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本編
十九歳②
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「何かあった? ユーファ」
日課である就寝前の体調チェックの為にフラムアークの部屋を訪れていた私は、彼にそう声をかけられて少し驚いた。
「えっ?」
「何だか元気がないように見えたから。昼間もどことなく物思いに沈んでいるふうだったし」
「そう―――ですか?」
いけない。昼間のスレンツェとのやり取りがずっと頭の中にあって、ぐるぐる思考が渦巻いてしまっていた。表には出さないようにしていたつもりだったのに、どうやら漏れてしまっていたらしい。
フラムアークに余計な心配をかけてしまうなんて……ダメね、しっかりしなければ。
「特に何もありませんよ。すみません、ここのところ少し寝不足気味だったので、そう見えてしまったのかもしれませんね。今日は早く寝るようにします」
「……そう? ならいいけど」
全てを見透かすようなインペリアルトパーズの瞳を意識的に受け止めて、私は表情を取り繕った。
「フラムアーク様の体調はここのところずっと良好ですね」
「優秀な宮廷薬師が管理してくれているからね」
「お褒めの言葉、ありがたくちょうだいしておきます。でも、フラムアーク様ご自身の努力も大きいですよ」
心からそう思う。本人の努力あってこそ、私のサポートは活きてくるのだ。
「ありがとう。ユーファも体調を万全にしてね。もし疲れが溜まっているようなら、明日一日休養を取ってもらっても構わないけど」
「大丈夫です、ひと晩ぐっすり眠れば回復しますから」
「何ならここで一緒に寝ていく? 人肌には安眠効果があるっていうし」
冗談めかして広いベッドを示すフラムアークに私は苦笑を返した。
「確かに昔からそう言われていますけど、大問題になってしまいますのでご遠慮申し上げます」
「つれないな。ユーファは昔からどんなに頼んでも一緒に寝てくれない」
幼い頃、母親の温もりを恋しがるフラムアークは私に添い寝してほしいとせがむことがあった。気持ち的にはそうしてあげたいところだったけれど、第四皇子という身分にある彼にそんなことを出来るはずもなく、私は泣く泣く断って、せいぜい枕元で小さな手を握り、泣き疲れた彼が眠るのを見届けてやるのが精一杯だった。
「心情的には、一緒に寝て差し上げたかったんですよ」
「今ならユーファの立場も分かるよ。称号って、邪魔だな。どんな血筋に生まれようが、子どもは等しく子どもなのに。オレはユーファの温もりに包まれて眠りたかった」
フラムアークが当時の心境を語っているのだと分かっていても、昼間のスレンツェとのやり取りが引っ掛かって変に意識してしまった私は、余計なことを口走ってしまった。
「これからは、アデリーネ様にお願いしたらいいんじゃないですか?」
「えっ?」
フラムアークがあんまりビックリした顔をしたものだから、それに驚いた私は慌てて自らの発言を詫びた。
「あっ……すみません。冗談にしても、出過ぎました」
私のバカ、デリケートなところへ考えなしに……!
内心で不用意な自分の発言を戒めていると、短い沈黙を置いてフラムアークはこう返してきた。
「……どうしてそこにアデリーネ嬢が出てくるの?」
気のせいか、彼の声がいつもよりも硬さを帯びている気がする。不快な気持ちにさせてしまったのだろうかと、私は口ごもりながら彼の表情を窺った。
「え……それは、その……最近のお二人を見ていて、とてもいい雰囲気のように見受けられたものですから……」
「ユーファの目にも、そう映った?」
「はい……」
「ふぅん……そうか。いい雰囲気に、見えたのか」
一人納得するように頷いた彼の顔は、微笑しているようにも、どこか愁いを帯びているようにも見えて、それをどう捉えたらいいのか読み切れず、私は無難な方向に逃げた。
「……お優しくて、素敵な方ですよね」
「そうだね。彼女とは何だか気が合うんだ。考え方が似ているからかな……一緒にいて、自然体でいられるんだ。聡明で信頼出来る、可愛い人だよ」
不意にぎゅっ、と胸が詰まった。心臓が軋んで、その辺りがひんやり冷たくなっていくような感覚に、私は戸惑い、内心で息を飲む。
―――何、これ……。
「傍から見ていい雰囲気に見えたなら、向こうもこちらに対して、同じような気持ちでいてくれてるのかもしれないな」
「そうですね。……そう思います」
動揺を抑えて相槌を打ちながら、この場にいることが猛烈にいたたまれなくなった私は、フラムアークが飲み終えた薬湯の椀を手早く片付け、話を打ち切った。
「―――では、また明朝、伺いますね。おやすみなさいませ」
「……うん。おやすみ、ユーファ」
一礼して、逃げるように彼の部屋を後にしながら、私は激しい自己嫌悪に苛まれた。
―――何!? 何なの!? 何なの、私!?
