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番外編 第五皇子側用人は見た!
bittersweet2②
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―――やってしまった……。
人があまり来ない裏庭の一角。日陰が多いその中で比較的日の当たる芝生の上に突っ伏すようにしたラウルは、悶々と先程の出来事を反芻していた。
あれは事故だ。行為自体に問題はあるものの、おそらくエドゥアルトにそんなつもりはなかったし、触れたかどうかという程度の微妙な触れ加減だった。だが、ラウルにとってはあれがファーストキスだったのだ。何より、その後のエドゥアルトの対応がいただけなかった。
『あの程度、そう大騒ぎするような年齢でもないだろう?』
くだらん、とでも言いたげな顔をして、動揺を露わにするラウルを見やった彼の態度は、大いに彼女を傷付けていたのだ。
思い出すだけで腸が煮えくり返り、やり場のない憤りで胸がいっぱいになる。
あの無節操皇子に、妙齢の女性の誰しもがそういった経験を済ませていると思うな、と言ってやりたい。どこぞの令嬢を夜毎とっかえひっかえしているような帝国の皇子と自分とでは、貞操観念が違うのだ。
いつか好きな相手とのその瞬間を人並みに夢見ていたラウルは、心の中でエドゥアルトに毒づいた。
―――あのヤリチン皇子め……!
だが、冷静になっていくにしたがって、滾るような怒りは鬱屈とした思いへと変わっていく。
発端となったのはエドゥアルトの軽率な行動だったが、その後の展開については、どう考えても自分が悪い。
大人として、まずは気持ちを抑え、きちんと話し合うべきだった。手合わせの場でもないのに、主に対していきなり(しかも思いっきり)掌底をかましてしまうなど、言語道断だ。さすがのエドゥアルトはとっさに腕でガードしていたが、これが皇太子辺りだったら今頃顔面がひしゃげている騒ぎである。
「大人なんだから……臣下なんだから……私の方から出向いて、謝るべきなんだよな……そうしなきゃいけないんだよな……」
嫌だなぁ……とラウルは溜め息をついた。
何が嫌って、顔を合わせるのが気まず過ぎる。ハンスにも現場を目撃されてしまっているのだ。いったいどんな顔をして戻ったらいいものか。
「ねちねち嫌味言われそうだしなぁ……」
「―――へえ。誰にだ?」
突然降って湧いたその声に、芝生の上に突っ伏していたラウルは跳ねるようにして起き上がった。
見上げた先には、まだ会いたくなかったエドゥアルトその人が傲然と立っている。
不覚。気配を消した相手にここまで接近されるまで、気が付かなかった。
「エ、エドゥアルト様。どうしてここに……」
気まずい面持ちでその名を紡ぐと、不機嫌そうな顔をした相手に当たり前のように返された。
「お前の行動なんぞ、お見通しだ。いつもと違って昼寝はしていなかったようだがな」
「うぐ……」
何かの時にぽろっと漏らしたことがあっただろうか? ここがラウルお気に入りの昼寝スポットだということがバレている。
ためらいなくこちらへ近付いてくるエドゥアルトに、芝生に腰を下ろした状態のラウルの身体は自然と後退った。
この場へ彼が現れるとは想定していなかった―――まだ心の準備が出来ていないというのに、この事態にどう立ち向かったらいいものか。
「そんなに警戒するな。取って食いやしない」
「そんなことを言って、予想外の行動に出ますからね、貴方は」
謝らなければと思っていたはずなのに、ついつい憎まれ口が出てしまい、内心で頭を抱える。
あー、しまった。これじゃいけないと分かっているのに、どうしてこう―――。
絶対に言い合いになる。そう思い、ラウルが身構えた時だった。彼の口から、思いも寄らぬ言葉がこぼれたのは。
「さっきのことは―――まあ、僕が悪かった」
ラウルは思わず青灰色の瞳を瞬かせた。
聞き間違い? そう考えてしまうほど、意外な返答だった。
「勝手に決めつけて悪かったよ。ああいうことは年齢で決まるものじゃないと、ハンスに諭された」
きまりが悪そうにそう言って、エドゥアルトはゆっくりと膝を折り、ラウルの前にしゃがみ込んだ。
「キスは、初めてだったのか?」
面と向かってそう問われて、ラウルはカッと頬が火照るのを感じた。
何てことを聞いてくるんだ、この皇子は!
