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ブリランテ
159話
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その視線の熱。ベアトリスはムッとした。
「失敬な。私の勘が、あいつは普通の方法では伸びないと言っている。れっきとした練習方法でな。これで大成し、弟子にもこれを強制した男がいる。練習時間は短ければ短いほどいいと主張し、だが超絶技巧で名を馳せた男だ」
そんな歴史に残るピアニストがいた。いまだにこの人物を超える者はいない、とまで言われるほどに有名。それでいて色々と型破り。
「それもショパン?」
呆れたようにレティシアが名前を挙げる。難しい話に持っていこうとしているのではないか、と邪推した。
「いや、フランツ・リスト。ショパンのライバルと呼ばれた男だ」
惜しかったな、と少しベアトリスは煽る。
だが、そのリストと同じように練習しているということは、レティシアは期待してしまうところがある。
「ショパンとかリストとか、ベルがそこに肩を並べるほどの才能を持っていると?」
そうでなければ、何の意味もない。ただ偉人の真似をして、それっぽい状況になっているだけ。身についていない。
だが、そこはベアトリス。他人の都合などどうでもいい。
「知らん。が、普通にやるより面白いだろう。私が」
任されたからには、一生懸命遊ぶ。博打で結構。自分に害があるわけでもなし。だからこそ、不敵に綻ぶ。
これ以上会話しても平行線をたどる、そんな予感と、一抹の期待を胸にレティシアは会話を打ち切ることを決めた。
「……まぁいいわ。今日は引き下がってあげる。ただし、あの子になにかあったら私はあなたを許さない。覚えておいて」
とはいえ、最後に警告する。いつも観察していることを。念頭に入れるように、と。
しかし、それも華麗に受け流し、ベアトリスも締めくくりに入る。
「『努力は必ず報われる。もし報われていないなら、それはまだ努力とはいえない』」
そしてエスプレッソ最後のひと口。
いい言葉、な気もするが、考えの読めないこの女性。疑いながらもレティシアは確認する。
「誰の言葉よ」
ん? と惚けながらベアトリスは立ち上がり伸びをする。喋りっぱなしだったこともあり、体が鈍っている。
「王貞治。世界のホームラン王だ。世界一の言葉は沁みるだろ」
報われるまでやることが努力。花に限らず、どんなものにも言えそうだ。改めて口に出すと、不思議とやる気が出てくる。
「いや、知らないわよ」
ホームランてことは野球。ルールもよく知らない。だが、すごい人なのだろう。一応、レティシアはありがたく受け取っておいた。
「それじゃ行くわ。これも。感謝しとく」
アレンジメントを手に席を立つ。まだ完全に賛同しているわけではないが、もう少し様子を見てみる。若干ではあるが、この生態のよくわからない店主のことを、前向きには捉えてみる。
その去り行く背中に、ベアトリスは声をかけた。
「信じてやれ」
「——え?」
なにか、今、なに? レティシアは耳を疑った。信じる? 振り返り、体を向ける。
さらに詳しくベアトリスは補足。仏頂面は変わらず。
「お前達にできることは、信じて成功を祈ることだけだ。あいつが自分を信じられなくなっても、せめてお前達だけは信じてやれ」
それだけ残し、自身も席を立つ。そしてカップを二つ、奥にあるシンクへ。
そのまま視界からフェードアウトしていくベアトリスに、呆気に取られつつも、気を取り直して聞こえないようにレティシアはひっそりと。
「……そういうところは、嫌いじゃないわ」
踵を返し、コツコツという力強い足音を響かせ、〈ソノラ〉を後にした。
扉の閉まる音を確認し、台所で二つ並んだカップを見つめたベアトリスはひとり、目の前の壁に向かって呟く。
「それに、今日明日は思う存分弾いていい。だからこそ学園にあいつを送り込んだんだからな」
くっく、と控えめに笑う。その思惑はきっと、ここではない場所で花開く。
「失敬な。私の勘が、あいつは普通の方法では伸びないと言っている。れっきとした練習方法でな。これで大成し、弟子にもこれを強制した男がいる。練習時間は短ければ短いほどいいと主張し、だが超絶技巧で名を馳せた男だ」
そんな歴史に残るピアニストがいた。いまだにこの人物を超える者はいない、とまで言われるほどに有名。それでいて色々と型破り。
「それもショパン?」
呆れたようにレティシアが名前を挙げる。難しい話に持っていこうとしているのではないか、と邪推した。
「いや、フランツ・リスト。ショパンのライバルと呼ばれた男だ」
惜しかったな、と少しベアトリスは煽る。
だが、そのリストと同じように練習しているということは、レティシアは期待してしまうところがある。
「ショパンとかリストとか、ベルがそこに肩を並べるほどの才能を持っていると?」
そうでなければ、何の意味もない。ただ偉人の真似をして、それっぽい状況になっているだけ。身についていない。
だが、そこはベアトリス。他人の都合などどうでもいい。
「知らん。が、普通にやるより面白いだろう。私が」
任されたからには、一生懸命遊ぶ。博打で結構。自分に害があるわけでもなし。だからこそ、不敵に綻ぶ。
これ以上会話しても平行線をたどる、そんな予感と、一抹の期待を胸にレティシアは会話を打ち切ることを決めた。
「……まぁいいわ。今日は引き下がってあげる。ただし、あの子になにかあったら私はあなたを許さない。覚えておいて」
とはいえ、最後に警告する。いつも観察していることを。念頭に入れるように、と。
しかし、それも華麗に受け流し、ベアトリスも締めくくりに入る。
「『努力は必ず報われる。もし報われていないなら、それはまだ努力とはいえない』」
そしてエスプレッソ最後のひと口。
いい言葉、な気もするが、考えの読めないこの女性。疑いながらもレティシアは確認する。
「誰の言葉よ」
ん? と惚けながらベアトリスは立ち上がり伸びをする。喋りっぱなしだったこともあり、体が鈍っている。
「王貞治。世界のホームラン王だ。世界一の言葉は沁みるだろ」
報われるまでやることが努力。花に限らず、どんなものにも言えそうだ。改めて口に出すと、不思議とやる気が出てくる。
「いや、知らないわよ」
ホームランてことは野球。ルールもよく知らない。だが、すごい人なのだろう。一応、レティシアはありがたく受け取っておいた。
「それじゃ行くわ。これも。感謝しとく」
アレンジメントを手に席を立つ。まだ完全に賛同しているわけではないが、もう少し様子を見てみる。若干ではあるが、この生態のよくわからない店主のことを、前向きには捉えてみる。
その去り行く背中に、ベアトリスは声をかけた。
「信じてやれ」
「——え?」
なにか、今、なに? レティシアは耳を疑った。信じる? 振り返り、体を向ける。
さらに詳しくベアトリスは補足。仏頂面は変わらず。
「お前達にできることは、信じて成功を祈ることだけだ。あいつが自分を信じられなくなっても、せめてお前達だけは信じてやれ」
それだけ残し、自身も席を立つ。そしてカップを二つ、奥にあるシンクへ。
そのまま視界からフェードアウトしていくベアトリスに、呆気に取られつつも、気を取り直して聞こえないようにレティシアはひっそりと。
「……そういうところは、嫌いじゃないわ」
踵を返し、コツコツという力強い足音を響かせ、〈ソノラ〉を後にした。
扉の閉まる音を確認し、台所で二つ並んだカップを見つめたベアトリスはひとり、目の前の壁に向かって呟く。
「それに、今日明日は思う存分弾いていい。だからこそ学園にあいつを送り込んだんだからな」
くっく、と控えめに笑う。その思惑はきっと、ここではない場所で花開く。
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