自分から話を振っておきながら。無神経にデリケートな話題に触れておきながら。それでもフラムアークは応えてくれたのに、話を広げるでもなく、あんな形で打ち切るなんて、失礼極まりないじゃない!
ああ、最低だ。今朝までは、あんなにフラムアークとアデリーネ様の仲が気になって仕方がなかったのに。
いざ彼の口から、彼女を想う言葉が出てきた途端―――こんなにも、入り乱れた気持ちになってしまうだなんて。
その衝撃から逃れるように急ぎ足で調剤室へと戻ってきた私は、ドアを閉め肩で大きく息をつきながら、天井を仰いだ。
フラムアークがあんなふうに誰かのことを語るのを、初めて聞いた。アデリーネ様に対して「可愛い」という言葉を使っていた。
それに対し突如として湧き起こった、この浅ましい思い―――これは、この感情は……大人げのない、嫉妬だ。
「嫉妬って……」
自嘲気味に呟いて、私は自分の額に手を当てた。
自分の反応が、信じられない。予想だにしていなかっただけに、そんな自分の有り様がまた二重にショックだった。
―――情けない。フラムアークが「可愛い」と言ってくれるのを、いつの間にか自分だけの特権のように思っていたの? いつか彼が成長して私の元を離れていくのは、分かり切っていたことだったのに。そして私は、それを望んでいたはずだったのに。
私は心のどこかで、本当はそれを望んでいなかったのだろうか? 自分を慕ってくれる彼の幸せを願いながら、その実、彼の手を離す覚悟が出来ていなかったのだろうか?
―――何て身勝手で卑しいの、ユーファ。
彼はもう小さな子どもではなく、立派な青年になったのだ―――頭では、分かっていたつもりだったのに。
「……ああ、もう」
きゅっと唇を結んで、私は思うままにならない自分の心を叱咤する。
私も気持ちを切り替えて、成長しなければ。フラムアークが大人になって、私から離れていくことを気持ち良く祝福してあげられるように、この空虚な気持ちから脱出しなければならない―――……。
日課である就寝前の体調チェックの為にフラムアークの部屋を訪れていた私は、彼にそう声をかけられて少し驚いた。
「えっ?」
「何だか元気がないように見えたから。昼間もどことなく物思いに沈んでいるふうだったし」
「そう―――ですか?」
いけない。昼間のスレンツェとのやり取りがずっと頭の中にあって、ぐるぐる思考が渦巻いてしまっていた。表には出さないようにしていたつもりだったのに、どうやら漏れてしまっていたらしい。
フラムアークに余計な心配をかけてしまうなんて……ダメね、しっかりしなければ。
「特に何もありませんよ。すみません、ここのところ少し寝不足気味だったので、そう見えてしまったのかもしれませんね。今日は早く寝るようにします」
「……そう? ならいいけど」
全てを見透かすようなインペリアルトパーズの瞳を意識的に受け止めて、私は表情を取り繕った。
「フラムアーク様の体調はここのところずっと良好ですね」
「優秀な宮廷薬師が管理してくれているからね」
「お褒めの言葉、ありがたくちょうだいしておきます。でも、フラムアーク様ご自身の努力も大きいですよ」
心からそう思う。本人の努力あってこそ、私のサポートは活きてくるのだ。
「ありがとう。ユーファも体調を万全にしてね。もし疲れが溜まっているようなら、明日一日休養を取ってもらっても構わないけど」
「大丈夫です、ひと晩ぐっすり眠れば回復しますから」
「何ならここで一緒に寝ていく? 人肌には安眠効果があるっていうし」
冗談めかして広いベッドを示すフラムアークに私は苦笑を返した。
「確かに昔からそう言われていますけど、大問題になってしまいますのでご遠慮申し上げます」
「つれないな。ユーファは昔からどんなに頼んでも一緒に寝てくれない」
幼い頃、母親の温もりを恋しがるフラムアークは私に添い寝してほしいとせがむことがあった。気持ち的にはそうしてあげたいところだったけれど、第四皇子という身分にある彼にそんなことを出来るはずもなく、私は泣く泣く断って、せいぜい枕元で小さな手を握り、泣き疲れた彼が眠るのを見届けてやるのが精一杯だった。
「心情的には、一緒に寝て差し上げたかったんですよ」
「今ならユーファの立場も分かるよ。称号って、邪魔だな。どんな血筋に生まれようが、子どもは等しく子どもなのに。オレはユーファの温もりに包まれて眠りたかった」
フラムアークが当時の心境を語っているのだと分かっていても、昼間のスレンツェとのやり取りが引っ掛かって変に意識してしまった私は、余計なことを口走ってしまった。
「これからは、アデリーネ様にお願いしたらいいんじゃないですか?」
「えっ?」
フラムアークがあんまりビックリした顔をしたものだから、それに驚いた私は慌てて自らの発言を詫びた。
「あっ……すみません。冗談にしても、出過ぎました」
私のバカ、デリケートなところへ考えなしに……!
