虚しくても

Ryu

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第二十四章

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神戸刑務所を出所した私は、服役前に生活していた立花のマンションに戻った。
今回の服役中に両足の麻痺が進行してきたので、出所してからの生活はヘルパーさんの世話にならざるを得なかった。
ただ、介助を受けて生活しながらも、服役中に、出所してから死のうと思った感情は消えてはいなかった。


私が利用していた事業所は、七松町にある介護センターケアネットと東難波町にある介護センターフレンド、、、
担当者はケアネットが木曽さんで、フレンドは高木さんだった。
してもらう事は、調理、配膳、掃除、洗濯、入浴介助、通院介助、買い物といった日常的な事に加えて外出時の介助もしてくれていた。
高木さんに関しては何を思ったのか、勤務時間外でも、毎日、私の自宅に通うようになっていった。
フレンドの事務所と高木さんの自宅の間に私の自宅があったからなのか、、、
仕事帰りには、私の自宅に寄るようになっていた。
毎晩、高木さんの他愛のない話を聞いているうちに、高木さんが私の家族関係についてたずねてきた。
「リュウちゃんってな、、、家族の人とはどうなってんの?」
「どういう意味?」
「付き合いとか、、、」
「ないよ」
「こんなん言うたらあれなんやけど、、、リュウちゃん、一人で生活出来へん体やねんから、親とか来てくれたりせぇへんの?」
「そんなもんあるかいな」
「何でなん?」
「そんなもん知るかいな、うちはそんなんなんや」
「でも、親は絶対心配してると思うよ」
「、、、、、」
「あたしも子供二人おるから判んねんけど、子供の事心配せぇへん母親なんておらんと思うねん」
「、、、、、」
「リュウちゃんのお母さんも、絶対リュウちゃんの事心配してると思うよ」
「、、、、、」
「あたしが介助するから実家行ってみぃへん?」
「何でやねん」
「えっ?」
「みんな同じや思うなよ」
「、、、、、」
「それぞれ、ちゃうんや」
「でも親子やん」
「親子でもちゃうねん」
「でも、常識的に、、、」
「そっから、ちゃうねん」
「えっ?」
「その常識っちゅうんはただのものさしやんけ、みんなそれぞれちゃうねんから、その常識っちゅうんもそれぞれなんちゃうか?」
「そうなんかなぁ~?」
「要はあんたの考え方を押しつけんといてくれってだけの話やねんけどな、、、」


高木さんにのせられたからと言う訳ではないんだけれど、、、
彼女がいまひとつ納得しなかった事、、、
そして、彼女がすでに父と連絡を取り始めていた流れで、私は高木さんの介助で実家へ行く事になった。
どうなるか、私には判りきっている事だった。
だけど、百聞は一見にしかずという言葉もある。


高木さんが父と話をして日程を組み、彼女と私はタクシーに乗って、私の実家へと向かっていた。
「リュウちゃんの実家って誰が住んでんの?」
「親父とお袋と弟と和希」
「えっ? リュウちゃんの弟って実家おんの?」
「うん」
「何してんの?」
「何もしてないんちゃうか、、、」
「すねかじりなん?」
「せやな、、、」
「どんなんなん?」
「見たら判るわ」
実家につくと高木さんがインターホンをおした。
「はい」
ドアが開いて父が顔をのぞかせた。
「介護センターフレンドの高木です」
「あぁ」
「リュウちゃん」
高木さんが手まねきをしてきた。
「開けんなボケぇ~」
奥から弟の怒声が飛んできた。
「何ぃ~」
意外だったのが、、、
弟の怒声に対して、父がやり返してくれた事だった。
「その阿呆入れんなボケぇ~」
「何ち言いよんかお前は、、、」
父と弟のやり合いを前に、高木さんはオロオロするばかりだった。
「もぉええよ親父、帰るわ、、、」
「まぁ、入りゃいいじゃねぇか、、、」
父がそう言ってくれたので実家に入ろうとしたら、弟が私に殴りかかってきた。
「入んな言うとんじゃ、この阿呆が」
「何しよるんか、お前は」
父が弟に怒鳴り声をあげた。
これも意外だった、、、
「やめてください」
さすがに高木さんも割って入ってきた。
抱きついて、弟の事を止めていた。
そして弟は、そのまま高木さんに羽交い締めにされてしまった。
これにはちょっと笑えた。
そんなやり取りを、母はうしろから眺めていた。
勿論、汚い物を見るような目で私の事を見ていた。
高木さんだけが、父と母と言葉を交わしてから私達は帰路についた。
帰りのタクシーの中で高木さんが私に話しかけてきた。
「あんなリュウちゃん、、、」
「何?」
「さっきな、、、お母さんから言われた事あんねんけど、、、」
「、、、、、」
「二度と、リュウちゃん連れて来んといてって、、、」
「あっそ、、、」
「えっ?」
「何?」
「リュウちゃん、ショックちゃうの?」
「何で?」
「だって、、、リュウちゃん、こんな体なってんのに、お母さんからそんな風に言われたら普通ショック受けるやん、、、」
「そういう人やからな、、、」
「失礼やけど、あの人ほんまのお母さんなん?」
人からそんな風に言われたのは、これで二度目だ。
一度目は猪ちゃんからだった。


