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(7)声だけで濡れちゃうって男性のセリフですか

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 清永さんから聞いたお勧めのバーは、確かに裏通りの入り組んだ場所にあって、フットライトが照らす通路を進んだ奥まった所にようやく入り口がある。
「へえ、確かにこれは知らなきゃ来れない場所かも」
 ドアベルを鳴らして扉を開けると、思ったよりも広い空間には無垢材のハイカウンターの席が八つと、奥にボックス席が三つほどある。
 そのうちカウンターに三人と、奥のボックス席にカップルの姿があるだけだ。
「いらっしゃいませ。お好きなお席へ」
「ありがとうございます」
 そういえばカナダに居た頃も、週末になるとよくイーサンたちや同僚とバーに繰り出してお酒を飲んだなと、店内の作りは全然違うのに、感傷に浸ってグラスワインをオーダーする。
 週末だというのに、店内は落ち着いていて客の姿が少なくて、しっとりした雰囲気の店内にはジャズが流れ、時折他の客が傾けるグラスで揺れる氷の音まで効果音のように心地よく響く。
 そんな空気を楽しんで、三杯目をオーダーしようとした時、カウンターの三人組がチェックを済ませて和やかな雰囲気で店を出ていく姿を目で追う。
 だけど私が気になるのは背後のボックス席で、悪酔いした様子で男性に絡む女性の甘ったるい声だ。
「ねぇえ、もう仕事の話なんか良いじゃないの」
 どうやら仕事にかこつけて、お目当ての男性を口説き落としたいらしい。男性の困った様子がなんとなく伝わってくる。
 カバンからスマホを取り出す時にチラッと覗き見ると、男性にしなだれ掛かる女性の姿が見えて、私にもあの行動力が欲しいと嘆息する。
(綺麗な人なのに、なにが不服なんだろう)
 他人事だからつい好奇心でそう思ってから、どんな男性でも好みはあるだろうし、私が口出すことじゃないと三杯目を飲みながら手元でスマホを操作する。
 久しぶりに開いたSNSは色々と更新されていて、会えないみんなの近況にまた人恋しさが募ってきた。
 転職してからは覚えることも多く、特に人付き合いがガラリと変わったことも大きな要因で、時差も手伝ってなかなかイーサンやエリオット、それにルークとも連絡が取れていない。
 会いたさを募らせながら、彼らが更新したページにコメントを打ち込んでいると、突然背後からヒステリックな声が聞こえて来た。
「ちょっと、女にここまでさせておいて恥かかせるつもり?」
 男性が嗜めてる声はよく聞こえないけど、出来ないとか勃たないとか大人な単語が漏れ聞こえると、その対応が更に火に油を注ぐように女性の怒りがエスカレートしていく。
 そしてバシャッと液体がぶちまけられる音が聞こえると、女性は捨て台詞を吐いて店から飛び出すように出て行った。
(うわぁ、ご愁傷様です)
 私に一言断りを入れてカウンターから出たバーテンダーが男性にタオルを渡し、着替えがどうだとか床のクリーニング代とか、男性が店に謝罪している声が聞こえる。
 勝手に好かれて想いを押し付けられても困るのは分かるけど、あの女性は結構な美人だったし、一晩だけでも相手してあげれば穏便に済んだのではと、欲求不満気味な私は心で毒づく。
 しばらくするとバーテンダーが戻って来て、次に頼もうとしたマンハッタンがサーブされる。
「私もう頼みましたっけ」
「いいえ。騒がせてしまったお詫びにと、あちらのお客様からのオーダーです」
「え?」
 バーテンダーの視線を追うと、着替えを借りたのか、ワイシャツの襟元を外してくつろいだ姿の男性がカウンターに近付いてくる。
 スーツ姿で背は高く、細いのに鍛えてある雰囲気の首筋から鎖骨にかけたライン、ノーネクタイで肘にジャケットを掛けた姿はセクシー、いや、かなりエロい。
