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本編
二十歳⑫
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―――幸せな夢を見た。
陽春の太陽が中天に差し掛かる頃、カーテン越しにも日の高さを感じる薄明るい寝室で目覚めたフラムアークは、ぼんやりとその片鱗をなぞらえた。
腕の中に、ユーファがいた。
指で髪を梳いても、顔に頬を寄せても、逃げも怒りもしなかった。
キスをしたら一度だけ制止するような素振りを見せたが、構わずにキスを続けると大人しくなって、そのまま自分に身を任せてくれた。
シーツの上に長い髪を広げて、潤んだ瞳でこちらを見上げた彼女―――キスを繰り返すうちに次第に上気していった肌と、しどけなく乱れていった吐息―――感じ入るようにくたりと伏せられた兎耳。
これまで目にしたことのない女としての彼女の姿はひどく優艶で、ふるいつきたくなるほど魅力的だった。
今も唇におぼろげな感触さえ残っているように感じられるリアルな夢の名残に、半身を起こしたフラムアークはひとつ吐息をついて、後ろ頭を掻いた。
―――相当、欲求不満が溜まってるな。
そこへドアをノックする音が響いた。そちらへと首を向けたフラムアークは、続いて聞こえたユーファの声にあせりを禁じ得なかった。
「フラムアーク様、おはようございます。目覚めの薬湯をお持ちしました」
「ユーファ? ちょっと待って―――」
朝の生理現象と先程の夢の記憶とが相まって、とてもベッドを抜け出せるような状態ではない。慌てて上掛けを引っ張り、上腹部までをリネンで覆い隠した。
「どうしました? どこかお加減でも?」
ドアの向こうから心配そうな声がかけられる。フラムアークは見た目に不自然な箇所がないか確認をしてから、取り繕った声を返した。
「いや、大丈夫。どうぞ」
許可を得てユーファが室内に入ってきた。他の部屋はノックと同時に開けてしまうこともままある彼女だが、フラムアークが年頃になってからは一定の配慮をしているらしく、寝室だけは必ず返事を確認してから入ってくる。今回はこの配慮に救われた。
「おはようございます。気分の方はどうですか?」
「おはよう。うん、ちょっとぼーっするけど問題ない。……オレ、もしかして昨日あのまま寝ちゃった?」
「そうですよ。スレンツェがここまで運んで着替えも済ませてくれたんです。後でお礼を言っておいて下さいね」
ユーファの様子はいつもどおりだ。当然のことなのだが、やはりあれは夢だったのだと再認識をして、フラムアークは小さな落胆を覚えた。
「そうか。迷惑をかけちゃったな。……しかも、カーテンの向こうの日がずいぶん高いように思えるんだけど。オレ、だいぶ寝てた?」
「私とスレンツェで相談して、午前中はゆっくり休んでいただこうという話になったんです。今日は急ぎの仕事もありませんでしたから。その分、午後は頑張って下さいね」
フラムアークに薬湯を受け渡したユーファがそう言って部屋のカーテンを開けると、室内の明度が一気に増した。
「先に入浴になさいますか? お風呂も食事も、スレンツェの手配で用意が整っています」
「じゃあ、先に風呂へ入ってこようかな。色々スッキリしたいから」
「分かりました。では薬湯を飲み終えて朝の体調チェックが済んだら入浴という流れで参りましょう」
カーテンに続いて窓を開けたユーファがフラムアークの元へと戻ってきて、朝の日課の準備を始める。カーテンを揺らす春風が優しく彼女の雪色の髪を撫でて、長い髪の一部がその唇にかかった。それを指で払う彼女の仕草に得も言われぬ色気を感じて、フラムアークは戸惑った。ふっくらとした薄紅の唇が妙に艶めかしく目について、困る。夢の記憶が脳裏にチラついて劣情をくすぶらせた。
薄闇のシーツの上で淫靡に濡れて光っていた彼女の唇。何度も何度も重ねて、食んで、それでも足らず、食らい尽くしたいと思った―――。
そんな考えに及んでしまい、せっかく落ち着いていた自分自身に危うく火が付きかける。フラムアークはそんな己を戒め、煩悩を滅するように苦みのある薬湯を飲み切った。
フラムアークの様子はいつもどおりだった。
この分なら、昨夜のことは夢としても覚えていないかもしれない。
その方が間違いなく都合がいいはずなのに、一方でそれを寂しいと感じてしまう理不尽な自分がいた。
自分の気持ちすら定かではないというのに―――身勝手ね、私。
密かに自分を戒める私の前で、フラムアークが勢いよく薬湯をあおった。濡れた唇の端を拳でぐい、と拭う何気ない彼の仕草に男を感じて、思わずドキリとしてしまう。
昨夜はこの場所で、このベッドで、この唇に何度も熱を注ぎ込まれた。あの時はただの男と女だったのに、今はこうして主従として向き合っている、不思議な現実―――私の記憶の中にだけ残って、彼の記憶には残らない、一夜の夢。
フラムアークは本当のところ、私のことをどう思っているのだろう?
