病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十一歳⑥

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 スレンツェにあてがわれた部屋に彼の姿はなかった。

 エレオラとどこかでまだ話をしているのかしら……?

 暗い部屋の小机に淹れたてのハーブティーを置いた私は、彼の姿を探して別荘内を歩き始めた。ほどなくして一階のベランダ付近から話し声が聞こえてくることに気が付いて、そちらへと足を向ける。

 そこにいたのは思った通りスレンツェとエレオラだった。こちらに背を向けた二人は距離を置いてベランダに座り、夜風に当たりながら話をしている。

 ―――邪魔……しない方がいいわよね。

 フラムアークから事情を聞いていた私は、そう考えて足を止めた。

 どうしよう……? スレンツェにひと言気持ちを伝えたいけれど、彼の部屋に勝手に入って待っているのもどうかと思うし……。

 少し離れた壁際から二人の後ろ姿を眺めて逡巡していると、静かな夜の空気に乗って彼らの会話が漏れ聞こえてきた。

「……後悔はしていないのか。お前は今でもカルロのことを尊敬しているんだろう?」
「……。あの方がいなかったら、戦争で天涯孤独となった私は絶望して、自死を選んでしまっていたかもしれません。この先を生きる意味を見出せなかった当時の私を救って下さったのは、間違いなくカルロ様です。あの方が掲げた悲願に縋りつくことで、私は戦後の生を歩んできました。……だから、こうなってしまったことは残念でなりません。ブルーノの話は何かがおかしいという、私の進言を聞き届けてほしかった―――それだけが心残りです」

 うつむいたエレオラの声には無念さが滲んでいた。

「あの時、もう少し言い方を工夫すれば良かったのか……あるいは進言するにしても、もっとタイミングを図るべきだったのか―――どうにかしてこの事態を回避することは出来なかったのか、そういった後悔ならば尽きません。ですが、今ここにいることに対する後悔は全くありません」

 そう言い切ったエレオラの口調に迷いはなかった。

「貴方をかたる第三者にあの方が踊らされることなど、それこそあってよいわけがありませんから。これが私なりに出した結論で、あの方に対する恩義です」

 フラムアークの言った通りだ。エレオラには自らの決断に対する後悔は一片たりともなかった。

「……そうか。分かった」
「カルロ様を説得出来なかったこと、申し訳ありません」
「お前が謝ることじゃない。これはオレの不甲斐なさが招いた結果だ。いまだあの戦争の爪痕に苦しんでいる、お前達のような者を救ってやれなかった」
「スレンツェ様のせいではありません……!」

 エレオラは顔色を変えて訴えた。

「それは違います……! 貴方のせいではなく、私達が……! 私達が生きる為に自分達の願望を勝手に貴方に押し付けて、貴方を利用し続けていたんです……! 貴方はそれを望んでなどいなかったのに、私達がそうしないと生きていけない、弱い人間だったから……! 貴方は私達を救う為に人質として皇帝の元へと下り、最後に残った王族として辛い役目を果たしながら、そうやって独り、私達の生きる道筋を立ててくれていたのに……! なのに、孤独と絶望で押し潰されてしまいそうだった私達は自らの足で立つことが出来ず、また貴方というカリスマに縋ってしまった……!」

 押し殺した悲鳴のような声音。エレオラは自らの胸の辺りを押さえて、深い後悔にうなだれた。

 そんな彼女に向けて、スレンツェは静かに告げる。

「戦争を回避出来なかった責任は王族にある。お前達国民はそれに巻き込まれた、言わば被害者だ―――だがオレは何としてでもカルロを止める、止めなければならない。先の戦争の被害者だったからといって、あいつが新たな火種を起こす加害者になっていいはずはないからだ。あいつにそれをさせてはならない、絶対に。あいつをそういう存在にしてしまってはいけないんだ。これはオレの王族としての責務であり、あいつの忠義に報いる道だと信じている。
……時々考えることがある。もしあの戦争で勝利していたのがアズールだったなら、オレは帝国の皇子であるフラムアークを殺していたんだろうか。帝国の民であるユーファをこの手にかけていたんだろうか。考えても詮無きことだが、それを想像すると空恐ろしくなる。国家という枠に囚われて人を殺すことの愚かしさをまざまざと感じるんだ」

