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(60)お父さんと私
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せっかくの長期休暇がお母さんのせいで台無しになったよと、遺影に向かって舌を出すと、おりんを鳴らして手を合わせる。
一稀さんは私を心配して日本に残ろうとしてくれたけど、オリバーと恵子さんに迷惑は掛けたくないので、なんとか説得してイギリスに帰るのを見送った。
「奏多、お前も仕事だってあるだろう。父さんのことなら心配要らないから」
「ずっとお母さんと二人で、色々任せきりだったんでしょ。お父さんだって、お母さんを失った気持ちの整理つかないクセに。寂しいって言って良いんだよ」
「そうだな。母さんは気が強かったけど、だからこそ賑やかなあの声が聞けないのは寂しいな」
お父さんの苦笑は、やっぱり凄く哀しそうで、私も言葉にして何かを伝えられそうもないから、同じように苦笑してハグをする。
「晩ご飯何食べたい?」
「あぁ、母さんのいなり寿司が食べたいな」
「やっぱり。めちゃくちゃ寂しいんじゃん、お父さん」
「そうだな」
ドライブがてら隣町のショッピングモールまで車を走らせると、お父さんがぽつりぽつりとお母さんの思い出話をし始める。
家庭環境が良くなくて、若い頃から自律の気持ちが強かったお母さんは教師という仕事に就いて、バリバリ働いて独りで生きていこうと決めてたらしい。
一方お父さんは仕事の忙しさにかまけて、元々奥手なのも手伝って今期を逃し、教頭のポストに就いた時にお見合い話が持ち上がって、その相手がお母さんだと初めて聞かされた。
「そうだったの?」
「ああ。母さんキツいけど美人だし、教師の仕事に誇りも持ってたし、だからこそ父さんの仕事への理解もあったから」
「へえ。そういえばこの手の話は聞いた覚えがないや」
「そりゃそうだろう。お前が生まれたのもお互い40過ぎてたし、無事に生まれてくれて本当に良かったよ」
それから私が小さかった頃に、数少ない家族で行った旅行の話や、授業参観はいつも来てくれなかった話なんかをして、その頃を懐かしんで思い出に耽った。
ショッピングモールの中のスーパーで、いなり寿司を作るために油揚げを買って、お父さんの洋服を見たり、花屋さんでお母さんのための花を買ったりして、ゆっくりと買い物した。
「母さんのことがあったからって、お前たちの結婚を先延ばしになんてしなくて良いからな」
「え?」
「一稀くんがな、俺の気持ちを考えるとって言ってくれたんだ」
「……一稀さんが。そうなんだ」
「良い人と巡り会ったな、奏多」
「そうだね」
お父さんには、一稀さんがお父様を亡くして悪酔いして具合を悪くしたところを、たまたま居合わせた私が介抱したことで、後日お礼を兼ねた食事の席で意気投合したと伝えてある。
「一稀くんがな、言ってくれたんだよ」
「なんて?」
「見返りも求めずに、困ってる人を放っておけない奏多が心配だし愛おしいって」
「うそ、やだもう」
「こんなに愛情深いご両親の娘さんなんだからですねって」
「え、それいつのこと」
「改めて連絡くれた時かな。突然家に来てな、母さんに失礼な態度をとって申し訳ないってお詫びに来てくれたんだよ」
「そうだったの?」
時期的には2月初旬の、一稀さんがイギリスに帰ったと思ってた日、そんなタイミングでわざわざお父さんたちに会いに来てたのか。
「母さんがえらく喜んでな。頭を下げに来たのも気に入ったけど、婚約者の親だからって、下手に出る必要はない。思ったことすら口に出さない人間の方が信用出来ないってな」
「お母さんて、私以外には意地悪しないんだね」
「まあそう言ってやるな」
「それで?一稀さんはそれを言うためだけに来たの」
「ああ。自分の身勝手でイギリスにお前を連れて行くことになるから、何があっても幸せにしますって、改めて頭下げてくれたよ」
知らなかった。だけどそんな一稀さんの配慮が嬉しかった。
私は多分、お母さんが生きてたとしても仲良くなんて出来なかったと思う。だからこそ一稀さんはお母さんに私の代わりに頭を下げてくれた気がした。
「それで奏多。結婚式はいつ挙げるんだ」
「どうかな。仕事の引き継ぎはまだまだあるし、遅ければ夏までは辞められないかも知れない」
「そんなに一稀くんを待たせるつもりか」
「だから遅ければだって。お母さんのこともあったし、すぐにはどうかと思うけど、とりあえず仕事が片付いたらイギリスに行くよ」
「そうか。寂しくなるな」
お父さんはぼそりと呟くと、また私が小さかった頃の思い出話をし始めた。
私だって、一人きりになってしまったお父さんを日本に残しておくのは寂しい。だけど今までだって、年末年始しか実家に顔も出さないし、電話も滅多にしなかった。
住む場所は遠くなるけど、一稀さんはお父さんを大事にすることを拒むような人じゃない。むしろ手放しで送り出してくれるか、一緒に会いに来てくれるだろう。
そんなことを思いながら、自分では覚えていない幼い頃の話を聞いて帰路についた。