彼はあの熱情を秘めたまま、男としての側面を隠したまま、このまま主従として私と共に歩んでいきたいと、そう考えているのだろうか?
―――そもそも、亜人の一宮廷薬師が皇帝となる人間と結ばれることなど、許されるわけがないのに。
そんな自身の考えが心に重い影を落とした。
だから―――だから彼は、明かさずにいるのだろうか? だから自身の気持ちを押し隠して、皇帝としての将来を見据え、名実ともに伴侶としてふさわしいアデリーネ様を―――。
そんなふうに思ってしまい、私は心の中が矛盾だらけでぐちゃぐちゃになっている今の自分を嫌悪した。
空になった薬湯の椀をフラムアークから受け取りながら、そんな内心を包み隠して彼の前で精一杯普段どおりに振る舞っている自分を、醜くさえ思う。
「では、体調チェックに入りますね。まずは体温を測りましょう」
知らずにいたことを知った後で、それ以前の「普通」を保つのって難しいわね―――それとも素知らぬふりを続けていけば、それがいつかは当たり前になって、私達の「普通」が上書きされていくのだろうか―――……?
陽春の太陽が中天に差し掛かる頃、カーテン越しにも日の高さを感じる薄明るい寝室で目覚めたフラムアークは、ぼんやりとその片鱗をなぞらえた。
腕の中に、ユーファがいた。
指で髪を梳いても、顔に頬を寄せても、逃げも怒りもしなかった。
キスをしたら一度だけ制止するような素振りを見せたが、構わずにキスを続けると大人しくなって、そのまま自分に身を任せてくれた。
シーツの上に長い髪を広げて、潤んだ瞳でこちらを見上げた彼女―――キスを繰り返すうちに次第に上気していった肌と、しどけなく乱れていった吐息―――感じ入るようにくたりと伏せられた兎耳。
これまで目にしたことのない女としての彼女の姿はひどく優艶で、ふるいつきたくなるほど魅力的だった。
今も唇におぼろげな感触さえ残っているように感じられるリアルな夢の名残に、半身を起こしたフラムアークはひとつ吐息をついて、後ろ頭を掻いた。
―――相当、欲求不満が溜まってるな。
そこへドアをノックする音が響いた。そちらへと首を向けたフラムアークは、続いて聞こえたユーファの声にあせりを禁じ得なかった。
「フラムアーク様、おはようございます。目覚めの薬湯をお持ちしました」
「ユーファ? ちょっと待って―――」
朝の生理現象と先程の夢の記憶とが相まって、とてもベッドを抜け出せるような状態ではない。慌てて上掛けを引っ張り、上腹部までをリネンで覆い隠した。
「どうしました? どこかお加減でも?」
ドアの向こうから心配そうな声がかけられる。フラムアークは見た目に不自然な箇所がないか確認をしてから、取り繕った声を返した。
「いや、大丈夫。どうぞ」
許可を得てユーファが室内に入ってきた。他の部屋はノックと同時に開けてしまうこともままある彼女だが、フラムアークが年頃になってからは一定の配慮をしているらしく、寝室だけは必ず返事を確認してから入ってくる。今回はこの配慮に救われた。
「おはようございます。気分の方はどうですか?」
「おはよう。うん、ちょっとぼーっするけど問題ない。……オレ、もしかして昨日あのまま寝ちゃった?」
「そうですよ。スレンツェがここまで運んで着替えも済ませてくれたんです。後でお礼を言っておいて下さいね」
ユーファの様子はいつもどおりだ。当然のことなのだが、やはりあれは夢だったのだと再認識をして、フラムアークは小さな落胆を覚えた。
「そうか。迷惑をかけちゃったな。……しかも、カーテンの向こうの日がずいぶん高いように思えるんだけど。オレ、だいぶ寝てた?」
「私とスレンツェで相談して、午前中はゆっくり休んでいただこうという話になったんです。今日は急ぎの仕事もありませんでしたから。その分、午後は頑張って下さいね」
フラムアークに薬湯を受け渡したユーファがそう言って部屋のカーテンを開けると、室内の明度が一気に増した。
「先に入浴になさいますか? お風呂も食事も、スレンツェの手配で用意が整っています」
「じゃあ、先に風呂へ入ってこようかな。色々スッキリしたいから」
「分かりました。では薬湯を飲み終えて朝の体調チェックが済んだら入浴という流れで参りましょう」
カーテンに続いて窓を開けたユーファがフラムアークの元へと戻ってきて、朝の日課の準備を始める。カーテンを揺らす春風が優しく彼女の雪色の髪を撫でて、長い髪の一部がその唇にかかった。それを指で払う彼女の仕草に得も言われぬ色気を感じて、フラムアークは戸惑った。ふっくらとした薄紅の唇が妙に艶めかしく目について、困る。夢の記憶が脳裏にチラついて劣情をくすぶらせた。
薄闇のシーツの上で淫靡に濡れて光っていた彼女の唇。何度も何度も重ねて、食んで、それでも足らず、食らい尽くしたいと思った―――。
そんな考えに及んでしまい、せっかく落ち着いていた自分自身に危うく火が付きかける。フラムアークはそんな己を戒め、煩悩を滅するように苦みのある薬湯を飲み切った。
フラムアークの様子はいつもどおりだった。
この分なら、昨夜のことは夢としても覚えていないかもしれない。
その方が間違いなく都合がいいはずなのに、一方でそれを寂しいと感じてしまう理不尽な自分がいた。
自分の気持ちすら定かではないというのに―――身勝手ね、私。
密かに自分を戒める私の前で、フラムアークが勢いよく薬湯をあおった。濡れた唇の端を拳でぐい、と拭う何気ない彼の仕草に男を感じて、思わずドキリとしてしまう。
昨夜はこの場所で、このベッドで、この唇に何度も熱を注ぎ込まれた。あの時はただの男と女だったのに、今はこうして主従として向き合っている、不思議な現実―――私の記憶の中にだけ残って、彼の記憶には残らない、一夜の夢。
フラムアークは本当のところ、私のことをどう思っているのだろう?
彼はあの熱情を秘めたまま、男としての側面を隠したまま、このまま主従として私と共に歩んでいきたいと、そう考えているのだろうか?
―――そもそも、亜人の一宮廷薬師が皇帝となる人間と結ばれることなど、許されるわけがないのに。
そんな自身の考えが心に重い影を落とした。
だから―――だから彼は、明かさずにいるのだろうか? だから自身の気持ちを押し隠して、皇帝としての将来を見据え、名実ともに伴侶としてふさわしいアデリーネ様を―――。
そんなふうに思ってしまい、私は心の中が矛盾だらけでぐちゃぐちゃになっている今の自分を嫌悪した。
空になった薬湯の椀をフラムアークから受け取りながら、そんな内心を包み隠して彼の前で精一杯普段どおりに振る舞っている自分を、醜くさえ思う。
「では、体調チェックに入りますね。まずは体温を測りましょう」
知らずにいたことを知った後で、それ以前の「普通」を保つのって難しいわね―――それとも素知らぬふりを続けていけば、それがいつかは当たり前になって、私達の「普通」が上書きされていくのだろうか―――……?
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