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(5)冒険者ムゥダル・イルダニア
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リルカはムゥダルになんとか同行を承諾させると、南のイゴラス大陸にあるエイダーガルナ帝国に向かう前に行動した。
早速剣豪の娘の立場を利用して王に親書を出し、マーベルの不始末の処理を嘆願すると、遺された家屋と母の墓守りをギレルの両親に任せて荷造りをした。
使者を通じて返された王からの言葉は色良い物とは言えず、しかし〈モゼリオ〉が絡んでいる状況を鑑みて国での保護を提案されもしたが、そもそもはマーベルが作った借金が原因だ。
クレアが死に、酒に溺れ賭博にのめり込み、英雄としての務めを果たすことすら無くなったマーベルなのに、私財を確保し、保護までしてくれるというのは、まだ温情ある待遇だろう。
しかし結局のところ自分の尻は自分で拭えという当たり前の扱いに、何が国の英雄だ、剣聖の再来だとリルカはやはり舌打ちしたい気分になった。
「ねえリルカ、本当に良いの」
「ギレル、私はもうリルカじゃない。あんたは本当の弟みたいに可愛い幼馴染みよ、だけどそろそろ私が居なくても一人でなんとかしなきゃ」
「リルカ」
「ルカだよ。リルカはここに置いていく。稼いだお金はアンタに送るから、頼むわね」
二段式になった寝台の上に寝転がって天井を仰ぐと、リルカは自分に言い聞かせるように静かに呟いて目を閉じ、ギレルはその声を聞いてリルカの名を呼ぼうとしてやめた。
迎えた翌日、リルカは朝早いうちにムゥダルと共に王都マスケスを離れ、アチューダリア西端の港町ヤルケッタに向けて、この国では珍しいスチームバギーに乗り込んだ。
「こっちじゃスチームバギーは珍しいだろ」
「え、なにそれ。それがこの走ってる機械の名前なの」
「まあその反応が答えか」
ムゥダルはクッと喉を鳴らしてハンドルを切ると、冒険者らしくリンドルナについて色々な話をリルカに話して聞かせる。
エイダーガルナの帝都アエスが在り、リンドルナで最も広大なイゴラス大陸は機械化が進み、飛翔艇に始まり機械技術の躍進は目まぐるしいものがあるという。
次に一番小さなトルディナ大陸は、未開の地と呼ばれるだけあって、広大な砂漠が広がりその周囲には凍てつく大地が続く厳しい環境に置かれている。
現在の皇帝が即位し、近年になってから帝国とも国交が生まれたそうだが、トルディナの民は少数部族が日々の糧を育み、諍いとは無縁に暮らしているそうだ。
他にも楽園と呼ばれるイザリス大陸は、骸獣被害が少なく、帝国と友好関係にあるサマナイル王国を含めた大小様々な国は、自由を尊び様々な人種が肩を並べて生きている。
そして空に浮かぶ浮遊大陸テンペリオスは、獣人と呼ばれる少数民族が棲まう天上の楽園だ。
アチューダリアを出ることがなければ、もしかすると知る由もなかった広大なリンドルナに存在する人々の暮らしを想像して、リルカは静かに、しかし大いに興奮した。
動物を利用した移動手段よりも格段に早く国を横断し、その日のうちに港町ヤルケッタに到着すると、ムゥダルは馴染みの宿屋を手配して、子分が出来たと冗談混じりにリルカを紹介した。
「さて。残念だが俺は今夜は別のところに泊まる」
「あ、そうなの」
「おぉ残念そうだな、やっぱり俺が居ないと寂しいか」
「そんなワケないじゃない。すごく高そうな部屋なのに、一人で泊まっていいのかって意味よ」
「金なら気にするな。それにまあ、お前も一応は年頃の娘だし同衾するワケにはいかねえだろ」
「うわ、エロオヤジ」
「バカお前。エロくてセクシーなお兄さんだろ」
「小娘相手にそういう薄ら寒いこと言うし、そういうところがオッサンなんだよ」
この一日ですっかりムゥダルに打ち解けたリルカは、まるで歳の離れた兄のように気を許した態度を見せ、ムゥダルもリルカを可愛がり、たわいないやり取りであっという間に時間は過ぎる。
ムゥダルがリルカに男らしい口調や振る舞い方を手解きして、面白おかしく宿屋の食堂で腹を満たすと、当初の宣言通り、身支度を整えたムゥダルが部屋を出ていく支度をした。
「じゃあ朝また迎えに来るから、今日はゆっくり休め」
「あれ、本当だったんだ」
「なんだお前、やっぱり添い寝して欲しいのか」
「一緒について行って『僕、お兄さんと一緒じゃないと眠れないのぉ』って涙流そうか」
「なんだよ、言うじゃねえか」
ムゥダルは豪快に笑うとリルカの髪を乱暴に撫でて、冗談はさて置きと表情を引き締める。
「ここは人の出入りが激しい街だ。〈モゼリオ〉の連中もごまんと居る。ただあいつらは縄張りに細かい。だからこの街を根城にしてるヤツらには、そこまで警戒はしてないんだが」
「金で動く連中だって言いたいんだよね」
「ああ。俺はアチューダリアに来た目的もあるから、情報収集も兼ねてこのすぐ近くの娼館に泊まる。万が一の時はこの笛を鳴らして合図しろ」
ムゥダルが手渡したのは、金属で出来た小指ほどの大きさの笛で、リンドルナに多く棲息する骸獣討伐に使われる、甲高くて耳障りな音を発するらしい。
「娼館ねえ」
工芸品のような綺麗な組紐に指を引っ掛け、笛を振り回すとリルカは面白くなさそうに呟く。
当然だがここに来て〈モゼリオ〉の連中に見付かれば、他人事ではなくリルカ自身が父の借金を返すために、娼館で客の相手をさせられる可能性はまだ残っている。
「まあ売られそうになってるお前にとっちゃ、いい印象のない場所だろうがな。顔繋ぎして情報を手に入れるには丁度いい場所なんだよ」
「男はそういう場所が多くていいよね」
「バカ言うな。男娼もいる、なにも男のためだけの場所ってワケじゃねえよ」
「大人ってみんなそうなの」
「まあ俺は下手な色恋よりも、一晩で酔わせてくれる綺麗なお姉ちゃんが好きだな」
「あー、はいはい」
世間話もそこそこに、くれぐれも気を付けろとリルカの頭を撫でるムゥダルの目はいつになく真剣なので、ギュッと握った笛を目線まで掲げ、リルカは余裕たっぷり笑って歯を見せる。
「大丈夫。朝には合流しよう」
「ゆっくり眠れ。じゃあ明日の朝迎えに来るからな」
ムゥダルを送り出すと扉の内鍵を二重に掛け、窓もしっかりと施錠してから豪奢な造りの寝台に腰掛けて、視界を遮る眼帯を外してようやく大きく息を吐き出す。
「ふぅ、いよいよ明日アチューダリアを離れるんだ」
前髪を掻き分けて頭を振ると、髪の毛を纏めるために付けた香油の匂いが鼻先をくすぐった。
ムゥダルが用意してくれたこの部屋には、ありがたいことに簡易式とはいえ、水浴びが出来るように浴室が設えられている。
髪だけは念入りに洗い、体は拭く程度にしてリルカは手早く水浴びを済ませると、寝る時くらいはと長いシャツ一枚だけを羽織って、柔らかい寝台に寝転んで大きく伸びをする。
そのまま枕元を照らすランプの灯りを消すと、気付かぬうちに気を張って疲れが出たのか、リルカは夢の中に吸い込まれるように眠りについた。
そして夜が明け、窓の外からミヒテが照らす明るい光が部屋に差し込むと、眩しさを感じて目を覚ました瞬間に、ようやく起きたかと肘をついて添い寝するムゥダルと目が合った。
「うわあっ」
「おっと、危ない」
驚きのあまりリルカが暴れて寝台から転げ落ちそうになるのを、咄嗟にムゥダルの逞しい腕が抱き竦めるように閉じ込め、意外と乳がデカいなと揶揄うような呟きが聞こえる。
「鍵掛けて気を抜いてたか。随分と無防備な女の子みたいな姿で寝てるんだな、ルカ」
「ちょ、オッサン!このエロオヤジ」
「俺だったから良いものの、男として生きていくなら容易く気を抜くんじゃない」
そう言ってムゥダルは、意味深にリルカの耳元に息を吹きかけると、可笑しそうに喉を鳴らして抱き締める腕を解いて寝台から起き上がった。
早速剣豪の娘の立場を利用して王に親書を出し、マーベルの不始末の処理を嘆願すると、遺された家屋と母の墓守りをギレルの両親に任せて荷造りをした。
使者を通じて返された王からの言葉は色良い物とは言えず、しかし〈モゼリオ〉が絡んでいる状況を鑑みて国での保護を提案されもしたが、そもそもはマーベルが作った借金が原因だ。
クレアが死に、酒に溺れ賭博にのめり込み、英雄としての務めを果たすことすら無くなったマーベルなのに、私財を確保し、保護までしてくれるというのは、まだ温情ある待遇だろう。
しかし結局のところ自分の尻は自分で拭えという当たり前の扱いに、何が国の英雄だ、剣聖の再来だとリルカはやはり舌打ちしたい気分になった。
「ねえリルカ、本当に良いの」
「ギレル、私はもうリルカじゃない。あんたは本当の弟みたいに可愛い幼馴染みよ、だけどそろそろ私が居なくても一人でなんとかしなきゃ」
「リルカ」
「ルカだよ。リルカはここに置いていく。稼いだお金はアンタに送るから、頼むわね」
二段式になった寝台の上に寝転がって天井を仰ぐと、リルカは自分に言い聞かせるように静かに呟いて目を閉じ、ギレルはその声を聞いてリルカの名を呼ぼうとしてやめた。
迎えた翌日、リルカは朝早いうちにムゥダルと共に王都マスケスを離れ、アチューダリア西端の港町ヤルケッタに向けて、この国では珍しいスチームバギーに乗り込んだ。
「こっちじゃスチームバギーは珍しいだろ」
「え、なにそれ。それがこの走ってる機械の名前なの」
「まあその反応が答えか」
ムゥダルはクッと喉を鳴らしてハンドルを切ると、冒険者らしくリンドルナについて色々な話をリルカに話して聞かせる。
エイダーガルナの帝都アエスが在り、リンドルナで最も広大なイゴラス大陸は機械化が進み、飛翔艇に始まり機械技術の躍進は目まぐるしいものがあるという。
次に一番小さなトルディナ大陸は、未開の地と呼ばれるだけあって、広大な砂漠が広がりその周囲には凍てつく大地が続く厳しい環境に置かれている。
現在の皇帝が即位し、近年になってから帝国とも国交が生まれたそうだが、トルディナの民は少数部族が日々の糧を育み、諍いとは無縁に暮らしているそうだ。
他にも楽園と呼ばれるイザリス大陸は、骸獣被害が少なく、帝国と友好関係にあるサマナイル王国を含めた大小様々な国は、自由を尊び様々な人種が肩を並べて生きている。
そして空に浮かぶ浮遊大陸テンペリオスは、獣人と呼ばれる少数民族が棲まう天上の楽園だ。
アチューダリアを出ることがなければ、もしかすると知る由もなかった広大なリンドルナに存在する人々の暮らしを想像して、リルカは静かに、しかし大いに興奮した。
動物を利用した移動手段よりも格段に早く国を横断し、その日のうちに港町ヤルケッタに到着すると、ムゥダルは馴染みの宿屋を手配して、子分が出来たと冗談混じりにリルカを紹介した。
「さて。残念だが俺は今夜は別のところに泊まる」
「あ、そうなの」
「おぉ残念そうだな、やっぱり俺が居ないと寂しいか」
「そんなワケないじゃない。すごく高そうな部屋なのに、一人で泊まっていいのかって意味よ」
「金なら気にするな。それにまあ、お前も一応は年頃の娘だし同衾するワケにはいかねえだろ」
「うわ、エロオヤジ」
「バカお前。エロくてセクシーなお兄さんだろ」
「小娘相手にそういう薄ら寒いこと言うし、そういうところがオッサンなんだよ」
この一日ですっかりムゥダルに打ち解けたリルカは、まるで歳の離れた兄のように気を許した態度を見せ、ムゥダルもリルカを可愛がり、たわいないやり取りであっという間に時間は過ぎる。
