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本編
十歳
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十歳になったフラムアークは私の胸の辺りまでの身長となり、緩やかにではあるけれど、身体も少しずつ丈夫になってきていた。
季節の変わり目や寒暖差の大きい日は体調を崩しがちになるものの、高熱を出して寝込むことが減り、ひと月以上ベッドに臥せったままということはなくなった。
細かった食も徐々に増え、好き嫌いせずにゆっくりと良く噛んで食べる。まだまだ細身ではあるが、以前のようにガリガリの印象ではなくなった。
体調のいい日は宮廷内を散歩したり、中庭でスレンツェと簡単な運動をしたりしている。
フラムアークが健康になってきたのは良いことだったけれど、部屋の外へ出る機会が増えると、それで気詰まりな思いをしてしまうことも多くなった。
その多くは彼の肉親によるものだ。
フラムアークには三人の兄と二人の弟、そして妹が一人いたが、皇帝夫妻が彼と距離を置いている為、幼い頃からそれを感じて育ってきた兄弟達は彼をひどく見くびっていて、偶然出会おうものなら、容赦のない罵声を浴びせてきたり、心ない嫌がらせをしてくるのだった。
中傷して掴みかかる、わざと足を引っかけて転ばせるなどは茶飯事で、背後から突然泥団子をぶつけてきたり、ひどい時は階段の上から突き落とされたこともあった。幸い大事には至らなかったけれど、その時はさすがに皇帝陛下が兄弟を戒めた。それが体面の為なのか、愛情によるものだったのかは分からない。
そういう風潮の宮廷内で働く者達もどこかフラムアークを軽んじている節があり、嫌な噂話を偶然耳にしてしまったり、何気ないことで冷たい態度を取られてしまったりして、傷つくこともしばしばだった。
フラムアークが兄弟達の被害に会う度、宮廷内の人間達から心ない扱いを受ける度、私とスレンツェは身を挺して彼をかばい意見してきたけれど、彼らにとって異端者である私達の言葉は響くことがなく、むしろ逆効果になってしまうようなこともままあって、フラムアークの為に自分はどう行動すべきが最善なのか、私はひどく思い悩んだ。
―――むしろ相手の気を荒立てないように、余計なことは言わないようにするべきなのか。
私は一時期本気でそう悩んだけれど、スレンツェの言葉を聞いて、やはりそれは違うと思い直した。
「オレ達があいつをかばうことをやめてしまったら、誰があいつをかばってやれるんだ。あいつはあいつなりに頑張っているのに、それを認めて主張してやれる者がいなければ、あいつは本当に独りぼっちになって、心が壊れるぞ。例え逆効果になろうが、せめてオレ達だけは言葉にして、行動で示して、フラムアークが大事だということをフラムアーク自身に伝え続けてやらないといけないんじゃないのか。それがオレ達の役目で、ひいてはあいつを守ることに繋がるんじゃないのか」
その通りだ、と心から思って、曇っていた私の視界は晴れた。
その時のことを、私はスレンツェにとても感謝している。
私はフラムアークが部屋の外へ出ることを嫌になってしまわないかひどく心配したのだけれど、彼は健気にこう言った。
「僕が穀潰しで何も出来ない皇族の面汚しだっていうのは、本当のことだから。だから、悔しいけれどそれは受け止める。……けどね、やっぱりそう言われるのは悔しいし腹が立つから、これからはそう言われないようにしたいんだ。だから勉強もするし、出来るだけ運動をして、身体を鍛えることもやめない」
目を真っ赤にして悔し涙を滲ませながら、フラムアークは拳をきつく握りしめた。
「僕のせいで、ユーファもスレンツェも悪く言われて、ごめん。それが、一番悔しくて情けない。僕と一緒にいるだけで、何も悪くない君達が、あんなひどいことを言われて……」
