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第八章
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西成は、ポン中、売人、ヤクザ、日雇い労働者、路上生活者等で成り立っているような町だった。
数年前に暴動が起こった町としても知られている。
西成に出た私は、あいりん地区にある、ドヤと呼ばれる簡易宿泊施設の一室で、運ばれてくる覚せい剤をパケに詰め込む作業をしていた。
隣の部屋では木村というオッサンが、私と同じ作業をしている。
勿論、木村という名前が本名である筈はないだろう。
昼間はパケに覚せい剤を詰め込んで、夜になれば表に出て路上販売をする。
私は場代を納めて、オッサンは会費まで納めている。
オッサンの部屋の壁には戦闘服がかけられている。
その左胸部分には大抵の人が知っている代紋が入っていた。
「うちにこい」
オッサンからは何度も誘われていたけれど、こんな覚せい剤の売人をやりながらヤクザをしているようなオッサンにはつきたくはなかった。
変わっていると、人からよく言われるんだけれど、、、
私は任侠映画というものを一度も見た事がない。
その関連の書籍なんかも読んだ事がない。
だから、実際のところはヤクザについて何も知らない。
ヤクザというのは、弱い者を扶けて強い者を挫く、、、
そして、堅気衆から慕われているもの。
それが時代劇だけの話だという事は、さすがに判っているつもりだった。
ただ、、、
賭場を開いたり、、、
ミカジメを取ったり、、、
そういったものがヤクザらしいシノギだという、勝手な思い込みが私にはあったのだ。
かと言って、覚せい剤は欲しかったので、木村のオッサンから離れる事もしなかった。
そんなドヤでの生活を暫く送っていたある日、木村のオッサンが若い衆達と一緒に姿を消した。
ヤキを入れられる事はなかったけれど、私は色んな奴等からオッサン達の行方を聞かれた。
いくら聞かれても、知らないものは答えようがなかった。
どうやらオッサン達は、売人から集めていた場代を上納せず、懐にしまっていたようだった。
オッサン達がどこに行ったのか本当に知らなかったし、オッサン達が捕まったらどうなるのかは余り想像したくはなかった。
とにかく、オッサンにつかずにいて本当に良かった。
年が明けた頃、私は尼崎にいた。
ポン中仲間の家を転々とする生活に戻っていたんだけれど、私は無性に和希の顔が見たくなって、下坂部の実家に帰ってみた。
緊張感と息苦しさは感じたが、以前のそれとは違うような気がした。
父や母と何かを話すでもなく、その日は何年かぶりに実家で寝た。
それは、突然起こったのかどうかさえ判らなかった。
勿論、私にはそんな経験はないけれど、爆弾が落ちたような衝撃で目が覚めた。
押し寄せてくる波のように地響きがとどろき、、、
何か途方もない力に突き上げられて、家を揺さぶられているような感覚だった。
平成七年一月十七日 午前五時四十六分
阪神淡路大震災だった、、、
和希を助けなければ。
混乱した私の頭の中にあるのはその事だけだった。
「和希ぃ~」
「和希ぃ~」
「和希ぃ~」
真っ暗な部屋の中で私は叫んでいた。
「和希は良いから、あっ君を~」
隣の部屋から母の叫び声が聞こえてきた。
この時、和希は一歳一ヶ月、、、
弟は十六歳、、、
阿呆らしくなった私は、和希と家族の無事だけ確認してから実家をあとにして、ポン中仲間のところへ向かった。
実家もそうだったが、周辺のほとんどの家屋が半壊状態で、辺り一帯にガスの臭いが充満していた。
だけど、そんな事ポン中には何の関係もなかった。
いつも通り、仲間達と覚せい剤を打っていた。
平成七年二月十四日
ポン中仲間の正樹が覚せい剤を打ち過ぎて突然倒れた。
やはりポン中仲間の勝己と一緒に正樹を兵庫県立尼崎病院に担ぎこんで、正樹が点滴をしている間、勝己と二人、待合室で待っていた。
