病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十一歳⑯

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「この男が今回の騒動の首謀者で、ブルーノと名乗る者です」

 要人の前に突き出され床に両膝をついたブルーノは青ざめた顔で固く唇を結び、床の一点を見据えていた。

「名乗る……ということは、本名ではないということですかな」

 そう確認を取るロワイア侯爵にフラムアークは頷く。

「ああ。念の為裏付けを進めてはいるが、ほぼ間違いなく偽名だろう。おそらくこの容姿の『ブルーノ』という男は公的には存在しない。ロワイア侯はこの男の容貌に見覚えは?」

 ブルーノの前に進み出てその顔をまじまじと観察したロワイア侯爵は、ややしてから首を振った。

「いえ、ありませんな。そもそも身体つきが武人とは言い難いですし、戦場に立つことを生業としているようには見えません。どちらかというと裏稼業で暗躍しているやからといった印象ですな」
「では、首謀者がアズール王国の名ある軍人の生き残りという可能性は潰せたと捉えて宜しいか?」
「私はそれで問題ないと思うのですが……いかがですかな、フェルナンド様」

 ロワイア侯爵にそう振られたフェルナンドは静かに頷いた。

「侯がそう言うのなら、そのように結論づけて問題ないだろう。しかし―――はなはだ意外だな。かような者の元に八千もの人民が集うとは、私には到底思えないのだが」

 静寂の中に殺意をこごらせたような、ゾッとする眼光に射抜かれ、ブルーノは魂が凍りつくかのような錯覚に見舞われた。

此度こたびのことについて何か申し開きはあるのか、下賤げせんな愚者よ」

 フェルナンドのこの言葉が今回の騒動の首謀者に向けられたものではなく、むざむざフラムアークに捕えられカルロと挿げ替えられてしまった失態について質されているのだと察したブルーノは、脂汗を滴らせながら沈黙を守った。

 ―――何を申し開きしたところで、殺される。

 彼の直接の雇い主はフェルナンドの側近であり、フェルナンド自身と対面するのはこれが初めてだったが、薄暗い稼業を生業なりわいとしてきた彼の本能は明確に生命の危機を告げていた。

 秀麗で柔らかな物腰とは裏腹に、第三皇子が手厳しく容赦のない人物だという評判は耳にしている。任務の失敗は死へと直結する―――本人を目の前にして、それを確信した。

 四面楚歌の只中に置かれたブルーノは、己の命の価値を最も高める手段として沈黙を選択した。

 沈黙は金、雄弁は銀―――自分の存在は両皇子にとって重要な手札となっている可能性がある。余計な発言はせず、状況を慎重に見極めて、情報を自分の命の切り札とするのだ―――。

「この通り黙して語らず、苦慮している次第です」

 そんなブルーノを忌々しげに見下ろし、いかにもそれらしく振る舞うフラムアークを前に、フェルナンドは不快感を露わにした。

「……陛下の御前を汚すつもりはないゆえこの場は手出しを控えるが、せいぜいつけ上がらせぬよう、己の置かれた立場というものを知らしめてやるのだな」
「お任せを。この者の所業を腹に据えかねているのは私も同じですから」

 静かな怒りを滲ませたフラムアークは、一度それを内にしまうと、思い出したようにフェルナンドへ問いかけた。

「ところで、兄上はこの者をご覧になって何か感じるところはありましたか?」

 そう問われたフェルナンドの眼光は自然と険しいものになった。

 ―――どういうつもりだ?

 ブルーノの身柄を押さえたフラムアークが要求する見返りは、カルロ達レジスタンスの助命だろう。

 今回の件をあくまでブルーノに扇動された一般領民による偶発的な蜂起とし、こちらがレジスタンスの存在を秘匿する代わりに、そちらはブルーノの背後関係を追求しない―――これは、そういうことではないのか。

「……いや、特には。先程の侯爵の意見と相違ないな」
「そうですか。やはり、我々の感覚からするとそうですよね」
「……!? どういう意味合いだ?」

 怪しい雲行きに眉をひそめるフェルナンドへフラムアークはこう応じた。

「実は、我々人間の感覚では分からないことなのですが、亜人からするとブルーノからは珍しい匂いがするそうなんです」
「珍しい匂い……?」
「はい。詳しくはこちらのユーファから説明させていただきます」

 フラムアークに答弁を任されたユーファが一礼し、口を開いた。

「ブルーノからはほのかに甘いような独特のすえた匂いがします。この匂いは、鎮痛薬として用いられることもあるオピュームです。人間の嗅覚では無臭のように感じられますが、私共亜人にはハッキリと感じ取れる匂いです。オピュームはケルベリウスという花の未熟果から作られます。鎮痛・鎮静作用があり薬用としても用いられますが、一方で強い依存性をもたらす弊害があり、扱い方を間違えると重大な健康被害をもたらす、いわゆる麻薬の一種です。故に、帝国内では使用目的を薬用に限ったものだけが皇帝陛下の許可を得て一部地域で栽培され、精製されたオピュームは薬師の資格を持つ者にしか扱うことが許されていません」

 それを聞いたフェルナンドは特に感慨を受けた様子もなくこう述べた。

「後ろ暗い世界に身を置いていそうな男のことだ、そういった薬に手を染めていても何ら不思議はないだろう。特段取り上げるような事柄ではないと思うが」

 ユーファはひとつ頷いて説明を続ける。

「この男の素性を考えればそういう意見にもなりましょう。しかし、オピュームは他の麻薬と比べて手に入りにくく、精製されたものは非常に高価です。裏ルートで出回るものは精製前の純度の低いものが主で、そういったものには不純物が多く含まれており、もっと粗悪な匂いがします。ブルーノから香るものとは明らかに匂いが違うのです。そして、純度の高いオピュームが裏で取引されるのは主に上位貴族の間であると言われています。多くの場合、使用目的は精神的快楽を得ることにあるようです。その使用方法は半固形状のオピュームを炙って吸煙するというものが一般的で、人間の嗅覚では煙草とは違い移り香が残らないことから、煙草代わりに愛好する者もいるようです。いずれにしても、ブルーノのような者には手が届かない高級品です。
また、ブルーノは囚われの身となってから約一日が経過していますが、未だ禁断症状のようなものは見受けられません。よって、この匂いはブルーノ自身がオピュームを使用した際に付着したものではなく、ある程度の時間をブルーノと共に過ごした第三者が吸煙していたオピュームの香りが移ったものであると考えられます」
「……」

 フェルナンドは感情の読めない表情で黙している。そんな兄へフラムアークはこう語りかけた。

「宮廷内の情報が何者かによってブルーノへ流れていたことは、疑いようのない事実と言えるでしょう。その人物は違法にオピュームを使用していた可能性が高く、それなりの身分にある者だと考えるのが妥当です。その線から調べればある程度人物像が絞り込めると思うのですが、私は何分中央の貴族達から敬遠されていまして……兄上にご協力いただけると大変ありがたいのですが、いかがでしょう? お願い出来ますか?」

 フェルナンドは短い沈黙を置いて承諾を返した。

「……無論だ」
「そうですか、助かります。参考までに伺いたいのですが、兄上の側近の一人であるグリファスは確かファーランド領の出身でしたよね?」
「……そうだ」

 グリファスはファーランド領主ヴェダ伯爵の三男で、フェルナンドの下で辣腕らつわんを振るう若手の有望株だが、一方で後ろ暗い噂が囁かれる人物でもあった。

「ファーランド領はケルベリウスの栽培が認められている数少ない地域のひとつだったと記憶しています。グリファスにもぜひ、彼のつてを使って協力してもらうよう呼びかけてもらえませんか」
「……いいだろう。そのように計らおう」
「ありがとうございます」

 淡々と応じるフェルナンドへ折り目正しく礼を取ったフラムアークは、ゆっくりと顔を上げ兄の双眸を正面から見据えると、一聞するには不自然でない言葉を用いて、にこやかに宣戦布告した。

「このような所業、決して許すわけにはまいりません。二度とこのようなことが起こらぬよう、全身全霊をもって臨む所存です。兄上もどうぞよしなに」

 意訳すると「今回の件はお前が仕組んだことだと分かっている、こんな汚いやり方をオレは絶対に許さない、二度とこんな真似が出来ないよう全力でお前を制し皇帝の座に就いてみせるから、覚悟しろ」といった内容である。

 橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳が、強い輝きを放ってフェルナンドを射た。隠す気もない敵意を乗せた獰猛どうもうな眼差しを受けたフェルナンドは、正確にその真意を汲み取った。

 敵愾心を覗かせてみせたのは、純粋な策略というわけではなかったようだ。フラムアークは正真正銘、はらの底から激怒していたのだ。

 そして明確な意図をもって、売られたケンカを買ったのだ。

 ―――そんな目が出来るのだな。知らなかったよ。

 初めて目の当たりにする弟の姿にフェルナンドはうっすらと笑みを湛え、フラムアークからの宣戦布告を受け取った。

 ―――だが、気に入らないな。小賢しくもこの兄に楯突いたこと、徹底的に痛めつけて、今日のことを心の底から後悔させてやろう。

 ここで退場していた方が余程マシだったと、そう後悔する未来をお前にくれてやる。

 協調関係を築いているようなやり取りを交わしながら、その実、対立姿勢を鮮明に押し出した息子達の様を、皇帝グレゴリオは感情の窺い知れぬ眼差しでじっと見つめていた。
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