キスひとつで、目覚める恋

めの。

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キスひとつで、目覚める恋

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「キスひとつで、揺らいじゃうんだ」


 先輩のその言葉に、私は、何も言い返せなかった。



◇ ◇ ◇



「告白されたぁ!?」
「みーちゃん! こえっ、声大きい」


 今日はたまたま人が少なかったからか、みーちゃんの声に気付く人は誰もいなかった。ほっとして胸を撫で下ろす。


「へぇー……。まあ、いつかはこうなりそうだとは思ってたけど」
「そうなの?」


 昨日、私に告白してきた相手こと、幼なじみのりんちゃん。家が隣同士で、小さい頃から学校もずっと一緒。男子と女子だから徐々に遊ぶことは少なくなってきたけど、それでもそれなりに、仲は良かったと思う。でも、告白されるなんて、思ってもみなかった。


「いや、アンタはともかく北橋はそうかなぁって。結構分かりやすかったからねー」
「全然わかんなかった……」


 友達としか思っていなかったから、すぐに返事もできなくて。


「りんちゃんが次の日曜日にデートした時に、返事が欲しいって、言ってて」
「なるほどねー。で、どうするの?」
「まだ……分かんない」


 りんちゃんのことは好きだし、一緒にいたら楽しいと思う。恋人とか、夫婦とかはまだ想像できないけど、多分、今までと同じように仲良くやっていけるんじゃないかって。


「まあ、付き合ってきてから見えるものもあるかもしれないしね。とりあえず付き合ってみたらいいんじゃない? 北橋、ヘタレだけど悪い奴じゃないし」
「ヘタレって……」
「いや、告白するならもっと早くするべきだったっしょ。なんでこの中途半端な時期に」


 みーちゃんはその後、ドラマ好きなせいか告白シーズンや告白する場所とか言葉とか熱く語ってくれた。でも、なんとなくずっと一緒にいた私達には、こういうのが合ってるのかもしれない。


 そうこうしているうちに、昼休みは終わり、いつもよりぼんやりと授業を受けて、放課後になった。部室に行かないと。


「みーちゃん、今日一緒に帰れそう?」
「ごめん、今日当番なんだよね。先帰っててー」
「そっか。じゃあねー」


 運動部は片付けだけじゃなくて、備品のお手入れもあって大変だ。こっちは、本さえ閉じれば片付け終わりなので、当番も何もない。先輩と私しかいないので人数的には寂しいけど、なんだか穏やかで、落ち着く感じ。そんな文芸部の部室はまだ鍵がかかっていた。



「お疲れ様。ごめんね、遅くなって」



 長い黒髪に大きいけれどキリっとした瞳。見た目はクールでちょっと気後れしちゃうけど、話しかけるととても優しくしてくれる、文芸部の先輩。私の方がたまたま先に来ただけなのに、気遣ってくれる先輩は、やっぱりとても優しい。


「締め切ってるせいか、ちょっと暑いわね」
「あ、窓開けますね」


 窓の外は、少しだけど風が吹いていた。


「あ」


 窓から見える校庭から、誰かが手を振ってくれている。小さくて分かりづらいけど、多分りんちゃんだ。部活の邪魔をしても悪いので、こちらも小さく手を振って返す。


「知り合いでもいた?」
「はい、幼なじみの」


 言って、気付く。来週からは、こういう時『彼氏です』って返すのかな? 実感が湧かない。言って回るのもなんだか違うような気もするし、隠すのも違う気がする……。恥ずかしいというより、対応が分からないというか。


「どうかした?」


 黒曜石のような、綺麗な瞳。優しいはずなのに、見つめられるとドキッとする。隠し事のできないような、不思議な瞳。


「大したことじゃないんですけど……」


 告白されたこと。次の日曜日から、多分付き合うこと。なんとなく、どうしていいか分からないこと。今までのりんちゃんとの付き合いまで、なぜだか、先輩には全部話してしまった。


