病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

藤原 秋

文字の大きさ
上 下
18 / 128
本編

十八歳④

しおりを挟む
 部屋を訪れたドレス姿の私を見たフラムアークは、橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳を軽く瞠って、私を室内へと招き入れた。

「薬師の白い長衣ローヴ姿以外、初めて見た。何だかビックリして、言葉が上手く出てこないけど……綺麗だね」

 厚かましくも彼に「可愛い」とは言われ慣れているけれど、「綺麗だ」という言葉は初めて使われた。

 思いがけず頬が熱くなって、彼の顔を直視出来なくなる。そんな自分に少し戸惑った。

「ありがとうございます。こんな素敵なドレス、初めてで着慣れてなくて、少し恥ずかしいですけど……何だか気持ちがふわふわしますね」
「ユーファもやっぱり女性だね。良く似合っているから、ちゃんとこっちを向いて見せて。……何だか不思議だね、こんなに長い間一緒にいるのに、薬師としての君の姿以外見たことがなかったなんて」
「そう言われると、そうですね」

 私服は保護宮の自分の部屋に置きっ放しで、たまの休日をそちらで過ごす時にしか着ないし、寝間着でフラムアークの部屋へ行くような非礼をするはずもなく、兎耳族の私は一緒に外出する機会もないから、必然的に彼が目にするのは薬師としての私の姿だけとなる。

「そう思うと、もったいないことをしていた気分になるな。オレとしてはもっと、色々なユーファを見てみたいのに」
「ふふ。大袈裟ですね、今日はこのドレスのおかげで特別かもしれませんけど、他はたいして代わり映えしませんよ」
「そうかな? オレはそうは思わない」

 フラムアークが進み出て、私の目の前まで来た。

 今日の彼は金糸の刺繍が施された紺を基調にした衣服に身を包み、白いブーツを履いている。羽織っていた白い外衣は私をくるむのに使って汚れてしまった為、今は身に着けていなかった。

「……華奢だな。いつもゆったりとした長衣ローヴを着ているから、分からないけど」

 気のせいだろうか。私を見下ろす彼の瞳が、いつもより甘やかな光を帯びているように感じられるのは。

 でもその瞳は、すぐに痛みを伴う苦し気なものへと変わった。

「あ……」

 彼の視線がどこへ向けられているのか悟って、とっさに腕のあざを手で覆い隠す。長衣ローヴを着ている時は手首から足首まで覆われて隠されていたあざが、五分袖のミモレ丈のドレスを着たことで露出してしまっていた。

 そんなに大きなものではないから気付かれないだろうと思っていたけれど、甘かった。

 フラムアークの視線は目ざとく私の足のあざにも向けられる。

「あの……大丈夫です、時間が経てば消えますから」

 微妙に身体を動かして彼の視線からあざを隠すようにすると、フラムアークは沈痛な面持ちになった。

「……ごめん。オレのせいで、ユーファに痛い思いも辛い思いもさせた。本当にすまなかった―――」
「そんな、これは貴方のせいでは」

 かぶりを振る私の言葉を遮って、彼は自身を断罪した。

「オレの判断ミスだ、初動を誤った! 彼女がどういう人間かは分かっていたんだ、最初にそれを本人に告げた上で毅然と距離を置くべきだった……! その後の対応も後手に回った。自分が見くびられているのは分かっていたのに穏便に済ませることを優先して相手の出方を待った、猶予を与えるべきじゃなかったんだ……! オレの自覚のなさと覚悟の甘さが、君を傷付けさせたんだ」

 フラムアークは奥歯を噛みしめて瞑目し、私に深く頭を下げた。

「すまなかった、ユーファ」
「ちょっ……やめて下さい、頭を上げて下さい、フラムアーク様」

 私は驚いてそう頼んだけれど、彼は深く頭を下げたまま微動だにしてくれない。

「そんなふうに責任を感じて、ご自分を追い詰めないで下さい。お願いですから……」

 困った私は握り締められた彼の拳を自分の手で包み込むようにして、きつく目をつぶったままの彼に訴えた。

「私の方も自覚と配慮が足りなかったんです。回廊でこんなふうに貴方の手を取ったところを彼女達に目撃されていて……思えば、それが発端で話がこじれてしまったのかもしれません。だから、今回のことは私にも責任があるんです。ですから、ご自分だけを責めるのはやめて、私と二人で反省会をしましょう!」

 勢い込んでそう言うと、ようやくフラムアークの瞼が開いて、私の顔を見てくれた。

「それに、こんな言い方をしたら不謹慎かもしれないですけど……私、さっき貴方に助けてもらえた時、すごく嬉しかったんです。皆の前で毅然とした対応を取ってくれたこと、何よりも私を『絶対の信を置く比類なき存在』と言ってくれた貴方のあの言葉に、胸が熱くなりました」

 それは本心だったから、私はその想いが彼に伝わるよう必死で彼の瞳を見つめた。

 そんな私に、フラムアークはどこか儚げな笑みを返す。

「まだまだ頼りない主だけど……ここからオレがより良い主になっていく為に、これからもユーファの力を貸してくれる?」
「もちろんです。ええ、それはもう喜んで。その為の反省会ですよ!」

 両手で握りこぶしを作る私を優しい眼差しで見やり、フラムアークはこう伺いを立ててきた。

「ありがとう。……触れても、いい?」
「え? あ、はい……」

 それがどういう意味合いのものなのか計りかねて微妙な返事になると、神妙な面持ちで私の右手を取った彼は、肘の内側にあるあざにおもむろに顔を近づけ、そこに静かに口づけた。

