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(28)動き出す歯車
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自然信仰が根付くオルガッドの騎士には、ただ一人にのみ拝することを許された、神の名を冠する精霊騎士の称号が存在し、神たる精霊の祝福を受けた者と云う意味が込められている。
オルガッド王国、王都ミアネイア。
そのすぐ北に切り拓いた国交や貿易の要である港を抱えるアダールを有し、王都としてだけでなく交易が盛んな街としても機能する大都市。この都は国内で最も富み発展した場所と言っても過言ではない。
城下が賑わう王都の北西部に位置し、一方は自然崇拝を尊びラウェルナ大森林を仰ぎ、残りの三方を騎士団関連施設が取り囲む鉄壁を誇る王宮の一室。
四つに分かたれた騎士団を束ねる騎士団総帥、精霊騎士イヒャルド・ナイルは、いついかなる時も沈着冷静ではあるが、いつしか周りから冷酷無情と呼ばれることを良しとしない。
黄枯茶色の髪を丁寧に後ろに撫でつけであるので、一見すると確かに神経質そうではあるが、どうしても云うことを聞かない前髪がちょろりと額を隠している。
イヒャルドにだって感情はあるし、妻や子どもたち、あるいは両親や口煩い二人の妹ですらイヒャルドの笑顔が好きだと言ってくれる。これは身内贔屓の言葉だと思わない。
それにイヒャルドは精霊騎士だ。しかも騎士団総帥の立場はヘラヘラしていては務まらない。だから大袈裟に笑ったり騒いだりしないだけで、笑えない訳でも楽しくない訳でもない。
そのイヒャルドが珍しくも驚きのあまり大きく目を見開いて、わなわなと口元を震わせているのには訳がある。
「なに突っ立ってんだイヒャルド。変な顔になってるぞ」
「なっ……お、お前!こんなところでなにをしている」
騎士団総帥に与えられた王宮の執務室。その執務机に腰掛けて、待ってたぞと言わんばかりに美味そうにナヘルの実をかじりながらニヤニヤする男に、イヒャルドは思わず大声を出した。
「声抑えろよ、騒ぎになるだろ」
「騒ぎだと!当たり前だろう。ここを何処だと思ってるんだ。なにを呑気に」
ここは王宮。しかも軍事を預かる騎士団総帥の部屋だ。そんなところに懸賞金の掛かったお尋ね者の彼が居るなど、あってはならないことなのだから。
そうして閉めた扉を背にしたまま様子を伺うと、目の前の彼がスッと目を細めた。
「お前にも動いて貰う時が来た」
一瞬でその場の空気が緊張したものに変わる。
「……そうか」
「読んだら燃やせ。まあただの挨拶文にしか見えない程度には細工してある」
執務机の上の書簡を指差してニヤリと笑うと、そのまま開け放した窓から外に姿を消してしまう。ここは一階ではないと言うのにだ。
「はあ……相変わらずな奴だな」
イヒャルドはケイレブが出て行った窓を閉め、彼が置き去りにした書簡に目を留める。
表向きはイミザで起こった商人殺しの真相について。
あの犯行はやはりケイレブたちの仕業なのか。晒し首にまでしたのだ、それ相応の理由があったのだろうと読み進めてイヒャルドは目を見張る。
豪商セオドールは詐欺まがいの行為で、少なからず貴族から被害の申し出があり調べを進めていた人物だ。カーロを根城にし、背景にイルギルが居ることまでは掴めていた。
だが更にその裏に公爵位の貴族がついているとなると厄介だ。
調べは全て一時的に白紙に返す必要もある。恥ずべきことだが、騎士団内に内通者が居ないとも限らないからだ。ケイレブが直接書簡を運んできたのも、そうだとしたら合点がいく。
そしてこれが本題であろう、ケイレブからのもう一つの連絡は、要人護衛のために何人か騎士団員を借りるとある。人選も任せて欲しいと云うところに意図があるのだろうと察する。
表向きの文面から鑑みて、イルギルと繋がる貴族にその尾を掴まれないよう、あるいはそこを炙り出して叩くために動く必要があるのだろう。
「久しぶりに顔を見せたかと思ったら、厄介なことを」
苦笑しながらも口角を上げるイヒャルドの口からそんな言葉が漏れる。
初めてケイレブに出会ったのは騎士を目指していた学生の頃だ。二つ下の悪童には相当手を焼かされた記憶が今でも鮮明に残っている。
第一騎士団に入団した後も、見知らぬ仲ではないだろうと組まされることが多かった。何度尻拭いをさせられたか分からない。
聡く狡賢いくせに情に厚く、気付くとそんな彼を慕うやつらに囲まれてその中心で楽しそうによく笑う。そんなケイレブが番と出会った時のこともイヒャルドはよく覚えている。
部下だったフッタルが親の病を理由に第四騎士団に移籍した際、故郷近くの田舎町とは云え元第一騎士団だった彼への周りからの風当たりは強かった。
それを耳にしたケイレブは、励ますためなのか叱咤する気だったのかまでは分からないが、休暇を利用してあの場に駆け付けた。
その時だ。第四騎士団の連中を含めたアルファに、暴行されていたオメガの女性を救うためとはいえ、ケイレブは剣を抜いたのだ。
ケイレブのことだ。同じアルファとして到底受け入れることが出来ないから皆殺しにする結果になったのだろう。
しかしイヒャルドは、逃亡者として生きるケイレブを否定しようとも思わない。立場上その考えが是とされないことが分かっていてもだ。
「……感傷に浸りすぎたな」
イヒャルドは口元に笑みを刻んで小さく息を吐くと、早速策を練るために神経を研ぎ澄ませる。
「失礼します。第一騎士団モローダルがご報告に参りました」
イヒャルドの意識を引き戻すように、扉を叩く音が響いてそちらに意識を向ける。書簡は既に灰と化した。跡形もない。
「構わん。入ってこい」
取り急ぎ今はオルガッドの誉高き精霊騎士、騎士団総帥として出来ることを推し進めるしかないだろう。
第四騎士団からも報告を受けているが、公爵の企みが複雑に絡んでいるのが明確になった今、王命に関わるような事態だけはなんとしても避けなければならない。
「さて、報告を聞こうか」
イヒャルドの顔には既に笑みはない。冷徹無情の騎士団総帥は机の上でゆっくりと指を組んだ。
オルガッド王国、王都ミアネイア。
そのすぐ北に切り拓いた国交や貿易の要である港を抱えるアダールを有し、王都としてだけでなく交易が盛んな街としても機能する大都市。この都は国内で最も富み発展した場所と言っても過言ではない。
城下が賑わう王都の北西部に位置し、一方は自然崇拝を尊びラウェルナ大森林を仰ぎ、残りの三方を騎士団関連施設が取り囲む鉄壁を誇る王宮の一室。
四つに分かたれた騎士団を束ねる騎士団総帥、精霊騎士イヒャルド・ナイルは、いついかなる時も沈着冷静ではあるが、いつしか周りから冷酷無情と呼ばれることを良しとしない。
黄枯茶色の髪を丁寧に後ろに撫でつけであるので、一見すると確かに神経質そうではあるが、どうしても云うことを聞かない前髪がちょろりと額を隠している。
イヒャルドにだって感情はあるし、妻や子どもたち、あるいは両親や口煩い二人の妹ですらイヒャルドの笑顔が好きだと言ってくれる。これは身内贔屓の言葉だと思わない。
それにイヒャルドは精霊騎士だ。しかも騎士団総帥の立場はヘラヘラしていては務まらない。だから大袈裟に笑ったり騒いだりしないだけで、笑えない訳でも楽しくない訳でもない。
そのイヒャルドが珍しくも驚きのあまり大きく目を見開いて、わなわなと口元を震わせているのには訳がある。
「なに突っ立ってんだイヒャルド。変な顔になってるぞ」
「なっ……お、お前!こんなところでなにをしている」
騎士団総帥に与えられた王宮の執務室。その執務机に腰掛けて、待ってたぞと言わんばかりに美味そうにナヘルの実をかじりながらニヤニヤする男に、イヒャルドは思わず大声を出した。
「声抑えろよ、騒ぎになるだろ」
「騒ぎだと!当たり前だろう。ここを何処だと思ってるんだ。なにを呑気に」
ここは王宮。しかも軍事を預かる騎士団総帥の部屋だ。そんなところに懸賞金の掛かったお尋ね者の彼が居るなど、あってはならないことなのだから。
そうして閉めた扉を背にしたまま様子を伺うと、目の前の彼がスッと目を細めた。
「お前にも動いて貰う時が来た」
一瞬でその場の空気が緊張したものに変わる。
「……そうか」
「読んだら燃やせ。まあただの挨拶文にしか見えない程度には細工してある」
執務机の上の書簡を指差してニヤリと笑うと、そのまま開け放した窓から外に姿を消してしまう。ここは一階ではないと言うのにだ。
「はあ……相変わらずな奴だな」
イヒャルドはケイレブが出て行った窓を閉め、彼が置き去りにした書簡に目を留める。
表向きはイミザで起こった商人殺しの真相について。
あの犯行はやはりケイレブたちの仕業なのか。晒し首にまでしたのだ、それ相応の理由があったのだろうと読み進めてイヒャルドは目を見張る。
豪商セオドールは詐欺まがいの行為で、少なからず貴族から被害の申し出があり調べを進めていた人物だ。カーロを根城にし、背景にイルギルが居ることまでは掴めていた。
だが更にその裏に公爵位の貴族がついているとなると厄介だ。
調べは全て一時的に白紙に返す必要もある。恥ずべきことだが、騎士団内に内通者が居ないとも限らないからだ。ケイレブが直接書簡を運んできたのも、そうだとしたら合点がいく。
そしてこれが本題であろう、ケイレブからのもう一つの連絡は、要人護衛のために何人か騎士団員を借りるとある。人選も任せて欲しいと云うところに意図があるのだろうと察する。
表向きの文面から鑑みて、イルギルと繋がる貴族にその尾を掴まれないよう、あるいはそこを炙り出して叩くために動く必要があるのだろう。
「久しぶりに顔を見せたかと思ったら、厄介なことを」
苦笑しながらも口角を上げるイヒャルドの口からそんな言葉が漏れる。
初めてケイレブに出会ったのは騎士を目指していた学生の頃だ。二つ下の悪童には相当手を焼かされた記憶が今でも鮮明に残っている。
第一騎士団に入団した後も、見知らぬ仲ではないだろうと組まされることが多かった。何度尻拭いをさせられたか分からない。
聡く狡賢いくせに情に厚く、気付くとそんな彼を慕うやつらに囲まれてその中心で楽しそうによく笑う。そんなケイレブが番と出会った時のこともイヒャルドはよく覚えている。
部下だったフッタルが親の病を理由に第四騎士団に移籍した際、故郷近くの田舎町とは云え元第一騎士団だった彼への周りからの風当たりは強かった。
それを耳にしたケイレブは、励ますためなのか叱咤する気だったのかまでは分からないが、休暇を利用してあの場に駆け付けた。
その時だ。第四騎士団の連中を含めたアルファに、暴行されていたオメガの女性を救うためとはいえ、ケイレブは剣を抜いたのだ。
ケイレブのことだ。同じアルファとして到底受け入れることが出来ないから皆殺しにする結果になったのだろう。
しかしイヒャルドは、逃亡者として生きるケイレブを否定しようとも思わない。立場上その考えが是とされないことが分かっていてもだ。
「……感傷に浸りすぎたな」
イヒャルドは口元に笑みを刻んで小さく息を吐くと、早速策を練るために神経を研ぎ澄ませる。
「失礼します。第一騎士団モローダルがご報告に参りました」
イヒャルドの意識を引き戻すように、扉を叩く音が響いてそちらに意識を向ける。書簡は既に灰と化した。跡形もない。
「構わん。入ってこい」
取り急ぎ今はオルガッドの誉高き精霊騎士、騎士団総帥として出来ることを推し進めるしかないだろう。
第四騎士団からも報告を受けているが、公爵の企みが複雑に絡んでいるのが明確になった今、王命に関わるような事態だけはなんとしても避けなければならない。
「さて、報告を聞こうか」
イヒャルドの顔には既に笑みはない。冷徹無情の騎士団総帥は机の上でゆっくりと指を組んだ。
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