病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

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本編

十九歳⑧

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 アズール城から本格的な救援部隊がやって来たのは、包帯が途切れなくなってから二日後のことだった。

 フラムアークの発破に奮起したダーリオ侯爵が『アズール領民一丸』を掲げ、拡大解釈した皇帝の意向をチラつかせながら、貴人達に「心ばかりの支援」ではなく「目いっぱいの支援」をするよう呼びかけ、繊細な根回しと言外の圧力によってそれを結実させ、ようやく領を挙げての本格的なベリオラ封じ込め作戦が始まったのだ。

 窮地につけ込んだ国外からの攻勢を恐れてこれまで出し渋っていたアズールの駐屯軍も近隣の領地の協力を得て惜しみなく投入され、モンペオを始めとするベリオラの猛威に喘いでいた町々は、にわかに活気づき始めた。

 ―――こんなにも、変わるものだろうか。

 その劇的な変化には、目を瞠るものがあった。

 人員が増え、物資が搬入されて、看護の手が行き届くようになり、食糧事情が改善して、人々の心にゆとりと安心感が生まれると、病魔の闇に沈んでいたモンペオは数日前と同じ町とは思えないほど活性化し、息を吹き返した。

 あんなに殺伐としていた雰囲気が嘘だったように、患者の顔も彼らを診る薬師の顔も、それに寄り添う人々の顔も、みんな憑き物が落ちたように穏やかで、町に流れる空気そのものが軽くなったように感じられる。

 時同じくして患者の増加が落ち着きを見せ始め、まだまだ忙しいながら、私達薬師も少しだけ息をつけるようになってきた。

「どうやらピークは過ぎたかな。それにしても、変わる時ってこんなにいっぺんに来るものかねぇ。何だか唐突で、にわかには信じ難いよ。ほんの何日か前は先が見えない状況だったっていうのに」

 本日の昼食、肉と野菜がたっぷり入った熱々のシチューを口に運びながら、ファルマは感慨深そうにそう言った。

「本当ですね。ここへ来て、初めて食事らしい食事をしている気がします。今まではただ口に流し込むだけで、落ち着いて食べるということが出来ていませんでしたから」
「はは、確かに。動く為の燃料を補給しているだけで、食事っていう感じじゃなかったもんね。内容も非常時の糧食を切り崩してまかなっているものだったし」
「救援が来て、まかないのかたも変わりましたね」
「ああ……あのおばちゃん、私達の食事の世話から食器なんかの洗い物まで毎日ほぼ一人でこなして、ずーっと休みなく働いていたからね。人の手が増えて、ようやく少し休めているんじゃないかな」
「そうだったんですか……」

 裏で支えてくれている人達も、いっぱいいっぱいの状態で頑張ってくれていたんだ。ギリギリのところをみんなで支え合えたから、こうして救援部隊が来るまで持ちこたえられたのね……。

「よし、少し休んだら午後の治療再開だ」
「はい。ちょっと手を洗いに行ってきます」

 ファルマにそう言い置いて中央広場近くの水場へと向かった私は、そこで久々にフラムアークの姿を見かけた。防寒用のクロークを羽織りこちらに背を向けてかがんでいる彼は、同じ姿勢で隣り合わせた町の人達と何やら談笑している。

 わあ……何だか貴重な光景だわ。あのフラムアークが町の人達の中に溶け込んでいる……。

 そんなことに胸がおどるのを覚えながら、私は彼に声をかけた。

「フラムアーク様」
「ユーファ」

 私に気付いたフラムアークは振り返って笑顔を見せ、立ち上がった。晩冬の気候の中、両袖を肘まで捲り上げた彼の手は水に濡れて、長い指と形の良い鼻が少し赤くなっている。

「こんなところで、何をなさっているんですか?」
「今ちょうど、この人達から洗濯を習っていたんだ」
「洗濯、ですか!?」

 ぎょっとする私の視線の先には、確かに洗いかけの汚れた包帯が見える。

「うん。知らなかったけど、洗濯って大変なんだな。特に冬場は身を切るように水が冷たい。身に着けているものがこうして一枚一枚人の手で洗われているんだと思うと、これからは感謝しながら着ないといけないな」
「な、何もフラムアーク様が洗濯をなさらなくても」
「いや、手持ち無沙汰だったし。とりあえずオレのやるべき仕事は済んだから、他に何が出来るかなって考えていたところだったんだ」