「そそそそそれ、聞きます!?」
赤くなってにらみつけると、当然の口調で返された。
「容赦のない掌底を食らったんだ、それくらい聞く権利はあるだろう」
「うぐぅ……」
そこを突かれると痛い。
しかし、年下の男からの何と答えにくい質問であることか。回答すること自体が既に罰ゲームのようなものだ。
「そ……そうですよ、初めてですよ! 悪いですか!? 大切にとっておいたのに、何てことしてくれたんですか!!」
半分ヤケになって白状すると、エドゥアルトは心底驚いたようにトパーズの瞳をまん丸にした。そのレアな表情がまたいたたまれなさを増長させて、ラウルの羞恥心を加速させる。
「何でそんな本気でビックリした顔するんですか! バカにしてます!?」
「いや……世の男達はよくもまあ、ここまでお前を放っておいたものだと思って」
「は!? 何ですか、そのコメントは! やっぱりバカにしてますね!?」
「いや、違う。お前がこれまで出会った男達に見る目がなかったという話をしているんだ」
「下手くそななぐさめいらないですよ! デカくて男より強い女には需要がないって、それくらい分かってますから!」
顔を真っ赤にして叫ぶラウルはほとんど涙目だ。
エドゥアルトは深い溜め息をつくと、そんなラウルの頭にぽんと手を置いた。
「少し落ち着け。僕が下手くそななぐさめを言うようなタイプじゃないって、お前、分かってるだろう?」
大きな手でくしゃりと頭を撫でられて、奇妙な状況に口をつぐむと、端整な面差しにヤンチャな気質を纏わせた相手の顔が少しほころんで、初めて見る色を帯びた。
「は……お前が強い女で、良かったよ」
どういう意味なのか計りかねる言葉だったが、強烈な引力を感じさせる表情だった。胸の辺りが落ち着かなくなるのに目が離せないような不思議な感覚に囚われて、ラウルは青灰色の瞳を揺らす。
「初めてがあんな形になって、悪かったな」
銀色のショートボブを滑るようにして下りてきたエドゥアルトの手がラウルの片頬を包み込むようにして、彼の親指が彼女の唇にそっと触れた。
「お前が望むなら、希望に沿う形でやり直してやるぞ」
キスのやり直しを提案されて、エドゥアルトの表情に見入っていたラウルは我に返った。
「―――! い、いいです!」
慌ててエドゥアルトの胸を押しやって距離を取ると、相手はふぅん、と鼻を鳴らした。
「初めてが、あんなくっついたかどうかも分からないような代物でいいのか?」
「いいんです! あれは事故だったということにしますから! お互いが好き同士で、気持ちがこもったものじゃないと……私にとっては、意味がないので」
「ずいぶんと大仰なんだな、お前にとってのキスは」
「エドゥアルト様がお気軽過ぎるんですよ!」
ラウルはきっ、と奔放な皇子をにらみつけた。断じて未経験者が夢を見過ぎているのではない、と思いたい。
「……エドゥアルト様だって、初めての時くらいは、そういう気持ちだったんじゃないんですか?」
「いや? 作法の延長くらいの感じだったな。知識として知り得たことの実践とでも言えばいいのか」
「ええ……」
ラウルはドン引いた。
エドゥアルトにとってのキスは「そういう場面」で「礼儀としてしなければならないもの」といった認識でしかないのか。ラブもロマンもへったくれもない。ある意味、彼は彼で気の毒な人なのかもしれない。
「好きな相手としたことは、ないんですか?」
「そもそもその『好き』という感覚がいまいち分からないんだよ。……。でも、まあ―――」
