20 / 80
7-①
しおりを挟む
「じゃあトルクは?」
「従来型よりも効率よく、低回転域で高出力のパワーを出せる試算を出しました」
「実装は?」
「それは設計部に確認を入れませんと分かりません。必要でしたら解析データを取り寄せますが、いかがしますか」
「いや、今度直接担当者に話を聞きたい。打診しといてくれるか」
「かしこまりました」
淡々とした業務のやり取りをしていると、昨夜のことは夢でも見たんじゃないかと思ってしまう。
今も忙しい業務の隙間を縫って、浦野さんと一緒に本社に程近いカフェでパスタを食べながら、培ってきた知識を活かしてランチミーティングをしている。
(なんなの、本当に)
昨夜は豪華なディナーとお酒を楽しんで、十年も経ったのに別れたつもりはないなんて、あの日の反論を聞かされた後、断りきれずに家まで送ってもらった。
マンションの前に着いてタクシーを降りてからも、浦野さんは私をなかなか帰してくれず、その余韻で妙に浮き足立って眠れない夜を過ごしたのは私だけみたいだ。
今朝になってどんな顔をすれば良いのか分からなくて、緊張で顔の筋肉が凝り固まってた私とは正反対に、浦野さんは何事もなかったように普通に挨拶してきただけだった。
(変に緊張して、私だけバカみたい)
淡々とした様子で、仕事モードの顔をした浦野さんから色々と質問される声に返答しつつ、ようやく肩の力を抜いて小さな息を吐く。
昨夜のことは、お酒が見せた幻覚だったに違いない。
せっかくそう思って気持ちを切り替えるのに、不意に目が合った浦野さんが柔らかく微笑むから、決して私だけが見た幻覚でも夢でもなかったと思い知らされる。
「ジャンク品で直そうとしてたマスタング、どうなったか気にならないか」
私が高三になった年のゴールデンウィークを過ぎた頃、ビビ先輩が古い知り合いから譲り受けた淡い水色のマスタングを、二人で一緒に夢中になって修理したことを思い出す。
目の前にいる浦野さんはまるでイタズラっ子みたいな笑顔で、十年も前のことを、まるで昨日の続きのように切り出した。
「そんなことも、ありましたね」
あの暑い夏の日も、マスタングの調整に行くはずだったから忘れるはずがない。
「見たくないか」
「え?」
「決めた。見せてやるよ、華」
「浦野さん、私は槇村です。槇村とお呼びください」
周囲に意識を飛ばして、咄嗟に下の名前で呼ばないで欲しいと牽制すると、面白がるように口角を上げた浦野さんは納得も否定もしない。
「仕事が終わったら、少し付き合ってもらう」
「お困りごとであれば、今お伺いします」
「確かに困ってるけど、今、ここで、この口から、言って良いのか?」
「……かしこまりました。お供させていただきます。ですが今日は先約があるので、手短にお願いします」
「週末に先約? 相手は男か」
「違います。前園さんです」
「なんだ前園さんか。まあ、男な訳ないか」
目の前で強気に微笑む顔が気に食わないのに、どうしたってこの人の、イタズラっ子みたいに笑う顔が好きで仕方ない。
浦野さんが、どういう経緯で今の立場になったのか、まだ話を聞いていないから分からないけれど、十年も経っているのだから、それだけあれば人は変わる。
それは決して私も例外じゃないはずなのに、目の前にいる彼を見ていると、何も変わっていない自分が情けなくなる。
(だって、彼が笑うだけでこんなにも苦しい)
私には不釣り合いな白いワンピースが頭をよぎり、膝の上で拳を握った。
「デザートも食べるか」
「いいえ。もう戻りませんと、柳川さんをお待たせしてしまいます」
「それくらい待たせても構わないだろ」
「いい加減になさってください。午後のスケジュールをお忘れでしたら、今からまたご説明しましょうか」
嫌味を込めて切り返すと、私がそう答えるのすら分かってて、楽しんでいるような視線を向けられてげんなりする。
「仕事の出来る秘書がついてくれて良かったよ」
「技術畑から異動させられた私なんかより、美貌で優秀な人材が秘書室には揃ってますけど」
「勘弁してくれ」
浦野さんは辟易したように表情を歪め、伝票を掴んで席を立つ。
いちいち会計するのに揉める訳にはいかないので、この場は浦野さんに任せて支払いを終えて店を出ると、曇り空が広がって今にも雨が降り出しそうだ。
万が一すぐに雨が降り始めても、バッグの中に折りたたみ傘は二本入れてあるから、浦野さんを雨に濡らさないで済むだろう。
「ひと雨来そうだな」
「傘ならご用意しております」
「従来型よりも効率よく、低回転域で高出力のパワーを出せる試算を出しました」
「実装は?」
「それは設計部に確認を入れませんと分かりません。必要でしたら解析データを取り寄せますが、いかがしますか」
「いや、今度直接担当者に話を聞きたい。打診しといてくれるか」
「かしこまりました」
淡々とした業務のやり取りをしていると、昨夜のことは夢でも見たんじゃないかと思ってしまう。
今も忙しい業務の隙間を縫って、浦野さんと一緒に本社に程近いカフェでパスタを食べながら、培ってきた知識を活かしてランチミーティングをしている。
(なんなの、本当に)
昨夜は豪華なディナーとお酒を楽しんで、十年も経ったのに別れたつもりはないなんて、あの日の反論を聞かされた後、断りきれずに家まで送ってもらった。
マンションの前に着いてタクシーを降りてからも、浦野さんは私をなかなか帰してくれず、その余韻で妙に浮き足立って眠れない夜を過ごしたのは私だけみたいだ。
今朝になってどんな顔をすれば良いのか分からなくて、緊張で顔の筋肉が凝り固まってた私とは正反対に、浦野さんは何事もなかったように普通に挨拶してきただけだった。
(変に緊張して、私だけバカみたい)
淡々とした様子で、仕事モードの顔をした浦野さんから色々と質問される声に返答しつつ、ようやく肩の力を抜いて小さな息を吐く。
昨夜のことは、お酒が見せた幻覚だったに違いない。
せっかくそう思って気持ちを切り替えるのに、不意に目が合った浦野さんが柔らかく微笑むから、決して私だけが見た幻覚でも夢でもなかったと思い知らされる。
「ジャンク品で直そうとしてたマスタング、どうなったか気にならないか」
私が高三になった年のゴールデンウィークを過ぎた頃、ビビ先輩が古い知り合いから譲り受けた淡い水色のマスタングを、二人で一緒に夢中になって修理したことを思い出す。
目の前にいる浦野さんはまるでイタズラっ子みたいな笑顔で、十年も前のことを、まるで昨日の続きのように切り出した。
「そんなことも、ありましたね」
あの暑い夏の日も、マスタングの調整に行くはずだったから忘れるはずがない。
「見たくないか」
「え?」
「決めた。見せてやるよ、華」
「浦野さん、私は槇村です。槇村とお呼びください」
周囲に意識を飛ばして、咄嗟に下の名前で呼ばないで欲しいと牽制すると、面白がるように口角を上げた浦野さんは納得も否定もしない。
「仕事が終わったら、少し付き合ってもらう」
「お困りごとであれば、今お伺いします」
「確かに困ってるけど、今、ここで、この口から、言って良いのか?」
「……かしこまりました。お供させていただきます。ですが今日は先約があるので、手短にお願いします」
「週末に先約? 相手は男か」
「違います。前園さんです」
「なんだ前園さんか。まあ、男な訳ないか」
目の前で強気に微笑む顔が気に食わないのに、どうしたってこの人の、イタズラっ子みたいに笑う顔が好きで仕方ない。
浦野さんが、どういう経緯で今の立場になったのか、まだ話を聞いていないから分からないけれど、十年も経っているのだから、それだけあれば人は変わる。
それは決して私も例外じゃないはずなのに、目の前にいる彼を見ていると、何も変わっていない自分が情けなくなる。
(だって、彼が笑うだけでこんなにも苦しい)
私には不釣り合いな白いワンピースが頭をよぎり、膝の上で拳を握った。
「デザートも食べるか」
「いいえ。もう戻りませんと、柳川さんをお待たせしてしまいます」
「それくらい待たせても構わないだろ」
「いい加減になさってください。午後のスケジュールをお忘れでしたら、今からまたご説明しましょうか」
嫌味を込めて切り返すと、私がそう答えるのすら分かってて、楽しんでいるような視線を向けられてげんなりする。
「仕事の出来る秘書がついてくれて良かったよ」
「技術畑から異動させられた私なんかより、美貌で優秀な人材が秘書室には揃ってますけど」
「勘弁してくれ」
浦野さんは辟易したように表情を歪め、伝票を掴んで席を立つ。
いちいち会計するのに揉める訳にはいかないので、この場は浦野さんに任せて支払いを終えて店を出ると、曇り空が広がって今にも雨が降り出しそうだ。
万が一すぐに雨が降り始めても、バッグの中に折りたたみ傘は二本入れてあるから、浦野さんを雨に濡らさないで済むだろう。
「ひと雨来そうだな」
「傘ならご用意しております」
3
お気に入りに追加
56
あなたにおすすめの小説
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話
よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。
「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない
若松だんご
恋愛
――俺には、将来を誓った相手がいるんです。
お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。
――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。
ほげええっ!?
ちょっ、ちょっと待ってください、課長!
あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?
課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。
――俺のところに来い。
オオカミ課長に、強引に同居させられた。
――この方が、恋人らしいだろ。
うん。そうなんだけど。そうなんですけど。
気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。
イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。
(仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???
すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
地味系秘書と氷の副社長は今日も仲良くバトルしてます!
めーぷる
恋愛
見た目はどこにでもいそうな地味系女子の小鳥風音(おどりかざね)が、ようやく就職した会社で何故か社長秘書に大抜擢されてしまう。
秘書検定も持っていない自分がどうしてそんなことに……。
呼び出された社長室では、明るいイケメンチャラ男な御曹司の社長と、ニコリともしない銀縁眼鏡の副社長が風音を待ち構えていた――
地味系女子が色々巻き込まれながら、イケメンと美形とぶつかって仲良くなっていく王道ラブコメなお話になっていく予定です。
ちょっとだけ三角関係もあるかも?
・表紙はかんたん表紙メーカーで作成しています。
・毎日11時に投稿予定です。
・勢いで書いてます。誤字脱字等チェックしてますが、不備があるかもしれません。
・公開済のお話も加筆訂正する場合があります。
駆け引きから始まる、溺れるほどの甘い愛
玖羽 望月
恋愛
雪代 恵舞(ゆきしろ えま)28歳は、ある日祖父から婚約者候補を紹介される。
アメリカの企業で部長職に就いているという彼は、竹篠 依澄(たけしの いずみ)32歳だった。
恵舞は依澄の顔を見て驚く。10年以上前に別れたきりの、初恋の人にそっくりだったからだ。けれど名前すら違う別人。
戸惑いながらも、祖父の顔を立てるためお試し交際からスタートという条件で受け入れる恵舞。結婚願望などなく、そのうち断るつもりだった。
一方依澄は、早く婚約者として受け入れてもらいたいと、まずお互いを知るために簡単なゲームをしようと言い出す。
「俺が勝ったら唇をもらおうか」
――この駆け引きの勝者はどちら?
*付きはR描写ありです。
エブリスタにも投稿しています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる