上 下
28 / 36

第27話 風邪引きと駆け引き

しおりを挟む
時刻は午後5時を回った辺りだろうか。金平先生が席を立ってはや30分。あまりに保健室へと姿を見せないので、少々不安になってきた。まあ、風邪を引いているのは俺じゃないのだが。

「先生おせーな。親御さんとはまだ連絡つかんの?こっそり煙草吸ってたりして」

「……連絡つかないですよ。多分」

「ほーお。その心は?」

「仕事が忙しいので。なぜって?優秀ですから」

「聞いてないし、なんでお前がドヤるんだよ。てか、普通ご両親のどっちかには連絡つくでしょ。もう30分以上経ってるんだし」

「うち、母子家庭ですけど」

   俺としたことがなんたる失態。最近片親の家庭は増えている。しかし「両親」がいるのは当たり前、という潜在意識が頭のどこかにあるのだ。俺は基本自分のことが好きだが、こういった意識は反省すべき点だと思っている。

「……すまん。って、謝られても困るよな」

「朝日くんが、珍しく非を認めた……君にも常識ってあったんですね」

「あるわ普通に!馬鹿にしやがって、ったく」

「謝罪なんていりません。別にペペロンチーノが無くても、イタリア人は生きていけるんですよ」

   はい出た脳死発言。熱によって知能がドロドロに溶かされてしまったようだ。そのうち独自の言語とか創り出しそうで怖い。

「んんん、なんか馬鹿にされたような気したんですけど」

「なんも言ってねぇじゃん。お前過剰反応しすぎ~」

(ま、実際馬鹿にしてるんだけどな)

「猫ってなんであんな可愛いんでしょう。あ、周りににゃっこちゃん達が……へへ、幸せ……」

「あれ?夏風邪に幻覚作用ってありましたっけ?真面目にヤバくない?!……どうしよう、とりあえず飲み物買ってくるか」

   ベッド脇の椅子から立ち上がると、ぐいとシャツを掴まれる。かなり強めに掴まれたせいか、思わず体勢を崩しそうになった。

「心和~。あんまし引っ張ると、俺のセクシーパンティーが露わになっちゃう。ちなみに今日は黒のトランクス」

「うげ、誰の得にもならない情報を自らリークしないでください。あと、自販機行くならオレンジジュースをお願いします」

「はいはい、了解しましたよ~っと」

「おつかい、ちゃんと出来ますか」

「自販機くらいで大袈裟だな。それに、俺はこう見えて後輩専属のプロフェッショナルパシリなんだぜ?」

「わー……」
  
   心和がいつになく哀れみの目を向けてくる。やめて、そんな目で見ないで。

「かっこいいお兄さんへジト目を向ける悪い子には、ジュース買ってきてあげないぞ」

「いえ別に。他意はありませんけども」

「嘘つけ~」

「ほんとに、ありませんよ。悔しいですけど、今日君が傍にいてくれて少し安心しました。大体こういう時は、いつも一人なので」

「……今そんな事言ったって、普段のイメージは払拭出来んからな~」

「つべこべ言わずに早くジュース買ってきてくださいよ、万年パシリ君」

   憎まれ口は相変わらずだが、熱を宿した心和の瞳は微かに潤んでいて。それを見て、なぜだか胸が締め付けられるような、寂しい気持ちになった。

「パシリ舐めんな。体力雑魚」

ベッドに背を向け扉の前まで向かうと、音を立てて扉が開かれる。

「おい心和、親御さんと連絡ついたぞ……って。おお、近」

「金平先生遅いっすよ。また一服してたんすかー?」

「なわけ。中々電話繋がんなかったんだよ。だから今ちょ~吸いたい。禁断症状出そう」

   先生はかったるそうにため息をつきながら、心和のいるベッドへと向かう。

「とりあえずもっかい熱測ろう。お母さんあと10分くらいで到着するそうだから、適当に荷物まとめちゃって」

「……分かりました」

   心和はスクールバッグを背負って立ち上がる。まだ足元が覚束無いようで、一瞬こけそうになるのを金平先生が支えた。

「おっと、大丈夫?」

「……ノープロです」

ノープロってノープロブレムの略か?今のお前プロブレムしかねぇわ。
   
「朝日、お勤めご苦労。もう帰っていいからな」

「あ、うーす。ほな、帰りまーす」

   俺もリュックを背負って、保健室を後にする。いきなりお役御免になってしまった。ジュースどうしよう。
   何気に、心和の弱っている姿を初めて見た。冷酷すぎる性格故に、自身の体が冷えてしまったらしい。……と、冗談はさておき。
いつも豊富な語彙力で散々俺を罵倒してくる奴心和が、今日はなんだか子供みたいで。普段冷たくされているせいで感覚が麻痺しているのかもしれないが。

「なんか今日、頼りにされてた?」

◇◇◇

   六月下旬。七月が近づき、暑さが本格化してきた今日この頃。青い季節が、やってきた。耳障りな蝉の声が耳を叩く。

「衣替え~い。涼し~!」

「空うるせ~。ただでさえ蝉がうるさいのにお前倍うるせ~」

「そこまで言うことないだろ。てか快翔機嫌悪くね?さてはまた彼女に振られたな?」

「んでそういう察しは良いんだよ……アイツさぁ、「快翔って対応塩だよね~。返信遅いし、既読ついたと思ったらそのままスルーだし。そういうの結構傷つくって言うかさ~」っていきなり言ってきてよぉ」

   実際快翔は気分屋で、最初こそ丁寧に返信したりデートしたりはするものの、一週間も経てばだんだん塩対応になってくる。既読スルーなんてザラだ。おまけに全然名前を覚えない。覚える気が無い、と言った方が正しいか。一ヶ月付き合った彼女の名前を忘れた時はさすがの俺もドン引きした。結構話題に出してるはずなのだが、未だに翼の名前も覚えようとしてくれない。
   そう、俺の親友は割とクズなのである。

「あの女……既読スルーすんなっつっといてこっちから送ったら同じことしてやんの。マジで意味わかんねぇ。もう絶対彼女とか作らんわ」

「そう言って一週間後には新しい女がいるに100円かけよう。いいか?女心ってのは繊細なんだ。お前は女子を邪険に扱いすぎ。自分の都合ばっかじゃなくて、時には相手に合わせることも大切なの。OK?」

「お前なんでそんな女子に詳しいんだよ。女か」

「快翔が無頓着すぎるだけだ!」

   ほんとに、我が親友は難儀な性格をしている。やれやれだぜ。

「てかさ、空って超絶モテてるし女心丸わかりだし。なのになんで彼女出来ないの?一応女子の前ではぶりっ子してんじゃん」

「ぶりっ子ちゃうわ。イケメンフィルターかけてんだよ。それに、俺今は彼女いらねーから。強がりとかじゃなくて、ほんとに」

   心和と勝負をしている以上、今彼女を作るのは、なんとなく浮気をしているような気がして。付き合っているわけでもないのに、おかしな感情だ。

「そろそろはっきりさせないとな。はぁ、アイツ手強すぎんよ~」

「心の声漏れてね?なんのことかわからんけど」

「朝日くん、ちょっとお話が」

「ベルゼブブっ!」

   噂をすればなんとやら。唐突に心和が話しかけてきたので、椅子から飛び上がりそうになる。危ねー。

「お、告白か?良かったじゃん」

「違います」

「あら即答。フラれちゃったな、モテ男くん」

「最初からそういう関係じゃないし……で、どうしたの心和さん」

「あまり人前で話したくないので、表出てください」

「け、喧嘩とかカツアゲはやめてほしいかも……」

「いいから」

「……はい」

   心和の押しに負け素直に連行される俺を、頑張れ~‪wと煽らんばかりに快翔が見つめてくる。あいつキャンプファイヤーの火種にしよっかな。


    屋上へ出ると、見事な快晴が目に映る。あれほどうるさかった蝉の声は、少し遠くなって、初夏の風が吹き付けた。

「何?また告白と見せかけての罵倒ドッキリでもすんの?」

「いえ、そうではなく。昨日はお世話になりました」

「お、出たな律儀心和。さすが優等生、真面目っ!」

「煽ってます?それ。で、あの。このまま貸しを作りっぱなしはちょっとムカつくので……お礼というか、まあ。そんな感じの?させて欲しいんですけど」

   今日は律儀な面が色濃く出ているようだ。まさか風邪引いた時一緒にいたくらいでお礼案件とは。

「なぁにしてもらおっかな~、うへへ」

「ちなみに私の許容範囲内で、です。卑猥な行為をご所望でしたらそれ相応の場所へどうぞ」

「しません!しないですぅ~別に期待とかしてないですし~」

   にしてもお礼か。別に心和にして欲しいこととか無……いや待てよ。相手を惚れさせる上で有効な手段。それも強力な手法を、たった今思い出した。果たして心和の許容範囲内なのかは不明だが、やってみる価値はある。

「そういうことならば遠慮なく言わせてもらおう。心和瑞月!夏休み、俺とデートしろ!」
   
しおりを挟む

処理中です...