エドゥアルトは少し考えてからラウルを見やり、こう言った。
「僕はお前のことを『気に入っている』と思っていたけれど、もしかしたら違うのかもしれないな」
「ええ!?」
唐突なその発言に、ラウルは色を失くした。
「そ、それってつまり、私をお払い箱にしようと考えているってコトですか!? ちょ、待って下さい!」
「脳筋……」
「はい!?」
「いや。それで?」
「え、ええと。いきなり掌底を見舞って、本当に申し訳ありませんでした! それについては全面的に私が悪かったです! 心から反省していますから、ですから、どうぞ今後ともエドゥアルト様の傍に置いて下さい!」
今の環境がラウルはとても気に入っている。宮廷という独特の場の階級社会の煩わしさはあるが、第五皇子周辺の人間関係は良くて待遇にも満足しているし、スカウトした時の言葉通りエドゥアルトは様々な機会を与えてくれている。手近なところに全力で手合わせ出来る相手もおり、何より、目覚ましい成長を続けるエドゥアルト自身の行く末を見届けたいという思いがあった。
直立不動の姿勢から勢いよく頭を下げた瞬間、堪えきれなくなった様子でエドゥアルトが吹き出したので、全力で謝っていたラウルは怪訝な顔になった。
「あ、あの?」
「はー……分かった分かった。きっかけを作ったのは僕だし、今回のことは不問にするよ。お前を超えてみせると言ったのに、そのお前がいなくなってしまっては意味がないからな」
「あ……ありがとうございます!」
良かったぁ、と心からホッとした笑顔になるラウルを見やって、エドゥアルトは瞳を和らげた。
「戻るぞ。ハンスが気を揉みながら待っている」
「はい!」
大きく頷いたラウルは、前を行くエドゥアルトの背中を見ながら「そういえば」と尋ねた。
「あの、ところでエドゥアルト様は怪我とかしませんでした? 全く手加減なしでやっちゃいましたけど……」
「問題ない。やわな鍛え方はしていないからな」
「そうですか! 私が言うのもアレですけど、エドゥアルト様、たくましくなりましたね」
「ふん……」
根が単純なラウルは疑いもしなかったのだが、その後、腕がぱんぱんに腫れあがったエドゥアルトが密かに専属の薬師の元へと足を運び、根掘り葉掘りの追及を受けながら、頑としてその理由を明かさないまま、怪我の手当てを受けたということを、彼女は知らない―――。
<完>
人があまり来ない裏庭の一角。日陰が多いその中で比較的日の当たる芝生の上に突っ伏すようにしたラウルは、悶々と先程の出来事を反芻していた。
あれは事故だ。行為自体に問題はあるものの、おそらくエドゥアルトにそんなつもりはなかったし、触れたかどうかという程度の微妙な触れ加減だった。だが、ラウルにとってはあれがファーストキスだったのだ。何より、その後のエドゥアルトの対応がいただけなかった。
『あの程度、そう大騒ぎするような年齢でもないだろう?』
くだらん、とでも言いたげな顔をして、動揺を露わにするラウルを見やった彼の態度は、大いに彼女を傷付けていたのだ。
思い出すだけで腸が煮えくり返り、やり場のない憤りで胸がいっぱいになる。
あの無節操皇子に、妙齢の女性の誰しもがそういった経験を済ませていると思うな、と言ってやりたい。どこぞの令嬢を夜毎とっかえひっかえしているような帝国の皇子と自分とでは、貞操観念が違うのだ。
いつか好きな相手とのその瞬間を人並みに夢見ていたラウルは、心の中でエドゥアルトに毒づいた。
―――あのヤリチン皇子め……!
