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(4)男として生きていく覚悟

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 酒場での噂話の真偽を確かめるよりも先に、リルカは長く伸ばしていた髪をばっさり切ると、少しでも人相を変えるために左目を眼帯で覆い、その上に左に流した前髪を下ろす。

「まあ、幾つか歳下みたいな雰囲気にはなったけど、男の子に見えなくもない姿になったわね」

「ほ、本当に大丈夫なのかな」

「大丈夫もなにも、ほら、さっさと服寄越しなさいよ」

 借金の話を聞いたばかりで家に帰る気にはなれず、ギレルの部屋で姿見に映る自分を確認すると、背丈の変わらない幼馴染みの古着に袖を通すため、ランプを点けて繕い物に精を出す。

 今はヌセが闇を照らす真夜中が迫った二十八時。

 〈ブリランテ〉は人気の酒場だが、当然のことがながら本業は宿屋だ。泊まりの客への対応が第一なので、王都にある他の酒場よりも閉店が早い。

「それよりギレル、あんたの言ってた話、本当に信用して良いのよね」

「うん。ムゥダルさんは有名だし、間違いなくエイダーガルナ帝国の冒険者ギルド、〈ストラヴァル〉の冒険者だよ」

「エイダーガルナ帝国か」

 リルカが暮らすアチューダリアから、大きな海を隔てた別の大陸。
 海路を進み、途中で物資調達をしながら休息を挟む航海ならば、最低でも二節(二十日)は掛かる道のりとなるだろう。

 長旅なのは重々承知しているし、多少の金なら持っているが足りるだろうかと思いつつ、リルカは手元の針を動かす指を早める。

「それより本当に帝国に行くつもりなのかい。僕、リルカが心配だよ」

「残っても相手が〈モゼリオ〉だったら、娼館どころか、下手すれば奴隷として一生飼い殺しにされるの。父さんが作った借金のために、そんな扱いを受けるなんて馬鹿げてるでしょ」

「そりゃそうだけどさ。おじさんだって見つかってないのに、なにも帝国に渡るなんて危険なことはしないで、このままうちで身を隠せば良いじゃないか」

 針仕事をこなしながら、いくらなんでも帝国は遠すぎるとギレルは難色を示す。

「あのね、ギレル。〈モゼリオ〉に借りたお金を踏み倒してるってことは、地の果てまでも追い掛けられる可能性があるってことなの。国外に出るのは最善策よ」

「だけどこうやって容姿を変えて、男装して誤魔化せば、上手く凌げるんじゃないの」

「おめでたいわね、だからあんたはガキなのよ。父さんが見つかったところで、お金を返すアテなんかないのよ。どのみち私は借金のカタに利用されて搾取される。そんなの絶対イヤ」

「だからってリルカが帝国に行っちゃうなんて」

「お願いだから邪魔しないでよね。ほら、それ貸して。あんたじゃトロすぎて朝になるわ」

 リルカはギレルから服を奪い取ると、糸を付け替えて手早く針を刺していく。

 マーベルのことを父としても剣の師としても尊敬していたが、クレアを亡くしてからすっかり変わり果てた姿に、リルカは愛が人を脆くさせるものだと悟った。

 剣聖の再来と謳われた剣豪マーベルなど、もう何処にも居ない。あれではただの生きる屍だ。

 リルカだって当時はまだ十五で、母の温もりが恋しい時だったのに、父はそんな娘よりも母を亡くした悲しみに暮れ、母が嫌った酒に溺れた上に賭博にまで手を出した。

 人が堕ちていくのは簡単なことで、リルカはマーベルに対して、血の繋がった娘であっても無力である自分自身が、父に愛されているのかすら分からなくなった。

「マジで、あの、クソオヤジ!」

 一針一針に恨みを込めるように、力強く針でほつれを縫い留めると、ギレルに合わせてあつらえられた華美な装飾を剥がして別の端切れで覆い隠す。

 そうして夜通し作業をすると仮眠を取って疲れを癒してから、翌日の昼になってギレルの紹介で冒険者のムゥダルと対面した。

「これが僕の幼馴染みのリ……」
「ルカです。今回は突然のお願いですみません」

 リルカはギレルをひと睨みして言葉を遮り、ムゥダルに挨拶をした。

 ムゥダルは二十代後半くらいだろうか。いかにも冒険者らしくマンダリン黄色いオレンジの髪を短く整えて額を出し、屈強な体付きの浅黒い肌にはいくつも傷痕が残されている。
 女性を魅了しそうな精悍な顔立ちは少し垂れ目なのが甘さを引き立て、ギレルから聞いたよりも物腰が柔らかく、顎髭を指先で撫でながら色気のある声で元気な挨拶だなと白い歯を見せた。

「ギレル、お前さんの幼馴染みは女の子じゃなかったか」

「あ、の……」
「それは俺の姉さんです」

「ほう。じゃあなにか、お前はその姉さんと親のために金を稼いで孝行したいってことか」

「親はもう居ません。毎日仕事ばかりの姉さんは、年頃なのに俺が居るせいで結婚もしない気で居るんです。だから自立して一人でも大丈夫だって分かって欲しくて」

 リルカは喉を絞って低く枯れた声を出すと、ギレルが驚くほど口から出まかせを言い連ね、お願いしますとムゥダルに頭を下げた。
 驚いているのはギレルだけでなく、ムゥダルもまた、リルカの言葉に感心したような顔を見せる。

「なるほどな。けど良いのか、お前さんそんなに姉さんが大事なのに帝国に行くとなると、そう簡単にはアチューダリアには帰れんぞ」

「良いんです。すぐ帰れると思えば甘えが出ます。それでは意味がないんです」

「ほう、そりゃごもっともだ。俺は構わんがギレル、お前さんはどうなんだ」

 ムゥダルはリルカから視線を外してギレルを見ると、が幼馴染みなんだろうと可笑しそうに肩を揺らす。

「なんで!」

 リルカとギレルは思わず声を揃えて驚いた。

「なんでもクソもねえだろ。乳は潰せてもケツまでは隠し切れないからな。ガキだろうが女は特有の丸みを帯びた体付きだ、見る奴が見れば一発でバレる。俺は無類の女好きなもんでな」

 ギレルよりは充分男前に見えてるぞと、ムゥダルは鼻を鳴らしてアーデを飲み干す。

「この格好では意味がないってことですか」

「そうは言わねえよ。ほとんどの奴にはバレずに誤魔化せるんじゃないか」

「でも貴方にはバレた」

「だからそれは俺が無類の女好きだからだよ。しかも事前にギレルの坊主から、幼馴染みは女の子だと聞いてたし、嬢ちゃんは格別可愛らしい顔立ちだからな」

 似合ってるぞと笑いながら眼帯を弾かれ、リルカはギレルをひと睨みしてから諦めたように溜め息を吐いて、父である剣豪マーベルの名は伏せて真相を伝えることにした。

 リルカの話を黙って聞いていたムゥダルは、塩漬けにした薄切り肉を頬張ると、アーデを飲み下してから鋭い目をリルカに向けた。

「〈モゼリオ〉から逃れるために、本気で女であることも国も捨てるつもりか。お袋さんの墓守りはどうする。お前はお袋さんを捨てることが出来るのか、嬢ちゃん」

「それは」

 リルカが言い淀むと、ムゥダルはより鋭い目を向けて呟く。

「お前の覚悟はその程度か」

「ムゥダルさん、そりゃ家族だもの。リルカだって好きでお母さんを捨てて行きたい訳じゃないことぐらい、考えたら分かるじゃないですか」

 ギレルが泣きそうな顔でムゥダルの腕を掴み、その屈強な体を揺らして訴えるが、ムゥダルがリルカを見つめる目は相変わらず厳しく鋭い。

「大丈夫です、母は心の中に居ますから。わ……俺は俺として生きていきます」

 リルカは胸に手を当て、歯を食いしばってそう答えた。
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