内心で不用意な自分の発言を戒めていると、短い沈黙を置いてフラムアークはこう返してきた。
「……どうしてそこにアデリーネ嬢が出てくるの?」
気のせいか、彼の声がいつもよりも硬さを帯びている気がする。不快な気持ちにさせてしまったのだろうかと、私は口ごもりながら彼の表情を窺った。
「え……それは、その……最近のお二人を見ていて、とてもいい雰囲気のように見受けられたものですから……」
「ユーファの目にも、そう映った?」
「はい……」
「ふぅん……そうか。いい雰囲気に、見えたのか」
一人納得するように頷いた彼の顔は、微笑しているようにも、どこか愁いを帯びているようにも見えて、それをどう捉えたらいいのか読み切れず、私は無難な方向に逃げた。
「……お優しくて、素敵な方ですよね」
「そうだね。彼女とは何だか気が合うんだ。考え方が似ているからかな……一緒にいて、自然体でいられるんだ。聡明で信頼出来る、可愛い人だよ」
不意にぎゅっ、と胸が詰まった。心臓が軋んで、その辺りがひんやり冷たくなっていくような感覚に、私は戸惑い、内心で息を飲む。
―――何、これ……。
「傍から見ていい雰囲気に見えたなら、向こうもこちらに対して、同じような気持ちでいてくれてるのかもしれないな」
「そうですね。……そう思います」
動揺を抑えて相槌を打ちながら、この場にいることが猛烈にいたたまれなくなった私は、フラムアークが飲み終えた薬湯の椀を手早く片付け、話を打ち切った。
「―――では、また明朝、伺いますね。おやすみなさいませ」
「……うん。おやすみ、ユーファ」
一礼して、逃げるように彼の部屋を後にしながら、私は激しい自己嫌悪に苛まれた。
―――何!? 何なの!? 何なの、私!?
自分から話を振っておきながら。無神経にデリケートな話題に触れておきながら。それでもフラムアークは応えてくれたのに、話を広げるでもなく、あんな形で打ち切るなんて、失礼極まりないじゃない!
ああ、最低だ。今朝までは、あんなにフラムアークとアデリーネ様の仲が気になって仕方がなかったのに。
いざ彼の口から、彼女を想う言葉が出てきた途端―――こんなにも、入り乱れた気持ちになってしまうだなんて。
その衝撃から逃れるように急ぎ足で調剤室へと戻ってきた私は、ドアを閉め肩で大きく息をつきながら、天井を仰いだ。
フラムアークがあんなふうに誰かのことを語るのを、初めて聞いた。アデリーネ様に対して「可愛い」という言葉を使っていた。
それに対し突如として湧き起こった、この浅ましい思い―――これは、この感情は……大人げのない、嫉妬だ。
「嫉妬って……」
自嘲気味に呟いて、私は自分の額に手を当てた。
自分の反応が、信じられない。予想だにしていなかっただけに、そんな自分の有り様がまた二重にショックだった。
―――情けない。フラムアークが「可愛い」と言ってくれるのを、いつの間にか自分だけの特権のように思っていたの? いつか彼が成長して私の元を離れていくのは、分かり切っていたことだったのに。そして私は、それを望んでいたはずだったのに。
私は心のどこかで、本当はそれを望んでいなかったのだろうか? 自分を慕ってくれる彼の幸せを願いながら、その実、彼の手を離す覚悟が出来ていなかったのだろうか?
―――何て身勝手で卑しいの、ユーファ。
彼はもう小さな子どもではなく、立派な青年になったのだ―――頭では、分かっていたつもりだったのに。
「……ああ、もう」
きゅっと唇を結んで、私は思うままにならない自分の心を叱咤する。
私も気持ちを切り替えて、成長しなければ。フラムアークが大人になって、私から離れていくことを気持ち良く祝福してあげられるように、この空虚な気持ちから脱出しなければならない―――……。
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