Sonora 【ソノラ】

文字の大きさ
上 下
133 / 235
コン・アニマ

133話

しおりを挟む
「……ということがあってな」

 サミー・ジューヴェということは漏らさずに、その日の閉店後、ベアトリスはベルに今日の話を聞かせる。深く木製のイスに座り込み、軽く揺れながら全身を弛緩させている。

 テーブルには数種類の花と花器。テーマを決めて練習中のベルは、同様にイスに座りながらも、手をできるだけ動かしつつそちらに耳を傾ける。例として、勉強させてもらう。

「そこまで考えていたんですか……すごいというか、真似できないというか」

 そこまでの知識はない。宗谷ってなに? 文字の掠れ? はらい? 一年もらっても、そこまで気づかないかもしれない。

 だが、その手法を必要とあらば真似しようとするベルを、ベアトリスは嗜める。

「真似なんかするな。そういう方法もある、というだけだ。自分らしい花を作れ。帰るときに少しだけ、幸せを感じていてくれたらそれでいい」

 他人の言葉を借りても濁るだけ。花の声を届ける、という心構えを忘れてはいけない。〈ソノラ〉では、そう貫く。

「私を技を目指すな。目指すなら私の思想を目指せ」

 かつてベアトリスが自身にも言われたこと。悔しいがあの父に。それを次に、バトンとして受け継いでいく。

 それなら自分だったら、そう構築するベルだが、中々に浮かばない。

「幸せか……」

 形のないもの。色でいえば赤。だけど、オレンジや黄色、青なんて言う人もいるだろう。そんな時はピアノに聞いてみる。テーマは『幸せ』。指が勝手に動く。

「……『中国の太鼓』か。ヴァイオリンは誰がやる、誰が」

 ベルの指の動きから、ベアトリスが察したのは、クライスラー作曲『中国の太鼓』。オリエンタルで神秘的なメロディと、弾けるような明るさのヴァイオリン。それでいてコミカル、それでいて風雅。たしかに、どこか『幸せ』が溢れているような気がしなくもない。

「ヴァイオリンは、なんか最近音楽科で話題になっている子がいるらしくて……」

 そこからつい、ヴァイオリンが主体となる曲を、ベルは選んでしまった。中華料理の美味しそうな香り、熱気あふれる人々。なんとなく幸せ。

 それとは対照的に、ベアトリスは顔を逸らし、ベルに背中を向けた。

「……」

「ベアトリスさん?」

 なにかヴァイオリンに嫌な思い出でもあるのだろうか、そんな疑問をベルが持っていると、ベアトリスが話をサミーの件に戻す。
 
「……それより、本来なら違うバラを使って、励ますような意味にすることもできたんだが、あえて変えた」

 少しくらい意地悪して、解答に幅を持たせてもいいだろう、そんな言い訳を心の中に留める。できるだけ曖昧に、ボヤけるように。

「きっと今頃、頭を悩ませているだろう」

 そうなっていたら嬉しい。イギリスの哲学者、ジョン・スチュアート・ミルも『祝福は苦悩の仮面を被って訪れる』と言った。ならきっと、監督ならそいつを捕まえて、無理やりに剥ぎ取って、力づくで祝福されに行くはず。

「ま、ここから先は彼次第だ」

 できるのはここまで。手を引っ張って導く、なんてことはできない。軽く背中を押すだけ。それだけでいい。それしかできない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

Parfumésie 【パルフュメジー】

キャラ文芸
フランス、パリの12区。 ヴァンセンヌの森にて、ひとり佇む少女は考える。 憧れの調香師、ギャスパー・タルマに憧れてパリまでやってきたが、思ってもいない形で彼と接点を持つことになったこと。 そして、特技のヴァイオリンを生かした新たなる香りの創造。 今、音と香りの物語、その幕が上がる。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

Réglage 【レグラージュ】

キャラ文芸
フランスのパリ3区。 ピアノ専門店「アトリエ・ルピアノ」に所属する少女サロメ・トトゥ。 職業はピアノの調律師。性格はワガママ。 あらゆるピアノを蘇らせる、始動の調律。

引きこもりアラフォーはポツンと一軒家でイモつくりをはじめます

ジャン・幸田
キャラ文芸
 アラフォー世代で引きこもりの村瀬は住まいを奪われホームレスになるところを救われた! それは山奥のポツンと一軒家で生活するという依頼だった。条件はヘンテコなイモの栽培!  そのイモ自体はなんの変哲もないものだったが、なぜか村瀬の一軒家には物の怪たちが集まるようになった! 一体全体なんなんだ?

処理中です...