ムゥダルがリルカに男らしい口調や振る舞い方を手解きして、面白おかしく宿屋の食堂で腹を満たすと、当初の宣言通り、身支度を整えたムゥダルが部屋を出ていく支度をした。
「じゃあ朝また迎えに来るから、今日はゆっくり休め」
「あれ、本当だったんだ」
「なんだお前、やっぱり添い寝して欲しいのか」
「一緒について行って『僕、お兄さんと一緒じゃないと眠れないのぉ』って涙流そうか」
「なんだよ、言うじゃねえか」
ムゥダルは豪快に笑うとリルカの髪を乱暴に撫でて、冗談はさて置きと表情を引き締める。
「ここは人の出入りが激しい街だ。〈モゼリオ〉の連中もごまんと居る。ただあいつらは縄張りに細かい。だからこの街を根城にしてるヤツらには、そこまで警戒はしてないんだが」
「金で動く連中だって言いたいんだよね」
「ああ。俺はアチューダリアに来た目的もあるから、情報収集も兼ねてこのすぐ近くの娼館に泊まる。万が一の時はこの笛を鳴らして合図しろ」
ムゥダルが手渡したのは、金属で出来た小指ほどの大きさの笛で、リンドルナに多く棲息する骸獣討伐に使われる、甲高くて耳障りな音を発するらしい。
「娼館ねえ」
工芸品のような綺麗な組紐に指を引っ掛け、笛を振り回すとリルカは面白くなさそうに呟く。
当然だがここに来て〈モゼリオ〉の連中に見付かれば、他人事ではなくリルカ自身が父の借金を返すために、娼館で客の相手をさせられる可能性はまだ残っている。
「まあ売られそうになってるお前にとっちゃ、いい印象のない場所だろうがな。顔繋ぎして情報を手に入れるには丁度いい場所なんだよ」
「男はそういう場所が多くていいよね」
「バカ言うな。男娼もいる、なにも男のためだけの場所ってワケじゃねえよ」
「大人ってみんなそうなの」
「まあ俺は下手な色恋よりも、一晩で酔わせてくれる綺麗なお姉ちゃんが好きだな」
「あー、はいはい」
世間話もそこそこに、くれぐれも気を付けろとリルカの頭を撫でるムゥダルの目はいつになく真剣なので、ギュッと握った笛を目線まで掲げ、リルカは余裕たっぷり笑って歯を見せる。
「大丈夫。朝には合流しよう」
「ゆっくり眠れ。じゃあ明日の朝迎えに来るからな」
ムゥダルを送り出すと扉の内鍵を二重に掛け、窓もしっかりと施錠してから豪奢な造りの寝台に腰掛けて、視界を遮る眼帯を外してようやく大きく息を吐き出す。
「ふぅ、いよいよ明日アチューダリアを離れるんだ」
前髪を掻き分けて頭を振ると、髪の毛を纏めるために付けた香油の匂いが鼻先をくすぐった。
ムゥダルが用意してくれたこの部屋には、ありがたいことに簡易式とはいえ、水浴びが出来るように浴室が設えられている。
髪だけは念入りに洗い、体は拭く程度にしてリルカは手早く水浴びを済ませると、寝る時くらいはと長いシャツ一枚だけを羽織って、柔らかい寝台に寝転んで大きく伸びをする。
そのまま枕元を照らすランプの灯りを消すと、気付かぬうちに気を張って疲れが出たのか、リルカは夢の中に吸い込まれるように眠りについた。
そして夜が明け、窓の外からミヒテが照らす明るい光が部屋に差し込むと、眩しさを感じて目を覚ました瞬間に、ようやく起きたかと肘をついて添い寝するムゥダルと目が合った。
「うわあっ」
「おっと、危ない」
驚きのあまりリルカが暴れて寝台から転げ落ちそうになるのを、咄嗟にムゥダルの逞しい腕が抱き竦めるように閉じ込め、意外と乳がデカいなと揶揄うような呟きが聞こえる。
「鍵掛けて気を抜いてたか。随分と無防備な女の子みたいな姿で寝てるんだな、ルカ」
「ちょ、オッサン!このエロオヤジ」
「俺だったから良いものの、男として生きていくなら容易く気を抜くんじゃない」
そう言ってムゥダルは、意味深にリルカの耳元に息を吹きかけると、可笑しそうに喉を鳴らして抱き締める腕を解いて寝台から起き上がった。
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