「ご、ごめんなさい! 部活中なのに、こんな話しちゃって……」


 いつもは、『いいのよ』と、優しく言ってくれる先輩なのに、今日は黙ったままだ。何か考えているようだけど、私には分からない。



「好きじゃないのに、付き合えるの?」



 しばらくしてから、先輩が言ったその言葉は、私を責めているようにも聞こえるのに、酷く悲しげで。


「で、でも……りんちゃんのことは、嫌いじゃないし」
「恋人は、友達とは違うのに?」


 立ち上がってこちらに来る先輩の、その顔から目が離せない。頬に触れる先輩の手が冷たくて、そのまま撫でられる髪も自分で触るよりくすぐったくて、ドキドキする。



「キスも、その先もするのよ」



 友達の好きより、さらにその先。イメージなんて当然できてなくて。でも、いつかはするのかなって。そのくらいに、ぼんやりと、自分から離れた存在に感じていた。




「ーーーーぁ」




 そんな、キスを。






 先輩からされた。






 柔らかな感触。一部分が触れ合っているだけなのに、肌が触れ合っているだけとは違う。外から聞こえるサッカー部の声よりも、自分の心臓の音が遥かに大きくて。髪を撫でられる感触が堪らなく気持ち良くて。ふわふわする。


 どのくらいそうしていたかは分からないけれど、唇が離れて、悲しげに笑って先輩は言った。



「今度から、その人の彼女になるのに」




 髪を撫でる手は、こんなにも優しいのに。






「好きでもない人との、キスひとつで揺らいじゃうんだ」






 その言葉は、私に突き刺さったまま、日毎に痛みを増していった。





◇ ◇ ◇





「……なーんか、もうすぐ彼氏ができる人には見えないんですけど」
「みーちゃん……」


 次の日、みーちゃんから心配されて、それからごまかし続けて、でも、部室にも行けなくて。モヤモヤしているのにどうしたらいいのか分からなくて。そうして過ごしていたところを、さすがに放っておけなくなったのか、みーちゃんが連れ出してくれた。

 街がよく見える高台。夕焼け空が綺麗で、眩しくて、眩しすぎて悲しい。


「付き合うのが不安?」


 こちらを見ずに、みーちゃんは聞いてきた。先輩とのことは知らないだろうから、りんちゃんと何かあったのかと心配してくれてるんだろう。


「りんちゃんは……本当に、小さい頃から一緒で、こんな私を好きになってくれて、ああ、この先もずっと、こんな感じなんだなって……思ってたの。りんちゃんは、何も悪くないのに」



 あの日から、先輩の夢ばかりを見る。



 現実では会う勇気もないくせに。夢の中で優しい先輩に話しかけてもらって、本の話をして、一緒に笑って……キスをする。しあわせな、悲しい夢。



「頭から……離れない人がいるの……っ」



 ただの一回。キスしただけなのに。好きだけど、恋愛なんて意識してなくて。ずっと、先輩と後輩として仲良くしていけたらって。それだけだったのに。



 キスしてもらいたい、なんて。



 この前みたいに、触れて欲しい。撫でて欲しい。なんで、一回キスしただけで。それまでは意識なんて全然していなかったのに。



「恋、しちゃったのかぁ」



 泣き出した私を、みーちゃんは抱き寄せて撫でてくれた。でも、これは違う。友達として、してるだけ。だから、ドキドキしない。先輩とは、やっぱり違う。


「みーちゃん……わたしっ」
「うん。誰かに言われて、初めて意識することだってあるよね。でも、北橋のことも……考えちゃうんだよね」


 返事はまだしてない。恋人同士になったわけじゃない。でも、傷つける。私だって、先輩が私のことを好きかどうかなんて分からない。拒絶されたら傷つくくせに……りんちゃんを、傷つけるんだ。



「ねぇ、好きな人にフラれたらどうする?」



 顔を上げると、みーちゃんは街を見ているはずなのに、もっと遠いところを見ているような、そんな気がした。


「好きな人に好きな人ができてさ、そっかーって思って。やっぱり自分じゃなかったかーって。悲しいよ。すごく、悲しい。でも、私は。私だったら、好きな人がしあわせなのが、一番かなって思うよ」


