういう謂れのあるものだからこそ君に持っていてほしいんだ。オレのいない間、このナイフに宿った聖なる加護が君を守ってくれるように」
「そう言われましても……。そんなに心配なさらなくても私は大丈夫ですよ、貴方が留守の間、宮廷から出たりしませんから」

 するとそんな私を手強しと見たフラムアークは、どこか芝居がかった大袈裟な調子で私を丸め込みに来た。

「うん……。でもねユーファ、このままだとオレは君が心配で心配で、仕事に身が入らなくなってしまいそうなんだ。業務を円滑に進める為にも、これを受け取ってもらえないかな?」

 憂いを帯びた表情で迫る、橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳に懇願するように見据えられ、言葉に詰まった私は、眉を寄せてフラムアークをねめつけた。

「その言い方はずるいですよ」
「ダメ?」

 うっ……も、もう~!

 悪びれず、小首を傾げて伺いを立ててくる彼に、私はひとつ溜め息をついて妥協案を提示した。

「……では、フラムアーク様が戻られるまで私がこちらをお預かりする、という形ではどうでしょう? それでしたらつつしんで受け取らせていただきます。戻られたらお返しするということで」

 そうでなければこんな大切なもの、とても受け取れないわ。

 私の提案にフラムアークは苦笑して、落としどころを探った。

「うーん、本当なら気持ち良く受け取ってほしいところだけど、この辺りが妥協点かなぁ」
「お気持ちはとってもありがたいんですけど、いくら何でもいただくわけには……物があまりに違い過ぎて、こちらの気が引けてしまいます」

 だって、謂れといい品質といい、あんまりにも差があり過ぎるんだもの!

 フラムアークはちょっと残念そうな雰囲気を醸しつつもここを落としどころとして、私の言い分を聞き入れてくれた。

「そうか、分かった。気など引けなくていいんだけどな、こっちの気持ちを押し付け過ぎてしまっては意味がないから……じゃあ留守にする間だけでいいから、持っていてくれる?」

 私はホッとして頷いた。

「はい。謹んでお預かりさせていただきますね」

 良かったわ、聞き分けてくれて。

「我が儘言ってごめんね。何となく胸が騒いで……ユーファを困らせてしまうのは分かっていたけど、何らかの形で君を守りたいと思ってしまったんだ。そうやって自分が安心したかっただけかもしれないけどね」

 フラムアーク……。

「オレがもっと自由な立場でスレンツェくらいの腕があったら良かったのに。そうしたらユーファの専属護衛になって、いつ如何いかなる時も君を傍で守れたのにな」

 少し寂し気にそんな願望を口にした彼に、私は顔をほころばせた。

「フラムアーク様ったら。宮廷薬師に専属護衛が付くなんて、聞いたことがありませんよ。でも、私を大切に思って下さる貴方の心遣いはとても嬉しいです。エレオラの言葉じゃないですけど、そんなことが実現したなら、とても贅沢な護衛ですね」

 預かったナイフを大切に胸に抱いて、私は彼の気持ちに対する感謝を述べた。

「貴方が戻られるまで、肌身離さず持ち歩きます。ですから心配なさらないで下さい。貴方の想いと聖なる加護が、きっと私を守ってくれますから」
「……うん」

 フラムアークはそんな私を優しい瞳で見つめて、何とも言えない表情を見せた。

 後から考えれば、この時フラムアークが感じていたという胸騒ぎは、いわゆる虫の知らせというやつだったのだろう。

 思いも寄らぬ形でそれをこうむることになってしまうとは、この時の私達は想像だにしていなかったのだ―――。
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