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本編
十七歳①
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領地視察を終えてから、宮廷内のフラムアークに対する雰囲気は変わってきたように思う。
これまでまともに外へ出る機会のなかった病弱な第四皇子に長期の視察が務まるのかと穿った見方をする者が多かった中、無事に務めを果たして戻ってきたことと、視察に同行した者達のフラムアークに対する評価が概ね好意的だったことが要因だと思われる。
帝国の皇子達は領地視察を終えると政治や軍事にも関わり始め、その手始めとして各地のちょっとした紛争問題に携わったり、時には皇帝の名代を務めるような場合も出てくるのだが、軽んじていた第四皇子が無事視察を終えたことが面白くない兄弟達は、そのうさを晴らすようにフラムアークにその役割を押し付けてきた。
「これまで貴様が役に立たなかった分、我々が動いてきたのだ。その分を担うのは当然だろう」
フラムアークは宮廷と領地を往復することが多くなり、月の半分以上帰ってこないことがざらになった。彼に付き添うスレンツェも同様で、私は一人、宮廷内で彼らの帰りを待ちわびることが多くなった。
「いくら何でも、フラムアーク様に押し付け過ぎです! それも、当てつけのように遠方ばかり……! ご兄弟達の怠慢は目に余ります!」
私は憤慨したけれど、フラムアークは軽く笑ってそんな私をなだめるのだった。
「うん、確かにオーバーワーク気味だね。これ以上はさすがに断るよ。でもねユーファ、オレは嫌々やっているわけじゃないんだ。むしろ少し楽しいかな」
「そうなんですか?」
「うん。これまで外へ出ることもままならなかった身としては、ベッドの上で過ごした日々に比べれば変化に富んで退屈しないし、やりがいもある。遠方が多いのが難だけど、回ってくる案件のひとつひとつは細々としたものだしね。それにね、オレはこれを今までの遅れを取り戻す好機だと捉えているんだ。各地へ飛んで様々な繋がりを得る絶好の機会―――ユーファがきちんと管理してくれているおかげで体調に支障はないし、兄上達にはせいぜい楽をしていただこう。油断怠慢、大歓迎だ」
橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳を不敵に煌めかせて、フラムアークは何だか意味深長な物言いをするようになってきた。
「何か思惑があるんですね? でもどうか、無理だけはなさらないで下さいね」
「うん。スレンツェがいるから大丈夫だよ。……それより久々に帰って来たんだ、今はユーファを補給したいな」
さっきまでの大人びた表情が一転、子どもみたいな顔になって、フラムアークは私にぎゅっと抱きついてくる。
領地視察へ赴く際に久々のハグを交わして以来、思春期特有のためらいが吹っ切れたのか、フラムアークは折に触れて私にハグを求めるようになっていた。
「フラムアーク様、いくつになられました!? もう子どもじゃないんですから……!」
「ユーファ、癒しの成分的なの出ていない? こうするとすごく安心するし、落ち着くんだ」
「出ていませんよ! こんなところを誰かに見られて、あらぬ誤解をされでもしたら……!」
「オレの部屋に許しを得ずに入ってくるのはユーファとスレンツェくらいだよ。その他はちゃんとノックするし、こちらの返事があるまでドアを開けたりしないしね」
「私だって、ノックはしますよ!?」
「ノックすると同時にドアを開けるのはノックとは言わないんだよ」
うぐぐ……! 口が立つようになって!
「だから、大丈夫だから、安心して補給させて。ね?」
「す……少しだけ、ですよ」
「うん」
嬉しそうに頷いて、フラムアークは私の側頭部に頬を寄せてくる。
ああ、甘いわよね……私。ちょろいって思われてそう。
「……髪の匂い、最近元に戻ったよね」
「はい?」
唐突にそう言われて、私はひとつ瞬きした。
「一時期、香りが違う時期があった」
「ああ……スレンツェからお土産にもらった髪用のオイルをつけていたんです。素敵な香りで気に入っていたんですけれど、使い切ってしまったので」
「……オレは、こっちの香りの方が好きだな」
「そうですか?」
「うん。昔から嗅ぎ慣れているユーファの匂い」
フラムアークは幼い頃から、私の匂いを嗅ぐとどこか安心するみたいだった。幼少期に実の母親から遠ざけられた彼にとって、ずっと近くにいた私はその代わりなのだろう。
「好きだよ、ユーファ」
私の腰を引き寄せて囁きながら、フラムアークは指先で長い雪色の髪を梳いてくる。
「……私もです、フラムアーク様」
いつものように応えながら、ドク、と心臓が脈打った。
それは、髪を梳く彼の行為に違和感を覚えたからだ。
こんなふうにハグをしながら髪を梳いてくるなんて、今まで一度もなかった。
これは―――これは、何かが違わない?
