病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十一歳⑧

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 旭日きょくじつが昇る。

 東から白々と明け始める紺碧の空。普段なら目覚めた鳥達のさえずりが聞こえ始める時間帯、朝露に濡れた大地を踏みしめ、イズーリ領へと続くテラハ領の丘陵地帯を物々しい装いでくのは、騎兵と歩兵からなる長い人馬の列だ。

 その先頭で馬の手綱を握る大柄な壮年の男は、かつてアズール王国で騎兵長の役に就いていたカルロである。

 現在は自らが組織したレジスタンス「比類なき双剣アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド」を率いる立場となった彼は、並々ならぬ思いを胸にこの行軍に臨んでいた。

 武人らしい強面には古い傷痕が幾筋も走り、過酷な道を歩んできたであろう彼の人生を窺わせる。四十代半ばを超えてなお筋骨隆々とした肉体にも同様の痕跡が刻まれていることは、想像に難くない。そんなカルロの背後に続く八千の軍勢は、彼が残る人生の全てを捧げ、心血を注いで築き上げた執念の結晶で、彼と志を共にする者達だ。

 目指すはゼルニア大橋―――そこで祖国を踏みにじった怨敵、皇帝グレゴリオを待ち伏せ急襲する。

 この地一帯を我が物顔で蹂躙する大帝国に皇帝の暗殺という形で一矢報い、その混乱に乗じてこの手に光を―――祖国のカリスマにして王家唯一の生き残りであるスレンツェ王子を取り戻すのだ。彼を組織の指導者に据え、帝国に反旗を翻す旗印とする。そして、反帝国の急先鋒として志を同じくする諸勢力と結託し、一大勢力にまとめあげて、憎き帝国を必ずや打ち滅ぼす。

 そして、やがてはスレンツェ王子のもと、アズール王国を再興するのだ……!

 野望に燃えるカルロの瞳が、遠く前方に騎影を捉えた。見間違いではない。丘陵の上に三騎ほど―――ゆっくりと丘を下り、どうやらこちらへと近付いてくるようだ。

 それに気付いた側近がすぐさま望遠筒を用いて対象の確認を取る。

 先行させた斥候せっこうからは、この周辺に特に異常は見られず問題なし、との報告を受けていたはずだが―――どこから湧いてきた?

 眼光鋭く見つめるカルロの傍らで、望遠筒を覗いていた側近が驚きの声を上げた。

「! あれは……! 先頭の一騎は、エレオラです!」
「エレオラだと?」

 カルロは片眉を跳ね上げた。

 エレオラは組織の古参メンバーの一人で、元はアズール王国の中堅貴族だった娘だ。真面目で聡く、スレンツェとの不思議なえにしに恵まれ、組織にとってしばしば貴重な情報をもたらす役割を果たした。カルロにとっても信頼のおける配下だったが、ブルーノの出現によってその関係に齟齬が生じた。実際にスレンツェと接触し行動を共にしたエレオラには、彼の使いを名乗るブルーノがどうしても信用出来なかったらしい。

 再三カルロに今回の作戦を思いとどまるよう忠言をした後、それが受け入れられないと悟ったエレオラは、組織から姿を消した。

 彼女の失踪はカルロに多少の衝撃を与えはしたが、それで彼がこの作戦を思いとどまることはなかった。カルロとて、当初からブルーノを信用したわけではない。様々なことを考慮した上で判断したことなのだ。

 ―――そのエレオラが……?

「残りの二騎は?」

 カルロの問いかけに望遠筒を覗いていた側近が喉を震わせた。

「……っ! 一人は身分の高そうな身なりをした、金髪の若い男です。もう一人は……! 黒髪の黒衣の男で、そ、双剣をたずさえています……! まさか、あれは……!?」
「双剣だと?」

 カルロは馬の足を止め、近付いてくる騎影に目を凝らした。肉眼でも輪郭が捉えられるようになってきた三つの騎馬は、戦意がないことを示すように馬上で両手を上げているように見える。

 やがてカルロ達から五馬身ほどの距離を置いて足を止めた三騎の先頭にいたのは、やはり姿を消したエレオラ本人だった。

 その左右に控える馬上の人物を確認したカルロは、我が目を疑った。

 エレオラの向かって左、白い外衣を纏った身なりの良い金髪の青年は、その容貌の特徴から察するに、おそらく帝国の第四皇子フラムアークだろう。

 そして、右側の今一人―――黒衣に身を包む精悍な顔立ちをした黒目黒髪の青年は、時の流れで記憶の中よりだいぶ男ぶりを増しているが、間違いない―――カルロが全身全霊をかけて救い出したいと願い続けてきた、希望の光―――かつて年端も行かぬ身でありながら近隣諸国に武勇の名を馳せた、アズール王家最後の生き残りにして最大のカリスマ―――……!

