殉剣の焔

みゃー

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婚約破棄

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前世の朝霧が、前世の藍に出会ったその日の夕方。

前世の朝霧は、美月姫らと無事その日の宿場に着いた。

市井の旅人達は旅籠では、他人同士大人数で大部屋に寝泊まりが普通だったのに対し…

朝霧には個人に座敷が与えられた。

朝霧はその後、この二日間と同じ様に、普通に夕食を採り、湯浴みし、床に着いた…はずだった。

しかし…

夜闇が世界を支配し、人々が寝静まる刻。

朝霧は、突然一人起き出し旅支度をさっと整え、そっと旅籠を抜け出し、馬を出そうと馬房へ来た。

手には、洋燈を携えて。

朝霧はどうしても、昼間見たあの銀髪の青年が、荒清村に、春陽の近くに行くのが気がかりで、激しく胸が騒いだ。

あの銀髪の青年の美しさは、朝霧には禍々しく見えた。

そんなイヤな予感に苛まれ一刻も早く春陽の所に帰ろうとしていた。

勿論、婚約者の美月姫とその家臣達には気づかれないよう、内密に。

今回の美月姫の旅は隠密で、同行する臣下の数が少ないのが功を奏した。

この夜、朝霧に付けられた護衛は一人。

しかも、朝霧に与えられた座敷の障子向こうの家屋内の廊下側で任に着いていた。

朝霧は、反対側の縁側の、すでに閉まっていた雨戸を開けて脱出した。

朝霧は、馬が騒がないようそっと自馬を外に出そうとしたが…

その時…

「わたくしには、やはり直に別れの言葉一つすらもいただけぬのですね…貴継様…」

朝霧の背後から、美月姫の声がした。

朝霧は、ゆっくりと声の主に振り返った。

美月姫は、手燭の灯りを手に持ちながら、褥用の白の小袖姿で朝霧の前に立っていた。

「昼間。貴継様がわたくしに、貴継様の大切な財の入った荷を預かって欲しいとおっしゃられてお渡しになった時、わたくしとても嬉しゅうございましたけれど、おかしいとも思いましたのよ…」

そう言い、少し寂しそうに美月姫は微笑んだ。

姫は、その場に立ったまま話し続ける。

「ですから、わたくし、貴継様への見張りはいつもより細かく指示しておりましたし…何かあればすぐ、わたくしに知らせるよう言い渡しておりましたの」

朝霧は、やはり美月姫は、巷によくいる普通のぼんやりした、何も自分では出来ない良家の姫で無いと再確認した。

「先程、見張りの者が、貴継様が御自分の褥に置いて行かれた文を持って参りましたから拝見いたしました。昼間預かった荷の中には、貴継様がお持ちの宝玉や金が沢山入っていて、これで貴継様のお父上の斉木家への借金を返すと、わたくしとの婚約は破棄したいと書かれていたので…やはりなと思いましたわ」

「申し訳無い…美月様…事前に私の財が如何ほどになるか換算しておりましたが…足りるはずだと思いましたが、足りなかったでしょうか?」

朝霧は、もう完全に腹をくくっているのか、慌てる素振り無く堂々として落ち付いた口調だ。

「足りない所か、多分、多過ぎると思います。わざとそうされたんでしょうが…よく、これだけの金品を、まだそんなにお若いのにお貯めになられましたわね…それとも…春陽殿の為、お貯めでしたか?」

そう言いながら美月姫は、朝霧に近づき朝霧の右手を取り、その朝霧の手に、預かっていた財入りの大き目の巾着袋を持たせた。

そして、一言言った。

「これは、お返しいたします…」

「美月様受け取って下さい。私が…愚かだったのです。悩んで意地を張り…無駄な日々を費してしまいましたが、私はもうどんな事があろうと、春陽の為だけに生きると決めました。春陽が私に付いてこないなら、私が春陽に付いて行きます。美月様…あなたとは結婚いたしません」

朝霧は、深夜である事から声を控え目に、しかしハッキリ明言し、
美月姫に袋を押し返そうとした。

しかし…

「本当は、荒清村にいた時から、こうなるのではないかとはどこかで分かっておりましたわ。貴継様の春陽殿への恋情が尋常で無い事も分かっておりましたから。だから誤解なさらないで…わたくしは、貴継様をお止めしてる訳ではありません。元々、貴継様のお父上の借金は、我が斉木家の財力にしてみれば大した額ではありませんの。返済が無くともどうと言う事はありません。だからどうぞこれをお持ちになって、春陽殿の所にお戻りになって。婚約も、わたくしの気まぐれから破棄した事にいたしまして、貴継様への影響はなるべく小さくなるようこちらで善処いたしますから…」

「美月様…」

流石の朝霧も、余りに出来過ぎた話しに、狐につままれた感じで少し戸惑いを見せた。

「わたくしの方から婚約破棄したと言えば、斉木家も朝霧家も、誰も面だって文句は申さないと思いますし、断じて言わせはいたしませんから」

美月姫は、余裕と自信に満ちた笑顔を見せた。

そして、次には凛々しく表情を引き締めた。

「わたくしおなごですけれど、どんな事があろうと国と領民の為だけに生きると決めておりますの。
国と領民と何かを選ばなければならないなら、わたくし、必ず国と領民の方を選択いたします。それが、わたくしの使命と…思っております」

美月姫は、真っ直ぐ朝霧を見て続けた。

「貴継様とわたくし、頑固な所よく似ていますわ。不思議ですわ。
わたくしのそばに何年も何年もいても分かり合えぬ者も沢山いますのに…貴継様とは共にいたのは本当に数日でしたけど…貴継様のお気持ち、この美月よく分かりますの…どうしても譲れない気持ちは痛いくらいに…ですからわたくし、貴継様をお助けしたいと思いましたのよ。さっ、早く、他の配下が起きて来るとややこしいですわ。早く、早く行って下さいませ…」

そう言って美月姫は、朝霧の旅用の手甲を付けた、巾着を持つ手を上から握った。

「ありがとうございます…美月様!この御恩は一生忘れません!」

朝霧は、頭を深々下げ、馬を引いて美月姫に背を向けた。

美月姫の目に、美月姫の持つ手燭の灯りで、音をなるべく立てないよう慎重に旅籠の敷地内から馬を連れ出し遠ざかる朝霧の大きくたくましい背中が映る。

そしていつの間にか、その美月姫の両目から涙が静かに流れ始めた。

「神よ…どうか、どうか…我が愛するあの御方に…貴継様にご武運を…」

美月姫はただ、美月姫以外誰にも聞こえ無い小さな小さな声で、心の底からそう呟いた…

そして、いつも男勝りの美月姫のその声は震えていた。

やがて朝霧の姿は、静かに、静かに、溶け込むように漆黒の闇に消えた…











































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