 みーちゃんにも、そんな人がいたんだろうか。


「すっごい悔しいけどね! でも、北橋もそんな感じじゃないかな。間違ってもフラれたからって、お前を殺して自分も死ぬー、みたいなタイプじゃないと思うよ」
「それは」


 うん、そう。りんちゃんも、きっと好きな人のしあわせを祈るタイプだ。優しい、とても、優しい人だから。



「アンタは、どうするの? フラれたら、怖いけど。悲しいけど。それでも、気持ち伝えてみる?」



 先輩。



 先輩、私の憧れの、大好きな先輩。




 私の、好きな人になった先輩。





「元気、出た?」





 みーちゃんにお礼を言って、走り出す。ちゃんと、しなきゃ。言わなきゃ。






◇ ◇ ◇





「あれ? どうしたの」


 部活から帰ってきたりんちゃんは、もう日に焼けていた。夏までは、まだもう少しあるのに。頑張っている証、なんだと思う。


「あの……りんちゃんに、話したいことがあって」
「え、あー。あー……そっか。ちょっとだけ待って」


 りんちゃんは、スポーツドリンクを鞄から出して飲んで、髪を手櫛で整えてからこちらに向き直った。


「うん、大丈夫」


 こちらを見るその顔は、



『良かったら……その、付き合って欲しいんだけど』



 あの日の顔と同じで。胸が痛む。



 だけど。




「好きって……言ってくれたのに、ごめんなさい。好きな人が、できたの……」




 ずるいと思う。ひどいと思う。告白された後に好きな人ができました、なんて。でも、ちゃんと言わなきゃ。ちゃんと言ってくれた、りんちゃんに向き合いたかったから。



「ごめんなさい……っ」



 りんちゃんは、それを聞いて。



「やっぱりかー……」



 蹲って、しまった。


「あー、ごめん。なんとなくそんな気はしてて、気が抜けたっていうか。でも、どこかで言いたくて、もしかしたらって思いもあって。それで、この間言っちゃったんだけど」


 蹲ったまま、りんちゃんは笑いかけてくれる。



「困らせちゃってごめんな」



 違う。




 それは、違う。




「困ってなんかない! 私が……りんちゃんと同じ好きじゃ、なくて。分かんないこともあったけど、だけど」



 うまく言えない。それでも。




「りんちゃんに、好きになってもらえて嬉しかった。応えられなくて、ごめんなさい」




 りんちゃんは、今度は顔を伏せた。


「めっちゃ謝るし……」
「え、だ、その。ごめ……じゃなくて!」
「うん。いいよ、もう。大丈夫」


 立ち上がったりんちゃんは、いつもの顔に戻っていた。


「時間はかかるかもしれないけど、また、前みたいに話せるかな?」


 友達として。りんちゃんが差し出した右手を、両手で握る。


「うん……。前みたいに、じゃなくても。りんちゃんとは、お話ししたい」
「なら、いいや」


 それじゃあ、とりんちゃんは家の中に入っていった。これで良かったかは分からない。だけど、きちんと向き合うことはできたと思う。




「先輩……」




 それから、月曜日まで先輩の夢は見なかった。






◇ ◇ ◇





「もう、来ないかと思った」



 久しぶりに訪れた文芸部で、先輩は寂しそうに笑って言った。久しぶりに会った先輩。そばにいるだけで、胸がきゅうっと締め付けられるような。ドキドキするのに、怖い気持ちもいっぱいで。今までの誰とも違う気持ちが、そこにあるのを感じる。



「先輩に、言いたいことがあって」



 虫の良い話かもしれない。この前まで、別の人と付き合うかもしれない話をしていたのに。





「私、先輩が好きです」





 キスひとつで、変わってしまっただなんて。






「キスされてから、ドキドキが治らなくて。ずっと、先輩のことばっかり考えて。それまでも、先輩のこと好きだったけど、そうじゃなくて。それとは違う」


 先輩の顔が見れない。怖い。それでも。




「恋愛の、好きなんです」




 伝えたかった。りんちゃんも、そんな気持ちだったのかな。



「……幼なじみの子は?」
「断って、きました。好きな人ができた、って」



 いつの間にそばに来ていたのか、先輩の手の感触に目を開けると、次の瞬間には抱きしめられていた。



「ごめんなさい。ヤキモチ、だったの」



 抱きしめられて実感する。ああ、やっぱり違う。鼓動の大きさも、伝わる体温も、すべてが愛しく感じて、離れ難くなる感覚も。




 他の人とは、まるで違った。




「好きでもないのに付き合うのなら、私でもいいじゃない、って」




 それは、そういうことだと思っていいんだろうか。



「ちゃんと、聞きたいです」
「意地悪ね」



 さっきよりも、強く、強く抱きしめられる。




「好きよ。ずっと、ずっと前から好きだった」




 しばらくそうして、次に目が合った時には、自然に口が動いていた。




「キス、してください」




 先輩の顔が近づいてきて、目を瞑る。瞼の上、頬、首筋。触れる唇は、どれもドキドキして、嬉しいのに。




「意地悪、です」




 ほしい場所に、くれない。




「どこにしてほしいの?」




 先輩の意地悪は、さっきのお返しなのか。







「……口に、して」







 そうして、触れた柔らかな感触に限りない幸福感を覚える。






 これから、きっと何度もキスをするんだろう。







 そして、その度に。私はきっと先輩を、もっともっと、好きになる。
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