「リュウジ君、、、」
「何や?」
「大丈夫かな?」
「そんな阿呆みたいに入れた訳ちゃうやろ?」
「ちゃうって、医者やん、、、チクらへんかな?」
「そんなもん知るかいな、、、チンコロされたらしゃあないやんけ」
「せやけど、、、」
「何やねん」
「いや、、、」
「嫌やったらお前一人で帰れや」
「そんなんちゃうって、、、」
「ほな何やねん」
「ごめん、、、」
当時の私には何の知識もなかったのだが、違法薬物使用というのは尿検査で陽性反応が出ない限り、逮捕される事はない。
病院で行う採尿検査の場合、麻薬の反応が出た時には医師に通報義務が生じるそうなのだが、覚せい剤においては医師に通報義務はない。
しかし、中には通報する医師もいてるようだ。
この時、正樹を診たのはその類いの医師だったんだろう。
待合室に刑事が現れ、私達は三人とも逮捕された。
事件の管轄は尼崎中央警察だったが、三人いたため、私は尼崎東警察署の留置場にあずかりとなった。
共犯関係者は同じ留置場には入れないという事なんだろう。
取り調べは尼崎中央警察が行って、寝るのだけ尼崎東警察署の留置場でというだけの事だ。
私達は三人とも、覚せい剤の所持と使用の非行事実で事件を大阪家庭裁判所に送致された。
本来なら尼崎家庭裁判所になるのだが、阪神淡路大震災の影響で神戸少年鑑別所が受け入れ出来る状態ではなかったのだ。
そして、私達は堺市にある大阪少年鑑別所に身柄を送られた。
少年審判は、通常一ヶ月程度で審理が終わり、保護観察処分、試験観察処分、少年院送致といった決定が下される事になる。
入所時、私は独居房に入れられて心理テストのような事をやらされた。
そして、ここで問題を起こさずに生活する事が出来れば雑居房に移してもらえるという事だった。
鑑別所での初めての入浴の時間がきた。
「入浴準備ぃ~」
風呂の号令がかかったので、石けんとタオルを持って廊下に並んだ。
十人前後で隊列を組み、風呂場まで行進していく。
「交談禁止やからな、しゃべんなよ」
「、、、、、」
「聞こえへんのんかい」
「、、、、、」
「聞こえたら返事せんかい」
「はいっ」
全員の声が揃った。
「入浴始めぇ~」
私は周りの奴等の事は余り気にせずに、さっさと頭と体を洗ってから髭を剃るため、看守にカミソリを借りて鏡の前に腰掛けた。
周りの奴等の事は気にせずにと考えていたのに、何となく隣に座っている奴の事が気になった。
隣に座っている奴も同じだったのか、私達は鏡合わせのように向かい合った。
「うわっ 天願」
「うおっ リュウジ」
目の前には天願の顔があった。
重なった私達の大声は風呂場に反響していた。
「コラぁ~ お前ら何しゃべっとんじゃ~」
看守の怒号が飛んだ。
「壁向いて立っとけぇ~」
天願と私は入浴を中断させられて、フルチンのまま壁を向いて立たされた。
皆様、どうぞお見尻おきを、、、
数百人が収容されている鑑別所でこんな偶然が起こる事はまずないだろう。
以後、天願の顔を見る機会はなかったけれど、この同じ鑑別所の中のどこかで、天願も頑張っているんだと思いながら、私は鑑別所での生活を送った。
その後、私は無事、雑居房に移してもらえた。
そこで、いずれ矢田最強の男と言われるようになる宝と一緒に過ごしたのだが、この時の宝はまだ中学生だった。
雑居房での生活では、はり絵をやらされた。
独居房でやらされた心理テストとこのはり絵が何らかの判断材料にされるのかも知れない。
その他、鑑別所では毎朝三十分程度の運動時間がある。
運動場か体育館でストレッチ、ランニングをしてから、サッカーやバスケットボールを二十人前後で行う事が多かった。
そんな毎日を送りながら審判の日を待つのだが、私の場合は審判を待たずして少年院送致という結論が出ている事を調査官から教えられた。
「あんたは甘い考え持っとったらあかんで、あんたら三人のうち、帰れんのは一人だけや、あんたともぉ一人は少年院って決まってるからそのつもりでおりや」
