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(24)香り立つ劣情

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「お前オメガだな。しかもヒートを起こしてるとは厄介な」

「あのっ、助けてください!私、わ、たし……」

 僅かに瞬く星の明かりが照らす男の顔は、今までに見たことがないほど美しく、闇に溶けるような漆黒の髪が吹き荒れた風になびく。

 無言を貫きパメラを見つめる黒い眼には、言葉すら吸い込まれそうになるが、パメラは必死に訴えた。

「あの、私……追手の男の仲間に捕まれば、奴隷として売られてしまうのです。せめて、せめてお薬が手に入るところへ連れて行っていただけませんか」

 大きな街に行けばヒートの抑制剤を手に入れる術もあるだろう。パメラは男の腕を掴むと、縋り付いて必死に懇願した。

「それは出来ないな」

 すげなく返されてパメラは絶望する。やはりオメガなんかに生まれてしまった自分がいけないのだ。
 望まぬ相手に番われて犯され、子を孕まさせられる。家畜以下の生き方しかないのだと突き付けられた気持ちだった。

「では、では殺してください!」
「それも出来ない」
「何故ですか!どうして」

「お前はケイレブが救って来た娘だろう。あいつの番はどうした」
「ケイレブさんをご存知なんですね」

 ケイレブが言っていた仲間というのがこの男なのだろうか。

 縋り付いたまま顔を覗き込むと、美麗な男は面倒そうに眉根を寄せて、少し落ち着くように言い置いてパメラを自分から引き剥がした。

「ケイレブは後から来るんだな?番を連れて」

「ええ。そう約束してくださいました」

「ならばそのうち戻ってくるだろう。それよりもお前、抑制剤はどうした。ヘンゼルから渡されてないのか」

「ヘンゼル先生のこともご存知なんですか」
「質問の多いやつだな。まずは質問に答えろ」

 呆れたように頭を抱えると、美麗な男はこれ見よがしな溜め息を吐き出して、鋭くも柔らかい視線でパメラを捉える。

「ごめんなさい。抑制剤はイミザで襲われた時に、全て水路の中に落としてしまいました」

「抑制剤が無いだと」

「ですから、一刻も早くお薬を手に入れなければならないのです」

「イルギルの追手が来ないとも限らん。ヒートを起こしたまま今すぐ移動するのは無謀だ」

「そんな……」

 肩を落とすパメラに、美麗な男も眉根を寄せる。

 ヒートを抑えられないとなると、ケイレブの仲間だというこの男にも迷惑が掛かる。パメラはそう思って男の顔を盗み見る。

 見上げるほど背が高く逞しく、色気と野性味を兼ね備えた精悍な美丈夫は、その背中に届く漆黒の髪と、心の底まで射抜くような鋭い眼差しの奥に青みがかった黒い瞳を携えている。

 なんて美しいのだろうか。パメラは息を呑み、眩暈を覚えて体を震わせる。こんなことは初めてだ。いや、どこかで同じような経験をした気がする。やはりあの時の。

「……しかしお前からは奇妙な香りがするな。なにかつけているのか」

「いえ、特には」

「さきほどから気が付かないか?このむせ返る甘い香りだ」

 甘い香りと言われてもいまいち腑に落ちない。パメラの鼻先を掠め、身体を疼かせるのは別の香りだ。

「ホレイジアの、ような……清涼な、匂いならします」

 香茶として香りを楽しむ茶葉に用いられ、薬草としても汎用性が高い、すっきりと爽やかで清涼な香りが特徴的な、小ぶりで可愛らしい白い花をつけるホレイジアの香りが立ち込めている。

「なるほどな。どうりで騒がしい訳だ」

「……?」

「酔狂な話ではあるが、運命の番には、一目会えばそうだと気付く。そんな話を聞いたことがないか?」

「運命の、番」

「俺の名はデルザリオだ。お前、名はなんという」
「あ……の、パメラです」

「パメラ、お前は感じないか?あの卑しいアルファとは違う、狂おしいこの香りを」

 パメラはデルザリオに再び抱き留められて、ひどく心臓が高鳴るのを感じた。それにむせ返るようなホレイジアの香り。
 安心感とは違う、鼓動が速くなる明らかな昂揚感、下腹部を中心に熱を持つような身体の疼き。これはなんなのだろうか。

