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2,出会い
しおりを挟む「折角の誕生日だっていうのに、ちっとも楽しくないわ。お父様もお母様も、私のことを一番に想っているのなら、こんなパーティー開かなければいいのに」
ベンチに腰掛け、はぁ…とため息を吐く。
中庭まで出て来たはいいものの、会場に入りきらなかった人達で溢れており、正直会場内と大差ない。
これでは落ち着いて休むことも出来やしない。
もういっそ自室に戻ってしまおうか。
お父様もお母様も私には甘いから「ごめんなさい、気分が優れなくって…」なんてしなった声音で言葉を紡げば強く咎められることは無いだろう。
……と、そこでふいにとある考えが頭をよぎる。
(これだけ人が大勢いるんだから、紛れて屋敷の外に出ても誰も気づかないんじゃないかしら)
私だって、いくらまだ齢十の子供とはいえどやっていい悪戯とそうではないことの区別くらいはつく。
そして、今考えついた悪戯は圧倒的に後者だ。
それでも、今日は私の誕生日で、一年に一度しか訪れない特別な日だという浮かれた気持ちが、胸の内の好奇心を増幅させた。
両親は挨拶回りで私に構っている暇など無い筈だし、使用人だって忙しそうに会場を歩き回っている。
何よりこの人ごみだ。紛れて外に出てしまっても、絶対誰も気がつかない。
もし顔を見られてしまっても、まさか本日の主役であるローザ・カミラスだなんて誰も思わないだろう。
(すぐ戻れば、大丈夫よね)
どきどきと鼓動が早鳴る。
普段外出する時は使用人が必ず傍についている。
しかも近場に出るだけで馬車を出すものだから、私は未だに一人で外を出歩いたことが無い。
まるで冒険小説の主人公にでもなったような心持ちで意気揚々とベンチから立ち上がる。
門の辺りは推測通り人でごった返している。
使用人が時間をかけてセットをした髪型が崩れるのも構わずに、小さな隙間を見つけてずんずん進む。
何度かドレスの裾を踏みつけられ転びそうになりながらも、何とか門の外へと出た。
主役がいないとも知らずに賑わっている屋敷を門の外から眺める。なんだかひどく間抜けな感じがする。
「…行ってきます」
煌びやかな屋敷へ背を向け、あても無く歩を進める。
不思議な気分だった。街頭一つ無い夜道で、空にぽっかり浮かび上がったお月様だけが、柔らかな光で辺りを照らしている。
目が眩む程まぶしいシャンデリアの光よりも、こちらの方がずっと綺麗だと思った。
月に向かって思いっきり駆け出してしまいたい衝動に駆られる。が、背伸びをしすぎた高いヒールがそれを阻む。
いっそここで脱ぎ捨ててしまおうかとも考えたが、流石に怒られそうなのでやめた。
しばらく歩いていると、ぽつぽつと幾つかの人工的な光が視界に入った。
よく目を凝らしてみれば、小さな建物が何件も連なり、窓からは光が漏れている。街…だろうか。
それにしては、普段ショッピングに出かける街のようにきらびやかで華やかな雰囲気ではない。
街灯が曖昧に辺りを照らしていて薄暗く、なんだか湿っぽい感じがする。
恐る恐る街へと足を踏み入れれば、むせ返るような生臭さと安っぽいアルコールの臭いが鼻腔をかすめ、思わずうっと顔をしかめた。
しかも、先程からすれ違う人は皆私に対して奇異の視線を向けている。
イブニングドレスに、崩れてはしまっているものの綺麗に結い上げられたプラチナブロンドの髪、極めつけはアディからプレゼントされた胸元の首飾りという、どう考えてもこの擦れた場にはそぐわない装いだ。
つまり誰もかれも私にそうした好奇の視線を向けるのは当たり前なのだ。
周囲の大人達からは、同年代の子に比べて大人びてるだのなんだのと言われ続けてきたものの、所詮は屋敷という籠の中で蝶よ花よと育てられた箱入り娘。
身分の違いや、このような生活を送っている人がいることなど、綺麗なものだけを見て育ってきたのだから知る術もない。
突然見知らぬ世界に迷い込んでしまったことで、段々と心細さが募ってくる。
そろそろ屋敷へ帰ろうかと方向転換をしたそのとき
ーーガシャンッ
ビンかなにかが雪崩れ、割れたような鋭い音が背後で響く。
思わず肩がびくりと跳ね上がる。
何事かと思い、肩を強張らせたまま振り向く。
積み上げられた褐色のガラスビン…と言っても今は崩れてしまい、ガラスの一部は粉々になり辺りに破片が散らばっているのだが、その中に埋まるよう、一人の少年がぐったりと倒れこんでいた。
「本当にアンタは使えないね!」
恰幅のいい女の人は聞くに堪えない罵詈雑言を、未だ倒れこんだまま動かない少年へと浴びせかける。
しかし言葉だけには留まらず、遂にはその手に持っていたほうきの柄で思い切り少年を叩きつけた。
「ぐっ…」
少年の唇から、鈍いうめき声が漏れる。
どうして誰も少年の事を助けてあげないのだろう。
みな一様に、ちらと視線を向けただけで後は知らぬふりをきめ込んでいる。
再度ほうきが振り上げられたところで、私は堪らず声を張り上げた。
「もうやめてっ!」
散らばった破片など気にも留めず、少年の傍へ駆け寄る。
鬼のような形相を浮かべる女の人から庇うよう腕を広げれば、女の人は怪訝な表情を浮かべつつ、振り上げていたほうきをおろした。
「なんだい、いいとこのお嬢ちゃんは引っ込んでな。」
「この人、怪我をして動けないのよ。どうしてほうきで叩きつけたりするの!」
「お嬢ちゃん、コイツは私が買ったんだ。だから私がコイツをぶちのめそうが何しようがお嬢ちゃんが口を出す権利は無いんだよ。」
「この人を買った…ですって」
私には、目の前の女の人が言った言葉を理解することが出来なかった。
「そんな、人の命が売買されていい筈無いわ!」
「ごたごたうるさいね。お嬢ちゃんみたいに綺麗なおべべ着た高貴な生まれのやつには縁の無い話かもしれないけどね、ここじゃそれが当たり前なのさ。いいからさっさとどきな!」
ほうきの先を鼻先に突きつけられ、恐怖からがたがたと足が震える。
今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。
そうして、優しい両親に力いっぱい抱きしめてもらい、ふかふかのベッドで眠るのだ。
今日見たことを、すべてかき消すように。
でも、それをしてしまったらこの少年は?
力なくぐったりと倒れこむこの少年を見捨てて逃げ出すだなんて、私にはどうしても出来なかった。
目の前の女の人は恐ろしい。
けれど、今私が逃げて、この人が更に傷つくことの方がもっと恐ろしい。
(どうしたら、この人を助けることができる…?)
必死に考えを巡らせる。そして、あるひとつの考えにたどり着いた。
(ッ…迷っているひまは無いわ!)
アディからプレゼントされた首飾り。
それを女の人の目の前につきつける。
蜂蜜色の石は街灯の薄ぼんやりした光を受けてなお、曇りのない輝きを放つ。
誰が見ても、上等なものだと分かる。
「これで、この人を私に売ってちょうだい!」
人を売買するだなんていけないことだ。
それはつい先ほど私自身が口にした言葉で、ましてや、アディからプレゼントされた首飾りを取引の材料に使うだなんて最低だ。
(分かっている…分かっているけれど、これ以上高価なものは持ち合わせていないもの…!)
力も知恵も足りない、魔法の素質もない私には、少年を助ける術を、これ以外に思いつかなかった。
「それで足りないのなら、この髪留めも持っていってくれて結構よ。そもそも、人の命に値段なんてつけられないんだから」
「分かった、分かった!ソイツはお嬢ちゃんにやろう。その代わり、後で返してくれなんて言っても、わたしゃ絶対に返さないからね」
女の人がしわがれた手のひらで首飾りを強く握り締める。
この女の人にとっては、人の命よりも首飾りのほうが価値があるのかと思うと途端に空しくて堪らなくなった。
急いで雪崩れたビンを掻き分け、少年を抱き起こす。
「あなた、大丈夫、意識はある?」
「うっ…」
まぶたがぴくりと痙攣し、ぎこちなく開かれる。
吸い込まれそうなほど深い漆黒の瞳が虚ろに揺れた。
「……俺は……」
乾いた唇からたどたどしく言葉が紡がれる。
口元を動かすたびに口端からじわりと滲む血が、見ていてとても痛々しい。
「詳しい話は後でするわ。立てる?」
少年は控えめにこくりと頷いた。
立ち上がろうと足に力を入れるも、ぐらりとよろめいて、積み上げたガラスビンに衝突しそうになる。
慌てて少年の腕を引き、そのまま自身の肩へと回させた。
少年の肌から滲む血が、私の纏っている薄桃色のイブニングドレスを赤く汚す。
少年はぎょっとして、咄嗟に身体を仰け反らせようとする。
しかし私の「ほら、ちゃんと寄りかかって」という一言によって、それが行動に移ることは無かった。
ぼろ雑巾のような少年に肩を貸しながら歩く身なりのいい少女。
それは誰がどう見ても異様な光景だったのだが、私といえば、もう周囲からの視線はさほど気にならなくなっていた。
今は一刻も早く、傷だらけの少年を屋敷へ連れて帰り、お医者様に診てもらわなくてはならない。
それだけを考えて、ひたすら足を動かした。
街を出る途中にあった靴屋で、ウェーブがかった髪を束ねていた髪留めと、子供用の靴二足を交換した。
パーティー仕様の高いヒールを履き、人を支えて歩く事は困難だった。何より少年は素足だった。幾ら舗装された道とはいえ、小石がそこらかしこに転がっている。ただでさえ身体中傷だらけなのに、足の裏を切ってしまったりしたら大変だ。
「あと少しだから、頑張って」
反応は無い。
先程から喉の奥でヒューヒューと風のような呼吸を繰り返すばかりだ。
体重も全てこちらに預けているようで、ここで私が肩を貸すのをやめてしまったりしたら、立つこともままならないのだろう。
ここで私が治癒魔法でも使えれば、少年の苦しみを少しでも和らげる事が出来るのだろう。
(っ…無いものねだりなんてしていても、どうにもならないわ。私は、私に出来る事を精一杯するだけよ!)
ぐっと足に力を入れて地面を踏みしめる。
小道を抜けた先に位置しているオースティン家の屋敷を視界に捉えたところで、私は何だか安心してしまい、よろけて転びそうになってしまった。
門の前に立っていた警備員がこちらに気付き、何事かとと駆け寄ってくる。
屋敷を勝手に抜け出した私に対し、お父様とお母様はどんな反応をするだろう。
もの凄い勢いをもって叱咤されるかもしれない。あまりのショックで倒れてしまうだなんて事も想像出来る。
「今日からここが貴方の家よ。これから宜しくね」
そう言って笑いかける。
少年はチラリとこちらに視線を向けると、唇が微かに、ほんの微かに動いた……気がした。
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