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第3章 関係

301 うつけ

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「では、そろそろ解散かいさんということで」
 うつけは、ウトウトしている吉乃きつのを気にけることなく、玉城たまじょう方向ほうこうに消えていった。
 家は那古野城なごやじょうと言っていた。
 一五五五年に、廃城はいじょうとなり遺構いこうすら存在そんざいしていない。当然とうぜん居住きょじゅうすることは不可能ふかのう
 玉城たまじょう を経由けいゆし、本来ほんらい居るべき時間軸じかんじくかえったのだと想像そうぞうがつく。

「うちらも、帰るとしようか」
 吉乃きつのに、目を素振そぶりなく、前を通過つうかする胡蝶。
「待って。吉乃きつのはこのまま?」
「ん? 何か問題ある?」
 不思議ふしぎそうに、くびかしげる胡蝶。帰蝶きちょうからしてみれば、この反応はんのう不思議ふしぎ
「置きりにしたら可哀想かわいそうやん」
「ん??? なんで可哀想かわいそうなん? ……あぁ。正妻せいさい側室そくしつに気をつかうのは、ありへんことやよ」
山中さんちゅう放置ほうちしたら、何があるかわからん。危険きけんやん」
吉乃きつのは、脆弱性ぜいじゃくせい放置ほうちしたら危険きけんやって、一番理解りかいしとる人間。放置ほうちする奴を、阿呆あほうやって嘲笑あざわらう側。みずか放置ほうちして何か起きたんなら、それは自業自得じごうじとくやお」
 帰蝶きちょう吉乃きつのばそうとした手を、胡蝶がつかむ。
「触れるな!」
 しかりつけるような、強い口調くちょう。強くにぎられているうでが痛い。
「そんなに強くつかまんといて」
 胡蝶には腕を握っている自覚じかくが無かったのか、おどろいたように手をはなす。
「関わったらあかん。そんなんでも一応、うつけの所有物しょゆうぶつ。関わって何か起きたら、斬首ざんしゅやお。うちが相手でもおんなじ。手を出すのは、全責任ぜんせきにんうっていうこと。やめとき」

 疑われたら終わり。疑わしきはる。
 彼女たちの間にあるのは、信頼しんらい関係とはなるものだと、身にみて感じる。

 現代の事象じしょうを、あれだけ事細ことこまかく把握しているのだから、自分達の未来みらいしるした史実しじつを目にしていないはずがない。
 うつけこと織田信長は、正妻せいさい胡蝶のいとこである明智光秀に殺された。光秀の父光綱みつつなは、胡蝶の母小見おみかたの兄。
「あのさ、信長は光秀に本能寺ほんのうじの変で」
「笑わせんといて。確かに七歳上の十兵衛とうちは恋仲こいなかやった時期じきがあるよ。愛しとる人うばわれたでおこって殺したって言うん? 子どもの頃の話やお? 十兵衛は、うちが十歳のとき綺麗きれいな人をよめもらっとる。相手の煕子ひろこ婚姻こんいん直前ちょくぜん天然痘てんねんとう感染かんせんして、顔にあとが残った。で、妻木家つまきけは妹を煕子ひろこの替わりとして差し出した。でも十兵衛は、煕子ひろこと結婚することを選んだ。『容姿ようしは、年月ねんげつ病気びょうきによって変わるもの。でも、内面ないめん不変ふへん』ってげた。格好ええ、自慢じまんのいとこや」
 十兵衛は当時とうじの明智光秀の通称つうしょう
「うつけも、うちも、そんな十兵衛が好きや。陰謀論いんぼうろんなんか好きに言わせとけばええ。けど……あんたは、あんただけはけがさんとって! 生まれ変わった後、そんなこと言うようになるなんて嫌や」