だが、冷静になっていくにしたがって、滾るような怒りは鬱屈とした思いへと変わっていく。
発端となったのはエドゥアルトの軽率な行動だったが、その後の展開については、どう考えても自分が悪い。
大人として、まずは気持ちを抑え、きちんと話し合うべきだった。手合わせの場でもないのに、主に対していきなり(しかも思いっきり)掌底をかましてしまうなど、言語道断だ。さすがのエドゥアルトはとっさに腕でガードしていたが、これが皇太子辺りだったら今頃顔面がひしゃげている騒ぎである。
「大人なんだから……臣下なんだから……私の方から出向いて、謝るべきなんだよな……そうしなきゃいけないんだよな……」
嫌だなぁ……とラウルは溜め息をついた。
何が嫌って、顔を合わせるのが気まず過ぎる。ハンスにも現場を目撃されてしまっているのだ。いったいどんな顔をして戻ったらいいものか。
「ねちねち嫌味言われそうだしなぁ……」
「―――へえ。誰にだ?」
突然降って湧いたその声に、芝生の上に突っ伏していたラウルは跳ねるようにして起き上がった。
見上げた先には、まだ会いたくなかったエドゥアルトその人が傲然と立っている。
不覚。気配を消した相手にここまで接近されるまで、気が付かなかった。
「エ、エドゥアルト様。どうしてここに……」
気まずい面持ちでその名を紡ぐと、不機嫌そうな顔をした相手に当たり前のように返された。
「お前の行動なんぞ、お見通しだ。いつもと違って昼寝はしていなかったようだがな」
「うぐ……」
何かの時にぽろっと漏らしたことがあっただろうか? ここがラウルお気に入りの昼寝スポットだということがバレている。
ためらいなくこちらへ近付いてくるエドゥアルトに、芝生に腰を下ろした状態のラウルの身体は自然と後退った。
この場へ彼が現れるとは想定していなかった―――まだ心の準備が出来ていないというのに、この事態にどう立ち向かったらいいものか。
「そんなに警戒するな。取って食いやしない」
「そんなことを言って、予想外の行動に出ますからね、貴方は」
謝らなければと思っていたはずなのに、ついつい憎まれ口が出てしまい、内心で頭を抱える。
あー、しまった。これじゃいけないと分かっているのに、どうしてこう―――。
絶対に言い合いになる。そう思い、ラウルが身構えた時だった。彼の口から、思いも寄らぬ言葉がこぼれたのは。
「さっきのことは―――まあ、僕が悪かった」
ラウルは思わず青灰色の瞳を瞬かせた。
聞き間違い? そう考えてしまうほど、意外な返答だった。
「勝手に決めつけて悪かったよ。ああいうことは年齢で決まるものじゃないと、ハンスに諭された」
きまりが悪そうにそう言って、エドゥアルトはゆっくりと膝を折り、ラウルの前にしゃがみ込んだ。
「キスは、初めてだったのか?」
面と向かってそう問われて、ラウルはカッと頬が火照るのを感じた。
何てことを聞いてくるんだ、この皇子は!
「そそそそそれ、聞きます!?」
赤くなってにらみつけると、当然の口調で返された。
「容赦のない掌底を食らったんだ、それくらい聞く権利はあるだろう」
「うぐぅ……」
そこを突かれると痛い。
しかし、年下の男からの何と答えにくい質問であることか。回答すること自体が既に罰ゲームのようなものだ。
「そ……そうですよ、初めてですよ! 悪いですか!? 大切にとっておいたのに、何てことしてくれたんですか!!」
半分ヤケになって白状すると、エドゥアルトは心底驚いたようにトパーズの瞳をまん丸にした。そのレアな表情がまたいたたまれなさを増長させて、ラウルの羞恥心を加速させる。
「何でそんな本気でビックリした顔するんですか! バカにしてます!?」
「いや……世の男達はよくもまあ、ここまでお前を放っておいたものだと思って」
「は!? 何ですか、そのコメントは! やっぱりバカにしてますね!?」
「いや、違う。お前がこれまで出会った男達に見る目がなかったという話をしているんだ」
「下手くそななぐさめいらないですよ! デカくて男より強い女には需要がないって、それくらい分かってますから!」
顔を真っ赤にして叫ぶラウルはほとんど涙目だ。
エドゥアルトは深い溜め息をつくと、そんなラウルの頭にぽんと手を置いた。
「少し落ち着け。僕が下手くそななぐさめを言うようなタイプじゃないって、お前、分かってるだろう?」
大きな手でくしゃりと頭を撫でられて、奇妙な状況に口をつぐむと、端整な面差しにヤンチャな気質を纏わせた相手の顔が少しほころんで、初めて見る色を帯びた。