「スレンツェ様……!」

 大きく目を瞠り、愕然とその名を呼んだカルロに、相手はかすかに微笑み、幾分渋みを増した声を返した。

「久しいな、カルロ」
「これは……本当に、貴方様なのですか。ど、どうしてかような場所に!? エレオラ! これはいったい―――!?」

 想像だにしなかった事態にさすがに動揺の色を隠せないカルロへ、エレオラは簡潔に答えた。

「カルロ様、ブルーノはやはりスレンツェ様の手の者ではなかったのです。これは、宮廷の陰謀が絡んだ罠です。私はそれを確かめる為にスレンツェ様の元へと飛び、フラムアーク様のご助力を得て、あなたにこの事実をお伝えする為、この地へ参りました。詳しい説明は後ほど致します。どうか今は取り急ぎ、この場からお引き下さい。お願い致します」
「何だと!?」

 目を剥くカルロの前でスレンツェがエレオラの言葉を肯定した。

「本当だ。オレはブルーノという男に覚えがない。クーデターの話も寝耳に水で、エレオラから聞くまで全く知らなかった。そいつの言うことは全部デタラメだ」
「何と……!」

 絶句するカルロに向けて、フラムアークが静かに告げた。

「ブルーノの後ろにはおそらく私の兄がいる。相手の目的は私だ。君達をだしに使ってスレンツェもろとも、目障りな私を失脚させようとしているんだ。君達の行動はあちらに筒抜けで、それを想定した罠が張られているはずだ」
「……!」
「このまま進軍しても得るものは何もない。みすみす組織の者を死なせるだけだ。ここは我々の言葉を信じて、大人しく引いてはくれないだろうか」

 カルロはぎらついた眼差しでフラムアークを見据え、その真意をただすように問いかけた。

「……第四皇子フラムアーク、様―――ですな。あなたは我々が反帝国を掲げるレジスタンスと知りながら、このまま見過ごすと言われるのか。帝国の第四皇子という、その立場にありながら」

 フラムアークは迷わず首肯しゅこうした。

「帝国の第四皇子だからこそ、だ。君達はまだ何も事を起こしていない帝国の民であり、私にとっては守るべきものなのだから」
「は……」

 それを聞いたカルロの口元が凄絶に歪んだ。

「戦争で無理やり自国民にしておいて、何を―――これはまた、ずいぶんとお優しい詭弁ですな。我々はいずれ、あなたに危害を加えることになる民であるやもしれませぬのに」

 多分に皮肉を含んだ物言いだったが、フラムアークは動じなかった。

「ああ。そうかもしれないし、そうでないかもしれないな。未来さきのことなど、誰にも分からない。今はまだそれを決めつけるべき時ではない」
「…………」

 カルロはフラムアークをねめつけるようにしてしばし沈黙した。スレンツェとエレオラに視線をやり、それから再びフラムアークへと視線を戻して、ひび割れた唇をゆっくりと開く。

「……あなたのことは信用出来ないが、スレンツェ様とエレオラは私にとって信ずるに値する人物だ。分かり申した―――ブルーノにまんまと踊らされた己の不甲斐なさを猛省し、この場は引くとしましょう」

 フラムアークはカルロの潔い決断に内心で瞠目した。理知的に状況を捉え、自らの過ちを速やかに認めたその度量は一軍の将に足るものであった。

「カルロ様……!」

 エレオラの顔が喜色に輝く。カルロはそんな彼女へ詫びの言葉を口にした。

「エレオラ。お前の諫言かんげんにもっと耳を傾けるべきだった。すまなかったな」
「いいえ! いいえ……!」

 涙ぐみながらかぶりを振る彼女に、カルロはわずかに瞳を細めて自戒した。

「時間ばかりが過ぎていく現状に、逸りと焦りで私の視野はいつの間にか狭まっていたのやも知れぬな……お前には礼を言わねば。むざむざ敵の計略に嵌まるのを未然に防いでくれただけでなく、こうしてスレンツェ様を我らの元へと導いてくれたこと―――。作戦は敢行前に頓挫とんざとあいなったが、お前のおかげで誰も失わずに、我々にとっての宿願を果たすことが出来たようだ―――長い間待ちかねていた、君主の帰還という大望をな」

 カルロは感慨深げにそう言って、エレオラの右背後に佇むスレンツェへと手を差し伸べた。

「―――さあスレンツェ様、共に参りましょう。我らが故郷、アズールへ」

 疑いなく手を差し出すカルロを前に、スレンツェは苦し気な面持ちになり、自らの決断を伝えた。

「すまない―――カルロ。オレは、行けない」
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