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(45)やっぱり得意じゃない

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 新幹線の移動の方が楽じゃないかと話し合ったけど、荷物のことを考えるとレンタカーを使うのもアリだろうと、仕事納めの翌日に私の実家に向けて車を走らせた。
 事前に少し話しておいたとはいえ、実家に現れた一稀さんを見るなり、両親はそのビジュアルに驚いた様子だった。
 ただし、二人の反応の大きな違いは、お父さんは一稀さん本人に、お母さんは一稀さんの見た目の良さに。
「初めてお目に掛かります。奏多さんとお付き合いをさせていただいています、本条一稀と申します」
 一稀さんはチャコールグレーのスリーピーススーツに、落ち着いたウィスタリアのネクタイを締めて、胸元からあの名刺を取り出すと、低くて澄んだ綺麗な声で自己紹介を終える。
 その名刺を受け取って、息を呑んだ様子で改めて瞠目したのはやっぱりお父さんだった。
「不躾なお話ですが、まさか、あの本条さんなんでしょうか」
 お父さんの突然の質問に、話が見えていない様子のお母さんは戸惑っているけど、一稀さんは少し困惑したように苦笑する。
「ええ。お恥ずかしい話ですが、学生の頃にイギリスでモデルや俳優をしておりました」
 お母さんが気付いてないことに配慮したのか、個人投資家で資産家のKaz-Honjoが、周知されてる経歴を言うに留めた一稀さんの一言に、お父さんは確信したようにそうですかと答える。
「やはりそうでしたか。僕はあなたのファンで、つい失礼な質問をしてしまって申し訳ない」
「いいえ、私を知ってくださっていたことに驚いてしまって、なんだか緊張しますね」
 お父さんは老齢とはいえ、定年退職後に資産運用のために株をかじってる。当然経済誌なんかも読むだろうし、イギリス国籍とはいえアジア系の一稀さんは有名なんだろう。
「カナちゃん、お食事用意してるんだけど、お支度手伝ってくれないかしら」
 お父さんと一稀さんに共通の話題があることに安心したのか、お母さんはつまらない手料理ですけどと断りを入れて席を立つ。
「ごめん一稀さん、ちょっと手伝ってくるね。お父さん、一稀さんに株のコツとかくだらない相談しないでよね」
 今にもそんな質問をしそうなお父さんに釘を刺して席を立つと、台所に移動して手を洗う。
「お母さん、私きちんと考えてプロポーズ受けたから」
「なに。急にどうしたの」
「どうせ反対なんでしょ。だって受け入れる気なさそうだもんね」
 実はこの会話の通り、私はお母さんと相性が悪い。
 高校の英語教師だったお母さんは、昔から少し頭が硬くて、自分が実直に誠実に生きていると信じている分、他人に厳しいし、言い方を悪くすれば他人への偏見も酷いところがある。
「親に必死に言い訳しなきゃいけない程度の相手なの?あの本条さんて人」
 冷蔵庫から海苔出してちょうだいと、本心の見えない様子でお母さんが淡々と支度を進める。
「違うけど、なんなのその言い方」
 四分の一に切れば良いよねと、手巻き寿司用に海苔をカットすると、適当なお皿を出して海苔を置いていく。
「お母さんのこと、そんな意地悪だと思ってるの」
 煮物を大鉢に盛り付けながら苦笑するお母さんに、そうじゃないけどと答える。
「話が結婚となると、相手の仕事もそうだし、家族とか家柄とか、お母さんは凄く気にするんじゃないの」
「カナちゃんが行かず後家にならないだけマシじゃないかしら。売れ残りの30になって、ようやく出会えた王子様との間を引き裂くような、そんな無粋なマネは出来ないでしょ」
「そういうところがさ、やっぱり本当に失礼だよね」
 嫌気が差してお母さんを睨むと、手が止まってると指摘されて、サラダ用のドレッシングを作らされる。
「失礼かしらね、だってそりゃそうでしょう」
「なにがよ」
「あの人本当に身元は確かなの?なんで名刺と名前が違うのよ」
「仕事の利便性で、通じやすい名前使ってるだけよ」
「そもそも投資家なんて博打な仕事、親としてハイそうですかなんて言えると思う?しかもなに、見た目通り若い頃にモデルや俳優してたって、絶対派手に遊んでたに違いないわよ」
 汚らしいわと顔を歪めるお母さんに、怒りを通り越して一気に気持ちが冷める。
「そういう思い込みで人を見下すの、いい加減やめた方がいいよ。みっともないから」
「親に向かってなんて口聞くの」
「人としてだよ。その人の努力とか、見えてない部分にも目を向ける神経ないワケ?それでよく教師が務まったね」
「奏多!」
「お母さんの了解なんか要らないし、お母さんが一稀さんのなにを知ってるの。知ろうともしない人に説明する義理もないしね」
 用意は手伝ったから自分で運びなよと言い捨てると、私は先に台所を出て居間に戻る。
「お、なんだ。どうした奏多」
「ねえお父さん、お母さん本当にどうにかならないの。常識的に考えて、やっぱりあの人おかしいよ」
 一稀さんが初めて挨拶に来ていることも忘れて、私は居間に入るなりお父さんに八つ当たりのように怒鳴りつける。
「こら奏多、本条さんの前だぞ」
「でも!」
「奏多」
 落ち着きなさいと静かに言われて、私はようやく心配そうな顔をする一稀さんに謝ってから席に着いた。
「すみません本条さん。お見苦しい物をお見せしてしまって。この子はどうも母親と折り合いが悪くてね」
「いいえ、結婚となるとそれぞれにお考えはあるでしょうし。どこの馬の骨とも分からないポッと出の男と大切なお嬢さんが結婚するなんて聞いたら、不安になるのは当たり前だと思います」
「そんなことないよ。ごめんね一稀さん、変なところ見せちゃって」
「俺は大丈夫だよ。でも梅原さん、今日のところ私はお暇した方がよろしいかも知れませんね」
「申し訳ないことですが、妻には僕からよく言って聞かせておくので、改めてもらって良いかな」
「ちょっと、そんな。お父さんも一稀さんも」
「かまわないよ。君のお母さんにだって受け入れるための時間は必要なんだから。では梅原さん、年始のご挨拶に改めて伺いますね」
 行こうかと一稀さんが立ち上がり、私はそれに倣ってお父さんを見つめる。
「大丈夫。お母さんの扱い方は僕が一番知ってるから」
 拗ねて台所にこもってしまったお母さんを置いて、玄関まで見送りに出てくれたお父さんに説得をお願いすると、車に乗り込んで実家を離れた。
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