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動揺
しおりを挟む釜戸にいた佐助は、優の食後の洗い物を終えた。そして、優の眠る居間に戻ろうと草履を脱ぎ、釜戸のある土間から、優のいる居間へ続く幾分高い位置にある板間に上がろうとした時、そこに定吉が現れた。
「佐助。ここでお前の仕事の話しがある…」
定吉は、明らかに眠る優を気にして小声だ。
それに合わせ、佐助も自ずと同じ声の大きさになる。
「はい。なんなりと」
佐助は、優に対しよく見せるニヤけた態度を一切封印し、顔付きを引き締めた。佐助の男前度が上がった。
定吉は、その表情を見ると小さく頷き朴訥と話し出した。
「優が起きて様子が元気なら、俺は一度観月屋敷に戻る。怪我でなまった体を動かす為に、少し昼夜をかけて狩りに野山を回って来ると屋敷の連中には言って出てたが、あまり長いと色々不審に思われるからな」
佐助は、土間に跪き頭を深く下げて答えた。
「承知。アニキが又お戻りになるまで、姫様と千夏殿はこの佐助がこの命に替えましても御守り申し上げます」
定吉は、佐助がまだ優の事を懲りずに姫様と言っている事に若干呆れた様子を浮かべたが、すぐに本題に戻った。
「佐助。観月屋敷に戻ったら俺はやる事がある。ここに二、三日は戻らない。優と千夏はくれぐれも頼む」
佐助は、跪いたままゆっくり顔を上げて、真剣な表情で定吉を見た。
「アニキは……今度は何をなさるおつもりですか?」
定吉は、佐助を板間から見おろし暫く黙っていたが、やがて口を開いた。
「俺はこれから、観月家の長男の春陽を何処か人目のつかない所にさらう」
「はっ?……」
佐助は、唐突な話しに定吉を見たまま目を丸くした。
定吉は、そんな佐助に構わず話しを続けた。
「佐助。観月春陽は……婬魔だ」
「えっ?!」
佐助は、婬魔と言う言葉にも驚いたが、何より話しの本筋がまだ見えなくて怪訝な顔をして尋ねた。ただ、いつもなら定吉は誰かから請け負った仕事なら最初にハッキリそう言うので、仕事では無いとは思った。
「観月春陽が婬魔なら、その首をはねて京の公家にでも売り飛ばし金を得ると言う事ですか?」
佐助は、優と春陽の顔が同じだという事すら知らないから、ただ単に普通に質問しただけだったのだが…
それを聞いた途端、普段喜怒哀楽の表情の無い男前の定吉の形相が一瞬で厳しくなり、佐助は背筋を凍らせた。しかし、佐助も「這蛇の里」では怖いモノ知らずで通っている。ただ佐助は、定吉だけには畏怖の感情を本気で抱いている。
そして、定吉が少しでも怒気を顔に出すと、それは地獄の獄卒にしか見えない。
「確かに、昔はそんな事をした事もあったが、今はするか!」
珍しく定吉は声を荒げて言った。だが、優達がまだ向こうで寝ているのを思い出し慌てて居間の方を気にした。
そして、優達が起きて来ないのを確認してから話しを続けた。
「俺が放ってる密偵から知らせがあり、都倉家から、観月春陽に荒清村を出て城に出仕するように命令が出たらしい。だが、出仕とは表向きで事実上は、春陽は観月家から都倉側への人質だろう。だが春陽がなかなか城に上がらないのに都倉が痺れをきらせて、今、春陽を迎えに都倉家から密使が観月屋敷に向かって来てる。何でも密使は、長い銀髪で背の高い、それは見事な美男子らしいがな…」
定吉は深刻な顔付きで、胸の前で自分の腕を組むと話しを続けた。
「婬魔は普段、角や牙を隠して人に化けてこの乱世に潜んで生きてるはずだから、生まれつき角や牙を自由に出したり消したり出来るもんだとばかりてっきり思ってたが、春陽はどうも、今の所角と牙を自分の意思でそうできないらしい。そこに密使が来ればどうなる?そう出仕の話しは長くは誤魔化せ無いはずだ。都倉側に春陽の正体がすぐバレるだろう」
佐助は、ただじっと定吉の話しを聞いている。
定吉は、そこに固く決意したような表情で言った。
「だからこの俺が……観月春陽をさらい、人目の無い安全な場所に隠す」
佐助は定吉の目を見ながら、そう言う事なら誰かから請け負った仕事でも無く、定吉の私的な行動なのだろうと確信したが、その時に一瞬ピンときて思い出した。
優と顔が瓜二つの男が一人いて、優とその男には絶対に指一本触れるなと定吉が佐助に言っていた事を…
(もし、観月春陽の顔が姫様と瓜二つなら……アニキは……もしかして、姫様が観月春陽に似てるから世話を焼いてるのか?…)
佐助は、心の底でそう思うと優の笑った顔を思い出し、自分自身でも抑えられず心をザワつかせ動揺した。
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