サファイアブルーの瞳を揺らして、私は自問自答した。
こんなふうに抱き寄せられて、頬を寄せ合うようにして髪を梳かれるこの状況は―――これではまるで、男女の睦み合いだ。これは―――これは、私達の関係を逸脱している。
未成熟でまだ薄いながら確かな硬さを持ったフラムアークの胸は以前より広く、私を抱き寄せる腕は優しいけれど力強さを秘めていて、髪を梳く無骨で長い指は私よりずっと大きかった。
急激に彼の中に男を感じ、戸惑った私はフラムアークの胸を押して身じろいだ。
「―――はい、終わりです! フラムアーク様、ハグと違う行為は慎んで下さい! 例え私でも、女性にみだりに触れるのはいけませんよ!」
「ああ、ごめん。そうだね。久し振りのユーファだったからつい」
フラムアークはすぐに私から手を離して、素直に詫びた。
「嫌だった? ごめんね」
分かりやすくしゅん、としょげた表情は、子どもの頃から変わらない怒られた後の彼の顔そのもので―――私は昔から子犬のようなこの表情に弱かった。
大人になってきた彼に対する私の対応が変わっているだけで、彼自身は多分、子どもの頃から私に対する態度を変えていないだけ―――そこの相違なのよね……。
でも、大人としてそこはきちんと注意しておかねば。
「嫌というわけでは。ただ、子どもの頃とは違って世間体やマナーというものがありますからね。そこはわきまえていただかないと」
「そうだね。これからは気を付けるよ」
「分かって下されば結構です」
物分かりの良いフラムアークに私は内心でホッとした。
やっぱり私の考え過ぎね。
「気を付けるから、また今度ハグをお願いしてもいい?」
控え目に伺いを立ててくる彼に、私は頬を緩めた。
「はい。ハグでしたら歓迎しますよ。それでフラムアーク様が頑張れるのなら」
「良かった。ユーファのハグの効果は大きいから」
ハグ継続の了承を得て安心したように微笑むフラムアークの顔は、まだ大人になりきれていない年相応の少年のもののように思えた。
帝国西部に位置するイクシュルという領地がある。
隣接する古豪の強国アイワーンとの国境にある領地だ。国境の門の先には左右を断崖に囲まれた道が二キロ程伸びており、その先は開けた盆地となっていて、アイワーン領内へと続いている。
現在帝国が保有するこの地は、国境付近に豊かな鉱脈資源を抱えており、かつてこの地を巡って両国は幾度も刃を交え、その時々の結果により所有国が変遷してきた因縁の地でもある。
そんな歴史を持つイクシュルは、帝国の防衛拠点としても重要な意味を持つ場所だ。
そのイクシュルの領主ハワード辺境伯から宮廷に支援要請が入ったのは、フラムアークが十七歳の初夏のことだった。
どうやらアイワーン側に穏やかでない動きがあったらしい。要請を受けた皇帝は直ちに皇太子率いる援軍二万と第二皇子率いる援軍一万を派遣することを決めた。
「戦争にならなければいいけれど……」
バルコニーからイクシュルへの援軍が出立する様子を見送りながらそう案じる私に、傍らのスレンツェが言った。
「アイワーンは三年前に政権交代があり新国王が立った。新しい国王は血気盛んな気性という噂だから、もしかするかもしれないな。皇帝もそれを警戒して早々に皇太子と第二皇子を出したんだろうが……にらみ合いで済むかどうか」
「フラムアーク様にまで要請が回ってくることはないわよね?」
「戦争にならない限りは大丈夫だろう。イクシュルには五万の兵が常駐していて、城は堅固な要塞になっている。そこに皇太子達の援軍三万が向かっている……いざとなれば近くの領地からも援軍を出すだろうし、仕掛ける側にも生半でない覚悟と準備が要ることだ、今回はおそらく己の威を誇示する為の新国王の挑発行動ではないかと思うがな」
もし戦争になれば、フラムアークにもその火の粉が降りかかるのかもしれない。
薄ら寒い可能性に、私はぎゅっと自分の身体を抱きしめた。
「おかしな話よね……フラムアーク様は正規の軍学も剣術も学ぶ機会を与えられなかったというのに、いざ戦争になったら、一軍を率いる身となって戦地へ赴かなければならないかもしれないなんて。矛盾しているわ」
「全くだな」
そんなことにならないよう私は心の中で祈ったけれど、フラムアークが戦地へ赴く日は、意外な形で訪れることになってしまったのだった。
これまでまともに外へ出る機会のなかった病弱な第四皇子に長期の視察が務まるのかと穿った見方をする者が多かった中、無事に務めを果たして戻ってきたことと、視察に同行した者達のフラムアークに対する評価が概ね好意的だったことが要因だと思われる。