「―――精進する。二度と、大切な者を傷付けることのないように」

 流れるような所作で行われた一連の行為は、どこか神聖な儀式を思わせるもので、他意は感じさせなかった。

 固い決意を滲ませたフラムアークの表情は、またひとつ、階段を上っていこうとする青年のそれで―――私は肌に一瞬感じた彼の熱を、意識しないように努めた。

「―――ところでフラムアーク様、これまでのことから察するに、見ていたんですね? 私がラウルに助けられた一連の現場を」
「ああ、うん。調剤室へ行ったはずのユーファの姿がそこになかったから、辺りを探していたら偶然―――その時もラウルに後れは取るわ、気付かれて気配の消し方がなっていないと揶揄されるわ、ひどいものだった。本当に形無しだな、オレ」

 フラムアークは自嘲混じりの深い溜め息をついて、きまりが悪そうに後ろ頭を掻いた。

「そこから、彼女達の動向を監視なさっていたんですか?」
「うん、出来る限りね。彼女達が他人を使ってユーファに嫌がらせをしてるのはすぐに分かったから、証拠固めに奔走してた。本当はエスカレートする前に食い止めたかったんだけど、間に合わなくて―――ごめん」
「フラムアーク様、同じループに入るのは避けましょう」
「ああ、そうだね。とりあえず君に水を引っかけた男は拘束したし、彼女達の悪事の裏は取れている。今回はあくまでオレの名で彼女達の家長に厳重な抗議文を送る形で、刑罰を与えるようなものではないけれど、彼女達の宮廷への出入りは禁止されるし、貴族社会でのイメージダウンは大きい。彼女達には今後良い縁談が舞い込むこともないだろう。父親達の出世は余程のことがない限りは打ち止めだ。社会的な制裁は大きいと思う」

 つまりは、彼女達の貴族の令嬢としての華やかな道は絶たれ、社会的には抹殺されたも同然ということになるだろうか。

 同情する気にはならなかったけれど、今回のことで私自身にも反省すべき点が見えたし、色々と考えさせられたから、この経験を心に留めておくことが大切だと思った。

「一緒に考えていきましょう、フラムアーク様。今回のことを踏まえて、私達はこれからどうしていくべきなのか、どうあるべきなのか」
「うん。そうだね……」

 わずかに視線を伏せたフラムアークの端整な面差しに、微かな翳りが差したように見えた。この時彼の胸にどんな思いが渦巻いていたのか、この時の私には、推し量ることが出来なかったのだ―――。







「ええー! そんなことがあったの!? スゴッ! 女って怖っ! 怒涛のような展開だったね!」

 私の話を聞いたレムリアは、興奮した面持ちで雪色の兎耳をぴるぴると動かした。

 あの後フラムアークから二~三日休みを取るように言われた私は、通称兎宮と呼ばれる保護宮にある自室へと久々に戻ってきていた。

「てか、その令嬢達ざまあ! って感じ! いったい何様のつもりなのよ!! はぁ~、皇子様がビシッと言ってくれてスッキリしたけど、くっそ陰湿! 腹立たしいわぁ~! 本当に大変だったね、ユーファ」

 鼻息荒く憤るレムリアに、私は少し頬を緩めた。

「ええ、もうちょっと続いていたら精神的に参っていたかも。フラムアーク様には本当に感謝している」
「も~フラムアーク様、素敵! いい男に育ってるじゃん~! ねえねえ、そんなふうに助けられてキュンとしたりしなかったの?」
「キュン……?」

 レムリアにそう尋ねられた私は、小首を傾げてその時の心情に思いを馳せた。

 少なくとも、レムリアの言う「キュン」とは異なる感情だった気がする。もっと胸の奥底から込み上げてくる、安堵と喜びと様々な感情とがない交ぜになった、激情だった。

「そんな可愛い感じのものじゃなかったわ」
「何? キュンでは足りない、もっと激しい愛を感じちゃった??」
「あなたが期待してるようなものじゃないから」

 目を輝かせて身を乗り出してくるレムリアの額を押しやって、私は話題を変える。

「そういうわけで私は疲れているから、出来れば癒されるような楽しい話が聞きたいんだけど……レムリア、例の彼とはその後どうなったの?」

 話を振られたレムリアは分かりやすく頬を染めて、照れくさそうに、でも嬉しそうに話し始めた。

「えへへ。実はね、ここ最近何となくいい雰囲気になってきて……」

 どうやら進展があったらしい。もう二年、同じ職場の同僚である人間の男性に片想いをしている彼女の話をずっと聞いてきた私は思わず目を瞠って、今度は自分が身を乗り出した。

「何々? 詳しく聞かせてよ」
「うふふ、聞いて聞いて。それがさー」

 女の子の顔になって彼との関係の変化を語るレムリアはとても可愛くて、それを聞く私も自然と柔らかな気持ちになった。

 ああ、いいな。恋をしているレムリアの表情は、とても素敵だ。

 うらやましいな……私もいつか誰かを好きになったら、こんな表情で、その人の話をしてみたい―――。 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

明智さんちの旦那さんたちR

明智 颯茄
恋愛
 あの小高い丘の上に建つ大きなお屋敷には、一風変わった夫婦が住んでいる。それは、妻一人に夫十人のいわゆる逆ハーレム婚だ。  奥さんは何かと大変かと思いきやそうではないらしい。旦那さんたちは全員神がかりな美しさを持つイケメンで、奥さんはニヤケ放題らしい。  ほのぼのとしながらも、複数婚が巻き起こすおかしな日常が満載。  *BL描写あり  毎週月曜日と隔週の日曜日お休みします。

愛など初めからありませんが。

ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。 お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。 「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」 「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」 「……何を言っている?」 仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに? ✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

処理中です...