思い出しながら作ったいなり寿司は、どうしてだかお母さんの作る、甘くてコクのある味になった。
一稀さんは私を心配して日本に残ろうとしてくれたけど、オリバーと恵子さんに迷惑は掛けたくないので、なんとか説得してイギリスに帰るのを見送った。
「奏多、お前も仕事だってあるだろう。父さんのことなら心配要らないから」
「ずっとお母さんと二人で、色々任せきりだったんでしょ。お父さんだって、お母さんを失った気持ちの整理つかないクセに。寂しいって言って良いんだよ」
「そうだな。母さんは気が強かったけど、だからこそ賑やかなあの声が聞けないのは寂しいな」
お父さんの苦笑は、やっぱり凄く哀しそうで、私も言葉にして何かを伝えられそうもないから、同じように苦笑してハグをする。
「晩ご飯何食べたい?」
「あぁ、母さんのいなり寿司が食べたいな」
「やっぱり。めちゃくちゃ寂しいんじゃん、お父さん」
「そうだな」
ドライブがてら隣町のショッピングモールまで車を走らせると、お父さんがぽつりぽつりとお母さんの思い出話をし始める。
家庭環境が良くなくて、若い頃から自律の気持ちが強かったお母さんは教師という仕事に就いて、バリバリ働いて独りで生きていこうと決めてたらしい。
一方お父さんは仕事の忙しさにかまけて、元々奥手なのも手伝って今期を逃し、教頭のポストに就いた時にお見合い話が持ち上がって、その相手がお母さんだと初めて聞かされた。
「そうだったの?」
「ああ。母さんキツいけど美人だし、教師の仕事に誇りも持ってたし、だからこそ父さんの仕事への理解もあったから」
「へえ。そういえばこの手の話は聞いた覚えがないや」
「そりゃそうだろう。お前が生まれたのもお互い40過ぎてたし、無事に生まれてくれて本当に良かったよ」
それから私が小さかった頃に、数少ない家族で行った旅行の話や、授業参観はいつも来てくれなかった話なんかをして、その頃を懐かしんで思い出に耽った。
ショッピングモールの中のスーパーで、いなり寿司を作るために油揚げを買って、お父さんの洋服を見たり、花屋さんでお母さんのための花を買ったりして、ゆっくりと買い物した。
「母さんのことがあったからって、お前たちの結婚を先延ばしになんてしなくて良いからな」
「え?」
「一稀くんがな、俺の気持ちを考えるとって言ってくれたんだ」
「……一稀さんが。そうなんだ」
「良い人と巡り会ったな、奏多」
「そうだね」
お父さんには、一稀さんがお父様を亡くして悪酔いして具合を悪くしたところを、たまたま居合わせた私が介抱したことで、後日お礼を兼ねた食事の席で意気投合したと伝えてある。
「一稀くんがな、言ってくれたんだよ」
「なんて?」
「見返りも求めずに、困ってる人を放っておけない奏多が心配だし愛おしいって」
「うそ、やだもう」
「こんなに愛情深いご両親の娘さんなんだからですねって」
「え、それいつのこと」
「改めて連絡くれた時かな。突然家に来てな、母さんに失礼な態度をとって申し訳ないってお詫びに来てくれたんだよ」
「そうだったの?」
時期的には2月初旬の、一稀さんがイギリスに帰ったと思ってた日、そんなタイミングでわざわざお父さんたちに会いに来てたのか。
「母さんがえらく喜んでな。頭を下げに来たのも気に入ったけど、婚約者の親だからって、下手に出る必要はない。思ったことすら口に出さない人間の方が信用出来ないってな」
「お母さんて、私以外には意地悪しないんだね」
「まあそう言ってやるな」
「それで?一稀さんはそれを言うためだけに来たの」
「ああ。自分の身勝手でイギリスにお前を連れて行くことになるから、何があっても幸せにしますって、改めて頭下げてくれたよ」
知らなかった。だけどそんな一稀さんの配慮が嬉しかった。
私は多分、お母さんが生きてたとしても仲良くなんて出来なかったと思う。だからこそ一稀さんはお母さんに私の代わりに頭を下げてくれた気がした。
「それで奏多。結婚式はいつ挙げるんだ」
「どうかな。仕事の引き継ぎはまだまだあるし、遅ければ夏までは辞められないかも知れない」
「そんなに一稀くんを待たせるつもりか」
「だから遅ければだって。お母さんのこともあったし、すぐにはどうかと思うけど、とりあえず仕事が片付いたらイギリスに行くよ」
「そうか。寂しくなるな」
お父さんはぼそりと呟くと、また私が小さかった頃の思い出話をし始めた。
私だって、一人きりになってしまったお父さんを日本に残しておくのは寂しい。だけど今までだって、年末年始しか実家に顔も出さないし、電話も滅多にしなかった。
住む場所は遠くなるけど、一稀さんはお父さんを大事にすることを拒むような人じゃない。むしろ手放しで送り出してくれるか、一緒に会いに来てくれるだろう。
そんなことを思いながら、自分では覚えていない幼い頃の話を聞いて帰路についた。
思い出しながら作ったいなり寿司は、どうしてだかお母さんの作る、甘くてコクのある味になった。
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