 私は小さな衝撃を受けた。

 そんな話、初めて聞いたわ……。

 知らなかった。スレンツェが、そんな思いを抱いていただなんて……。

 今となっては想像も出来ないことだけど、でも、それは有り得たかもしれない私達の「もしも」だ。

 もしも私達が初めて出会った場所が戦場だったなら。敵対する関係として巡り合っていたなら。そこには、今とはまるで違う残酷な結末が待ち受けていたのかもしれない。

 だとしたら、それは何て恐ろしく悲しいことだろう。

「今となって思うのは、人は等しく人であるということだ。一人一人が誰かにとっての大切な存在であり、誰かにとっての大切な存在になり得る可能性を持っている。そこに国家も身分も人種も関係ない。一部の者のくだらんおごりの為にその可能性が潰されることなど、決してあってはならないんだ」

 スレンツェ……。

「だが、オレもこういう考えに至るまでには長い年月がかかった―――……そのきっかけを与えてくれたのは、エレオラ―――お前の言葉だよ」
「えっ?」

 そんな方向に繋がるとは思ってもいなかったのだろう、エレオラはひどく驚いた様子でスレンツェを見つめ返した。

「五年前アズール城で、お前はためらいがちにオレに声をかけてくれたな。あの当時、オレの胸にはまだ国の再興を期する復讐めいた思いがくすぶっていたんだ……。帝国の手によって建て直された新たなアズール城、以前より立派に生まれ変わった城下の街並を目にして、正直、心穏やかでいられなかった。だが、そんなオレにお前がこう言ってくれたんだ」

 スレンツェがエレオラの方へ向き直り、距離を置いて二人の視線が交わり合った。

「『今は違う国の民となりましたが、かつて貴方の国の民であった時も、私は幸せでした。どうかいつまでもお元気で、ご自愛下さい』と―――。
温かい言葉だった。オレはお前のその言葉でひどく救われた気持ちになったんだ」

 エレオラは感極まった様子で、両手で口元を覆い隠した。

「アズール王国は失われてもそこで暮らした記憶は確かに人々の中に残っていて、何もかも失ったことにはならないのだと、お前の言葉でそう実感することが出来た。その時にようやく、かつての国民達が今は平和に暮らしているのならそれでいいと、オレの役目には意味があったんだと、そう思うことが出来たんだ。あれでようやく気持ちに折り合いがついた―――だが今にして思うと、あの時お前はオレをおもんばかって、無理をしてくれていたんだな。オレは自分の心にかまけるばかりで、それに気付いてやれなかった。すまなかった」
「そんな……」
「オレはあれを契機に物事を前向きに考えられるようになったと思う。だからエレオラ、お前には感謝しているんだ。今回のことも含めて……とても」
「スレンツェ様……」

 エレオラが静かに涙を流す気配が感じられて、それにつられた私も思わず涙ぐんだ。

 良かった……エレオラがスレンツェの口からそれを聞くことが出来て。

 スレンツェが私達以外にもこうして心の内を語れる、信頼を置ける相手を得ることが出来て―――。

 これ以上彼らの話を立ち聞きしてしまうのが忍びなくなった私は、目頭を押さえながらそっとその場を離れた。

 エレオラはスレンツェの良き理解者で、彼女の存在はきっとスレンツェの大きな力になる。彼らを取り巻く状況が厳しいものであることに変わりはないけれど、自分の言葉が彼を救っていたことを知ったエレオラもまた、それによって救われるだろう。

 うん……良かった……。

 二人の話が終わるまでまだ少しかかるだろうから、私の気持ちはメモに残してスレンツェの部屋に置いていこう―――。
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