226 / 235
ヴォランテ
226話
しおりを挟む
ショパン作曲『練習曲作品二五の第九番 変ト長調 蝶々』。
滑らかさと跳ねるような音の奔流。『エオリアンハープ』よりさらに短い一分少々の曲。右手がひらひらと舞う蝶のように、重さを感じない軽快な進行。左手は跳躍もある八分音符の伴奏。簡単に弾いているようで難易度はそれなりに高い。
花が見える。蜜を吸う蝶。花粉を纏い、空を舞う共生の関係。アガスターシェの花。花言葉は『澄んだ心』。その心の思うがまま。雑念を切り捨て、この世界に溶ける。境界など、曖昧に。
目を瞑り、その短い至福の時間をブリジットは取り入れる。
(……やっぱり、ベルの音は楽しい。他の誰とも違う、新種の蝶みたい)
アゲハ蝶? モンシロ蝶? タテハ蝶? そのどれでもない、蜜も葉も好きなだけ食べる欲張りな蝶。これだからクラシックは、ショパンはたまらない。
弾き終わると、霧散していた自分自身の欠片を集め、蝶は『ベル・グランヴァル』に戻る。
「……でもガーランドとリースかぁ。今の時代、ネットで探せばたくさん参考になるものはあるだろうけど……でもそれじゃたぶん、納得のいくものができないと思う」
そのまま花の話へ。やはり澄んだ心のどこかに引っかかる。
その不安。ピアノにも通じるところがあり、ブリジットもなんとなく理解できる感覚。小さく頷く。
「ピアノも、誰かに習わないと上達しないもんね。音の聴こえ方が違ってくるから」
客観的に聴いてもらえることは、自分の弱点に気づけることでもある。ゆえに、独学では辿り着けない境地というものがどうしてもある。いい教師に出会えるというのは、それだけで幸せなこと。
うーん……と唸りつつ、ベルは譜面台に突っ伏す。
「やっぱり、誰かにすぐ聞ける環境っていうのは大事だと思う。間違ったまま進んでいっちゃうと、修正する時に相当苦労するからね。ものによっては、ネットとかそういうの活用するのでいいと思うんだけどなー。料理とか」
花は。音楽は。たぶん、対面して手取り足取り教わりたい。見せてもらう、だけではなく体験。体に間違いを刻み込むことでしか得られない教訓。
苦悩し、考え、また苦悩して。だがそれでも、どこかブリジットにはそれが前向きに見えてしまう。
「……今のベル、楽しそうだね。一時期、この世の終わりみたいだったのに」
ピアノを辞めると言っていた時期。魂をどこかに置いてきたような。見ていられなかった。
思い出してベルも苦笑。違うベクトルの辛さ。
「いや、今も大変よ大変。手も冷やし過ぎないように気をつけなきゃだし。でも……自分の『音』、見つけられたから」
花。それをイメージすること。弾く、という動作は忘れて、絵画を描くように。それこそが自分の音。
滑らかさと跳ねるような音の奔流。『エオリアンハープ』よりさらに短い一分少々の曲。右手がひらひらと舞う蝶のように、重さを感じない軽快な進行。左手は跳躍もある八分音符の伴奏。簡単に弾いているようで難易度はそれなりに高い。
花が見える。蜜を吸う蝶。花粉を纏い、空を舞う共生の関係。アガスターシェの花。花言葉は『澄んだ心』。その心の思うがまま。雑念を切り捨て、この世界に溶ける。境界など、曖昧に。
目を瞑り、その短い至福の時間をブリジットは取り入れる。
(……やっぱり、ベルの音は楽しい。他の誰とも違う、新種の蝶みたい)
アゲハ蝶? モンシロ蝶? タテハ蝶? そのどれでもない、蜜も葉も好きなだけ食べる欲張りな蝶。これだからクラシックは、ショパンはたまらない。
弾き終わると、霧散していた自分自身の欠片を集め、蝶は『ベル・グランヴァル』に戻る。
「……でもガーランドとリースかぁ。今の時代、ネットで探せばたくさん参考になるものはあるだろうけど……でもそれじゃたぶん、納得のいくものができないと思う」
そのまま花の話へ。やはり澄んだ心のどこかに引っかかる。
その不安。ピアノにも通じるところがあり、ブリジットもなんとなく理解できる感覚。小さく頷く。
「ピアノも、誰かに習わないと上達しないもんね。音の聴こえ方が違ってくるから」
客観的に聴いてもらえることは、自分の弱点に気づけることでもある。ゆえに、独学では辿り着けない境地というものがどうしてもある。いい教師に出会えるというのは、それだけで幸せなこと。
うーん……と唸りつつ、ベルは譜面台に突っ伏す。
「やっぱり、誰かにすぐ聞ける環境っていうのは大事だと思う。間違ったまま進んでいっちゃうと、修正する時に相当苦労するからね。ものによっては、ネットとかそういうの活用するのでいいと思うんだけどなー。料理とか」
花は。音楽は。たぶん、対面して手取り足取り教わりたい。見せてもらう、だけではなく体験。体に間違いを刻み込むことでしか得られない教訓。
苦悩し、考え、また苦悩して。だがそれでも、どこかブリジットにはそれが前向きに見えてしまう。
「……今のベル、楽しそうだね。一時期、この世の終わりみたいだったのに」
ピアノを辞めると言っていた時期。魂をどこかに置いてきたような。見ていられなかった。
思い出してベルも苦笑。違うベクトルの辛さ。
「いや、今も大変よ大変。手も冷やし過ぎないように気をつけなきゃだし。でも……自分の『音』、見つけられたから」
花。それをイメージすること。弾く、という動作は忘れて、絵画を描くように。それこそが自分の音。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
Parfumésie 【パルフュメジー】
隼
キャラ文芸
フランス、パリの12区。
ヴァンセンヌの森にて、ひとり佇む少女は考える。
憧れの調香師、ギャスパー・タルマに憧れてパリまでやってきたが、思ってもいない形で彼と接点を持つことになったこと。
そして、特技のヴァイオリンを生かした新たなる香りの創造。
今、音と香りの物語、その幕が上がる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
Réglage 【レグラージュ】
隼
キャラ文芸
フランスのパリ3区。
ピアノ専門店「アトリエ・ルピアノ」に所属する少女サロメ・トトゥ。
職業はピアノの調律師。性格はワガママ。
あらゆるピアノを蘇らせる、始動の調律。
引きこもりアラフォーはポツンと一軒家でイモつくりをはじめます
ジャン・幸田
キャラ文芸
アラフォー世代で引きこもりの村瀬は住まいを奪われホームレスになるところを救われた! それは山奥のポツンと一軒家で生活するという依頼だった。条件はヘンテコなイモの栽培!
そのイモ自体はなんの変哲もないものだったが、なぜか村瀬の一軒家には物の怪たちが集まるようになった! 一体全体なんなんだ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる