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3-③
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彼が手掛けたプロジェクトは、本社勤務開始時以降、海外渡航直後の些細な物まで取りこぼしがないように頭に叩き込んだ。
そもそも今回の人事に条件を付けただけあって、女というだけで格下に見られかねない。
私だって六年もの間、エンジニアとして働いてきたことには誇りを持ってるし、女だからなんてくだらない理由で無碍に扱われる謂れはないのだから。
「いらしたわ」
倉本さんの声にハッとすると、エントランスの大きな扉の向こうから恰幅の良い壮年の男性が、楽しげに会話しながらこちらに向かってくる。
(……なんで)
なのに私の心の中に浮かんだのはその言葉だ。
あの中心に居るのが佐伯副社長だと分かっているのに、その隣の背が高い人影に目を奪われ、咄嗟に頭を下げることが出来ずに、倉本さんに服の裾を引っ張られて慌てて頭を下げた。
「おかえりなさいませ」
目の前で足音が止まると、倉本さんに倣って頭を上げる。
「おお、ご苦労様。倉本くんと、君は?」
「副社長、彼女がこれから浦野さんの秘書に就くことになりました槇村です」
佐伯副社長の傍に控えた門脇さんに名前を呼ばれて、私は改めてよろしくお願いしますと頭を下げる。
「ああ、噂の林田さんの秘蔵っ子だね。大変だろうけど秘書もやり甲斐のある仕事だよ。頑張りなさいね」
不意に林田さんの名前が出て驚いたものの、顔には出さずにありがとうございますと無難に返事をする。
「精一杯、努めさせていただきます」
「では参りましょう」
静かだけれど凛とした声に全員がその場から移動すると、佐伯副社長と浦野さんは談笑の続きを始め、私は門脇さんと情報共有する倉本さんを追ってエレベーターホールに向かう。
「役員室に直接向かいます」
指示を出すために私を振り返った門脇さんに承知しましたと返答すると、到着した役員フロア直通のエレベーターに乗り込んでボタンを操作する。
誰も気付いていないけれど、私の指先はさっきから冷たくて小刻みに震えてる。
それを隠し通すように、無言のまま手にした手帳を握り締めると、緊張として伝わったのか倉本さんがリラックスと小さな声で囁いて励ましてくれた。
小さなエレベーターの中で、上層部だけが知る情報で談笑を続ける佐伯副社長の朗らかな声に、短く、けれど上手に相槌を打つ浦野さんの声が響く。
(どうして)
頭の中はパニックで、今日のために叩き込んだ内容が掻き消えるくらい衝撃を受けている。
(なんで、なんで、なんで)
役員フロアに到着したエレベーターの中で、額に浮かぶ脂汗を拭うことも出来ずに、真夏だというのにかじかむように冷たくなった指でボタンを操作すると、全員が出てからゆっくりとエレベーターを降りる。
(息が苦しい)
見慣れないダークブラウンのスリーピーススーツは、明らかに上質なオーダーメイド。
ネイビーの落ち着いたネクタイには、車を模ったタイピンと、足元はバーガンディのモンクストラップ。
見上げるほど背の高い逞しい体躯、落ち着いた栗色の髪は前髪を少し立ち上げて左に流し、彫りが深くて惚れ惚れするような凛々しい顔立ちに、ピアスはもう見当たらない。
どうしてと思う度に、ズキンと心臓の奥の方が痛む。
佐伯副社長と談笑する男性を盗み見て呆然とする私は、心の中で彼に声を掛ける。
(ビビ先輩。どうして貴方が、こんなところに居るんですか)
そもそも今回の人事に条件を付けただけあって、女というだけで格下に見られかねない。
私だって六年もの間、エンジニアとして働いてきたことには誇りを持ってるし、女だからなんてくだらない理由で無碍に扱われる謂れはないのだから。
「いらしたわ」
倉本さんの声にハッとすると、エントランスの大きな扉の向こうから恰幅の良い壮年の男性が、楽しげに会話しながらこちらに向かってくる。
(……なんで)
なのに私の心の中に浮かんだのはその言葉だ。
あの中心に居るのが佐伯副社長だと分かっているのに、その隣の背が高い人影に目を奪われ、咄嗟に頭を下げることが出来ずに、倉本さんに服の裾を引っ張られて慌てて頭を下げた。
「おかえりなさいませ」
目の前で足音が止まると、倉本さんに倣って頭を上げる。
「おお、ご苦労様。倉本くんと、君は?」
「副社長、彼女がこれから浦野さんの秘書に就くことになりました槇村です」
佐伯副社長の傍に控えた門脇さんに名前を呼ばれて、私は改めてよろしくお願いしますと頭を下げる。
「ああ、噂の林田さんの秘蔵っ子だね。大変だろうけど秘書もやり甲斐のある仕事だよ。頑張りなさいね」
不意に林田さんの名前が出て驚いたものの、顔には出さずにありがとうございますと無難に返事をする。
「精一杯、努めさせていただきます」
「では参りましょう」
静かだけれど凛とした声に全員がその場から移動すると、佐伯副社長と浦野さんは談笑の続きを始め、私は門脇さんと情報共有する倉本さんを追ってエレベーターホールに向かう。
「役員室に直接向かいます」
指示を出すために私を振り返った門脇さんに承知しましたと返答すると、到着した役員フロア直通のエレベーターに乗り込んでボタンを操作する。
誰も気付いていないけれど、私の指先はさっきから冷たくて小刻みに震えてる。
それを隠し通すように、無言のまま手にした手帳を握り締めると、緊張として伝わったのか倉本さんがリラックスと小さな声で囁いて励ましてくれた。
小さなエレベーターの中で、上層部だけが知る情報で談笑を続ける佐伯副社長の朗らかな声に、短く、けれど上手に相槌を打つ浦野さんの声が響く。
(どうして)
頭の中はパニックで、今日のために叩き込んだ内容が掻き消えるくらい衝撃を受けている。
(なんで、なんで、なんで)
役員フロアに到着したエレベーターの中で、額に浮かぶ脂汗を拭うことも出来ずに、真夏だというのにかじかむように冷たくなった指でボタンを操作すると、全員が出てからゆっくりとエレベーターを降りる。
(息が苦しい)
見慣れないダークブラウンのスリーピーススーツは、明らかに上質なオーダーメイド。
ネイビーの落ち着いたネクタイには、車を模ったタイピンと、足元はバーガンディのモンクストラップ。
見上げるほど背の高い逞しい体躯、落ち着いた栗色の髪は前髪を少し立ち上げて左に流し、彫りが深くて惚れ惚れするような凛々しい顔立ちに、ピアスはもう見当たらない。
どうしてと思う度に、ズキンと心臓の奥の方が痛む。
佐伯副社長と談笑する男性を盗み見て呆然とする私は、心の中で彼に声を掛ける。
(ビビ先輩。どうして貴方が、こんなところに居るんですか)
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