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オーベルテューレ
21話
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いつの間にかすぐ左横に来ている姉の存在に気付けず、心臓が飛び出るかと思うほどにシャルルは仰天した。むしろ停止に近かったのかもしれない。
「なんだその反応は。ん? なんだ、頬がどうかしたのか?」
「いや、ナンデモナイデス……」
言葉がしっくりと口から離れず、たどたどしい軌跡を残してベアトリスの耳に届く。あきらかに動揺している。
「なんで片言になる。なにか隠してるのか?」
「なんでもないって! ところで、姉さん。今日のは何点だったの?」
唐突に話題を変えるが、「そうだな……」と、姉も上手く乗ってくれたようで、ほっと胸を撫で下ろしたシャルルは、そこにある心臓が動いてると感じ、さらに安心する。
「まぁ、八五点といったところか。一つのテーマとしては完成に近い形であったとは思うぞ」
「姉さんからそんな褒め言葉を聞くなんて珍しい気もするな」
バカモノ、と軽めのデコピンを打つ。ヒリヒリと痛むそこを右手で撫でつつ、姉の言葉に耳を傾ける。
「黒のカラーではなく、ネモフィラを使って黒を少し小さめに出してもよかっただろう。それにあれは花言葉に『成功』を含むしな。だが同時に『可憐』を含ませるのは合わんかもしれんな、あの女には」
さらに思案にふけるベアトリスを見つつ、こうなると長いんだよな、と口に出さないようシャルルは愚痴をこぼした。しかし、いつ如何なる時も花を考える姿勢は尊敬もしているのだ。
「姉さんでも迷うことはあるんだ」
「当たり前だ、それほどまでに花は深い。だが、完全な正解などあってはならん。そこで花の進化は止まってしまうからな」
「そう、かもしれないね」
常に強気の姉でも語り尽せない花の魅力。そこに溢れるものは、知ることへの欲望と作りだすことの期待感だった。答えのない自分だけの答え。
「それじゃ店閉めよっか、姉さん」
「おい、それより少し屈め」
くるっと踵を返しシャルルが店内に入ろうとすると、ベアトリスが不機嫌そうに命令をする。その声色には不満が混じっているようにも思える。
「? なん――」
で。シャルルが言い切る前に、右の頬に小さな柔らかい、数分前にも感じた感触を逆側の頬にも感じる。不慣れであると体現するように、軽く歯が当たる。
唇を離しても、加害者の少女は冷静さを失わない。
「お前は顔に出すぎる」
小さな手の甲で桃色の唇を拭いつつ、キョトンとする弟を尻目に先に店内へ入っていった。が、思い出したようにスタスタと戻ってきて頭を撫でた。キョトンを通り越して呆然とする。
「これであいこか?」
「……あの」
「いや、まだなにかあるな。言え。言わんとキーパーで寝かすぞ」
恐ろしいことを真顔で言ってのけ、実際にやりかねないのがベアトリスだった。しかし正常な五体での判断ができず、
「……ない……はず」
ベルに抱きつかれたことを思い出すが、素直に「ない」と言えずに曖昧に否定する。視線を合わせずに小刻みに震えながら返答を、それを姉は肯定と受け取った。
「口と口か」
「!」
背筋に冷たいものが走り、逃げるように店の中へシャルルは飛び込んだ。さすがに直接はまずい、と脊髄で反射する。姉の手を振りほどいて二階へ行く、自分でも驚くほど俊敏な動きだった。あまり体を動かすのは得意ではないのだが、もしオリンピックで『花屋の店内をかきわけて二階へ行く』という競技があれば、かなりいい線をいくのではないか、と上り終えて考えた。
「って、店片付けないと姉さんに怒られるし……ああもう……」
前門の姉、後門の姉という状態でしぶしぶ戻るのに三分ほど要した。
下では何事もなかったかのように姉は電話を掛けていた。
降りてきたシャルルを視界で捉えると、「ちょっとまて」とベアトリスは通話口を押さえた。
「シャルル、なにか必要な花はあるか? あるなら今言っておけ」
「え、うん、特には……ないかな」
歯切れの悪い言い方だが、ベアトリスは「そうか」と薄笑いを浮かべて再び通話に戻る。
「ああ、ベロニカとアイクリームのスプレーバラを大量に、だそうだ」
花言葉『忠実』・『私はあなたを尊敬します』
「なんだその反応は。ん? なんだ、頬がどうかしたのか?」
「いや、ナンデモナイデス……」
言葉がしっくりと口から離れず、たどたどしい軌跡を残してベアトリスの耳に届く。あきらかに動揺している。
「なんで片言になる。なにか隠してるのか?」
「なんでもないって! ところで、姉さん。今日のは何点だったの?」
唐突に話題を変えるが、「そうだな……」と、姉も上手く乗ってくれたようで、ほっと胸を撫で下ろしたシャルルは、そこにある心臓が動いてると感じ、さらに安心する。
「まぁ、八五点といったところか。一つのテーマとしては完成に近い形であったとは思うぞ」
「姉さんからそんな褒め言葉を聞くなんて珍しい気もするな」
バカモノ、と軽めのデコピンを打つ。ヒリヒリと痛むそこを右手で撫でつつ、姉の言葉に耳を傾ける。
「黒のカラーではなく、ネモフィラを使って黒を少し小さめに出してもよかっただろう。それにあれは花言葉に『成功』を含むしな。だが同時に『可憐』を含ませるのは合わんかもしれんな、あの女には」
さらに思案にふけるベアトリスを見つつ、こうなると長いんだよな、と口に出さないようシャルルは愚痴をこぼした。しかし、いつ如何なる時も花を考える姿勢は尊敬もしているのだ。
「姉さんでも迷うことはあるんだ」
「当たり前だ、それほどまでに花は深い。だが、完全な正解などあってはならん。そこで花の進化は止まってしまうからな」
「そう、かもしれないね」
常に強気の姉でも語り尽せない花の魅力。そこに溢れるものは、知ることへの欲望と作りだすことの期待感だった。答えのない自分だけの答え。
「それじゃ店閉めよっか、姉さん」
「おい、それより少し屈め」
くるっと踵を返しシャルルが店内に入ろうとすると、ベアトリスが不機嫌そうに命令をする。その声色には不満が混じっているようにも思える。
「? なん――」
で。シャルルが言い切る前に、右の頬に小さな柔らかい、数分前にも感じた感触を逆側の頬にも感じる。不慣れであると体現するように、軽く歯が当たる。
唇を離しても、加害者の少女は冷静さを失わない。
「お前は顔に出すぎる」
小さな手の甲で桃色の唇を拭いつつ、キョトンとする弟を尻目に先に店内へ入っていった。が、思い出したようにスタスタと戻ってきて頭を撫でた。キョトンを通り越して呆然とする。
「これであいこか?」
「……あの」
「いや、まだなにかあるな。言え。言わんとキーパーで寝かすぞ」
恐ろしいことを真顔で言ってのけ、実際にやりかねないのがベアトリスだった。しかし正常な五体での判断ができず、
「……ない……はず」
ベルに抱きつかれたことを思い出すが、素直に「ない」と言えずに曖昧に否定する。視線を合わせずに小刻みに震えながら返答を、それを姉は肯定と受け取った。
「口と口か」
「!」
背筋に冷たいものが走り、逃げるように店の中へシャルルは飛び込んだ。さすがに直接はまずい、と脊髄で反射する。姉の手を振りほどいて二階へ行く、自分でも驚くほど俊敏な動きだった。あまり体を動かすのは得意ではないのだが、もしオリンピックで『花屋の店内をかきわけて二階へ行く』という競技があれば、かなりいい線をいくのではないか、と上り終えて考えた。
「って、店片付けないと姉さんに怒られるし……ああもう……」
前門の姉、後門の姉という状態でしぶしぶ戻るのに三分ほど要した。
下では何事もなかったかのように姉は電話を掛けていた。
降りてきたシャルルを視界で捉えると、「ちょっとまて」とベアトリスは通話口を押さえた。
「シャルル、なにか必要な花はあるか? あるなら今言っておけ」
「え、うん、特には……ないかな」
歯切れの悪い言い方だが、ベアトリスは「そうか」と薄笑いを浮かべて再び通話に戻る。
「ああ、ベロニカとアイクリームのスプレーバラを大量に、だそうだ」
花言葉『忠実』・『私はあなたを尊敬します』
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