病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

文字の大きさ
上 下
116 / 128
番外編 第五皇子側用人は見た!

bittersweet2②

しおりを挟む
 ―――やってしまった……。

 人があまり来ない裏庭の一角。日陰が多いその中で比較的日の当たる芝生の上に突っ伏すようにしたラウルは、悶々と先程の出来事を反芻はんすうしていた。

 あれは事故だ。行為自体に問題はあるものの、おそらくエドゥアルトにそんなつもりはなかったし、触れたかどうかという程度の微妙な触れ加減だった。だが、ラウルにとってはあれがファーストキスだったのだ。何より、その後のエドゥアルトの対応がいただけなかった。

『あの程度、そう大騒ぎするような年齢でもないだろう?』

 くだらん、とでも言いたげな顔をして、動揺を露わにするラウルを見やった彼の態度は、大いに彼女を傷付けていたのだ。

 思い出すだけではらわたが煮えくり返り、やり場のない憤りで胸がいっぱいになる。

 あの無節操皇子に、妙齢の女性の誰しもがそういった経験を済ませていると思うな、と言ってやりたい。どこぞの令嬢を夜毎よごととっかえひっかえしているような帝国の皇子と自分とでは、貞操観念が違うのだ。

 いつか好きな相手とのその瞬間を人並みに夢見ていたラウルは、心の中でエドゥアルトに毒づいた。

 ―――あのヤリチン皇子め……!

 だが、冷静になっていくにしたがって、滾るような怒りは鬱屈とした思いへと変わっていく。

 発端となったのはエドゥアルトの軽率な行動だったが、その後の展開については、どう考えても自分が悪い。

 大人として、まずは気持ちを抑え、きちんと話し合うべきだった。手合わせの場でもないのに、主に対していきなり(しかも思いっきり)掌底をかましてしまうなど、言語道断だ。さすがのエドゥアルトはとっさに腕でガードしていたが、これが皇太子辺りだったら今頃顔面がひしゃげている騒ぎである。

「大人なんだから……臣下なんだから……私の方から出向いて、謝るべきなんだよな……そうしなきゃいけないんだよな……」

 嫌だなぁ……とラウルは溜め息をついた。

 何が嫌って、顔を合わせるのが気まず過ぎる。ハンスにも現場を目撃されてしまっているのだ。いったいどんな顔をして戻ったらいいものか。

「ねちねち嫌味言われそうだしなぁ……」
「―――へえ。誰にだ?」

 突然降って湧いたその声に、芝生の上に突っ伏していたラウルは跳ねるようにして起き上がった。

 見上げた先には、まだ会いたくなかったエドゥアルトその人が傲然ごうぜんと立っている。

 不覚。気配を消した相手にここまで接近されるまで、気が付かなかった。

「エ、エドゥアルト様。どうしてここに……」

 気まずい面持ちでその名を紡ぐと、不機嫌そうな顔をした相手に当たり前のように返された。

「お前の行動なんぞ、お見通しだ。いつもと違って昼寝はしていなかったようだがな」
「うぐ……」

 何かの時にぽろっと漏らしたことがあっただろうか? ここがラウルお気に入りの昼寝スポットだということがバレている。

 ためらいなくこちらへ近付いてくるエドゥアルトに、芝生に腰を下ろした状態のラウルの身体は自然と後退あとずさった。

 この場へ彼が現れるとは想定していなかった―――まだ心の準備が出来ていないというのに、この事態にどう立ち向かったらいいものか。

「そんなに警戒するな。取って食いやしない」
「そんなことを言って、予想外の行動に出ますからね、貴方は」

 謝らなければと思っていたはずなのに、ついつい憎まれ口が出てしまい、内心で頭を抱える。

 あー、しまった。これじゃいけないと分かっているのに、どうしてこう―――。

 絶対に言い合いになる。そう思い、ラウルが身構えた時だった。彼の口から、思いも寄らぬ言葉がこぼれたのは。

「さっきのことは―――まあ、僕が悪かった」

 ラウルは思わず青灰色の瞳を瞬かせた。

 聞き間違い? そう考えてしまうほど、意外な返答だった。

「勝手に決めつけて悪かったよ。ああいうことは年齢で決まるものじゃないと、ハンスに諭された」

 きまりが悪そうにそう言って、エドゥアルトはゆっくりと膝を折り、ラウルの前にしゃがみ込んだ。

「キスは、初めてだったのか?」

 面と向かってそう問われて、ラウルはカッと頬が火照るのを感じた。

 何てことを聞いてくるんだ、この皇子は!

「そそそそそれ、聞きます!?」

 赤くなってにらみつけると、当然の口調で返された。

「容赦のない掌底を食らったんだ、それくらい聞く権利はあるだろう」
「うぐぅ……」

 そこを突かれると痛い。

 しかし、年下の男からの何と答えにくい質問であることか。回答すること自体が既に罰ゲームのようなものだ。

「そ……そうですよ、初めてですよ! 悪いですか!? 大切にとっておいたのに、何てことしてくれたんですか!!」

 半分ヤケになって白状すると、エドゥアルトは心底驚いたようにトパーズの瞳をまん丸にした。そのレアな表情がまたいたたまれなさを増長させて、ラウルの羞恥心を加速させる。

「何でそんな本気でビックリした顔するんですか! バカにしてます!?」
「いや……世の男達はよくもまあ、ここまでお前を放っておいたものだと思って」
「は!? 何ですか、そのコメントは! やっぱりバカにしてますね!?」
「いや、違う。お前がこれまで出会った男達に見る目がなかったという話をしているんだ」
「下手くそななぐさめいらないですよ! デカくて男より強い女には需要がないって、それくらい分かってますから!」

 顔を真っ赤にして叫ぶラウルはほとんど涙目だ。

 エドゥアルトは深い溜め息をつくと、そんなラウルの頭にぽんと手を置いた。

「少し落ち着け。僕が下手くそななぐさめを言うようなタイプじゃないって、お前、分かってるだろう?」

 大きな手でくしゃりと頭を撫でられて、奇妙な状況に口をつぐむと、端整な面差しにヤンチャな気質を纏わせた相手の顔が少しほころんで、初めて見る色を帯びた。

「は……お前が強い女で、良かったよ」

 どういう意味なのか計りかねる言葉だったが、強烈な引力を感じさせる表情だった。胸の辺りが落ち着かなくなるのに目が離せないような不思議な感覚に囚われて、ラウルは青灰色の瞳を揺らす。

「初めてがあんな形になって、悪かったな」

 銀色のショートボブを滑るようにして下りてきたエドゥアルトの手がラウルの片頬を包み込むようにして、彼の親指が彼女の唇にそっと触れた。

「お前が望むなら、希望に沿う形でやり直してやるぞ」

 キスのやり直しを提案されて、エドゥアルトの表情に見入っていたラウルは我に返った。

「―――! い、いいです!」

 慌ててエドゥアルトの胸を押しやって距離を取ると、相手はふぅん、と鼻を鳴らした。

「初めてが、あんなくっついたかどうかも分からないような代物でいいのか?」
「いいんです! あれは事故だったということにしますから! お互いが好き同士で、気持ちがこもったものじゃないと……私にとっては、意味がないので」
「ずいぶんと大仰なんだな、お前にとってのキスは」
「エドゥアルト様がお気軽過ぎるんですよ!」

 ラウルはきっ、と奔放な皇子をにらみつけた。断じて未経験者が夢を見過ぎているのではない、と思いたい。

「……エドゥアルト様だって、初めての時くらいは、そういう気持ちだったんじゃないんですか?」
「いや? 作法の延長くらいの感じだったな。知識として知り得たことの実践とでも言えばいいのか」
「ええ……」

 ラウルはドン引いた。

 エドゥアルトにとってのキスは「そういう場面」で「礼儀としてしなければならないもの」といった認識でしかないのか。ラブもロマンもへったくれもない。ある意味、彼は彼で気の毒な人なのかもしれない。

「好きな相手としたことは、ないんですか?」
「そもそもその『好き』という感覚がいまいち分からないんだよ。……。でも、まあ―――」

 エドゥアルトは少し考えてからラウルを見やり、こう言った。

「僕はお前のことを『気に入っている』と思っていたけれど、もしかしたら違うのかもしれないな」
「ええ!?」

 唐突なその発言に、ラウルは色を失くした。

「そ、それってつまり、私をお払い箱にしようと考えているってコトですか!? ちょ、待って下さい!」
「脳筋……」
「はい!?」
「いや。それで?」
「え、ええと。いきなり掌底を見舞って、本当に申し訳ありませんでした! それについては全面的に私が悪かったです! 心から反省していますから、ですから、どうぞ今後ともエドゥアルト様の傍に置いて下さい!」

 今の環境がラウルはとても気に入っている。宮廷という独特の場の階級社会の煩わしさはあるが、第五皇子周辺の人間関係は良くて待遇にも満足しているし、スカウトした時の言葉通りエドゥアルトは様々な機会を与えてくれている。手近なところに全力で手合わせ出来る相手もおり、何より、目覚ましい成長を続けるエドゥアルト自身の行く末を見届けたいという思いがあった。

 直立不動の姿勢から勢いよく頭を下げた瞬間、こらえきれなくなった様子でエドゥアルトが吹き出したので、全力で謝っていたラウルは怪訝な顔になった。

「あ、あの?」
「はー……分かった分かった。きっかけを作ったのは僕だし、今回のことは不問にするよ。お前を超えてみせると言ったのに、そのお前がいなくなってしまっては意味がないからな」
「あ……ありがとうございます!」

 良かったぁ、と心からホッとした笑顔になるラウルを見やって、エドゥアルトは瞳を和らげた。

「戻るぞ。ハンスが気を揉みながら待っている」
「はい!」

 大きく頷いたラウルは、前を行くエドゥアルトの背中を見ながら「そういえば」と尋ねた。

「あの、ところでエドゥアルト様は怪我とかしませんでした? 全く手加減なしでやっちゃいましたけど……」
「問題ない。やわな鍛え方はしていないからな」
「そうですか! 私が言うのもアレですけど、エドゥアルト様、たくましくなりましたね」
「ふん……」

 根が単純なラウルは疑いもしなかったのだが、その後、腕がぱんぱんに腫れあがったエドゥアルトが密かに専属の薬師の元へと足を運び、根掘り葉掘りの追及を受けながら、頑としてその理由を明かさないまま、怪我の手当てを受けたということを、彼女は知らない―――。



<完>
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

[完結]思い出せませんので

シマ
恋愛
「早急にサインして返却する事」 父親から届いた手紙には婚約解消の書類と共に、その一言だけが書かれていた。 同じ学園で学び一年後には卒業早々、入籍し式を挙げるはずだったのに。急になぜ?訳が分からない。 直接会って訳を聞かねば 注)女性が怪我してます。苦手な方は回避でお願いします。 男性視点 四話完結済み。毎日、一話更新

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

処理中です...