病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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番外編 第五皇子側用人は見た!

bittersweet4③

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 料理の取り置きは厨房の片隅に置かれていた。

 指示伝達が充分でなかったらしく、担当者は後で帝国の従者が取りに来ることになっていると思っていたらしい。

 平身低頭する相手に気にしないよう言い置いて、ラウルは上機嫌のていで皆のいる客室へと戻ってきた。

「ただいま戻りましたぁー、無事ゲット出来ました!」
「あら、良かったわね、ラウル」

 彼女にそう声を返したのはティーナだった。エドゥアルトは入浴中らしく、彼に付き添っているハンスの姿もない。

 帝国の第五皇子一行に当てがわれた豪華な客室はリビングダイニングと浴室とトイレ、それからリビングから扉続きで繋がっている寝室が四つという構成になっていた。寝室のひとつは貴人用の豪華なもので、残り三つは従者用の簡素な造りになっている。

「ちょっと聞いてよ」

 ここぞとばかりティーナを相手に先程の件を愚痴りながら料理をいただいていていると、バスローブを素肌に纏ったエドゥアルトがハンスと共に戻ってきた。

「エドゥアルト様、若い女性が二人いるんですよー? せめて上掛けを羽織って下さいな」

 そう注文をつけるティーナにエドゥアルトは白んだ眼差しを向けた。

「うら若き乙女というわけでもないだろう。ティーナには傷の手当てやら健診やらでしょっちゅう肌を見せているし、ラウルの前では稽古の合間に服を脱ぐなどザラだ。今更お前らの目を気にする理由がないな」
「まあ、失礼ですね。時と場所をわきまえるのは大事ですよ? あと言葉には気を付けて下さい」
「分かった分かった……もう少ししたら羽織るよ。今は暑くてかなわないんだ、少し目をつぶってくれ」

 面倒臭そうにそう言い置いて、エドゥアルトは格調高いソファーに深く背もたれた。ダイニングテーブルで食事中のラウルに視線をやり、「あったようだな」と声をかける。ラウルから事の次第を聞き、遅い食事を頬張る彼女に向けられるその眼差しの柔らかさに、ティーナは心の中で「あらあら」と呟いた。

 あら~これはやっぱり、もしかするともしかするのかしら……。

 エドゥアルトの傍らに控えるハンスもどうやらそんな主の様子に気が付いているようだ。

 まあ……これはこの件で一度、ハンスとじっくり話をしてみたいものねぇ……。

 内心そわそわするティーナの前でエドゥアルトがそのハンスを振り仰いだ。

「ハンス、お前ももう休んでいいぞ。風呂へ行って来たらどうだ?」

 主にそう勧められたハンスはそれを丁重に辞退した。

「いえ、私はエドゥアルト様が休まれてからいただくことにします」
「真面目だな、お前は。僕がいいと言っているのに」
「性分ですのでお気遣いなく」
「分かった。じゃあティーナ、先に浴室を使ってくれ」
「かしこまりました」

 ティーナが席を外してほどなく食事を終えたラウルは、何となく夜風に当たりたい気分になり、リビングから繋がっているバルコニーへと出た。

 いつもなら満腹になった後は幸せな気分になるのだが、今は何となく胸が塞いでいて、美味しいはずの豪華な料理もさほど美味しく感じられなかったのが残念だった。

 あー、地味にダメージ受けているなぁ……。

 内心で溜め息をつきながら異国の星空を眺めていると、上掛けを羽織ったエドゥアルトが隣にやって来て、手すりに肘をつくラウルに尋ねた。

「何かあったのか」
「えっ?」

 唐突に指摘されて瞬きを返すラウルに、手すりに頬杖をついたエドゥアルトは彼女の顔を斜めに仰ぐようにしながら言った。

「いつもの元気がないじゃないか」

 空元気が、見透かされている。

「いや、そんなことないですよ……」

 一旦は誤魔化そうとしたラウルだったが、こちらを見据えるエドゥアルトの眼差しを見て諦めた。

「……いや、あまり突っ込まないで下さい。個人的なことなので」
「ティーガとかいう男絡みか」
「あの、人の話聞いてます? 突っ込まないで下さいって言いましたよね?」

 ティーガ絡みではあるが、エドゥアルト絡みでもあると言えばある。

 ティーガのことで下手に突っ込まれたくないラウルはこちらから質問を振って話題を変えることにした。

「そういえばエドゥアルト様、ダンスの途中で私のところへ来た用件は何だったんですか?」
「は?」

 エドゥアルトが驚いた顔をしたので、そんな彼の反応にラウルは驚いた。

「え? あれ? 何か用事があったわけじゃないんですか?」
「……。お前のその脳筋は、どうにかしてもう少しほぐれないものなのか」

 げんなりした様子で深々と嘆息され、その言葉の意味を理解しかねたラウルが慌てて記憶を思い返していると、そんな彼女を見てらちが明かないと踏んだのか、エドゥアルトは投げやりな口調で話し始めた。