帝国の皇子達は領地視察を終えると政治や軍事にも関わり始め、その手始めとして各地のちょっとした紛争問題に携わったり、時には皇帝の名代を務めるような場合も出てくるのだが、軽んじていた第四皇子が無事視察を終えたことが面白くない兄弟達は、そのうさを晴らすようにフラムアークにその役割を押し付けてきた。
「これまで貴様が役に立たなかった分、我々が動いてきたのだ。その分を担うのは当然だろう」
フラムアークは宮廷と領地を往復することが多くなり、月の半分以上帰ってこないことがざらになった。彼に付き添うスレンツェも同様で、私は一人、宮廷内で彼らの帰りを待ちわびることが多くなった。
「いくら何でも、フラムアーク様に押し付け過ぎです! それも、当てつけのように遠方ばかり……! ご兄弟達の怠慢は目に余ります!」
私は憤慨したけれど、フラムアークは軽く笑ってそんな私をなだめるのだった。
「うん、確かにオーバーワーク気味だね。これ以上はさすがに断るよ。でもねユーファ、オレは嫌々やっているわけじゃないんだ。むしろ少し楽しいかな」
「そうなんですか?」
「うん。これまで外へ出ることもままならなかった身としては、ベッドの上で過ごした日々に比べれば変化に富んで退屈しないし、やりがいもある。遠方が多いのが難だけど、回ってくる案件のひとつひとつは細々としたものだしね。それにね、オレはこれを今までの遅れを取り戻す好機だと捉えているんだ。各地へ飛んで様々な繋がりを得る絶好の機会―――ユーファがきちんと管理してくれているおかげで体調に支障はないし、兄上達にはせいぜい楽をしていただこう。油断怠慢、大歓迎だ」
橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳を不敵に煌めかせて、フラムアークは何だか意味深長な物言いをするようになってきた。
「何か思惑があるんですね? でもどうか、無理だけはなさらないで下さいね」
「うん。スレンツェがいるから大丈夫だよ。……それより久々に帰って来たんだ、今はユーファを補給したいな」
さっきまでの大人びた表情が一転、子どもみたいな顔になって、フラムアークは私にぎゅっと抱きついてくる。
領地視察へ赴く際に久々のハグを交わして以来、思春期特有のためらいが吹っ切れたのか、フラムアークは折に触れて私にハグを求めるようになっていた。
「フラムアーク様、いくつになられました!? もう子どもじゃないんですから……!」
「ユーファ、癒しの成分的なの出ていない? こうするとすごく安心するし、落ち着くんだ」
「出ていませんよ! こんなところを誰かに見られて、あらぬ誤解をされでもしたら……!」
「オレの部屋に許しを得ずに入ってくるのはユーファとスレンツェくらいだよ。その他はちゃんとノックするし、こちらの返事があるまでドアを開けたりしないしね」
「私だって、ノックはしますよ!?」
「ノックすると同時にドアを開けるのはノックとは言わないんだよ」
うぐぐ……! 口が立つようになって!
「だから、大丈夫だから、安心して補給させて。ね?」
「す……少しだけ、ですよ」
「うん」
嬉しそうに頷いて、フラムアークは私の側頭部に頬を寄せてくる。
ああ、甘いわよね……私。ちょろいって思われてそう。
「……髪の匂い、最近元に戻ったよね」
「はい?」
唐突にそう言われて、私はひとつ瞬きした。
「一時期、香りが違う時期があった」
「ああ……スレンツェからお土産にもらった髪用のオイルをつけていたんです。素敵な香りで気に入っていたんですけれど、使い切ってしまったので」
「……オレは、こっちの香りの方が好きだな」
「そうですか?」
「うん。昔から嗅ぎ慣れているユーファの匂い」
フラムアークは幼い頃から、私の匂いを嗅ぐとどこか安心するみたいだった。幼少期に実の母親から遠ざけられた彼にとって、ずっと近くにいた私はその代わりなのだろう。
「好きだよ、ユーファ」
私の腰を引き寄せて囁きながら、フラムアークは指先で長い雪色の髪を梳いてくる。
「……私もです、フラムアーク様」
いつものように応えながら、ドク、と心臓が脈打った。
それは、髪を梳く彼の行為に違和感を覚えたからだ。
こんなふうにハグをしながら髪を梳いてくるなんて、今まで一度もなかった。
これは―――これは、何かが違わない?