 史実しじつを目にしていないはずがない。帰蝶きちょうはわかっていた。それなのに、信長は胡蝶を信じているのだろうか。胡蝶は信長にどんな感情かんじょういだいているのだろうか。吉乃きつのは――と、無用むよう疑問ぎもんいだいたがゆえ地雷じらいんでしまった。
「ごめん。真実しんじつがわかったから、もう言わん」
「それならええ」
 また地雷じらいむことになるかもしれない。それでも――。
吉乃きつのとの関係かんけいも知りたい」
「うつけと、うちは和睦わぼくのための政略結婚けっこん。うちが輿入こしいれするより前、うつけは吉乃きつのに一目惚れして、生駒家いこまけ足繁あししげかよっとった。やで正妻せいさいはうちやけど、うつけがれとる相手は吉乃きつの将来しょうらい、うつけが子作りする相手が吉乃きつのなのは、自然しぜんなことやお」
 ようやく胡蝶が言った『触れるな!』と『うちが相手でもおんなじ』の意味を理解した。誰であろうと、うつけ以外が触れたら、ブチれられるのだろう。
 言われた直後は、『胡蝶に』触れても斬首ざんしゅされると勘違かんちがいしていた。けれど、『胡蝶が』触れても斬首ざんしゅされるという意味いみだろう。ここに来る際、胡蝶は帰蝶きちょうの手を引いてくれた。帰蝶きちょうが胡蝶に触れていけないはずがない。とはいえ万一まんいち可能性かのうせいつぶさないとこわい。念のため、確認しておこう。
「帰りも、手繋てつないでいい?」
「黒くて見えんでね」
 予想通よそうどおり。胡蝶には触れても問題もんだい無い。
 手を引かれ、吉乃きつのからはなれていく。
 いていって平気へいき? 声にしたいのをこらえた。一度回答かいとうされている。すべきでないと言われたことを強行きょうこうすれば、しょうじるすべての事象じしょうは、帰蝶きちょう自業自得じごうじとくになる。考えるのをめる。帰蝶きちょうと胡蝶が来るまでの間、暗闇くらやみの中で待っていたのだから、平気だと思うようにした。

  * * *

 胡蝶に手を引かれ、入った先は玉城たまじょう
 行き先は五時間後。吉乃きつのていた場所に行くと、吉乃きつのは変わりなく、ぐっすりねむっている。
「これで、安心出来たやろ」

 タクシーが到着とうちゃくする少し前の時刻じこくに移動し、同じタクシーに再乗車さいじょうしゃする。
 吉乃きつのの身には何も起きないと、帰蝶きちょう自身の目で確認かくにんしたことで、不安ふあん払拭ふっしょく出来た。
 安心あんしんし、心に余裕よゆうが出来たら新たな疑問ぎもんいた。うつけはトンネルに入っていった。トンネルを自宅じたくつなげば、タクシーに乗らずとも帰宅きたく可能かのう
「なんでトンネル使つかわへんの?」
安全あんぜん絶対ぜったいはあらへん。やで繋ぎたくない」
 他者たしゃがする主張しゅちょうや、評判ひょうばんを信じないか――。
 人間不信にんげんふしん。良く言えば慎重しんちょうだからこそ、いくさ最前線さいぜんせんで動き回っても、無事ぶじ帰還きかんし続けていられるのだろう。
 胡蝶に関する資料しりょう情報じょうほうが、信長と結婚けっこんしたこと以外、皆無かいむ理由りゆう危機リスク管理能力かんりのうりょくが高いからだとに落ちた。もしも政略結婚けっこんでなかったなら、後世こうせい存在そんざいを知られることも無かっただろうと想像そうぞうした。

 無事ぶじ――? もしかして。
「胡蝶が監視かんしされとるの?」
「そう言ったやん。色々いろいろ支障ししょうが出てきて、わずらわしくなってきたで、帰蝶きちょうとして動くって」
「いや……言葉足ことばたらずのせいで、全然ぜんぜん伝わってないけど」
「今伝わったで、問題あらへん」

 学校でのやり取りを思い返し、胡蝶は強引ごういんな人間だったと思い出す。
 ふとタクシーの料金りょうきんメーターに目をる。長時間乗っている感覚はあったけれど、まさか五千円をえているとは思っていなかった。
「気にしたらあかんよ。安全あんぜん対価たいかやし」
 胡蝶は頭の中を見透みすかしているかのように、かいげてくれる。だから余計よけい言葉足ことばたらずなところが残念ざんねんに感じる。

 ん? ――先程さきほど、明智光秀の話をった際、胡蝶は一貫いっかんし十兵衛のことを話していた。光秀と十兵衛は同一人物どういつじんぶつだから、同じものについて話しているけれど、前提ぜんていを知らなければ理解りかい出来ない。
 ふと、第三者だいさんしゃに情報を理解りかいさせないため、えてそうしている可能性かのうせいかぶ。

 残念ざんねんな奴をえんじ、油断ゆだんさせるのは、うつけこと織田信長の手法しゅほう。先程まで居た信長には、うつけとしょうされるような要素ようそは無かった。

 胡蝶が吉乃きつのの頭を、躊躇ちゅうちょなく叩いていたことを思い出す。『うちが相手でもおんなじ』とは、どういう意味なのだろう――。

「あんた、うつけやろ」
 確証は無い。けれど、そう直感した。
「ふふっ。帰蝶きちょうは、突拍子とっぴょうしもないこと言うね」
 否定ひていはしない。胡蝶は吉乃きつの嘘吐うそつきとののしった。嘘吐うそつきを蔑視べっしする胡蝶は、嘘以外の方法でかわすはず。笑って話をらした胡蝶の反応は、肯定こうてい解釈かいしゃくして良いと思う。
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