病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

二十歳⑯

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 私とスレンツェは帝都ここの中心街を見て回るのが正真正銘初めてで、かく言うフラムアークも街を散策した経験は数えるほどという、街歩き超初心者の三人組は、ひとまずメインとなる大通りを歩いてみることになった。

 わあ、スゴい……! 人がたくさんいて賑やか……!

 目の前に広がる賑々にぎにぎしい光景に私は小さく息を飲み、サファイアブルーの瞳を輝かせた。

 石畳で整備された大通りの左右には様々な店が軒を連ね、商人達の威勢のいい声やそれに掛け合う客達の声、どこからか楽器を奏でる音色も流れてきて、雑踏は行き交う人々の活気で溢れている。すれ違う人達の化粧品や香水の香りに入り混じって、肉の焼ける香ばしい匂いや砂糖を焦がしたような甘い香りも漂ってきて、道行く人々の装いの多様さや色彩の鮮やかさ、店先に陳列された商品の品数の多さに目を奪われた。

 さすが、大帝国が誇る帝都の目抜き通り―――アズールの城下町も充分賑やかだと思ったけれど、規模が違う。

 街全体の大きさと華やかさ、流れ込んでくる情報量の多さにただただ圧倒されていると、脇から飛び出してきた子どもにぶつかりそうになって、危ういところをスレンツェに手を引かれ事なきを得た。

「あ、ありがとう」
「人が多い所には思わぬ危険が潜む、気を付けろ」

 彼は黒を基調にした側用人の平服の上からフラムアークのものに似た色素材の外套を羽織っており、私はいつもの白衣ローヴの上から、スレンツェが宮廷内で調達してきてくれた薄い灰色の外套を羽織った格好をしていた。

「昼間はやっぱり人が多いな。はぐれないように気を付けて。スリもいるだろうからその辺りも注意してね」

 フラムアークにそう忠告されて、私は浮かれていた心をハッと引き締め直した。

 スリ! 長い間そういうのに縁のない生活を送っていたから頭になかったけれど、これだけ人がいたら絶対にいるわよね。気を付けなきゃ。

「オレとスレンツェでユーファを挟んでいれば滅多なことはないと思うけれど、念の為手も繋いでおく?」

 はい、とフラムアークに手を差し出され、スレンツェの方からも微妙な気遣いの気配を感じて、二人の真ん中で手を繋がれた自分を想像してしまった私は丁重にお断りした。

「結構です。小さい子じゃないんですから、それはどうかと。悪目立ちしてしまいますよ」

 ただでさえ、背が高く容姿の整ったこの二人と兎耳族の私という組み合わせは人混みの中でも目を引くというのに、間に挟まれた私が彼らと手を繋いでいたりしたら、それこそ余計な注目を集めてしまう。

 だいたい、そもそもの立ち位置がおかしい! いくら街に不慣れとはいえ、私は従者という立場で、しかも一番の年長者なのに! 本来守られるべきはフラムアーク様なんですからね!

「そうか、残念」

 フラムアークは軽く苦笑すると大人しく引き下がった。そんな彼に、私は内心で小さく唇を尖らせる。

 もう……さらっとそういうことを提案するんだから。こうやってもっともらしい理屈をつける以前に、今そんな状況になってしまったら、私の心臓が持たないのよ……。

 私達は連れ立ってひととおり大通りを見て回り、存分に街の雰囲気を堪能した。フラムアークは時折店の人と雑談しながら最近の街の情勢を聞いたり、スレンツェは商品の流通量や街の様子などにそれとなく目を配りつつ周囲の会話にも耳を傾けているようだ。

 彼らにとって街の散策は、息抜きを兼ねた大事な情報収集の場でもあるのね。

 そういうことに向かない私は自分はこの外出を思い切り楽しむ役なのだと割り切って、小難しいことは考えずにこの時間を満喫することにした。

 フラムアークもスレンツェも、三人で外出しているこの状況を特別なものと感じてそれなりに楽しんでいる気配は伝わってきたし、何より私自身、一度くらい帝都の街中を散策してみたいという思いがあったから、それが三人一緒で叶えられて嬉しさもひとしおだった。