 フラムアークはそう言って、ここに至るまでの経緯を語った。

「患者と直接関わるような作業はみんなから固く止められているから、最初は荷物運びを手伝おうとしたんだけど、副町長に見つかって止められて―――ならゴミ拾いでもと思ったら、今度は救援部隊の隊長に見咎められて。男が目を光らせている場所はダメだと思ってこっちまで流れてきたら、ちょうどここで洗濯をしていたから、頼んで混ぜてもらったんだ」

 フラムアークらしい理由ね。

 思わず笑みをこぼした私に、彼と並んで洗濯をしていた中高年の女性達が興味津々といった様子で尋ねてきた。

「どこの貴公子様かと思ったけれど、薬師さんのお知り合い?」

 彼女達からすれば、突然現れた身なりの良い青年に驚きながらも、求められるままに洗濯のやり方を教えていたといったところだろうか。

「最初は冷やかしかと思ったけれど、なかなかどうして真剣にやってくれるもんだから、こっちも嬉しくなっちゃってね」
「初めてにしてはいい手つきよぉ。上手上手」
「取り組む姿勢が真面目でいいわよね。うちのダンナにも見習わせたいわぁ」

 口々にフラムアークを褒めちぎりながら、「で? 誰なの?」と目で問いかけてくる彼女達に、私は彼の素性を伝えた。

「……この方は帝国の第四皇子、フラムアーク様です」

 一瞬の間を置いて、辺りには悲鳴とも歓声ともつかない往年の黄色い声が響き渡った。あまりの声量に、周囲の人が一斉に振り返ったほどだ。

「やだ! 皇子! 皇子様なの!? 気品があるとは思ったけれど!」
「いや~、わたし触っちゃったわ! どうしましょ!?」
「はぁ~、素敵! 汚れ仕事を率先してやるなんて、顔も中身もいい男だねぇ……」
「そういえば第四皇子がこの町に来ててどうのこうの父ちゃん達が言ってたわね! 半分聞き流していたけど本当だったのねぇ! しかもこんなにイケメンだったなんて……!」

 きゃあ~っ、と周囲の目も憚らず興奮しきりの彼女達に、私は控え目な声をかけた。

「……あの、ちょっとお借りしますね。話が済んだらお返ししますから、引き続きご指導願います」
「あら、ごめんなさいねぇ、年甲斐もなく興奮しちゃって。もちろんですよ!」

 頬を紅潮させたおばさま達の了承を得て、私はフラムアークを近くまで連れ出した。

「ここでユーファに会えるとは思ってなかったな。話って?」

 微笑んでこちらを見つめるフラムアークの端整な顔を見上げながら、私は気になっていたことを口にした。

「その後、体調に変わりはありませんか?」
「ああ、うん、このとおり問題ないよ。ユーファに渡された薬を毎日ちゃんと飲んでるし、スレンツェも宮廷から一緒に来た連中も、今のところ変わりない。……ユーファの方こそ、少しやせた?」
「やせたというよりはやつれたのかもしれません」

 私は微苦笑して、彼の懸念を振り払うように両拳を握ってみせた。

「でも、大丈夫です。ここへ来て事態が好転しているのを肌で感じられるようになって、気力がみなぎっていますから」

 その最初の兆しは、途切れなくなった包帯だった。

「……救援部隊が来る少し前から、毎日のように切れてしまっていた包帯の替えが途切れなくなったんです。ぐちゃぐちゃだった順番待ちの行列が秩序を持つようになって、天幕の周りに山積みになっていた汚れ物がなくなって、そこら中に落ちていたゴミが見当たらなくなって、不衛生な環境がいつの間にか改善されて、どことなく町の様子が整然としてきて」

 ―――先程「済んだ」と言っていた、貴方の仕事はそれですか?

 言外に紡いだ私の問いかけに、予想通り、フラムアークは頷いた。

「オレの名前で布令を出したんだ。特別な理由がない限り、ワクチンを打って三日以上経過し、症状が出なかった者はベリオラ対策に従事するように―――と。
人口的に見て、必要以上に病を恐れたり、無償奉仕を嫌って閉じこもっている潜在的労働力がかなりいると推測出来たから、そういう義務を課した。自分達の住む町なんだから、やる気のある者に丸投げするのではなく、一人一人が自覚を持ってこの苦境を乗り切ろうという気概を持ってもらわないと困るからね。不平等感を残して、後々揉め事のタネになるのも良くないと思ったし。
それから町長達と相談して、なるべく機動力を持たせるよう少人数でチーム分けして、仕事を振り分けた」