猪ちゃんが身元引受人になってくれた、大阪刑務所服役中の面会での事だった。
「どうだ、リュウジ」
「ぼちぼちやってますよ」
「実はさ、この間お前のお母さんと電話で話したんだよ、、、」
「、、、、、」
「あの人、本当のお母さんなのか?」
「、、、、、」
「俺もこんな仕事してるから色んな家庭見てきたけどよ、、、お前のお母さんは本当に酷ぇな、、、」
「、、、、、」
「何の愛情も感じなかったよ、、、」
それが一度目の事だった。


「せやけど衝撃的やったわ、、、」
「何が?」
「世の中にあんな家庭があるなんて思わんかった、、、」
「、、、、、」
「それにリュウちゃんの弟やから、どんなん出てくるんか思っててんけど、、、」
「、、、、、」
もっと他に言葉があるのではないかと思ったが、、、
彼女はこういう人なんだろう。


毎日が虚しくて仕方がなかった。
どうにもならない虚無感だけを抱きながら過ごしていたように思う。
どうやってそこまで行ったのかも、、、
何故そこだったのかも記憶にはない。
何かに取り憑かれていたような、、、
そんな感覚だったとしか言いようがない。
立花にある、八階建てのマンションの屋上からアスファルトを眺めていた。
このどうにもならない虚無感には、幼い頃からとらわれていたように思う。
「お母さんにはあっ君だけ、こいつなんかどうでもいい」
母から理不尽な虐待を受けて、あの呪文を繰り返し聞かされ続けていた幼少期、、、
毎日が苦しくて仕方がなかった。
下坂部のアパートの天井にあった恐ろしい鬼の顔、、、
それを見ながら、毎晩、死について漠然と考えたり、悩んだりしていたのは、、、
自分の存在に虚しさしか感じれなかったからだと思う。
母からの虐待、、、
繰り返し聞かされ続けたあの呪文、、、
「アホ」
「クズ」
「死ね」
言われ続けた小学校時代、、、
私は色んな事を耐え続けていたと思う。
本当に耐え続けていたと思うけれど、、、
小学校高学年の頃には、彫刻刀やカッターナイフを使っての自傷行為を繰り返すようになっていた。
それは虚しさからだったと思う。
中学校時代に、何度となく高所から飛び降り自殺を試みたのも虚しさからだ。
オーバードーズによる自殺未遂も数え切れない程図ってきた。
それも虚しさからだった。
仙台で飛び降り自殺を図った時も、、、
生きている事が虚しくて仕方がなかった。
自宅のベランダから飛び降り自殺を図った時も、、、
どうにもならない虚無感しか感じていなかった。
尼崎拘置所と大阪拘置所で首吊り自殺を図った時も、、、
虚しくて仕方がなかった。
神戸刑務所服役中に、出所してから死のうと思った。
それは勿論、冤罪の悔しさというものも大きかった。
だけど、それ以上に虚しくて仕方がなかったからだ。
幼い頃からつきまとっていた緊張感と息苦しさよりも、、、
私は、このどうにもならない虚無感の方にとらわれ続けてきたのかも知れない、、、
これから先も、、、
ずっと、このどうにもならない虚無感にとらわれ続けていくんだろうか、、、
虚しかった、、、
ただただ虚しくて仕方がなかった、、、
アスファルトに吸い込まれていくように私の意識はなくなった、、、
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