 露店で売られている食べ物や飲み物は宮廷内で提供されるものとはまた違って物珍しかったし、それを買って小腹を満たしながら、三人で感想を言い合ったり他愛もない話をすることがまた特別で、新鮮だった。宮廷の独特の雰囲気から解放された穏やかな楽しい時間はきらきらと煌めくようで、こうしていると重苦しい様々なしがらみを忘れられるようだった。

 ああ、こんなふうに雑踏に紛れて羽を伸ばせるのも、全部全部、フラムアークが頑張ってくれたおかげね。

 実感を伴った喜びと感謝の気持ちが胸に込み上げてきて、私は傍らの彼を振り仰ぎ、自分が今感じている素直な気持ちを伝えた。

「フラムアーク様。私今、すごく幸せで満ち足りた気分です」
「えっ?」

 改めてフラムアークにお礼を言いたいと、ずっと思っていた。今なら心からその思いを伝えられる。

「こうしてみんなで外出して、唐突に実感したんです。私は自由になったんだなぁって―――貴方が私に自由を取り戻してくれたんだなぁって。こんなふうに外の風を、街の匂いを感じながら、当たり前のように行きたいところへ自分の足で歩いて行ける。いつもとは違う景色を目にすることが出来る。それが、すごく嬉しいです」

 満面の笑顔で、万感の思いを込めて、私は橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳を見つめた。

「改めて、心から感謝しています。本当にありがとうございました」
「ユーファ……」

 そんな私の様子にフラムアーク的にも感じ入るものがあったらしい。彼は少し言葉を詰まらせながら、はにかんだ笑みを浮かべた。

「うん……君にそう言ってもらえたなら、オレも嬉しい。頑張った甲斐があったよ。良かったらまた街へ一緒に繰り出そう。その時はいつもと違う装いの君を見てみたいな。宮廷薬師としての姿ではなく、一個人としての君の姿を」
「えっ、そんなお見せできるような衣装は持っていませんよ」

 私は大袈裟な身振りで手を横に振ってみせた。

 自前の服より、宮廷薬師の白衣ローヴの方がずっと上等な布地で仕立てられている。自室に置きっぱなしの私服では、とてもフラムアークの隣に並び立てそうになかった。

「オレもそれは少し見てみたい気がするな」

 横合いから口を挟んだスレンツェがそう言って、おもむろに通り沿いの店を示した。

「何なら今日調達していくという手もあるんじゃないか? 資金源は気にせずに」

 彼にぽん、と肩を叩かれてしまったフラムアークは微苦笑を呈した。

清々すがすがしいくらいの財布扱いだな。まあ、オレとしてはユーファが要望してくれるなら、ぜひ贈りたいところだけど」
「ええっ? いえいえそんなの悪いですし、いいですよ」

 慌てて断りを入れる私の背中をスレンツェが押した。

「遠慮しないで、くれるというものはもらっておけ。ぜひ贈りたいと言っているんだ」

 いや、でも、スレンツェが言わせているわよね、それ。

「本当に遠慮しなくていいよ。いつもと違うユーファの姿が見てみたいと要望しているのはオレなんだから」

 うーん……ちょっぴり気が引けるけど、何だかあんまり断るのも悪いみたいだし、ここはフラムアークの厚意に甘えておくのがいいのかしら。

「……じゃあお言葉に甘えて、外出用の服を見立ててもらってもいいですか?」
「もちろん。別にオレの意向を気にすることはないよ。ユーファが気に入ったものを選べばいい」
「でも私、流行りとかよく分からないので……それに自分にどういうものが似合うのか、客観的に見立ててもらえた方がありがたいです」

 どの程度のものを選んでいいのかもよく分からないし、その方が助かるわ。

「そうか。じゃあ、オレとスレンツェで一着ずつ見立てよう」
「おい……」

 フラムアークの提案に、そうくるとは思っていなかったらしいスレンツェが困惑の表情を刻んだ。

「言い出したのはスレンツェだろ」

 この場はフラムアークが制し、私達はちょうど通り沿いにあった高級感ある店構えの服飾店へと足を踏み入れることになった。

 店内にはドレスから夜着まで様々なデザインの衣装が陳列されており、装身具も種類豊富に置かれている。

 こんなお店に入るのが初めてで勝手が分からずきょろきょろしていると、小綺麗な女性店員がやってきた。

「いらっしゃいませ。本日はどういったものをお探しでしょうか?」
「ああ、彼女の外出用の服を見立てたいと思って―――しばらく店内を見させてもらっていいかな? それと、彼女に似合いそうなお勧めのものがあればいくつか見繕ってきてほしい」
「かしこまりました」
「ユーファも店内を見て気に入ったものがあったら遠慮せずに言ってね」
「はい、ありがとうございます」