「パメラ、俺と来い。まずはその足の手当てをしてやろう。それにヒートを抑えなければならん」
「デルザリオ様?」

 説明を求めようと顔を覗き込んだが、ふわりと体が浮かんでパメラはデルザリオに横抱きに抱えられる。

 闇が広がる静かな森を進んだ奥深く、急に視界が開けて、その水面にホエルと星灯りを映す幻想的な湖のほとりにやって来た。

「こんなになるまで無我夢中で走ったか」

 湖の清く澄んだ水を足先に掛けられて、パメラの体に激痛が走る。

「痛っ」
「少し辛抱しろ。このままでは化膿する」
「……はい。デルザリオ様」

 座り込んでもまだパメラを横抱きにして膝に乗せ、足の裏を丁寧に優しく撫でるようにして傷を洗うデルザリオの指先、痛みとはまた違う感触を感じる。

 足の指の間をひとつひとつ確かめて撫でるように洗われると、パメラの体は小さく震えた。

「痛むか」
「いいえ、こんなことまでありがとうございます」
「構わん。気にするな」

 そのまま湖のそばにある集落に連れて行かれると、その場に居合わせた男たちがギョッとした顔をする。

「リュカス、今すぐ他のアルファ連中も集めてザリアンの香を炊け。俺の部屋には近付くな」

 言い放つデルザリオには有無を言わせぬ威圧感すらあり、リュカスは落ち着かない様子ながらも、了解したとばかりにその場を離れていく。

 ザリアンは硬い葉をつける樹木で、葉や枝は毒素が強く口に含めばえぐみが強く腹を下す。そして燻すと独特な匂いを放ち、それは嗅覚を麻痺させる効果がある。
 本来は血生臭い戦地や腐敗物の処理などを行う際に用いられる香木だが、同じくしてアルファがオメガのヒートに、一時的ではあるが干渉されないために用いることが出来る。

 つまりはこの集落に集うアルファのリュカスたちに、簡易的に嗅覚の無効を強いてパメラから遠ざけるための措置だ。

 そのまま巧妙な仕掛けを使って、木の上にある小屋に連れて行かれると、デルザリオの腕から離れて部屋の中の簡素な寝台に座らされ、足に膏薬を塗り込み当て布が巻かれた。

「さてパメラ、ここからが本題だ。お前のヒート、それを俺が救ってやることが出来ると言ったらお前はどうする」

 パメラの頬をそっと撫でるデルザリオの指先が熱い。

「デルザリオ様を、頼るよりほかは、ありません」

 朦朧としてくる意識を振り絞り、見つめられればそうされるほどに酷くなる眩暈を堪えてパメラは答える。

「俺はアルファだ」

 ここに来てようやくパメラは数奇な運命の終着を見た気がした。
 初めてデルザリオの腕に抱き留められた時、あるいは無意識のうちに感じていたのだ。彼こそがそうなのだと。運命の番なのだと。

「では、番になる、ということですか」

「それは違う。お前にも意志はあるだろう、だから番にはしない」

 番にしないと言われて、出会ったばかりだというのにパメラは深く傷付いた。デルザリオは運命の番では無いのか。
 そう思えば思うほどに身体が熱くなり、ヒートの症状が酷くなっていく。

「パメラ、ヒートはつまり発情期のことだ。それは分かるな」

 パメラの髪を一房掬い、デルザリオはその髪を愛おしげに見つめて唇を落とす。

「オメガの、発情期。だということは、知っています」

 劣情が募り、更に朦朧として来た意識の中でパメラはデルザリオの目を見つめて答える。

「抑制剤が無いとなると、お前のヒートは、アルファとの間でしか抑え込むことが出来ない」

「それも、だいたいは知って、います」

「それはお前が望まざるとも、お前の、オメガのヒートはアルファを刺激する。ヒートを解消してやらないと、お前自身もヒートに苦しむ日々が続く。悪循環だ」

「悪、循環」

「だからそれを和らげるためにアルファと交わる。この意味が分かっているか」

「……は、い」

 パメラが呟いてデルザリオに熱い視線を向けると、一気に神経が昂ぶる香りが部屋中に立ち込める。

「ああ……この香り、この俺でも正気を保つのは難しい」

「はぁあ、デル……ザリオ様っ」

 熱を孕んだ潤む瞳を向けるパメラの頬を、デルザリオの指が再びそっと撫でる。先ほどよりもずっと優しく。

「俺に身を任せろ」
「お願いっ、お願いします……」

 ランプの灯りが照らすデルザリオはやはり息を呑むほど美しく、パメラは抗うことをやめてその身を彼に委ねて夜に溶けた。
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