「は……お前が強い女で、良かったよ」
どういう意味なのか計りかねる言葉だったが、強烈な引力を感じさせる表情だった。胸の辺りが落ち着かなくなるのに目が離せないような不思議な感覚に囚われて、ラウルは青灰色の瞳を揺らす。
「初めてがあんな形になって、悪かったな」
銀色のショートボブを滑るようにして下りてきたエドゥアルトの手がラウルの片頬を包み込むようにして、彼の親指が彼女の唇にそっと触れた。
「お前が望むなら、希望に沿う形でやり直してやるぞ」
キスのやり直しを提案されて、エドゥアルトの表情に見入っていたラウルは我に返った。
「―――! い、いいです!」
慌ててエドゥアルトの胸を押しやって距離を取ると、相手はふぅん、と鼻を鳴らした。
「初めてが、あんなくっついたかどうかも分からないような代物でいいのか?」
「いいんです! あれは事故だったということにしますから! お互いが好き同士で、気持ちがこもったものじゃないと……私にとっては、意味がないので」
「ずいぶんと大仰なんだな、お前にとってのキスは」
「エドゥアルト様がお気軽過ぎるんですよ!」
ラウルはきっ、と奔放な皇子をにらみつけた。断じて未経験者が夢を見過ぎているのではない、と思いたい。
「……エドゥアルト様だって、初めての時くらいは、そういう気持ちだったんじゃないんですか?」
「いや? 作法の延長くらいの感じだったな。知識として知り得たことの実践とでも言えばいいのか」
「ええ……」
ラウルはドン引いた。
エドゥアルトにとってのキスは「そういう場面」で「礼儀としてしなければならないもの」といった認識でしかないのか。ラブもロマンもへったくれもない。ある意味、彼は彼で気の毒な人なのかもしれない。
「好きな相手としたことは、ないんですか?」
「そもそもその『好き』という感覚がいまいち分からないんだよ。……。でも、まあ―――」
エドゥアルトは少し考えてからラウルを見やり、こう言った。
「僕はお前のことを『気に入っている』と思っていたけれど、もしかしたら違うのかもしれないな」
「ええ!?」
唐突なその発言に、ラウルは色を失くした。
「そ、それってつまり、私をお払い箱にしようと考えているってコトですか!? ちょ、待って下さい!」
「脳筋……」
「はい!?」
「いや。それで?」
「え、ええと。いきなり掌底を見舞って、本当に申し訳ありませんでした! それについては全面的に私が悪かったです! 心から反省していますから、ですから、どうぞ今後ともエドゥアルト様の傍に置いて下さい!」
今の環境がラウルはとても気に入っている。宮廷という独特の場の階級社会の煩わしさはあるが、第五皇子周辺の人間関係は良くて待遇にも満足しているし、スカウトした時の言葉通りエドゥアルトは様々な機会を与えてくれている。手近なところに全力で手合わせ出来る相手もおり、何より、目覚ましい成長を続けるエドゥアルト自身の行く末を見届けたいという思いがあった。
直立不動の姿勢から勢いよく頭を下げた瞬間、堪えきれなくなった様子でエドゥアルトが吹き出したので、全力で謝っていたラウルは怪訝な顔になった。
「あ、あの?」
「はー……分かった分かった。きっかけを作ったのは僕だし、今回のことは不問にするよ。お前を超えてみせると言ったのに、そのお前がいなくなってしまっては意味がないからな」
「あ……ありがとうございます!」
良かったぁ、と心からホッとした笑顔になるラウルを見やって、エドゥアルトは瞳を和らげた。
「戻るぞ。ハンスが気を揉みながら待っている」
「はい!」
大きく頷いたラウルは、前を行くエドゥアルトの背中を見ながら「そういえば」と尋ねた。
「あの、ところでエドゥアルト様は怪我とかしませんでした? 全く手加減なしでやっちゃいましたけど……」
「問題ない。やわな鍛え方はしていないからな」
「そうですか! 私が言うのもアレですけど、エドゥアルト様、たくましくなりましたね」
「ふん……」
根が単純なラウルは疑いもしなかったのだが、その後、腕がぱんぱんに腫れあがったエドゥアルトが密かに専属の薬師の元へと足を運び、根掘り葉掘りの追及を受けながら、頑としてその理由を明かさないまま、怪我の手当てを受けたということを、彼女は知らない―――。
<完>
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