 とは言ったものの、これは―――たくさんあり過ぎて目移りしちゃうわね。

 店内を眺めやった私は、ほぅ、と感嘆の息を漏らした。

 色彩も鮮やかな綺麗な衣服に囲まれて、場違い感は身に沁みつつも見ているだけで楽しい気分になってくる。久々に女子らしい理由で心が高揚していると、フラムアークが丈の短いワンピースを、スレンツェがデコルテの大きく開いた上衣を手に取っているのが目に入り、私は二人に改めて要望を出した。

「二人とも。露出は極力少ないものでお願いします」

 女性店員がいくつかお勧めを持ってくると、そこから怒涛のような試着ラッシュが始まって、私は服を渡されるがまま、着せ替え人形のように着たり脱いだりを繰り返しながら、二人の前で忙しなくその姿を披露した。

 初めはそんな状況が慣れなくて恥ずかしかったけれど、フラムアークもスレンツェも逐一真剣に見て意見してくれるから、次第に気にならなくなって、後半は自然体で彼らの前に出ることが出来た。

 せっかくこうして二人が見立ててくれるんだから、妥協せず、いいものを選びたいな。

「うらやましいですわ。あんなに素敵な方達からお召し物を贈っていただけるだなんて」

 試着を手伝ってくれていた女性店員がそう言って、私に羨望の眼差しを向けた。

 まさか片方がこの国の皇子で、もう一人も元王族の青年だとは夢にも思っていないんだろうなぁ。意図しなかったこととはいえ、自分でも客観的に見て、かなり贅沢な体験をさせてもらっている自覚はある。

「どちらも素敵な方ですね。無用の口出しとは思いますが、これはどうかお心に留め置いて下さいね。昔から男性が女性にお召し物を贈るのは、それを脱がす為と申しますから。ああでも、あんな素敵な方達だったら私なら大歓迎ですけど」

 えっ……王侯貴族の間では、そんな言い習わしががあるの??

 知らなかった私はビックリしたけれど、でもまさか、フラムアークとスレンツェに限ってそんなことがあるはずがないと思い直した。

 服をプレゼントしてもらうことになったのも話の流れで偶然だし、まさかそんなこと、二人とも考えていないわよね。

 数え切れない試着の末フラムアークが見立ててくれたのは、橙色に近い黄色のミモレ丈の半袖ワンピースだった。柔らかなシフォン素材が使われており程良いドレープが利いていて、開き過ぎていないデコルテ周りには上品なレースが施され、これまたドレープの美しいセンターリボンでウエストマークされている。主張し過ぎない可愛らしさのある品の良いワンピースだ。

 スレンツェが見立ててくれたのは、深い緑色のやはりミモレ丈の五分袖ワンピースで、こちらはスタンドカラーで肩からウエストに向けてVラインのタックが伸び、胴より下の前身頃の中心に大きなスリットが入っているデザインだった。スリットの内側からは明るい黄緑色の細かいプリーツ生地が覗いていて、洗練された大人の印象を与える。

 どちらもミモレ丈に落ち着いたのは、膝上だと私的に短過ぎて抵抗があり、くるぶし丈だといつもの長衣ローヴと変わらないと、男性陣から不評が上がった経緯がある。

「どちらもとても素敵……大事に着ますね、二人ともありがとうございます」

 会計は全てフラムアークが済ませてくれ、彼は私が着替えている合間にスレンツェの分の外出着も購入していた。

「オレは普段と違う装いのスレンツェも見てみたいからね」
「オレの分などいいと言ったのに」
「遠慮しないで、くれるというものはもらっておくべきなんだろう?」

 先程の自分の言葉を引用されてしまったスレンツェは諦めたように息をついて、したり顔のフラムアークから丁重に厚意を受け取った。

「……ありがたく使わせてもらう」

 そんな二人の様子を見て、私も自然と笑顔になった。

 フラムアークのこういうところが私は好きだ。

 決して押しつけがましくなく、分け隔てのない厚意を周りに向けられるところ―――昔から変わらない、彼の長所だ。
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