爺嬢

はゆ

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「生まれ変わっても、一緒になりたい」
 母が父に最期に遺した言葉。

 時の流れは早い。
 つい最近に感じるあのときから、23年も経過している。

 今や、父、洋平のよわいは89。
 俺、太郎は67。
 長男、一平は43。
 初孫は19。

 あのとき、太郎の孫は誰一人として現世に存在していなかった。
 そして母も――実母のことではない。眼前で、洋平が寄りかかっている嬢、雪乃のことだ。

 どこでどう過ごせばよわい89の爺が、70も歳が離れた曾孫ひまごと同年齢の雪乃と面識を得て、結婚に至るほど仲を深められるのか。
 気にはなる。だが洋平と雪乃、どちらに対しても込み入ったことを尋ねるハードルは高い。
 洋平とは実母が亡くなって以降、疎遠になっている。余程の用事が無ければ顔を合わせることは無い。前回顔を合わせたのは5年前。その前は11年前。雪乃に尋ねようにも太郎との年齢差は48もあり、接点も共通の話題も無い。

 * * * 

 雪乃が母になったと聞かされた3日後。
 そのことを誰かに話したくなり、行きつけのスナックに向かう。

「結婚詐欺にでも、引っ掛かったんじゃないの?」
 核心を衝いたのはママ。
 異論は無い。太郎自身も十中八九じっちゅうはっくそうだと疑っている。詐欺でないとしても、保険金目当てだろうと――だからこそ、ママが指摘したことにより、太郎が特別疑い深いわけではないのだと安堵する。

 とはいえ、太郎は知らぬ存ぜぬの状態で放置して良いとは思っていない。
 戸籍上の母である雪乃が犯罪者になれば、太郎や子、孫に至るまで影響が生じる。だから被害が発生する前に食い止めたい。
 しかし太郎が持っている雪乃の情報は皆無。雪乃との接点は、一度軽く会釈を交わしただけ。会話はしていない。
 偶然、同じ電車に居合わせた人と同程度の面識しかない。言わば他人。

 雪乃について太郎の口から出る言葉は、憶測、推測、妄想、根拠も証拠も無い戯言のみ――そんな話題は長くは続かない。
 とはいえ太郎が話題にあげた目的は、何らかの結論を出したいわけではなく、太郎の身に起きた出来事を第三者に共有したかっただけ。既にその目的は達成している。
 ひとしきり話してすっきりした太郎は、会計を済ませ家路に就く。

  

 路地ろじを歩いていると、名指しで挨拶された。
「太郎さん、こんばんわ」
 聞き覚えのない若い女性の声。だが、名指しされたから立ち止まり、声がした方向に目をる。

 視界に捉えた相手は雪乃。右手にスマホ、左手にはかばんを持っている。
 自発的に両手を塞いでいる状況から、大胆に露出している肌を隠す意思が無いことは明白。
 太郎は、雪乃が身体からだを見せつけているとわかっていても、目のやり場に困った。
 太郎は雪乃からスッと視線を外し、周囲を見回す。近くに居るであろう洋平の姿を探した。しかし洋平も、同行者らしき人物も見当たらない。

 現状、わかっている情報は、雪乃は一人でここに居るということのみ。
 こんな時間に一人でどこかへ向かっているのか。それとも帰宅中なのか。いずれにしても、若い女性が男を誘惑するような無防備な服装で、夜道を一人で歩くことにはリスクがある。
 ここで別れた後、被害に遭われでもしたら後味が悪い。
「送りますね」
 太郎は目的地には触れず、漠然と要件のみを伝える。雪乃がどのように解釈しても当たり障り無いよう、敢えてそうした。

 太郎は、雪乃が一瞬眉をひそめたのを見逃さなかった。
 案の定、やましい場所へ行こうとしているのだろう。だから太郎がついてくると都合が悪いのだ。
 太郎は畳み掛けるように、選択肢を与えない言葉を選んで放つ。
「どうしましたか? 行きますよ」
 雪乃は抑揚の無い声で小さく呟く。
「……有料だよ?」
「なんだ。お金の心配をしてたんですか。タクシー代くらい出しますよ」
 一度は疑ったが、雪乃がやましい場所へ行こうとしている可能性を否定出来たことに安堵する。
「うん……食事する?」
 雪乃の現状は、空腹だけれど現金を持ち合わせていないというところだろう。
「食べたいもの、希望はありますか?」
「お任せします」
 雪乃に尋ねたいことは山ほどある。落ち着いて話せる店を選びたい。太郎はスマホでタクシーを手配し、個室がある居酒屋へと向かう。

  

 タクシーが停車し、ドアが開く。
 太郎は眼前の建物に掲げられている看板を見て、ここが目的地であると認識する。太郎は、この居酒屋で食事をするのも、個室を利用するのも初めてである。
 この店を選んだ理由は、スマホで『居酒屋 個室』と検索した際、星マークが多く付いていて評価が高かったから。

 太郎は店員に案内された個室を見た瞬間、愕然がくぜんとする。
 ソファ型の席が横並びで隣り合わせになっている狭い空間。店内に掲示されている紙によると『カップルシート』というらしい。説明は無くとも、恋人同士が密着し食事するための空間であることは一目瞭然。
 個室もある居酒屋だと思って来た場所が、このような様式になっているとは予想だにしなかった。

 太郎は場所を変えようと思った。

 しかし時既に遅し。雪乃は奥の席に腰を下ろし、太郎が座るのを待っている。
「高いお金払うんだから、楽しまないと勿体無いよ?」
 スカートの右側にあるスリットから伸びる、雪乃のなまめかしい脚に視線がいく。
 楽しむというのは、そういう意味ではないと頭ではわかっているのに、太郎の目は脚に向いてしまう。
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