「用件はあったし、伝えた」

 彼としてはこれ見よがしにティーガを牽制し、これ以上ないくらい分かりやすく言葉と態度で伝えたつもりだったのだ。少なくともティーガには伝わっていたはずだ。

「言っただろう、『お前の一番はこの僕だ、そこをたがえるな』と」

 まさか、これほど露骨なアピールが本人にまるで伝わっていなかったとは。

「……ダンスをしていたらあの男がお前に話しかけるのが見えたから、何の目的があってお前に接近したのか、確かめに行ったんだよ。まかり間違ってこの僕の護衛役を口説きにでも来たのなら、ひと言言ってやろうと」

 半分取って付けた理由を説明すると、疑いなくそれを受け入れたラウルは愕然としていた。

「えっ……そんなことの為に、ダンスを抜け出して来たんですか」

 これが実は、好意を寄せる相手に同族の男が話しかけているところを見て、居ても立ってもいられなくなっただけの衝動的な行動だと知ったら、彼女はどんな反応を見せるだろうか?

「そんなこととは何だ」

 エドゥアルトは眉を跳ね上げると大真面目な顔でラウルに意見を付けた。

「お前は僕が見つけて自らスカウトした、僕の護衛だ。他の者に粉などかけられてたまるか」

 彼としてはまごうことなき一大事だったのだが、一方のラウルにとってそれは衝撃的な理由だった。

 だって、あの場にはそうそうたる顔ぶれがエドゥアルトとのダンスの順番を待っていたはずなのだ。

 なのに、その面々を待たせてまで席を外した理由が、そんな些細なことだなんて。

 無論エドゥアルトのことだからそれで波風が立つことのないように上手く取り成したのだろうが、まさかそんな理由で彼がわざわざ自分の元へやって来ただなんて、ラウルには思いも寄らないことだったのだ。

「―――……」

 その驚きはやがてゆっくりと喜びへと置き換わっていき、気が付くとラウルの口元には柔らかなほころびが広がっていた。

 ―――ああ、そういえばエドゥアルト様は初めから私を「ラウルわたし」として見てくれていたっけな。

 そうだ。この人は最初から人種や性別に関係なく、ただ純粋に剣士としての私の資質を見込んで、自分の元へ来いと熱心に口説いてくれたんだった―――。

 それを思い出した瞬間、先程までの陰鬱な気分が嘘のように晴れていくのをラウルは感じた。

 ラウルが女であることや、人間よりも肉体的に強靭な狼犬族であることを、エドゥアルトは理由にしない。彼にとってラウルはあくまで「ラウル」という一個人なのだ。

 だから何度彼女にやられても腐ることなく、次こそは、という気概を彼は見せる。その繰り返しで、どんどん成長していく。そんな彼を目にしているから、こちらも負けられないという思いがふつふつと込み上げてくる。結果、相乗効果で互いを高め合っていく―――。

「そこまで言ってもらえるなんて、従者冥利に尽きますね……」

 素直な気持ちが言葉になって滑り出た。自然と晴れやかな顔になって、ラウルはエドゥアルトに微笑みかけていた。

「ええ、そうですよ……私は貴方のものです。他の誰のものにもなりませんから、そこは安心して下さい」

 星空の下で不意に花開いたその笑顔にエドゥアルトが目を奪われたことなど夢にも思わず、ラウルはただ彼に自身が必要とされている喜びを噛みしめていた。

 固定概念に染まらず、自分の目で確かめたものを自分の信念に基づいて選び取る、周りからは変わり者だと噂されるこの主に見初められたことはとても幸運なことだったと、彼女は深く感じ入っていたのだ。

 柔らかな夜風が二人の髪をそよがせて、異国の石鹸の香りが入り混じったエドゥアルトの匂いを運んでくる。それを感じたラウルはひどく穏やかな気持ちになった。

 いつもと少し違うけれど、間違いのない彼の匂い。そんなことに何故かホッとする。

 香水の香りに邪魔されていた彼自身の匂いを約一日ぶりに嗅いでそんなふうに感じる自分を少し不思議に思ったが、それをあまり深くは考えなかった。

「そんなに心配しなくても、そもそも需要がありませんから。もう少し可憐な見た目ならともかく、こんないかつい狼犬族の女、そうそう欲しがる人もいませんよ」

 自虐気味に笑うラウルにエドゥアルトは小首を傾げ、異論を唱えた。

「別にいかつくはないだろう。充分整っている部類に入ると思うが」
「うぇ!?」

 思わぬ言葉を返されたラウルは素っ頓狂な声を出してしまった。今更そんなことで動じないエドゥアルトは淡々として、ラウルが恥ずかしくてたまらなくなるような言葉を連発する。