強い憤りのあまり、ひゅぅ、と喉を鳴らせて咳込む彼の肩を抱き寄せたスレンツェが、背中をさすってやりながら言った。
「お前だって、何も悪いことはしていないだろうが」
「……っ」
「そうです、むしろあの辛さを克服しつつ前を向いている貴方は偉い。胸を張って下さい、貴方は頑張っているんですから。ご兄弟は知って恥じるべきです、そんな貴方を蔑んだことを」
「……僕と一緒にいることを、二人とも、嫌にならない?」
消え入るような彼の問いかけに、私達は即答した。
「なるわけないじゃないですか!」
「そんなこと思うわけないだろうが!」
重なった私達の声を聞いて、うつむいていたフラムアークは泣き笑いの顔を上げた。
「……ありがとう。二人がいてくれるから、僕、頑張れる。ユーファ、スレンツェ、大好きだよ」
「私達も、フラムアーク様が大好きですよ」
性分的にそう言えないスレンツェの分も代弁して、私達は微笑み合い、フラムアークを真ん中にして抱き合った。
「僕、頑張るから。だからユーファ、お願い、体調が悪い時はサポートして」
「はい。お任せ下さい」
「スレンツェ、僕を鍛えて。病気に負けないように。強くなれるように」
「音を上げずについて来いよ」
フラムアークは優しくて、ひたむきで、真っ直ぐで勇気のある、とても良い子だ。
この子がこんな思いをしなければならないことが、私達にはとても心苦しくて、切ない。
栄えある大帝国の皇子として生まれながら、フラムアークはあまりにも孤独だ―――。
彼を抱きしめる腕に力を込めながら、そういえばと私は思いを巡らせた。
いつからだろう―――? フラムアークがあれほど会いたがっていた母親に会いたいと口にしなくなったのは。
子どもの母親に対する思慕の念はそう簡単に消えるものではないから、そういう気持ちはきっと今も彼の中にあるのだろうけれど―――それを表に出さず胸の内にしまっておけるほどに、彼はいつの間にか成長していたのだろうか。
けれど、それは年齢相応の子どもらしくいられない、悲しい成長だ―――そう、思った。
季節の変わり目や寒暖差の大きい日は体調を崩しがちになるものの、高熱を出して寝込むことが減り、ひと月以上ベッドに臥せったままということはなくなった。
細かった食も徐々に増え、好き嫌いせずにゆっくりと良く噛んで食べる。まだまだ細身ではあるが、以前のようにガリガリの印象ではなくなった。
体調のいい日は宮廷内を散歩したり、中庭でスレンツェと簡単な運動をしたりしている。
フラムアークが健康になってきたのは良いことだったけれど、部屋の外へ出る機会が増えると、それで気詰まりな思いをしてしまうことも多くなった。
その多くは彼の肉親によるものだ。
フラムアークには三人の兄と二人の弟、そして妹が一人いたが、皇帝夫妻が彼と距離を置いている為、幼い頃からそれを感じて育ってきた兄弟達は彼をひどく見くびっていて、偶然出会おうものなら、容赦のない罵声を浴びせてきたり、心ない嫌がらせをしてくるのだった。
中傷して掴みかかる、わざと足を引っかけて転ばせるなどは茶飯事で、背後から突然泥団子をぶつけてきたり、ひどい時は階段の上から突き落とされたこともあった。幸い大事には至らなかったけれど、その時はさすがに皇帝陛下が兄弟を戒めた。それが体面の為なのか、愛情によるものだったのかは分からない。
そういう風潮の宮廷内で働く者達もどこかフラムアークを軽んじている節があり、嫌な噂話を偶然耳にしてしまったり、何気ないことで冷たい態度を取られてしまったりして、傷つくこともしばしばだった。
フラムアークが兄弟達の被害に会う度、宮廷内の人間達から心ない扱いを受ける度、私とスレンツェは身を挺して彼をかばい意見してきたけれど、彼らにとって異端者である私達の言葉は響くことがなく、むしろ逆効果になってしまうようなこともままあって、フラムアークの為に自分はどう行動すべきが最善なのか、私はひどく思い悩んだ。
―――むしろ相手の気を荒立てないように、余計なことは言わないようにするべきなのか。
私は一時期本気でそう悩んだけれど、スレンツェの言葉を聞いて、やはりそれは違うと思い直した。
「オレ達があいつをかばうことをやめてしまったら、誰があいつをかばってやれるんだ。あいつはあいつなりに頑張っているのに、それを認めて主張してやれる者がいなければ、あいつは本当に独りぼっちになって、心が壊れるぞ。例え逆効果になろうが、せめてオレ達だけは言葉にして、行動で示して、フラムアークが大事だということをフラムアーク自身に伝え続けてやらないといけないんじゃないのか。それがオレ達の役目で、ひいてはあいつを守ることに繋がるんじゃないのか」
その通りだ、と心から思って、曇っていた私の視界は晴れた。
その時のことを、私はスレンツェにとても感謝している。
私はフラムアークが部屋の外へ出ることを嫌になってしまわないかひどく心配したのだけれど、彼は健気にこう言った。
「僕が穀潰しで何も出来ない皇族の面汚しだっていうのは、本当のことだから。だから、悔しいけれどそれは受け止める。……けどね、やっぱりそう言われるのは悔しいし腹が立つから、これからはそう言われないようにしたいんだ。だから勉強もするし、出来るだけ運動をして、身体を鍛えることもやめない」
目を真っ赤にして悔し涙を滲ませながら、フラムアークは拳をきつく握りしめた。
「僕のせいで、ユーファもスレンツェも悪く言われて、ごめん。それが、一番悔しくて情けない。僕と一緒にいるだけで、何も悪くない君達が、あんなひどいことを言われて……」
強い憤りのあまり、ひゅぅ、と喉を鳴らせて咳込む彼の肩を抱き寄せたスレンツェが、背中をさすってやりながら言った。
「お前だって、何も悪いことはしていないだろうが」
「……っ」
「そうです、むしろあの辛さを克服しつつ前を向いている貴方は偉い。胸を張って下さい、貴方は頑張っているんですから。ご兄弟は知って恥じるべきです、そんな貴方を蔑んだことを」
「……僕と一緒にいることを、二人とも、嫌にならない?」
消え入るような彼の問いかけに、私達は即答した。
「なるわけないじゃないですか!」
「そんなこと思うわけないだろうが!」
重なった私達の声を聞いて、うつむいていたフラムアークは泣き笑いの顔を上げた。
「……ありがとう。二人がいてくれるから、僕、頑張れる。ユーファ、スレンツェ、大好きだよ」
「私達も、フラムアーク様が大好きですよ」
性分的にそう言えないスレンツェの分も代弁して、私達は微笑み合い、フラムアークを真ん中にして抱き合った。
「僕、頑張るから。だからユーファ、お願い、体調が悪い時はサポートして」
「はい。お任せ下さい」
「スレンツェ、僕を鍛えて。病気に負けないように。強くなれるように」
「音を上げずについて来いよ」
フラムアークは優しくて、ひたむきで、真っ直ぐで勇気のある、とても良い子だ。
この子がこんな思いをしなければならないことが、私達にはとても心苦しくて、切ない。
栄えある大帝国の皇子として生まれながら、フラムアークはあまりにも孤独だ―――。
彼を抱きしめる腕に力を込めながら、そういえばと私は思いを巡らせた。
いつからだろう―――? フラムアークがあれほど会いたがっていた母親に会いたいと口にしなくなったのは。
子どもの母親に対する思慕の念はそう簡単に消えるものではないから、そういう気持ちはきっと今も彼の中にあるのだろうけれど―――それを表に出さず胸の内にしまっておけるほどに、彼はいつの間にか成長していたのだろうか。
けれど、それは年齢相応の子どもらしくいられない、悲しい成長だ―――そう、思った。
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