サファイアブルーの瞳を揺らして、私は自問自答した。
こんなふうに抱き寄せられて、頬を寄せ合うようにして髪を梳かれるこの状況は―――これではまるで、男女の睦み合いだ。これは―――これは、私達の関係を逸脱している。
未成熟でまだ薄いながら確かな硬さを持ったフラムアークの胸は以前より広く、私を抱き寄せる腕は優しいけれど力強さを秘めていて、髪を梳く無骨で長い指は私よりずっと大きかった。
急激に彼の中に男を感じ、戸惑った私はフラムアークの胸を押して身じろいだ。
「―――はい、終わりです! フラムアーク様、ハグと違う行為は慎んで下さい! 例え私でも、女性にみだりに触れるのはいけませんよ!」
「ああ、ごめん。そうだね。久し振りのユーファだったからつい」
フラムアークはすぐに私から手を離して、素直に詫びた。
「嫌だった? ごめんね」
分かりやすくしゅん、としょげた表情は、子どもの頃から変わらない怒られた後の彼の顔そのもので―――私は昔から子犬のようなこの表情に弱かった。
大人になってきた彼に対する私の対応が変わっているだけで、彼自身は多分、子どもの頃から私に対する態度を変えていないだけ―――そこの相違なのよね……。
でも、大人としてそこはきちんと注意しておかねば。
「嫌というわけでは。ただ、子どもの頃とは違って世間体やマナーというものがありますからね。そこはわきまえていただかないと」
「そうだね。これからは気を付けるよ」
「分かって下されば結構です」
物分かりの良いフラムアークに私は内心でホッとした。
やっぱり私の考え過ぎね。
「気を付けるから、また今度ハグをお願いしてもいい?」
控え目に伺いを立ててくる彼に、私は頬を緩めた。
「はい。ハグでしたら歓迎しますよ。それでフラムアーク様が頑張れるのなら」
「良かった。ユーファのハグの効果は大きいから」
ハグ継続の了承を得て安心したように微笑むフラムアークの顔は、まだ大人になりきれていない年相応の少年のもののように思えた。
帝国西部に位置するイクシュルという領地がある。
隣接する古豪の強国アイワーンとの国境にある領地だ。国境の門の先には左右を断崖に囲まれた道が二キロ程伸びており、その先は開けた盆地となっていて、アイワーン領内へと続いている。
現在帝国が保有するこの地は、国境付近に豊かな鉱脈資源を抱えており、かつてこの地を巡って両国は幾度も刃を交え、その時々の結果により所有国が変遷してきた因縁の地でもある。
そんな歴史を持つイクシュルは、帝国の防衛拠点としても重要な意味を持つ場所だ。
そのイクシュルの領主ハワード辺境伯から宮廷に支援要請が入ったのは、フラムアークが十七歳の初夏のことだった。
どうやらアイワーン側に穏やかでない動きがあったらしい。要請を受けた皇帝は直ちに皇太子率いる援軍二万と第二皇子率いる援軍一万を派遣することを決めた。
「戦争にならなければいいけれど……」
バルコニーからイクシュルへの援軍が出立する様子を見送りながらそう案じる私に、傍らのスレンツェが言った。
「アイワーンは三年前に政権交代があり新国王が立った。新しい国王は血気盛んな気性という噂だから、もしかするかもしれないな。皇帝もそれを警戒して早々に皇太子と第二皇子を出したんだろうが……にらみ合いで済むかどうか」
「フラムアーク様にまで要請が回ってくることはないわよね?」
「戦争にならない限りは大丈夫だろう。イクシュルには五万の兵が常駐していて、城は堅固な要塞になっている。そこに皇太子達の援軍三万が向かっている……いざとなれば近くの領地からも援軍を出すだろうし、仕掛ける側にも生半でない覚悟と準備が要ることだ、今回はおそらく己の威を誇示する為の新国王の挑発行動ではないかと思うがな」
もし戦争になれば、フラムアークにもその火の粉が降りかかるのかもしれない。
薄ら寒い可能性に、私はぎゅっと自分の身体を抱きしめた。
「おかしな話よね……フラムアーク様は正規の軍学も剣術も学ぶ機会を与えられなかったというのに、いざ戦争になったら、一軍を率いる身となって戦地へ赴かなければならないかもしれないなんて。矛盾しているわ」
「全くだな」
そんなことにならないよう私は心の中で祈ったけれど、フラムアークが戦地へ赴く日は、意外な形で訪れることになってしまったのだった。
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