「この機会に自覚しておけ。お前の見目は充分に男の目を引く。静謐せいひつな夜空に輝く月光を紡いだような銀の髪も、それと同じ柔らかな銀毛に覆われた獣耳も、夜明けの空を思わせる青灰色の瞳も、引き締まった均整の取れた肢体も―――」
「ちょちょちょ、な、何で急に褒め殺しを始めるんです!?」

 そういったことに免疫のないラウルは真っ赤になって背筋をぞわぞわさせながら、たまらずエドゥアルトから一歩距離を取った。

「褒め殺し? 思ったことを言っているだけだが」

 余裕の笑みを湛えた相手はすかさず踏み込んで距離をゼロにすると、身体の向きを変えて手すりに両腕をつき、ラウルを自分と手すりとの間に閉じ込めてしまった。

 同じくらいの身長の二人は至近距離で互いの目を見つめ合うような格好になり、ラウルはエドゥアルトの発する馴染みのない雰囲気に気圧されながら、精一杯背中を反らせて彼との距離を取ろうと苦心した。

「ちょっ、エドゥアルト様、近い―――」
「剣を振るうお前をひと目見た瞬間、子ども心にその姿をとても綺麗だと思った。未だに覚えているよ」

 端整な顔に見たことがない種類の表情を浮かべ、エドゥアルトはまるで愛しい者に囁くようにしてそう言った。

「お前は綺麗だ」

 その表情を目にしたラウルの胸に、これまでにない衝撃が走った。

 胸の奥を射抜かれたような、そこがムズムズして叫びだしたくなるような、上手く表現出来ない感覚に飲み込まれ、急激に体温が上がるのを自覚する。

 逃げ場のない空間で、先程まで安心すると感じていたはずの彼の匂いがどこか危ういものへと置き換わり、目の前の相手に初めて異性を感じてしまって、彼女は混乱をきたした。心拍数が跳ね上がり、様々な感情が入り乱れて、今何が起こっているのか、どう対処したら良いのかが分からなくなる。

「……その顔、僕以外には見せるなよ」

 黄玉色の双眸に映る自分の顔は、少女のように頼りなく動揺を露わにしていて、ひどく情けないもののようにラウルには映った。

 そんな彼女をまじまじと見やって、エドゥアルトはどこか困ったように小さく笑う。

「勝手に触れるとお前は怒るから、難しいな。どこまでなら触れていい? どこまでなら触れて許される?」

 とんでもないことを聞かれている! そういったことに耐性のないラウルは完全に受容力の限界を超え、反射的にエドゥアルトの胸を両手で突き飛ばすようにしてしまった。

「どっ、どこもダメですっ!!」

 勢いよく彼を遠ざけようとしたつもりが、滑らかな光沢素材で作られた上掛けに突いた手が変に滑って、その下のバスローブに思いっきり両手を突っこむ形になってしまい、盛大に彼の胸元をくつろげる格好になってしまう。掌に温かく硬い素肌の質感が触れ、夜の闇に晒されたエドゥアルトのあられもない姿を見たラウルは恐慌状態に陥った。

「ぎゃあぁぁぁ! もっ、申し訳ありませんんん!」

 とっさにエドゥアルトがラウルの口を手で塞いだのでベイゼルンの王宮にその声が響くことはなかったのだが、バルコニーの様子を見て見ぬふりをしていたハンスがさすがに事態を静観出来なくなり、意を決して室内から呼びかけた。

「エドゥアルト様、冷えますからそろそろ室内へお戻り下さい」

 その時になってようやくハンスの存在を思い出したラウルは、一部始終を彼に見られていたことを悟り、あまりの恥ずかしさにその場を転げ回りたくなった。

「なかなか大胆なことをしてくれるじゃないか」

 バスローブの乱れを直しながら追い打ちをかけてくるエドゥアルトの声を聞くまいと獣耳を伏せながら、ラウルは恥ずかしさを怒りへと転換させて、精一杯文句を言う。

「さ、さっきのことはすみません、ちょっと手元が狂って……! でも、あれは事故です! エドゥアルト様が妙な真似をするから……!」
「へえ。妙な真似、というのは?」

 からかうようにそう促され、ぐっと詰まると、それを見越していた相手は薄く笑ってこううそぶいた。

「僕はやられっぱなしは性に合わないんでね。そのうち借りは返させてもらうから、覚えていろよ」
「ぎゃあ! か、返さないで下さい! 不可抗力です! 謝りますから~!!」

 そんなことがあったとはつゆ知らず、さっぱりとして浴室から戻ってきたティーナが室内の妙な雰囲気を察し、何だか面白そうなことを見逃してしまったらしいということに気が付いて、こっそりハンスを問い詰めにかかるのは、それからほどなくしてのことである―――。



《完》
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