孤高の女王

はゆ

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帰路

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 午後五時。楽しい時間は、あっという間に過ぎる。
 電車の乗り換えがあるから、待ち時間や移動時間を考慮すると、そろそろ帰り支度をしなければならない。男手があるから、後片付けと海の家で借りた物の返却は、あっという間に済んだ。

 内海うつみ駅までは徒歩十五分程。隣を歩く<ひなさん>は、ずっと腕にしがみついている。海に着いたばかりのときは、くっつかれるような間柄ではなかった。
 変化があったのはそれだけではない――。
「お姉様と離れたない」

 午後五時三十五分発の電車に乗車。
 女王様ごっこの後から、羽菜ハナはずっとお姉様と呼称されている。同級生に姉扱いされるのは不思議な感覚だけれど、懐いてくる様子が、小動物しょうどうぶつのようで愛らしいから、拒まずにいる。

 ふと、桃介と呼称されている男が、<ひなさん>のことを好きだと聞いたことを思い出し、接触の機会を奪い取ってしまったことに、罪悪感を覚える。
(乗り換える富貴ふき駅までは、たった四駅。乗り換えるとき、隣を譲ってあげよう。富貴ふき駅から那古野なごや駅までは、四十分以上あるもの)

 富貴ふき駅で乗り換えた後、彼らは席の方には移動せず、扉の前に立っていた。そして、隣の知多武豊ちたたけとよ駅で、電車を降りた。
「今日はありがと。楽しかった」
 <ひなさん>の隣を譲る予定だったのに、桃介から想定外の台詞を吐かれ、困惑する。
「一緒に帰らないのかしら?」
武豊たけとよ線に、乗り換えるから」
 羽菜ハナは、罪悪感を消す機会を失ってしまった。
「そう……」
「送り届けようとも思ったけど、二人の邪魔しちゃ悪いからさ。気を付けて帰ってね」
「邪魔ではないわよ。でも遠回りさせるのは可哀想だから、ここでお別れね」
「確認しそびれてた。今日撮った動画、顔消した方がいい?」
「何故消すのよ! 怒るわよ」
「顔を見せたくない人も、居るからさ」
「消されたら不快だわ」
「かしこまり」

 彼らと別れ、<ひなさん>と二人で席に座る。座ってすぐ<ひなさん>は、羽菜ハナの腕にしがみついたまま眠りにつく。
 電車の走行音と揺れが心地良く、眠気を誘う。つられて眠ってしまわないよう、耐える。

  * * * 

 午後六時四十四分よんじゅうよんふん名鉄めいてつ那古野なごや駅に停車。
 羽菜ハナに寄り掛かり、熟睡中の<ひなさん>。起こそうと試みたけれど、時間が残されていない。抱き抱えるように、急いで下車する。
 でも、<ひなさん>をずっと運んでいけるほどの、身体能力は備わっていない。近くの椅子まで運び、座らせる。
 でも、いつまでも<ひなさん>をこの場で眠らせておくわけにはいかない。
(話し掛けていれば、そのうち起きてくれるわよね)
「迎えを呼ぶ? どうする?」

 何度か話し掛けた後、<ひなさん>が応答した。
「お姉様といぬ!」
(『いぬ』って? 多分、居るの言い間違えね。眠いのに改めて確認するのは、重箱の隅をつつくようなもの。だから、確認するのはやめておこう)

 いぬは関西弁で帰るの意。方言を聞き慣れていない羽菜ハナは誤認した。

「わかった。居るね」
「ほんま!?」
 目を見開く<ひなさん>。
「JR線に乗り換えたら、座ってるだけで大柿おおがき駅まで行けるわ。あと少し頑張って」
「そのあとも、一緒におれるねんなぁ?」
大柿おおがきで解散よ?」
「そんな殺生な……一緒におれる聞いて、嬉しかったのに」
「いぬってどういう意味?」
「帰る」
 この時期は、午後七時過ぎまで外が明るい。
(少し帰宅時間が遅れるくらいなら、問題は無いわ。一人にして、途中で眠られても困るし、送り届けてから帰ろう)
「仕方ないわね。家まで送り届けるわ」

「せや、うち寄ってって」
 予期せぬ提案。羽菜ハナは、同級生の家に行ったことが無い。
(寄ってみたい。でも……)
「門限が……」
「お茶飲むくらい、平気やろ?」
 門限は午後八時。少しなら、滞在しても間に合う。
「そのくらいなら、大丈夫よ」

  * * * 

 午後七時三十三分。大柿おおがき駅に到着。
 十五分程歩き、<ひなさん>の家に到着。
 初めて入る同級生の家。緊張しながら、玄関前で待機する。
「誰もおれへんさかい気ぃ使わんでええよ。入って」
「家主の許可を得るまで、上がることは出来ないわ」
「うち、一人暮らしやねん。入って」
「上がらせていただきます」

 <ひなさん>の派手な外見とは結び付かない、殺風景な部屋。一箇所だけに、物が集められている。
「不思議な部屋ね。あの空間は何?」
「配信する場所」

 気になる空間にある、座卓の前に腰を下ろす。
(見覚えのある光景。動画の背景だわ)

「うち特製の、トウモロコシ茶」
 <ひなさん>に出されたお茶は、ほのかに甘い香り。初めて口にした味だった。
「美味しい……」
「ぎょうさんあるさかい、飲んだって。つまめる物作るな」
 手際良く調理する音と香りに惹かれ、こじんまりとしたキッチンを覗く。
「すごい。美味しそう」
「自炊しぃひんと生きられへんさかい、練習した。食べたい物あれば作るよ。夕飯食べてく?」
 <ひなさん>が作るご飯を食べてみたい。
「食べたい……けれど、門限があるから無理かな」
「電話して聞いたらええ……あ、ヤバっ、八時過ぎてるやん!」

 羽菜ハナは、スマホをカバンから取り出し、家に電話を掛ける。
 静寂に包まれる部屋に響く発信音――。

~~ 電話・始 ~ 

羽菜ハナです」
『連絡が無いから、心配したじゃない。今どこに居るの?』
「<ひなさん>の家に居ます」
『そう……それならいいわ』
「夕食を一緒にと、誘っていただいたのですが……」
『良かったじゃない。ご馳走になりなさい。今日は泊まっていくの?』
「夕食のお誘いを、どうしようかと悩んでいたところで、泊まることまでは、考えていなかったので……」
 <ひなさん>が、親指と人差し指で丸を作って見せる。
「泊まって良いそうです」
『良かったわね。仲良くしなさいね。おやすみ』

~ 電話・終 ~~ 

「質問しても、良いかしら?」
「ええで」
「母の弱味を握ってる?」
「なんで?」
「態度がおかしいのよ。宿泊を許可するだけでなく『良かったわね』と言われ『仲良くしなさい』とも言われたのよ」
「同級生やからちゃう? 普通やと思う」
「有り得ません。母にとって同級生はほこりちり、害虫程度にしか認識されていません。でも、<ひなさん>が母の弱みを握っているならば、しっくりきます」
流石さすがに、それは言い過ぎやで」
「母が実際に使っていた表現です」

「表現はええにしても、うちを何やと思っとるん?」
「怪しい関西人。そうね……急に接触してきたし、諜報員かもしれないわね」
「待ちぃな。お姉様に憧れとって、めちゃ勇気出して誘ってん。今日はほんま、おおきにな。うち、友達おれへんさかい、嬉しかったわ」

「はぐらかされている気がするのだけれど、そういうことにしておくわ。ところで先程の人たちは、友人ではないのかしら?」
「微妙やな……配信サイトの視聴者」
「友人とは、どう違うのかしら?」
「本音を言われへん。言うたらすぐ炎上するし、晒されねんて」
「よくわからないのだけれど、物騒なのね」
「お姉様、多分、今晒されてんで」
「何故? 晒されるようなこと、した覚えは無いのだけれど」
「兄さんら踏んでたやろ。ああいうの、拡散されやすいんよ」

 スマホをいじる<ひなさん>。
「めちゃ伸びてるわ。見てみ」
 アオリ視点の羽菜ハナの写真。
「踏んでいた時の写真ね。よく撮れているわね。記念に欲しいわ」
「物好きやな。そやけど、たしかによぉ撮れとる。こっちに動画もあるわ」

~~ 動画・始 ~ 

『もっと踏んでください』
『お願いしますも言えないのかしら?』
『お願いします』
『遅い。踏む気になれないわ』
『踏んでください……お願いします』
『踏みたくなるよう、努力してくれないなんて悲しいわ』
『申し訳ありません。蹴ってください』
 ドゴッ!
『痛いわね。何故蹴らされたのかしら』

~ 動画・終 ~~ 

 レンズに向かって踏み付けようとしたところで、映像が終わる。

「こないなことしとったん!?」
「ええ。この動画は面白おもしろくないわね。私しか映していないから、何をしているのか、わからないじゃないの」
「めっちゃよぉわかるで。むしろ他のものは要らん」
「……変態の気持ちはわからないわ」
「そないに、ひやこい眼差しを向けんとって」
「つい、ゴミを見るような目で見てしまったわ。多少、侮蔑感情をいだいたけれど、気にしなくていいわよ。思想の自由は、憲法で保障されているもの」

「さらっと、えげつないこと言わんとって」
「そう見えたから、正直に言っただけなのだけれど。友人には、本音を言って良いのよね。言わない方が良ければ、そうするわ」
 <ひなさん>は、友人とそうでない人との違いとして、本音を言えることを挙げていた。だから羽菜ハナは、友人になるためには、包み隠さず伝えなければいけないと考えた。
「ちゃう! 言ってほしい。さっきの弁明させて。お姉様やさかいドキドキする……誰でもええわけやあれへん。それだけ、誤解せんといてほしい」
(本音よね? 友人の基準を満たせたと、解釈して良いの? 確認して、否定されたくはないから、既成事実化じじつかしてしまおう)
「そういうことにしておくわ」
「ほんまに!? お姉様、めっちゃ好き!!」
 満面の笑顔で、羽菜ハナに抱きつく<ひなさん>。歓喜していることが伝わってくる。友人が嬉しそうにしているのを見たり、好きと言ってもらえるのは、心地が良い。
「ええ。ありがと、私も嬉しいわ。これからよろしくね」
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