調査官面接が行われた時、担当の調査官からあっさりと引導を渡された。
何のための審判なのか判らなくなったが、この調査官の言う通り、正樹は保護観察処分、勝己と私は少年院送致の決定が下された。
これが私の初めての前歴となる。
審判の日、裁判官から中等少年院送致の決定を言い渡されたあと、鑑別所に戻って移送待ちとなった。
その後、一週間程度で移送先が決まって、私は阪南市にある和泉学園に身柄を送られた。
和泉学園での生活は独居房から始まる。
入所後一週間、内観というものをやらされるのだが、これには参った。
朝、六時半に起床してから午後九時に就寝するまで、食事と用便以外の全ての時間、アイマスクをして、ずっと正座し続けるのだ。
それを一週間繰り返す。
その後、南寮か北寮に振り分けられて、そこの雑居房で生活する事になる。
私が振り分けられたのは南寮だった。
和泉学園での生活は四段階に分けられる。
南寮に配属された時点で二級下、それから二級上、一級下、一級上と進級してゆき、仮退院となる。
仮退院というのは、少年院から出所出来たとしても、二十歳になるまでの間は保護観察となる。
保護観察期間中は月に一回か二回、保護司の面接が行われるのだ。
そして二十歳になった時点で終了という事になる。
それで少年院を出所する時の事を仮退院という訳だ。
南寮では明石の暴走族、圭二と同じ部屋になって仲良くしていた。
和泉学園での一日は、、、
半日、ランニングや腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットなどの筋力トレーニングを行って、残りの半日、農作業か園芸作業を行う。
そして休日には各々、勉強したりして過ごす。
そんな変わりばえのない単調な毎日を、大きなトラブルも起こさずに半年間我慢して、私は娑婆に戻った。
ただ、和泉学園入所中に大分にいる父方の祖父が他界した、、、
その祖父の葬儀に参列出来なかった事だけは本当に悔やまれた、、、
数年前に暴動が起こった町としても知られている。
西成に出た私は、あいりん地区にある、ドヤと呼ばれる簡易宿泊施設の一室で、運ばれてくる覚せい剤をパケに詰め込む作業をしていた。
隣の部屋では木村というオッサンが、私と同じ作業をしている。
勿論、木村という名前が本名である筈はないだろう。
昼間はパケに覚せい剤を詰め込んで、夜になれば表に出て路上販売をする。
私は場代を納めて、オッサンは会費まで納めている。
オッサンの部屋の壁には戦闘服がかけられている。
その左胸部分には大抵の人が知っている代紋が入っていた。
「うちにこい」
オッサンからは何度も誘われていたけれど、こんな覚せい剤の売人をやりながらヤクザをしているようなオッサンにはつきたくはなかった。
変わっていると、人からよく言われるんだけれど、、、
私は任侠映画というものを一度も見た事がない。
その関連の書籍なんかも読んだ事がない。
だから、実際のところはヤクザについて何も知らない。
ヤクザというのは、弱い者を扶けて強い者を挫く、、、
そして、堅気衆から慕われているもの。
それが時代劇だけの話だという事は、さすがに判っているつもりだった。
ただ、、、
賭場を開いたり、、、
ミカジメを取ったり、、、
そういったものがヤクザらしいシノギだという、勝手な思い込みが私にはあったのだ。
かと言って、覚せい剤は欲しかったので、木村のオッサンから離れる事もしなかった。
そんなドヤでの生活を暫く送っていたある日、木村のオッサンが若い衆達と一緒に姿を消した。
ヤキを入れられる事はなかったけれど、私は色んな奴等からオッサン達の行方を聞かれた。
いくら聞かれても、知らないものは答えようがなかった。
どうやらオッサン達は、売人から集めていた場代を上納せず、懐にしまっていたようだった。
オッサン達がどこに行ったのか本当に知らなかったし、オッサン達が捕まったらどうなるのかは余り想像したくはなかった。
とにかく、オッサンにつかずにいて本当に良かった。
年が明けた頃、私は尼崎にいた。
ポン中仲間の家を転々とする生活に戻っていたんだけれど、私は無性に和希の顔が見たくなって、下坂部の実家に帰ってみた。
緊張感と息苦しさは感じたが、以前のそれとは違うような気がした。
父や母と何かを話すでもなく、その日は何年かぶりに実家で寝た。
それは、突然起こったのかどうかさえ判らなかった。
勿論、私にはそんな経験はないけれど、爆弾が落ちたような衝撃で目が覚めた。
押し寄せてくる波のように地響きがとどろき、、、
何か途方もない力に突き上げられて、家を揺さぶられているような感覚だった。
平成七年一月十七日 午前五時四十六分
阪神淡路大震災だった、、、
和希を助けなければ。
混乱した私の頭の中にあるのはその事だけだった。
「和希ぃ~」
「和希ぃ~」
「和希ぃ~」
真っ暗な部屋の中で私は叫んでいた。
「和希は良いから、あっ君を~」
隣の部屋から母の叫び声が聞こえてきた。
この時、和希は一歳一ヶ月、、、
弟は十六歳、、、
阿呆らしくなった私は、和希と家族の無事だけ確認してから実家をあとにして、ポン中仲間のところへ向かった。
実家もそうだったが、周辺のほとんどの家屋が半壊状態で、辺り一帯にガスの臭いが充満していた。
だけど、そんな事ポン中には何の関係もなかった。
いつも通り、仲間達と覚せい剤を打っていた。
平成七年二月十四日
ポン中仲間の正樹が覚せい剤を打ち過ぎて突然倒れた。
やはりポン中仲間の勝己と一緒に正樹を兵庫県立尼崎病院に担ぎこんで、正樹が点滴をしている間、勝己と二人、待合室で待っていた。
「リュウジ君、、、」
「何や?」
「大丈夫かな?」
「そんな阿呆みたいに入れた訳ちゃうやろ?」
「ちゃうって、医者やん、、、チクらへんかな?」
「そんなもん知るかいな、、、チンコロされたらしゃあないやんけ」
「せやけど、、、」
「何やねん」
「いや、、、」
「嫌やったらお前一人で帰れや」
「そんなんちゃうって、、、」
「ほな何やねん」
「ごめん、、、」
当時の私には何の知識もなかったのだが、違法薬物使用というのは尿検査で陽性反応が出ない限り、逮捕される事はない。
病院で行う採尿検査の場合、麻薬の反応が出た時には医師に通報義務が生じるそうなのだが、覚せい剤においては医師に通報義務はない。
しかし、中には通報する医師もいてるようだ。
この時、正樹を診たのはその類いの医師だったんだろう。
待合室に刑事が現れ、私達は三人とも逮捕された。
事件の管轄は尼崎中央警察だったが、三人いたため、私は尼崎東警察署の留置場にあずかりとなった。
共犯関係者は同じ留置場には入れないという事なんだろう。
取り調べは尼崎中央警察が行って、寝るのだけ尼崎東警察署の留置場でというだけの事だ。
私達は三人とも、覚せい剤の所持と使用の非行事実で事件を大阪家庭裁判所に送致された。
本来なら尼崎家庭裁判所になるのだが、阪神淡路大震災の影響で神戸少年鑑別所が受け入れ出来る状態ではなかったのだ。
そして、私達は堺市にある大阪少年鑑別所に身柄を送られた。
少年審判は、通常一ヶ月程度で審理が終わり、保護観察処分、試験観察処分、少年院送致といった決定が下される事になる。
入所時、私は独居房に入れられて心理テストのような事をやらされた。
そして、ここで問題を起こさずに生活する事が出来れば雑居房に移してもらえるという事だった。
鑑別所での初めての入浴の時間がきた。
「入浴準備ぃ~」
風呂の号令がかかったので、石けんとタオルを持って廊下に並んだ。
十人前後で隊列を組み、風呂場まで行進していく。
「交談禁止やからな、しゃべんなよ」
「、、、、、」
「聞こえへんのんかい」
「、、、、、」
「聞こえたら返事せんかい」
「はいっ」
全員の声が揃った。
