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第7話 女帝

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「貴方、うちの後輩に随分と漬け込んでるみたいじゃない」

  つうと、冷や汗が頬を伝う。バクバクと心音がうるさい。心臓の破裂音なのではないかと錯覚する程だ。目の前の女は優雅に缶コーヒーなぞ嗜みながら、俺の返答を待っている。過去最高の気まずさに、怯える他なかった。俯きながら、必死に返答を考える。

(一歩間違ったら、殺されるぞこれ!どうして、どうしてこんなことになってしまったんだっ……)






――――――遡ること数時間前。


さて、心和キュン堕ち作戦初日。今日も一日元気に心和のハートを撃ち抜くぞ♡と気合いを入れていたのだが……朝っぱらから、俺の下駄箱の横で腕組みする女が一人。


(え、なに。誰あの人)

   俺は陰からその様子をうかがっていた。正直、ああも堂々と待ち伏せされてはさすがの朝日くんも若干引くといいますか。あの様子だと、告白……って感じじゃない。というか、あそこに立たれると上履きが取りづらくて困るんですよ。ちとどいておくんなまし?
   やはりその立ち姿は目立つようで、他の生徒の視線もちらほら集めている。

(見た目的に……先輩か?あれ。上級生とは部活くらいでしか交流ないんだけど……)

  もしかしてあれか?サッカー部のマネージャーやりたいとか。でも、仮に先輩だとしたら、3年生は遅かれ早かれ夏休みが終わる頃には引退するはず。じゃあ、そういう訳でも無いのか……?う~ん分からん。

(しかしあの人、めちゃめちゃ美人だな。なら尚更、あんな美人がなんで俺なんかに……ってそうか。俺イケメンなんだった)

   漆のように黒く、長いストレートヘア。つり上がった目元と左目の下にある涙ボクロが独特の色香を漂わせる。グレーのセーターに黒タイツ。背が高く、モデル体型の彼女にはベストマッチ。その魅力は、周囲とはかけ離れており、まさに魔性の女といえるだろう。そして、何より

(乳でけぇ~。確実にDはあるだろ)

  いくらイケメンとはいえ俺も一人の男。立ち塞がる欲望の前には割と忠実だったりするのです。
しかしいつまでもここで燻っているわけにはいかない。ここはあえて自然に、上履きを取りつつ「何かご用ですか?」みたいな軽いノリで対応するのが先決。
    その女の前まで行き、上履きを履き替える。ってあれ?何も話しかけてこないぞ。

「朝日空って貴方のこと?」

突然女が言葉を発し、俺はびくっと肩を震わせた。

「はい、そうですけど……あの、俺に何か?」

  女は目線を合わせないまま言葉を続ける。

「ちょっと用があるのだけど。昼休み、南棟2階の空き教室に来てちょうだい」

「え、なんでいきなり……」

「昼休み。分かった?」

  女がこちらに視線を向ける。と、背中からぞわぞわと寒気がした。この女、恐ろしいほど目付きが悪い。

「は、はい。承知致しました……」

   こう答える他選択肢がない。なぜって。本能的に分かる。ここで断ったら、確実に殺されるからだ!

「忘れないでね」

  女は一言言い残すと、その場を去っていく。腰が抜けそうになった。世の中にあんな目付きでガン飛ばせる奴がいるなんて……てか、俺なんか悪いことしたかね。そんな大罪犯しちゃったん?

(昼休み、死ぬほど行きたくねぇぇぇぇぇ!)






―――――――――そして今に至る。

(正直、今朝のインパクトが強すぎて授業とか全く集中出来なかった。移動とかあって、心和に声かけんの昼休みくらいしか時間ねぇし。いや別に言い訳してるとかじゃなくてね?って今はそんな状況じゃねぇだろ!)

   借金の取り立てされてる時ってこんな感じの気分なのかな……と最悪の想像をしてしまう。ちゃんと職に就こう。この時、俺はそう強く思った。
     で、だ。この場をどう切り抜ける?さっきの発言からして、最近俺が心和に接近しているのがバレたんだろう。短期間で色々ボロ出しすぎだぞ俺ぇ。

しかし、おそらくこの人は心和の関係者。上手くいけば心和に関する情報を聞き出せるかもしれない。だが失敗すればその時は……

「口にチャックでもついてるのかしら。何も喋れないの?」

   記録更新。「ギロッ」という効果音が似合う女選手権。見事心和選手を抜いた紫水選手。堂々と一位に躍り出ました。

「あの、呼び出していただいたところすみません。俺は貴方様のことを存じ上げないと言いますか……」

   まず、この女の素性を知らないことには、こっちもまともに話が出来ない。というか、自分から呼び出しといて自己紹介も無いとか、礼儀がなってないぞ全く!

「あら、この学校に私の事知らない人がいたなんて。少し驚きだわ」

   ん?ひょっとしてこやつ、自分が有名人とか思っちゃってる痛い人?ププ、いい年こいてなぁに言っちゃってるんだか。そう考えると、偉そうにしてる理由が自ずと見えてくる。きっと勘違いしてるんだ。可哀想に。残念ながら君の学校での知名度は、百歩譲って地元のスーパーくらいのものだ。それに比べて俺はスカイツリー並の知名度と人気を誇っている。こいつと俺じゃ天と地の差


紫水響しすいきょう。名前くらい聞いたことない?」

 紫水響?!紫水響だって?!?!
風の噂で聞いたことがある。3年生に、とんでもない美人がいると。なんでも父親は弁護士、母親は外交官の超エリート一家。本人もその実力をそのまま受け継ぎ、何もかもを完璧にこなす。しかし、その見目麗しい容姿とは裏腹に、内面は極めて冷酷。告白してきた男子をばったばったと薙ぎ倒し、彼女が忌み嫌うウェイな女子は間髪入れず切り捨てる。そうして彼女に、ある二つ名がついた。その名も、『女帝』。尚、そのサバサバした性格に惹かれた人も多く、一定数ファンはいる模様。話を聞いた限りだが、俺もこの人を落とすのはちょっと無理そうかな~と諦めている。

(実物は初めて見たけど、予想以上に怖い。超怖い。よりにもよって、こんなヤバいやつになんで呼び出されたんほんと!)

「あの、存じ上げておりました。はい」

「そう。で、話を戻すけれど。どうして私の後輩に付き纏ってるのかしら。全くもって意味不明だわ」

 どうする。 勝負のことを正直に話すか?でも、話したら話したでどうせ嫌な顔されるんだろうな。適当に誤魔化しとくか。

「心和さんの髪の毛に芋けんぴが四六時中付いていたので、いつ取ろうかとタイミングを見計らっていました」

「しょーもない嘘付くんじゃないわよ。潰されたいの?」

「一週間以内に心和瑞月さんを照れさせるという旨の勝負をさせていただいております!」

   何?秒で否定された。いや確かに自分でも苦しい嘘だとは思ったけども。潰す。潰すって、何を?それってマイリトルボーイのこと差してます?もしそうだとしたなら。間違いない。あの目は、本気で潰しに来る!

「へえ、本人は了承しているの?」

「一応、許可は貰ってます」

「勝負をしかけたのは?」

「……俺です」

    こんなんもう尋問じゃん。助けて、誰か。俺ストレス過多で死んじまうよ。
   紫水先輩はしばらくした後、はあ、とため息を一つ。

「貴方に折り入って頼みがあるわ。今後一切、あの子に近づかないで」


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