 黒髪は掻き上げたようにさりげなく後ろに流してあって、バランスよく整えられた眉の下のくっきりした二重の目、しっかり鼻筋が通った高い鼻、程よい肉付きのセクシーな唇。
「ウイスキー好きだろ」
「え、いやぁ、どうだろうね」
 このやり取りに、バーテンダーは一瞬眉を動かすけれど、何事もなかったかのようにカウンターの内側で黙々と作業を続けて、この会話には入ってこない。
「なんか意外」
「うん、えと、……とりあえずなんでここに居るのかな?」
「取引先の厄介な人に絡まれて。お前も聞こえてただろ」
「うん、いや、だからなんでサラッと隣に?」
「こんな感動的な再会だから乾杯しようかと思って」
 十年経ったけど、この顔を見間違えたり忘れることはない。あの時よりもグッと大人びて、精悍な顔立ちになっているけど、悪戯っぽく笑うと出来るえくぼと親友に似た笑顔。
「翔、璃……」
「なんだよ、呼び捨てかよ」
 私の隣に腰掛けた翔璃は、俺酒臭くないかとまるでさっきからの会話の続きのように、無邪気に笑って話し掛けてくる。
(私のハジメテを、唐揚げのつまみ食いでもするように呆気なく喰った男……)
 隣に座る翔璃の顔を、ついまじまじと見入るように観察していると、眉根を寄せてどうしたんだよと不思議そうな目を向けられる。
「どしたのお前。なんか緊張してる?」
「いや、ナチュラルに会話してるけど、十年くらい会ってないからね? なんで私って分かったの」
「は? 俺がお前を見間違うワケないだろ。しかしそんなになるか。まあとりあえず乾杯」
「……乾杯」
 劇的に痩せて変わったと思ってたけど、側から見たらそうでもないのかなと、ちょっとだけ身に付けた自信を削がれる。
 そっと重なったグラスを傾けると、ウイスキーを呑む翔璃の喉元が緩やかに動いて、それがやけに扇情的で、私は急に喉がカラカラに渇いたみたいに居心地が悪くなってしまう。
 咄嗟に視線を逸らして蠱惑的な赤いマンハッタンを口に含むと、ベルモットとチェリーの甘い香りに似合わず、喉の奥が少し熱くなった。
「お前と酒飲むの初めてだね」
「菜智とは呑んだりしないの」
「アイツが俺と呑みたがると思うか」
「ああ、無いね。そんな光景浮かばないわ、ごめん」
「ユウだったら、この前呑みに行った」
「優吾? そうなんだ」
 弟の名前が出て来て少し驚いたけど、優吾の面倒を見てくれてるのは昔から変わらないのかと、少しだけ安堵に似たような気持ちが芽生える。
「お前実家に帰ってないんだろ。盆に帰った時、ユウが愚痴ってた」
「新しい生活に慣れるのが精一杯だったんだよ。翔く……翔璃も、実家にはあんまり顔出さないって、菜智が言ってたけど」
 なんと呼ぶのが正解か分からずに、翔くんと呼びかけてから、ふとあの日のことを思い出して意識してしまいそうで呼び方を変える。
「お前が帰らないのとはワケが違うだろ。だいたい親父もお袋も、俺が帰ったからって喜ばないし。歓迎されても逆に怖い」
「あぁね、問題児だもんね」
 思い出し笑いで鼻を鳴らすと、翔璃はどこか楽しげに口角を上げて、グッと体を寄せて来た。
「だから可愛がって慰めて欲しいんだよね」
 耳元に囁かれた声は、異様なくらい妖艶で甘い。
「え、と……なんの話をしてるのかな」
 言われた意味はなんとなく分かったけど、冗談めかして返すのが精一杯で、すぐそばにある翔璃の顔を見ることもできない。
 真正面を向いたまま笑って誤魔化してマンハッタンを飲み干すと、私の首筋にスッと翔璃の指が触れて身体がゾクリと震える。
「お前の声が可愛くてもう濡れちゃった。だから早く可愛がりたい」
「ちょ、なっ」
 囁かれた声に慌てふためく私を放置して、私の分までチェックを済ませると、翔璃の手が指に絡んで店を出るまでエスコートされてしまう。
「じゃあ参りましょうか」
 私はこの悪魔の微笑みをまた見る羽目になってしまった。


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