「入浴始めぇ~」
私は周りの奴等の事は余り気にせずに、さっさと頭と体を洗ってから髭を剃るため、看守にカミソリを借りて鏡の前に腰掛けた。
周りの奴等の事は気にせずにと考えていたのに、何となく隣に座っている奴の事が気になった。
隣に座っている奴も同じだったのか、私達は鏡合わせのように向かい合った。
「うわっ 天願」
「うおっ リュウジ」
目の前には天願の顔があった。
重なった私達の大声は風呂場に反響していた。
「コラぁ~ お前ら何しゃべっとんじゃ~」
看守の怒号が飛んだ。
「壁向いて立っとけぇ~」
天願と私は入浴を中断させられて、フルチンのまま壁を向いて立たされた。
皆様、どうぞお見尻おきを、、、
数百人が収容されている鑑別所でこんな偶然が起こる事はまずないだろう。
以後、天願の顔を見る機会はなかったけれど、この同じ鑑別所の中のどこかで、天願も頑張っているんだと思いながら、私は鑑別所での生活を送った。
その後、私は無事、雑居房に移してもらえた。
そこで、いずれ矢田最強の男と言われるようになる宝と一緒に過ごしたのだが、この時の宝はまだ中学生だった。
雑居房での生活では、はり絵をやらされた。
独居房でやらされた心理テストとこのはり絵が何らかの判断材料にされるのかも知れない。
その他、鑑別所では毎朝三十分程度の運動時間がある。
運動場か体育館でストレッチ、ランニングをしてから、サッカーやバスケットボールを二十人前後で行う事が多かった。
そんな毎日を送りながら審判の日を待つのだが、私の場合は審判を待たずして少年院送致という結論が出ている事を調査官から教えられた。
「あんたは甘い考え持っとったらあかんで、あんたら三人のうち、帰れんのは一人だけや、あんたともぉ一人は少年院って決まってるからそのつもりでおりや」
調査官面接が行われた時、担当の調査官からあっさりと引導を渡された。
何のための審判なのか判らなくなったが、この調査官の言う通り、正樹は保護観察処分、勝己と私は少年院送致の決定が下された。
これが私の初めての前歴となる。
審判の日、裁判官から中等少年院送致の決定を言い渡されたあと、鑑別所に戻って移送待ちとなった。
その後、一週間程度で移送先が決まって、私は阪南市にある和泉学園に身柄を送られた。
和泉学園での生活は独居房から始まる。
入所後一週間、内観というものをやらされるのだが、これには参った。
朝、六時半に起床してから午後九時に就寝するまで、食事と用便以外の全ての時間、アイマスクをして、ずっと正座し続けるのだ。
それを一週間繰り返す。
その後、南寮か北寮に振り分けられて、そこの雑居房で生活する事になる。
私が振り分けられたのは南寮だった。
和泉学園での生活は四段階に分けられる。
南寮に配属された時点で二級下、それから二級上、一級下、一級上と進級してゆき、仮退院となる。
仮退院というのは、少年院から出所出来たとしても、二十歳になるまでの間は保護観察となる。
保護観察期間中は月に一回か二回、保護司の面接が行われるのだ。
そして二十歳になった時点で終了という事になる。
それで少年院を出所する時の事を仮退院という訳だ。
南寮では明石の暴走族、圭二と同じ部屋になって仲良くしていた。
和泉学園での一日は、、、
半日、ランニングや腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワットなどの筋力トレーニングを行って、残りの半日、農作業か園芸作業を行う。
そして休日には各々、勉強したりして過ごす。
そんな変わりばえのない単調な毎日を、大きなトラブルも起こさずに半年間我慢して、私は娑婆に戻った。
ただ、和泉学園入所中に大分にいる父方の祖父が他界した、、、
その祖父の葬儀に参列出来なかった事だけは本当に悔やまれた、、、
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