 そう言って、フラムアークは茶目っ気たっぷりに笑った。

「ダーリオ候の尻に火を付けて正解だったな。救援が来るまでもう一日二日かかると踏んでいたけれど、思った以上に早く、予想以上の支援が届いた。それから救援部隊の隊長に現状を説明してオレ達が作った組織の雛形を渡して、そこに救援部隊を組み込んだ、なるべく効率的な支援体制をみんなで協議して、その組織はもう彼の元で動き出した。オレはお役御免になったから、労働力の一人として何か出来ることはないかと模索していたら、さっき言った流れで洗濯へと行きついたワケ」
「そうだったんですね……」

 何だか彼の笑顔が眩しく感じられて、私は少し目を細めながら頷いた。

「ユーファ達の方はどう? 少しは休息が取れるようになってきた?」
「さっき、初めてゆっくりとお昼が食べれました。ファルマ以外の人とこんなふうにお喋りしているのも久々です。でも、そろそろ戻らないと」
「ファルマって薬師の責任者だね。もう少し落ち着いたら挨拶に行きたいと思っていたけれど、そうか、薬師の負担はまだまだ大きいな……」
「どうしても、替えが利かない部分はありますからね」

 そう相槌を打つ私の前でフラムアークは考え込む表情になった。

「そろそろ全町民にワクチンを打ち終えそうだという報告があったから、そちらが終わればローテーションを組んで君達も交代で休息を取ることが出来るようになると思うけれど……薬師としてはどういう支援があればありがたい?」
「そうですね……患者の所見を診るのと投薬の判断は私達にしか出来ませんが、薬の塗布や包帯を巻くようなルーティン作業を第三者にお願い出来ればずいぶん楽になると思います」

 これまでも町の役人や有志達がその役を買って出てくれてはいたけれど、今まではそれでも圧倒的に人手が足りなかった。それにきちんと指導している暇がなくて不慣れな彼らに任せていられない部分もあり、説明するよりは自分でやった方が早いと、私達が率先的にそれをこなしてきてしまっているところがあった。

 でも、それじゃいけないわよね。教えなければ、実践しなければ、そして場数を踏まなければ人は育たないし、このままでは効率も悪くて薬師わたし達自身も苦しいのだから。これから先の為にも、看護に携わる人材を育成していかないと。

「看護役の拡充が急務か……救援部隊の中に軍の治療班に属していた者が何名かいたから、時間を取って、彼らに町の者達へそういったレクチャーをしてもらうか……? ああ、でもファルマに確認を取ってからの方がいいな。彼らは今、まさにそういった作業に従事しているはずだから。
ユーファ、今日の夕飯の後にでも町長の屋敷の執務室へ来るようファルマに伝えてもらえる? 今後のことについて話し合いたいから」
「分かりました。……久々にお顔が見れて、嬉しかったです」
「オレもだよ。無理し過ぎないでね」
「はい。フラムアーク様も」

 一礼してきびすを返しかけた私は、この町で別れてから一度も顔を合わせていないスレンツェのことが胸をよぎり、足を止めた。

「あの……スレンツェはどうしていますか? 体調は崩していないということでしたけれど……」
「ああ……今は多分、宮廷から来た面々と一緒に、患者の移動とか比較的力が要る作業を手伝っているんじゃないかな。オレはダメ出しを食らってそこから弾かれちゃってるから、詳しいことは分からないけれど」

 フラムアークは不満そうだったけれど、それはまあ、仕方がないところよね。患者との濃厚接触なんて周りからすればもってのほか、汚れ物の洗濯だって、本来なら止めるべきところだもの。

「スレンツェに『ユーファは少しやつれていたけれど元気だった』って伝えておくよ」
「『やつれていた』は余計です。そこは削除して下さいね」

 フラムアークにそう釘を刺してからその場を後にした私は、彼と会話したことでほんのり元気になれた自分を自覚した。

 心なしか、天幕へと向かう足取りも軽い。

 不思議ね。束の間の再会が、疲れ切っていた心をリフレッシュさせてくれたみたい。スレンツェの近況も聞けたし、良かったわ。午後からまた頑張れる活力をもらえた―――。

 そんな私の背を見送ったフラムアークが小さく息をついてこう呟いたことを、私は知る由もなかった。

「やっぱり、スレンツェの存在は大きいな……」

 そして浮かれていた私は、ファルマの元へ戻ってから、当初の目的だったはずの手を洗い忘れていたことに気が付くのだった―――。
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