123 / 208
重々しく。
123話
しおりを挟む
「ホームシック、ってやつかしら?」
少し意地悪さが増したヴィズも加わる。パリ生まれパリ育ちの彼女にはわからない感情。経験してみたいようなそうでもないような。
ホームシック、とは違うのだが、正しい表現がブランシュにもわからないため、言葉に詰まる。
「……どうなんでしょう、一度帰りたいとは思いますが、今ではないですね。まだ二ヶ月、です」
故郷の友人達から温かく送り出された手前、今はまだ早い気がする。もう少し、ここで経験を積んでから。
そうこうしているうちに、完全に慣れた手つきでホールのフラッパーゲートを通る。別に普通なのだが、偽物の戸籍で侵入しているニコルが一番堂々としているのには、ブランシュには違和感しかない。
そして現在は使用中のため、ホールの扉をゆっくりと開けつつ、ニコルは先陣を切って入る。
「よっしゃ一番……ん? なぁ、あれって」
すり鉢状の階段を降りつつ、現在使用している人物に注目。古代ローマのアンフィテアトルムから着想を得たという、客席がステージを円形に囲むホール。そこでスタインウェイの最高級ピアノを弾く姿に見覚えがある。
続いて入ったヴィズもすぐに気づいた。
「イリナね。ちょうどいいわ、眠らせましょう」
「待ちましょう」
なぜ穏便に事を済ませようとしないのか、ブランシュには甚だ理解できないが、見知った方でよかったという安堵もある。イリナのまるで羽根のような軽やかで柔らかなタッチ。それを時間まで聴いているのも贅沢。
……なはずだが、その音の違和感をすぐに把握した。
「……ヴィズさん、これって——」
横に並んだヴィズに視線を移す。胃がもたれるように息が詰まる。
考えていることは一緒。浮かべるヴィズの表情は苦々しい。
「……みたいね……」
シューベルト作曲『糸を紡ぐグレートヒェン』。ゲーテの戯曲である『ファウスト』の詩を出典とする歌曲。ファウストのことを想うグレートヒェンの独白。美しくも哀しい悲痛な叫び。激しい胸を高鳴りを表現するため、詩では六節と七節、九節と一〇節は区切られているにも関わらず、文章としては続いており、いわゆるアンジャンブマンという手法が用いられている。
感情の昂りに呼応するように、元になった詩もリズムをあえて乱したような箇所もある。ありとあらゆるものを使って、極上の表現で書き起こされた至極の詩。そんな複雑な乙女心をピアノで表現するイリナ。髪も振り乱さんばかりに、全身でグレートヒェンと一体化する。
少し意地悪さが増したヴィズも加わる。パリ生まれパリ育ちの彼女にはわからない感情。経験してみたいようなそうでもないような。
ホームシック、とは違うのだが、正しい表現がブランシュにもわからないため、言葉に詰まる。
「……どうなんでしょう、一度帰りたいとは思いますが、今ではないですね。まだ二ヶ月、です」
故郷の友人達から温かく送り出された手前、今はまだ早い気がする。もう少し、ここで経験を積んでから。
そうこうしているうちに、完全に慣れた手つきでホールのフラッパーゲートを通る。別に普通なのだが、偽物の戸籍で侵入しているニコルが一番堂々としているのには、ブランシュには違和感しかない。
そして現在は使用中のため、ホールの扉をゆっくりと開けつつ、ニコルは先陣を切って入る。
「よっしゃ一番……ん? なぁ、あれって」
すり鉢状の階段を降りつつ、現在使用している人物に注目。古代ローマのアンフィテアトルムから着想を得たという、客席がステージを円形に囲むホール。そこでスタインウェイの最高級ピアノを弾く姿に見覚えがある。
続いて入ったヴィズもすぐに気づいた。
「イリナね。ちょうどいいわ、眠らせましょう」
「待ちましょう」
なぜ穏便に事を済ませようとしないのか、ブランシュには甚だ理解できないが、見知った方でよかったという安堵もある。イリナのまるで羽根のような軽やかで柔らかなタッチ。それを時間まで聴いているのも贅沢。
……なはずだが、その音の違和感をすぐに把握した。
「……ヴィズさん、これって——」
横に並んだヴィズに視線を移す。胃がもたれるように息が詰まる。
考えていることは一緒。浮かべるヴィズの表情は苦々しい。
「……みたいね……」
シューベルト作曲『糸を紡ぐグレートヒェン』。ゲーテの戯曲である『ファウスト』の詩を出典とする歌曲。ファウストのことを想うグレートヒェンの独白。美しくも哀しい悲痛な叫び。激しい胸を高鳴りを表現するため、詩では六節と七節、九節と一〇節は区切られているにも関わらず、文章としては続いており、いわゆるアンジャンブマンという手法が用いられている。
感情の昂りに呼応するように、元になった詩もリズムをあえて乱したような箇所もある。ありとあらゆるものを使って、極上の表現で書き起こされた至極の詩。そんな複雑な乙女心をピアノで表現するイリナ。髪も振り乱さんばかりに、全身でグレートヒェンと一体化する。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
王太子さま、側室さまがご懐妊です
家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。
愛する彼女を妃としたい王太子。
本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。
そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。
あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました
宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。
ーーそれではお幸せに。
以前書いていたお話です。
投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと…
十話完結で既に書き終えてます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる